この四人、一体何をしているんだろう? 修は冷たい表情のまま、何も言わなかった。 美咲は彼が口を開かないのを見て、メニューを片付けながら「かしこまりました。少々お待ちください」と言い、その場を離れた。 美咲が去ると、場の空気は一層重たくなった。 四人は互いに見つめ合い、誰も口を開こうとしない。 この緊張感を破る何かが切実に必要な状態だった。 そんな中、雅子が口を開いた。「そういえば、松本さん、今日が私の退院の日だって知ってた?」 若子は薄く微笑みながら、あっさりと答えた。「そうなの。おめでとう。元気そうでよかったわね」 「ええ、これも修のおかげよ。私を救うために全力を尽くしてくれたの。本当にいろいろしてくれたから、私も一生懸命生きないとって思うの。そして、もう一つお知らせがあるの。後日、修と結婚するのよ」 最後の一言を口にするとき、雅子の顔は誇らしげだった。 若子はその言葉を聞いて一瞬動きを止めた。修が雅子と結婚するという話は何度も耳にしていたし、彼が雅子にそう約束しているのも知っていた。それでも、この穏やかそうな場で改めて具体的な結婚の日取りを聞かされると、これまで以上に現実味を感じた。 まるで「狼が来るぞ」の話のように、ついに狼が本当に現れたのだと理解した。 「おめでとう」西也が柔らかく微笑んで言った。「何かプレゼントを用意しないとね」 西也はその話を聞いて、意外と嬉しそうだった。 「プレゼントは結構よ」雅子は言った。「ただ、お式には出席してくれるかしら?」 「結婚式は遠慮しておくわ」若子は即座に答えた。「西也と用事があるから後日改めて贈り物を送るわ」 「そう......それは残念ね」雅子は表情に失望を浮かべたが、内心では安堵していた。若子が来なければ、修がその場で結婚を後悔することもないだろう。 その後も四人はとりとめのない話を続けたが、修の目は時折若子に向けられ、また西也を見たときには冷たさを増していた。 修は静かに口を開いた。「遠藤さん、記憶喪失で全部忘れたって聞いたけど、若子のことだけは忘れてないみたいだな」 西也は若子に優しい目を向け、微笑みながら答えた。「この世で誰を忘れても、若子だけは忘れることができない」 「そうか」修は目を細め、疑念の色を浮かべながら言った。「不思議だ
彼女のために、修は西也と争うわけにはいかなかった。若子がそれを見て苦しむことになるからだ。 修は淡々と、「そうだな」とだけ言った。 たったそれだけの言葉を残し、彼はそれ以上何も言わなかった。 西也は修が何か反論してくると思っていた。しかし、まさか「そうだな」とあっさり認めるとは思わなかった。 記憶がないとはいえ、修について抱いている漠然とした不快感は拭えなかった。 修が簡単に他人の言葉を認める人間だとは思えない。それも、恋敵である自分に対してなおさらだ。 修が西也に口論を仕掛けなかったことに、若子はわずかに安堵した。 少なくとも、修が一歩引いてくれたのは事実だった。 しかし、その様子に雅子は眉をひそめた。「修、どういうこと?」 西也が明らかに修を挑発しているのに、修が全然怒らない。それどころか認めてしまうなんて、どうかしているのでは?もしかして若子のために我慢しているのか? 雅子は悔しさで奥歯を噛みしめた。 若子は、この昼食を味わう余裕もなく過ごした。偶然修と雅子に遭遇するだけでなく、まさか同じテーブルで一緒に食事をすることになるとは夢にも思わなかったからだ。 その後、四人の会話はほとんど途切れがちになった。 食事を終えると、修が口を開いた。「この後、どこに行く予定なんだ?」 若子は答えた。「西也と一緒に、少し出かけてみるつもり」 「一緒にどうだ?四人で......」 「結構よ」若子は修の言葉を遮り、「私は四人で出かけるのは好きじゃないの」と言った。 昼食に付き合ったこと自体が、彼女なりの妥協だった。それ以上の時間を修と過ごす気はなかった。 西也が若子の手を取り、「そうだな。午後は俺と若子の時間だからな」と付け加えた。 修は冷たく鼻で笑った。「俺が彼女を奪うのが怖いのか?」 西也は目を細めながら、静かに言った。「できるもんならやってみろ」 再び緊張感が高まり始めたが、若子はすぐに口を挟み、「二人とも、やめて。あなたたちはそれなりの立場のある人でしょ?こんな冗談はやめてよ」と言った。 その言葉に雅子は内心疑問を抱いた。「立場のある人物」と言えるのは修だけで、西也には何の肩書もないはずだ。西也はただのウェイターにすぎないのに、どうして若子はこんな風に持ち上げるのか?現夫に花を持たせよ
