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第872話

作者: 夜月 アヤメ
アメリカ。

気づけば、子どもが生まれてからもう二ヶ月が経っていた。

若子の体は、ほとんど回復していた。

アメリカに来て、すでに半年ほどが過ぎたことになる。

妊娠中も、彼女は決してじっとしてはいなかった。

金融専門職向けの職業トレーニングを受講し、短期間で実用的な知識やスキルを身につけることに励んだ。

また、金融業界のセミナーや学術会議にも積極的に参加し、専門家の講演を聞いたり、最新の市場動向について学んだりして、多くの学者や実務者と交流を深めた。

出産後の二ヶ月間は、しっかりと産後ケアをしながらも、彼女の学びへの姿勢は変わらなかった。

幸い、赤ん坊の世話は特に問題なく、自由な時間はほとんど勉強に充てることができた。

さらには、大学院の交換プログラムにも申し込むことを決意し、目標とする大学のウェブサイトを調べ、必要な応募書類―志望動機書、推薦状、成績証明書、語学試験のスコアなど―を準備し、締切前にすべて提出した。

この過程で、西也には随分と助けられた。

学費については、運が良かったというより、そもそも彼女には必要のない問題だった。

奨学金を申請する必要もなく、金銭面で悩むこともなかった。

ビザの手続きもすべてスムーズに完了。

―これが裕福な人間の特権なのだろう。

どの国も、金を持つ者には寛大なのだから。

こうして、すべてが順調に進んでいた。

若子の子どもはアメリカで生まれ、すでにアメリカ国籍を持っていた。

もっとも、彼女は国籍目当てでここに来たわけではなかった。

そもそも、西也の治療に付き添うために渡米し、ちょうどその頃、彼女は妊娠していた。

選択肢がなかっただけの話だ。

だからといって、自分の国籍を変えるつもりは毛頭なかったし、移民する気もない。

子どもが十八歳になったら、本人の意思で国籍を選ばせるつもりだった。

書斎のドアが開く音がした。

顔を上げると、そこには西也の姿があった。

若子はパソコンに向かい、作業に没頭していたが、そんな姿さえも美しく見える。

彼は微笑みながら、彼女のそばへと歩み寄る。

「若子」

若子は顔を上げ、柔らかく微笑んだ。

「西也、来たのね」

「忙しそうだな」

「うん、三日後には大学へ行くからね。今回の交換プログラムは三ヶ
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