Share

第6話

Author: ハル
すると、皆が一斉に黙り込んだ。

そんな中、怜奈はゆっくりと手を挙げ、「私です」と告げた。

採血は長い時間がかかった。

針が血管に刺さったとき、怜奈は痛みさえ感じなかった。

ただ静かに、真っ赤な血が管を通って流れ出る様子を見つめていた。一滴、また一滴と海斗の体へと流れていく。

「もう十分です。これ以上抜いたらショック状態になりますよ!」看護師が眉をひそめて忠告する。

怜奈は首を横に振った。「あと少しだけ……海斗には必要なのです」

その結果、怜奈は採血のし過ぎで、気を失ってしまった。

再び目が覚めたのは、翌日の夕方のことだった。

怜奈は弱りきった体で立ち上がり、よろよろと海斗の病室へ向かった。

そして、病室の前に着くと、中から怒ったような押し殺した声が聞こえてきた。

「謝れ」海斗の声は冷徹に響いた。

「なぜ俺たちが謝る必要がある?」友人の一人が激高して笑い出した。「こいつは疫病神だ。ご両親を死なせただけじゃ飽き足らず、今度はお前自身にまで危害が加わっているんだ!」

ドン!重い音が響き、ティーテーブルが蹴り倒されたようだ。

「もう一度言う」海斗は一言ずつ、凍りつくような声で吐き捨てた。「杏とのことに、君たちは口出しするな。

謝らないなら、もう今後も付き合う必要がない」

すると、病室はしんと静まり返った。

やがて、数人は杏を睨みつけ、歯を食いしばりながら「すまなかった」と絞り出した。

「俺たちは海斗さんのことを思って言っているんだ」一人が目を赤くして言った。「どれだけ杏さんを愛していても、あなた達二人が結ばれることは絶対にない。

だから今は、側にいてくれる人を大事にするべきじゃないのか。

昨日、怜奈ちゃんはあなたのために採血をして倒れたんだぞ。なのに彼女の様子を見にも行かず、ここで杏さんをかばうなんて……

怜奈ちゃんが知ったら、どれほど心を痛めるだろうか?」

そう言い捨てて、数人はドアを強く閉めて出ていった。

一方それを聞いた怜奈は廊下の陰で、体が冷え切るのを感じていた。

そして、ドアの隙間から見えたのは、杏が海斗の胸に飛び込んで泣き崩れる姿だった。「海斗、ありがとう……あなたがいなかったら、私、もう生きていけないわ……」

それに対し海斗は黙ったままだったが、杏を突き放すことはしなかった。

すると杏は顔を上げ、小さな声で尋ねた。「ねえ……怜奈の様子を見に行かなくていいの?」

海斗は喉を鳴らし、しばらくの間を置いてから低く答えた。「俺に行ってほしいのか?」

杏は唇を噛み、首を横に振った。

「なら行かない」と海斗は言った。

それを目にして、怜奈はその場を立ち去る時、まるで体の中で何かが粉々に砕かれてしまったように感じた。

廊下の真っ白な照明の中、壁を伝いながら歩く彼女は何度もクラクラして倒れそうだった。

だが、採血による貧血のめまいよりも、胸の痛みの方がずっと強くこたえた。

家に戻ってから、怜奈は3日間、一歩も外に出なかった。

海斗の様子を見に行くことも、彼と杏を邪魔することもなかった。

ある日、国際対テロ特殊部隊から制服が届いた。

紺色の制服。胸部の部隊章や国旗が、陽の光を浴びてなんとも眩く見えた。

怜奈は丁寧に服を洗い、干した。ふと蓮のものだったバッジを指で撫でていると、目頭が熱くなった。

ちょうど片付けようとしたとき、玄関のドアが勢いよく開いた。

海斗が入り口に立ち、怜奈の手の中にある制服に目を留めて眉をひそめた。「それは何だ?」

怜奈は素早く服を畳み、クローゼットへ押し込んだ。「なんでもない。友達から贈られた記念品よ」

海斗はそれ以上問い詰めず、後ろの秘書に高級そうな箱を持ってこさせた。

「先日は輸血してくれて、ありがとう」海斗は低い声で、まるで仕事の話でもするかのように落ち着いた調子で言った。

だが、怜奈は受け取らず、淡々と笑った。「そんなに他人行儀にしなくても、私たちも一応……」

「夫婦だ」海斗は怜奈の言葉を遮り、平然とした口調で続けた。「だが、それでも礼はきちんとするべきだ」

そう言って彼はプレゼントをテーブルに置くと、書斎へと去っていった。

その後ろ姿を見つめながら、怜奈は胸を鋭い針で刺されるような思いがした。

だけど、二人はもうすぐ他人になる。

これからは、ただの家族に戻るのだ。

そう思って、怜奈は制服を片付けて休もうとしたとき、突然スマホが鳴った。

杏からの電話だった。
Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 夫の初恋が帰国。身代わりの私は対テロ部隊へ   第21話