「遠藤総裁」という言葉を聞いた雅子は、思わず戸惑った表情を浮かべた。 遠藤総裁? 遠藤が総裁?一体どういうこと? 雅子は美咲に何か尋ねようとしたが、美咲はすでに振り返り、立ち去っていた。 若子は美咲の去っていく姿を一瞥し、何かを思いついたように立ち上がった。「ちょっとお手洗いに行ってくる」 彼女は西也に向き直り、「西也、少し待ってて」と声をかけた。 西也は頷き、「ああ、俺も一緒に行こうか?」と言った。 若子は軽く首を振り、「いいえ、大丈夫。ここで待ってて」と言い残し、その場を後にした。 途中で不安を覚えた若子は、スマホを取り出し、修にメッセージを送った。 「西也をいじめないで。お願い」 すぐに修から返事が来た。 「分かった」 若子はほっとしながらもう一度返信した。 「ありがとう」 美咲が西也のカードで会計を済ませているところに、若子が近づいた。 「高橋さん」若子は声をかけた。 美咲が振り返り、「松本さん、どうしましたか?」と答えた。 「少しだけ、お話しできる時間をいただけますか?」と若子が尋ねると、美咲は頷いた。 「はい、もちろんです」 「できれば、誰もいない静かな場所で話したいのですが」 「分かりました。こちらへどうぞ」 美咲は若子を人気のない場所に案内し、改めて尋ねた。「松本さん、一体どうされましたか?何か問題でも?」 「はい、少しだけ気になることがあって」 「私の接客に問題がありましたか?それとも、レストランに対して何かご意見がございますか?何でもおっしゃってください。私からマネージャーに報告いたします」 「いえ、レストランの問題ではありません。実は、高橋さんと西也に関することなんです」 「私と遠藤さんのことですか?」美咲は困惑した表情を浮かべた。「私と遠藤さんに何かありましたっけ?確か以前、一度だけお会いしましたよね。松本さんもその場にいらっしゃいました。でも、どうやら彼は私のことを忘れているようですが」 若子は深呼吸しながら説明を続けた。「高橋さん、実は西也は事故で記憶を一部失っています」 「そうだったんですか。それはお気の毒に......でも、彼は元に戻れるんでしょうか?」美咲は少し心配そうに尋ねた。 若子は力強く頷いた。「ええ、きっと良くなり
美咲は口を開きかけたが、何を言えばいいのかわからず、困惑した表情を浮かべた。そんな彼女の様子を見て、若子が続けた。 「高橋さん、大丈夫です。無理にお願いするわけではありません。どうするかは高橋さん自身のご判断ですし、西也を受け入れる必要なんて全然ありません。ただ、少しだけお手伝いしていただけると助かることがあるんです。だって、彼が好きなのは高橋さんなんですから」 美咲は少し口元を引きつらせながら言った。 「彼が私を好きだって?じゃあどうして彼は私を忘れたんですか?それに、どう見ても彼は松本さんのことを忘れていないみたいですけど」 若子は静かに答えた。 「忘れたからといって、大切じゃないというわけではないんです。彼は妹やお父さん、ご家族のことさえも忘れてしまいました。でも、ご家族は彼にとって大切な存在です。ただ、たまたま私のことを覚えていただけ。それに、彼は本当にあなたのことが好きだったんです。あなたのお話をするとき、すごく悲しそうな顔をしていました。あなたが彼を愛さなかったことが彼を傷つけたのは確かですが、それがあなたのせいだとは思っていません」 美咲はかすかに微笑みながら言った。 「松本さん、結局何が言いたいんですか?私に何をしてほしいんですか?」 若子は少し躊躇いながら答えた。 「今夜、一緒に食事をしませんか?その後で、西也と二人きりでお話しする時間を作れたらと思っています」 美咲の心が大きく揺れた。 「何を言っているんですか?」 「高橋さん、誤解しないでください。変な意図があるわけではありません。ただ、西也はあなたが好きですし、あなたと二人きりでお話しすることで、もしかしたら何か思い出すきっかけになるかもしれません。それだけです。一回の食事でいいんです。誰もあなたを傷つけたりしませんよ。私が保証します」 美咲は少し考えた後、答えた。 「松本さんのおっしゃりたいことはわかりました。それに、あなたたちが私を傷つけるつもりがないことも。ただ、たぶん誤解されていると思います。私と遠藤さんの関係は、松本さんが想像されているようなものではありません。私たちは......」 そこまで言ったところで、美咲は一瞬言葉を詰まらせた。 若子が静かに尋ねる。 「どうされたんですか?何かありましたか?」 美咲は若子
西也の心の中には、確かに好きな女性がいた。しかし、本当に好きだったのは若子だった。ただ、それを彼女に正直に伝える勇気がなく、嘘をついてしまったのだ。 美咲は何かを思い出したように、少し困惑した表情を浮かべながら尋ねた。 「松本さん、あなたは私が彼の好きな人だと言いましたけど、あなたたちは夫婦ですよね。それなのに、嫉妬とかしないんですか?」 若子は少しばつが悪そうに微笑んで答えた。 「高橋さん、実は私と西也の結婚って、すごく複雑なんです。私たち、愛し合って結婚したわけじゃないんです。だから......」 若子は少し言葉を詰まらせた後、続けた。 「でも、高橋さん、信じてください。私と西也の関係は、あなたが想像しているようなものではありません。結婚した理由も、その......」 若子は自分が話をまとめきれないことに気づき、ため息をついた。 「もういいです、正直に言いますね」 そう言って、若子は事情を美咲にざっくりと説明した。 それを聞いた美咲は、一瞬その場に座り込みたくなるほどの衝撃を受けた。 「つまり、彼を助けるために結婚したんですか?」 若子は静かに頷いた。 「そうです。本当は、西也が高橋さんのことを好きだって聞いて、彼が高橋さんを追いかけて、結婚できたら一番いいと思っていました。でも、彼が言ったんです。『美咲に断られた』って。だから、私も仕方がなかったんです」 美咲は困ったように微笑んだ。 「なるほど、そういうことだったんですね」 どうやら西也は若子に対して多くの嘘をついていたようだ。そして、そんな彼が一体何を考えているのか、さっぱりわからない。好きなら正直に告白すればいいのに、なぜわざわざ好きでもない女性の名前を挙げて嘘をつくのだろう。 けれど、結局のところ、彼は好きな女性と結婚しているのだから、この話はなんとも複雑だった。 若子は真剣な表情で言った。 「高橋さん、お願いです。この話は、他の誰にも言わないでいただけますか?」 美咲は軽く頷いた。 「安心してください。誰にも言いません。松本さんが私に話してくれたのは、私を信じてくれているからですよね」 「ええ、そうです」と若子は微笑んで言った。 「だって、西也が好きになった女性が悪い人なわけがないと思うんです。彼が選ぶ相手なら
雅子は辺りを一巡し、角から若子がサービススタッフと一緒に歩いてくるのを目にした。 慌てて近くの柱の陰に身を隠し、二人の様子を伺う。どうやら何か話しているようだが、会話はすでに終わったところだった。 若子はそのまま別の方向へ歩き去り、代わりに美咲がこちらに向かってくる。 雅子はその場を動かず、直接美咲に声をかけた。 「ちょっと、あなたたち二人で何をこそこそ話してたの?」 美咲は冷静に答えた。 「何かご用ですか?」 雅子は美咲を上から下まで値踏みするように見た。 「あんたと松本ってどういう知り合いなの?」 美咲は落ち着いた声で答える。 「失礼ですが、あなたは......?」 「私、桜井雅子。あと二日でSKグループの総裁夫人になる予定のね」 雅子は得意げに自分の肩書きを宣言した。 美咲は丁寧に微笑みながら言った。 「桜井さん、松本さんとは以前食事をご一緒したことがあるだけで、それほど親しいわけではありません」 「本当に?それで、どうして彼女の夫を『遠藤総裁』なんて呼ぶの?あの人、ただのサービススタッフでしょう」 「遠藤総裁」という言葉に、雅子は嫌悪感を露わにした。 美咲は軽く首を傾げて答えた。 「サービススタッフ?桜井さん、それは誤解されていますよ。彼は雲天グループの総裁です」 「雲天グループの総裁?」 雅子の頭にまるで雷が落ちたようだった。 「それって、あの国際的なグループのこと?」 雅子は震える声で聞いた。 美咲は静かに頷いた。 「ええ、そうです」 雅子の心臓は激しく高鳴り、パニック寸前だった。 そんな馬鹿な!若子が雲天グループの総裁と結婚しているなんて、ありえない! いや、絶対に間違いだ。だって以前、山荘で西也を見かけた時、彼は確かにサービススタッフの制服を着ていた。それが総裁だなんて、信じられるわけがない。 でも......もし本当に彼が雲天グループの総裁だとしたら?つまり、若子は修と別れた後、すぐにまた巨額の資産家を捕まえたということ? 「桜井さん、大丈夫ですか?」 美咲は雅子の顔が真っ青になっているのを見て、少し愉快な気分になっていた。 「あんた、本当に松本と親しくないの?」 雅子は疑いの目で問い詰めた。 「桜井さん、それはあなた
修は左思右考しながら、ついに口を開いた。 「若子をちゃんと検査に連れて行ったのか?」 どうしても心配だった。もし西也が若子を病院に連れて行ってくれるなら、それでも構わない。 西也は少し眉をひそめながら答えた。 「普通に元気じゃないか。それをなんで聞く?」 修は静かに言った。 「若子とは離婚したけど、何年も一緒に過ごした仲だ。兄妹みたいなものだろう?心配するのは普通だ」 その言葉に、西也は冷たく鼻で笑った。 「お前が彼女を妹だと思ってても、若子はお前を兄だと思ってるか?ただのクズな元夫のくせに」 修の表情が険しくなった。 「遠藤西也、お前、そんなに得意げな顔してられるか?若子がお前と結婚したのは、愛してるからじゃないだろう」 西也は膝の上に置いていた拳をゆっくりと握り締めた。 「じゃあ、彼女はお前を愛してるのか?愛してたなら、なんでとっくに復縁してないんだよ?どうして俺と結婚してるんだ?俺が得意げになるべきじゃないのはわかってる。でもな、いい加減自覚しろよ。兄妹みたいな顔してるお前を、若子は気にもかけてない」 修は口元を引きつらせながら言い返した。 「お前、若子の顔を立ててやってるだけだ。俺が本気を出せば、とっくにお前なんか消してる」 西也は静かに立ち上がり、スーツを整えると、窓の外を眺めながら冷笑した。 「じゃあ、俺が襲撃されて、死にかけたのは全部お前の仕業ってことか?」 西也の堂々たる非難の言葉に、修はテーブルを勢いよく叩き、立ち上がった。 「証拠でもあるのか?証拠もなしに俺を貶めるな」 「じゃあ、お前は無実ってことか?」 西也は冷笑を浮かべた。 「無実なら、なんでそんなに怒る?心当たりがあるからだろう?」 修は大股で西也の背後に立つと、肩を掴んで強引に振り向かせた。 「わざと俺を怒らせてるのか?」 「怒らせるつもりなんてない。ただ、お前が怒っただけだろう」 西也の声は冷え冷えとしていた。 「藤沢、俺は多くのことを忘れた。お前のことも忘れた。でもな、お前って本当に哀れだよな」 修は目を細め、その瞳に鋭い光を宿らせた。 「遠藤、知ってるか?若子はずっと俺にお前を傷つけるなって頼んでたんだ」 そう言うと、修はスマートフォンを取り出し、若子から送られてきた
西也は拳を強く握りしめ、吐き捨てるように言った。 「お前、何を得意になってるんだ?たかが一通のメッセージだろ。それがどうした?むしろこれで、若子が俺のことをお前より気にかけてる証拠だ」 「そりゃそうだろうな」修は笑いながら答えた。 「お前、今はすっかり弱っちいからな。毎日若子に世話を焼いてもらわなきゃ生きていけない。大の男が情けない話だな。自分の身すら守れず、ボロボロになって死にかけたくせに、記憶喪失までして、今じゃ女に守られてるなんてな。前に立たれて風よけになってもらってるお前、滑稽だよ」 「藤沢!」 西也は勢いよく修に詰め寄り、その胸元を掴んだ。 「お前、何を偉そうに!若子が俺に言ったんだ。お前が他の女のために彼女と離婚したってな!お前なんてただのクズ野郎だろうが。今さら手に入らないからって、俺を怒らせようとしても無駄だ。若子は俺の女だ。永遠にな。毎晩彼女は俺の腕の中で眠る。彼女を抱ける男は俺だけだ。お前じゃない。この先もずっと、お前には無理だ!」 修の瞳には怒りの炎が燃え上がり、今にも西也に拳を振り下ろしそうだった。だが、若子が懇願するように見せたあの表情を思い出し、その怒りを必死で押し殺した。 修は強く握りしめていた拳をゆっくりと解き、西也の手首をがっしりと掴むと冷たく言った。 「遠藤、俺は若子に約束したんだ。お前をいじめないってな。でも今のお前はこのざまだ。俺の相手になるわけがない。俺は弱者をいじめる趣味はない。けどな、回復したら喜んで相手してやるよ」 そう言って、西也の手を乱暴に振り払うと、修は一歩後ろに下がった。 西也はまるで怒り狂った獅子のように胸の中に炎を抱え、次の瞬間には修を殴り飛ばそうと動き出したが、そのとき、遠くから人影が近づいてくるのが目に入った。 西也の目が一瞬狡猾に輝き、修に近づくと突然手を振り上げた。 修はその動きを見逃さず、西也の手を素早く掴むと低い声で言った。 「やる気か?」 「どうした、怖じ気づいたのか?」 西也は挑発するように笑った。 修は目を細めながら冷たく言った。 「若子との約束だ。お前には手を出さない」 そう言って、西也の手を放し、その場を離れようとしたその瞬間だった。 西也は急に後ろへ数歩下がり、派手な音を立てて壁に頭をぶつけながら倒れ込ん
「正直......ね」 修はその言葉に、自嘲するような笑みを浮かべた。 「俺は、お前が思ってるほど正直じゃない。昔......妻に嘘をついたことがある。別の女と会うために、『出張だ』なんて言って......それでも、まだ俺は『いい男』か?」 侑子は、かぶりを振った。 「修......それでも、私は信じてる。きっと事情があったんだよ。男には男の都合があるもん」 「侑子、お前......俺を美化しすぎてる。事情なんて関係ない。ただのクズだったんだ、俺は」 「違う。私にとって、修はいつだって『正しい人』なの。たとえ浮気しても、別の女のところに行っても、それはきっと理由がある。私は、どんなときでもあんたを許す。だって私は、あんたの物語のヒロインになりたいから。 ......どんなに卑怯でも、どんなに残酷でも、私は修を肯定する。修が望むなら、私は『都合のいい女』でいられる」 ―男が他の女と関係を持つのは、よくある話。 修ほどの男ならなおさら。金もあって、見た目もよくて、若い。女が群がってくるのは当然。 だからきっと、悪いのはあの女だ。 修が離婚したのは、あの女のせい。彼女がちゃんとしていなかったから。忠実に、女らしくしていなかったから。 いや、それどころか、彼女は最初から不誠実だった。遠藤とくっついて、子どもまで作っておいて、また修を誘惑するなんて― 最低。 そんな女に、修を取られてたまるか。 ふざけないでよ。 そんな節操のない女が、修に相応しいわけないでしょ。 あの女、汚れてる。 男に非なんかない。悪いのは、いつだって女。 男が女を傷つける?それも当然。なのに戻ってきてやるなら、それは女に「恩赦」を与えるようなもんよ。 なのに、拒むなんて......バカじゃないの? 修には、侑子の様子がどこかおかしく見えた。 こんな支離滅裂なことを口にするなんて―正直、理性を失ってるとしか思えなかった。 ......そんなこと、本気で思ってるのか? 彼女は本当に俺のことを「愛してる」からこうなってるのか? それとも、ただ感情に呑まれてるだけなのか。 修は手を伸ばして、侑子の額にそっと触れた。 熱はなかった。体温は平常通り。 たぶん― それだけ、彼女は傷ついて、絶望して、心が限
「ごめん......全部俺が悪かった。こんなふうに泣かせて、本当に......」 修はそう言って、侑子を見つめた。けれど、侑子は首を横に振る。 「病院なんて、もういいの。行きたくないの......今は......ただ、修にそばにいてほしいだけ。 修......お願い......私を抱きしめて。ずっと待ってたの、修が帰ってくるのを......毎日毎日......でも、来なくて......ずっと怖かった......」 ぽろぽろと涙をこぼしながら、侑子は息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。 修は胸が締め付けられる思いで、そっと彼女を引き寄せた。そしてベッドに横たわり、彼女の頭を胸元に抱き寄せた。 「ごめんな、侑子......」 その声には深い後悔がにじんでいた。 彼の体からは、強いアルコールの匂いがした。かなり酒を飲んでいたらしい。 「ねえ、修......さっき心臓が痛くて、薬を飲もうとしたんだけど......飲みたくなくて、もう......このまま死んじゃってもいいかなって......そう思っちゃったの......」 「そんなこと、二度と言うな......!」 修はすぐに言葉を返した。 「そんなふうに思うなんて......それは俺の心を抉るようなもんだ。絶対に生きてほしい。お前の手術のために、ちゃんと適合する心臓を探してみせるから。そしたら、健康になれる」 「......修」 侑子はまた涙をこぼしながら、彼を見つめた。 「私も、生きたいよ......ちゃんと。だから......薬、飲んだの。死んだら、修が悲しむから。迷惑かけたくないから......私は、修を愛してるから。だから......負担にはなりたくないの。 修......安心して。私は、ずっと修の味方だから。何があっても、私の中で一番大事なのは、いつだって修だよ......」 修は深く息を吐いた。 「......侑子、俺はお前にどうしたらいい? たとえば......もし、俺が一生、お前を愛せなかったら?」 「それでもいいの」 侑子は微笑みながら言った。 「私が愛してる。それだけで十分だよ。いらないって言っても、私は愛を少しずつ分けるから。修が苦しいとき、そばにいてあげるだけでいい。それが私の幸せなの」 「私、修のこと、大好き....
―だめだ、絶対に死んじゃいけない。 震える手で薬をかき集めた侑子は、床に落ちた錠剤をそのまま手に取り、汚れなんて気にもせず、口の中に放り込んだ。ごくん、と無理やり飲み下す。 少しずつ、薬が効いてきた。 呼吸が落ち着き、心臓の痛みも引いていく。ベッドに戻った彼女は、天井をぼんやりと見つめながら呟いた。 「私は、絶対に死なない......何があっても生きてやる。修......私は、生きてあんたを手に入れるの。あの女なんかに渡してたまるもんか。 夫もいて、子どももいるのに、まだ修を誘惑するなんて......あの女、ほんとに最低。 修を危険に晒して、さらにまた奪おうとするなんて、どこまで浅ましいのよ。 どうせ母親も同じような女だったんでしょ。ろくでもない母親に育てられて、男と乱れて......下品でだらしない血を引いてるんだわ」 そのとき― 廊下から声が聞こえた。 「藤沢様、お帰りなさいませ」 侑子の目がパッと見開かれた。足音が、こちらへ近づいてくる。 彼女はすぐに反応した。肩紐をぐいと引きちぎるように外し、白く滑らかな肩と谷間を露わにする。 乱れた服のままベッドに横たわり、まるで酷く傷ついた花のように、儚く、美しく、哀しさを帯びた姿を演出する。 修が部屋に入ってきたとき、目に飛び込んできたのは、床一面に転がった薬、そしてベッドに横たわる侑子の姿だった。 「......!」 修の顔が一気に青ざめた。 彼はすぐにベッドへ駆け寄り、侑子を力強く抱きしめる。必死に肩を揺らしながら、名前を呼びかけた。 「侑子!おい、しっかりしてくれ! 侑子っ!」 その目には、深い不安と焦りが浮かんでいた。今すぐ病院に運ばなければ、と口を開きかけたそのとき― 侑子がゆっくりと目を開けた。 「修......やっと、帰ってきてくれたのね。待ってたのよ、どれだけ待ったか......」 彼女のその姿は、まるで何年も帰ってこなかった恋人を待ち続けた人のようだった。 「......ああ、帰ってきたよ、侑子。ごめん、どうしたんだ?具合、悪いのか?」 修の視線が薬へと移った。これはまさか― 「薬、ちゃんと飲んだか?」 「うん......飲んだよ。でも、手が滑って、薬を落としちゃって......全部撒いちゃった
夜の闇が別荘を包み込み、部屋の中には重く沈んだ空気が漂っていた。 侑子はベッドの上で身体を丸め、震えていた。涙は糸の切れた真珠のように頬をつたって流れ、すすり泣きの声が部屋の隅々まで響きわたる。空気さえも、彼女の悲しみに染まっていくかのようだった。 その顔は、かつての輝きを完全に失っていた。まるで枯れかけた花のように、白く、弱々しく、力を失っている。赤く腫れた目元は、血に染まった宝石のように痛々しく、深い怒りと絶望を滲ませていた。 乱れた黒髪が頬の両側にかかり、生気をなくした滝のように見えた。 「なんで......修、なんでまだ帰ってこないの......? 私が代わりでもいい......せめて、少しでも優しくしてくれたら......それだけでよかったのに...... 松本さんに会って、それで戻ってこなくなったの......?まさか......彼女と......?」 心の奥で燃え上がる怒りが、侑子の顔を歪ませる。 裏切られた痛み。置いていかれた悲しみ。それらが一気に押し寄せてきて、彼女の心を粉々に打ち砕いていく。 胸に湧き上がる憎しみは、もうどうしようもなかった。 「なんで......なんで彼女なのよ......あの女、もう別の男と結婚して、子どもまで産んでるのに! 修......そんな女のどこがいいの!?あんな体、汚れてるだけじゃない!」 彼女の痛みと怒りは、やがて真っ黒な闇となり、侑子をその中心へと引きずり込んでいく。 部屋の中の空気はまるで墓場のように重く、息をすることさえ苦しくなる。 「なんでよ......どうして私を選ばなかったの......なんで私が、あんたみたいな男を、好きになっちゃったのよ」 愛してる男の心に、浮かんでいるのはただ一人―松本若子。 その名を思い浮かべるたび、胸が引き裂かれるように痛んだ。 今の彼女の目には、修は裏切り者でしかなく、彼女の心を何度も何度も殺す「加害者」だった。 そして、若子は......下劣で、汚らわしくて、恥を知らない女。 そんな思いに囚われて、彼女の心はもう、まともでいられなかった。 過去にも何度か恋はしてきた。彼氏だっていた。 けれど、どれもこんなふうに心をかき乱されるような恋じゃなかった。 ―今までの恋なんて、全部偽物だったんだ
若子はその場を追いかけたくてたまらなかった。けれど、足はまるで鉛を詰められたように重くて、動くことができなかった。 ―ダメだ。私はもう、修を追いかけちゃいけない。 彼との関係は、もう終わったんだから。 彼には山田さんがいる。もう自分とは終わっている。だったら、いっそ嫌われて、憎まれたままでもいい。 その方が、きっと彼のためになる。 そんな思いで立ち尽くしていた若子の背後から、ふわりと誰かが彼女を抱きしめた。 「若子......信じてくれてありがとう。俺を信じてくれて、本当に......ありがとう」 西也の声だった。 最終的に、若子は彼の言葉を選んだ。それだけで彼の中に、確かな勝利の実感が湧いてきた。 その口元には、ふっと得意げな笑みが浮かんでいた。 ―藤沢、お前は俺に勝てない。 俺は若子を傷つけたりしなかった。ずっと彼女のそばにいて、支えてきたんだ。暗闇の中で手を差し伸べてきたのは、この俺だ。 それに比べて、お前はずっと彼女を泣かせてきたじゃないか。 だが― 若子はその腕を、ギュッと掴んで無理やりほどいた。 「西也......本当に......本当にボディーガードを連れて、銃まで持って修のところに行ったの?本当に......傷つけるつもりだったの?正直に話して」 さっき、修にあんなふうに言ったのも、完全に信じてなかったわけじゃない。 もう修を信じるか信じないかは、正直どうでもよくなっていた。彼には侑子がいて、子どもまでいる。今さら自分が何を言ったところで、どうにもならない。 西也の呼吸が乱れた。肩がわずかに震え、若子の肩を強く掴む。 「若子、俺のこと信じてないのか?......まさか、あいつの方を信じてるのか?」 さっきまで自分を選んでくれたと思っていたのに、まるで手のひらを返されたような気がして、胸の奥がずきりと痛んだ。 「西也......お願いだから、本当のことを言って。本当に銃を持って行ったの?」 二人のうち、どちらかが嘘をついている。でも、どっちなのか、若子にはもうわからなかった。考えれば考えるほど、混乱するだけだった。 「......銃は、持って行った。けど、それは俺のボディーガードが持ってたやつで、護身用なんだ。アメリカじゃ銃の携帯は普通だし、もし危険な目に遭った
若子はしばらく黙って考え込んだ。そして、ゆっくり顔を上げて修を見つめた。 「でも......あのとき、あなたは本気で西也が死ねばいいって思ってた。私に、西也の心臓を桜井さんにあげるようにって、同意を求めたよね」 西也の口元がぐいっと吊り上がる。得意げな笑みを浮かべて、ほっと息をついた。 ―若子は俺のことを信じてくれたんだ。 藤沢修、お前なんかに勝ち目あると思った? 前には桜井雅子、今度は山田侑子。お前がこれまでやってきたこと、どれを取っても正当化できないし、言い逃れもできない。 その一方で、俺は若子にとっての理想の男だ。お前が俺に勝てる要素、どこにある? 若子の言葉は、修の胸を鋭く突き刺した。 「若子......それは......昔のことだ。もう何年も前の話だよ。それと今は別だ。あれはあれ、これはこれなんだ」 「でも、あなたは確かにそうした。確かに―あのとき、あなたは西也に死んでほしいと思ってた。これは事実でしょ?」 修は口をつぐむ。否定できるはずもなかった。あの頃、西也のことを心の底から憎んでいた。そして、雅子が心臓移植を必要としていたタイミングで、西也が倒れた。 これは「チャンス」だと思ってしまった。雅子を助けるには、西也の心臓を......その考えが頭をよぎったことを、否定なんてできない。 ―自分の中の醜い部分。もし誰もがそれを晒されたら、きっと誰も「人間らしく」なんて言えなくなる。 「若子......あれは、あのときの話だ。彼の命が消えかけてたから、俺は......ああ言った。けど、俺は手を下してない。殺してもないし、傷つけてもない。常識的に、そうするのが正しいと思っただけなんだ」 「常識、ね......」 若子はその言葉を聞いて、吐き気がしそうになった。 「修......あなたにとって、西也の治療を諦めることが『常識』なの? だったらもう、これ以上言わなくていいよ。きっと、あなたの心のどこかが後ろめたかったんでしょ?だから西也があなたの元を訪ねてきたとき、勝手に『殺しに来た』って思ったんじゃない?」 「......」 修はふらりと数歩、後ろに下がった。 何もかもが空っぽになったようだった。胸の中から、心臓ごと引き抜かれたかのように。 若子からの言葉。何度も、何度も突き刺さっ
若子のその言葉は、どちらにも肩入れしない「中立」なものだった。 誰が正しいのか、彼女にはわからなかった。だって、その場にいなかったから。修の言い分も、西也の言い分も、どちらも聞いてみれば筋が通っているように思える。 ただ、どちらも誤解していただけだったら―そう願わずにはいられなかった。 西也は修のことを誤解していて、修も西也の護衛が武器を持っていたことで、逆に西也を疑った。ふたりの関係はもともと悪くて、敵意に満ちていた。だから、極端な判断をしてしまったとしても不思議じゃない。 「こいつは本当にやったんだ。侑子まで捕まえて、あと少しで殺されるところだったんだぞ」 修の声には怒りと悔しさが滲んでいた。 だけど、若子の中でその言葉は、ただの「誤解」に聞こえてしまった。 彼女にとっては、現場にいなかった以上、どちらかを一方的に信じることはできなかった。 それでも―自分の命をかけてくれた修の言葉を、疑ってしまっている自分に、彼はきっと傷ついている。 離婚してしまった今、彼女はもう修の味方ではない。 かつてなら、迷わず彼を信じていたはずなのに。 「濡れ衣だ!」西也が激しく声を上げた。「若子、こいつの言うこと信じるな!こいつは嘘をついてる!それに、もし俺が本当に殺すつもりだったら、こいつなんて今こうして立ってられないだろ?あの時、屋敷に彼は一人だった。俺が殺そうと思えば、簡単にできた。でも、やらなかった!」 「それは、お前が油断してたからだ。俺が隙を見て銃を奪い返して、逆転したから助かっただけだ。あのままじゃ、俺も侑子も、確実に殺されてた。お前が死体を処理してしまえば、誰にもバレなかったはずだ」 「お前、よくもそんなでたらめ言いやがって!」 西也は怒りを抑えきれず、若子に向き直った。「若子、お願いだ、信じてくれ。俺がどんな人間か、お前ならわかってるだろ?こいつこそ、俺を殺そうとした張本人だ!」 「お前、忘れたのか?前に俺が事故に遭った時、こいつも含めて全員が、お前に俺の臓器を提供しろって迫ったんだぞ?こいつなんて、俺に早く死ねって言ってたようなもんじゃないか!」 西也は、思い出という武器で切り込んできた。 彼の言葉は、若子の心に鋭く突き刺さる。 あの時―病院で、全員が彼女に迫っていた。西也の命を見捨てて、誰か
修の声は驚くほど冷静だった。西也のように感情をむき出しにすることもなく、彼の言葉には一分の隙もなかった。 どこか、堂々として見えた。 その落ち着いた姿を見て、若子はふと、疲れを覚えた。 修と西也の喧嘩なんて、これが初めてじゃない。もう何度もあった。前なんて、レストランで暴れて警察沙汰になったことすらある。 どちらの肩を持とうと、結局ふたりの間の確執は終わらない。今回の乱闘だって、どうせこれが最後にはならない。 「修、西也、あなたたちもう大人でしょ?自分の行動には自分で責任持ちなよ」 若子の声には、明らかに苛立ちが混じっていた。 「また喧嘩して、これで何回目?私はもう知らない。どっちが先に手を出したとか、正直もうどうでもいい。やりたきゃ好きに殴り合えば?先に殴った方が、もう一発食らう。それでチャラにしなよ。私はあなたたちの母親じゃないの。毎回毎回、警察に駆けつけて後始末して......そんなの、もうごめんだから!」 西也は口を開けかけたが、若子の鋭い一言でぐっと黙り込んだ。 なにか言いたそうな顔をしていたけれど、その勢いはすっかり削がれてしまった。 彼の視線は自然と修に向き、そこに溜まった怒りの矛先をぶつけるように、じろりとにらみつけた。 ―でも、今回、若子は西也をかばわなかった。 修はそれを見逃さなかった。彼にとっては、これが逃せないチャンスだった。 「若子」 修が一歩前に出て、静かに言った。 「なんで俺の話は聞かない?どうして俺が西也を殴ったのか、その理由を考えてくれたことある?」 「藤沢、また話を捏造するつもりか?」 西也がすかさず口を挟んだ。 「捏造?お前、ビビってるのか?若子に話されるのが、そんなに怖いか?」 修は口元だけで笑って、続けた。 「お前、若子には言わないつもりだったんだろ?......あの夜、お前がどんな風に俺の家に乗り込んできたか。銃を持った連中を引き連れて、俺のこめかみに銃口突きつけたよな」 「な―」 若子が目を見開いた。 「西也......それ、本当なの?」 西也は眉をひそめて、必死に否定する。 「若子、違う!誤解だ、そんなことするわけない。確かに何人か連れて行ったけど、それは俺のボディーガードだよ。あくまで護衛で、武力を使うつもりなんてなか
修にとって、若子が西也を責める姿を見るのは、これが初めてだった。 彼は腕を組みながら二人を見つめ、目の奥に一瞬だけ安堵の色を浮かべた。 ―もしこれが昔だったら、若子は絶対に真っ先に西也をかばってた。 でも、今は違う。彼女は西也を守らなかった。 それだけで、少しだけ救われた気がした。 だけど同時に、不安の方が大きかった。 若子が西也をかばわなかったのは、ヴィンセントの存在があったからだ。 11年も一緒に過ごしてきた自分との関係すら壊して、西也をかばった若子が―たった数日で、ヴィンセントのために西也すら突き放すようになった。 それが、何より恐ろしかった。 ヴィンセントはまるで強引に入り込んでくる侵略者のように、既存の人間関係を簡単に壊してしまう。 「若子、お前......俺のこと、責めてるのか?」 西也の声は震え、目を見開いて彼女を見た。 「責めてるかって?ええ、そうよ。責めてるわ」 若子は疲れた表情で言った。ほんとは、こんなこと言いたくなかった。 でも、どうしても感情を抑えきれなかった。 物事がここまでぐちゃぐちゃになって、それでも「全部お前のためだ」なんて顔して、どんどん余計なことをして、混乱ばかりで、結局一番迷惑を被るのは若子だった。 「若子、あのときはお前が危ないって思って......電話で問い詰めるわけにはいかないだろ?もしそばに誰かいたらって思ったら......だから俺は、こっそり探しに行っただけで......俺だって、お前が心配だったんだ。理解してくれよ......それに、お前が夜に出かけたとき、俺には行き先がわからなかった。考えられるのは藤沢だけだった。そして実際、お前は彼に会ってた。お前の失踪は直接彼のせいじゃないかもしれないけど、彼と会ってなければ、そんなことにはならなかったんだ!」 「あなたが心配してくれてたのはわかってる。でも、自分のミスを正当化しないでよ!」 若子の声が一段と強くなった。 「西也......あなたといると、ほんと疲れる」 「......っ」 その一言が、西也の胸に深く突き刺さった。 「ミス」とか「疲れる」なんて―若子の口から、そんな言葉が自分に向けて出てくるなんて、思ってもいなかった。 彼は信じられないような表情で、ただ彼女を見つめるしか