    それから、海斗はヘリの送迎を頼み、翌日の昼にはX国を発つことにした。怜奈を連れ出すこともできず、彼女が他の男と幸せそうに過ごす姿を見届けることなど、耐えられなかったからだ。出発の前夜、海斗は一人、かつての結婚指輪を握りしめ、何度も何度も指でなぞっていた。昔、結婚したとき、あまりの苛立ちにこの指輪を庭の花壇に投げ捨てたことがあった。だが、帰国してから庭を一昼夜かけて探し回り、ようやく取り戻したものだ。これこそが、自分と怜奈をつなぐ唯一の証のように思えた。その時、轟音が静寂を突き破った。爆発音に続き、連続する砲撃でテントが激しく揺れた。海斗は飛び起きると、指輪をはめ、テントの外へと駆け出した。「襲撃だ!すぐ撤収しろ!」鋭い警報音が夜の空気を切り裂く。テントの外はパニックに陥り、皆が四方へ逃げ惑っていた。久しく聞いていなかった悲鳴が再び響き、サーチライトが夜空で交差する中、敵のヘリが低空飛行していた。凄まじい爆発の中、海斗は怜奈の姿を見つけた。彼女は爆風に飛ばされ、倒れ込んでいた。その少し先では、敵のスナイパーが赤い光を怜奈に合わせていた。「怜奈!伏せろ!」その声と共に見覚えのある影が覆いかぶさり、怜奈を身を挺して守った。バンッ!銃弾が肉を貫く鈍い音が、はっきりと響く。怜奈は目を見開いたまま、海斗の胸から赤い花が咲くのを目の当たりにした。重い体が覆いかぶさり、温かい血が怜奈の戦闘服に染み込んでいく。「海斗?海斗!」怜奈は震える声で手を伸ばすと、指先がどろりとした感触に濡れた。海斗は血を吐き、激痛に顔をしかめたが、怜奈が無事であることを見てかすかに微笑んだ。「これで……ようやく……君を守れた……」瞳が虚ろになっていく中、それでも海斗は怜奈の袖を最期の力で掴み離さなかった。「いや……海斗しっかり……」怜奈は海斗の傷口を必死に押さえたが、血は指の間から溢れ出していた。「誰か!助けて!」弾雨を掻い潜り駆けつけた哲也だったが、海斗の傷を見た瞬間、立ち尽くした。海斗は心臓を的確に貫かれていた。海斗の呼吸は次第に弱まっていたが、視線は固執するように怜奈を追い続けているのだった。彼は震える手を持ち上げ、怜奈の顔に触れようとしたが、途中で力尽きた。その左手には、かつて捨て

  • 夫の初恋が帰国。身代わりの私は対テロ部隊へ   第20話

    一方、精神病院の外は、土砂降りの雨だった。海斗は入り口から出ると、そのまま雨の中に立ち、冷たい雨に打たれるままにした。秘書はそれを見て、慌てて傘を差し出し、海斗の頭上を覆った。そして杏は心身ともにぼろぼろで、日々虐げられていた影響から、深刻な不安障害を抱えていた。だからこそ、海斗の姿を見た途端、杏は手にしたナイフで彼の甲を刺したのだ。幸い軽傷で済んだため、杏はすぐさま地下室へと隔離された。海斗は暴風雨の中、スマホを取り出し、X国のボディーガードに電話をかけた。「ヘリを準備しろ。今夜行く」海斗は曇った空を見上げ、拳を強く握りしめた。怜奈、今度こそ君をちゃんと愛していく。ヘリが降り立ち、海斗が慣れ親しんだ拠点に再び戻ると、副隊長は驚きを隠せなかった。「村上さん、どうしてここに?」しかし海斗はそれに答えず、ひたすら怜奈の姿を探した。「怜奈はどこですか!」「医療テントにいますが……」彼がそう言うと、海斗は顔色を変えて、中へと駆け込んだ。しかし、砂埃をかぶって医療テントのカーテンを開けた時、目の前の光景を目にして、全ての思いが窒息しそうな痛みへと変わった。怜奈はベッドの傍らにひざまずき、上半身裸の哲也の手当てをしていた。彼女の指先が哲也の手首にそっと触れ、口元にはかすかな微笑みが浮かんでいた。哲也が顔を上げて怜奈を見たとき、その眼差しは驚くほどに優しく、やがて彼女の腰を引き寄せて、唇に軽く口づけをした。そんな光景を海斗は、数メートル離れた場所から信じ難い表情で見ていた。「怜奈……」海斗の声は、掠れていた。するとテントの中の二人が同時にこちらを振り向いた。怜奈の微笑みは瞬時に凍りつき、指が無意識にベッドシーツを強く握った。哲也は立ち上がり、さりげなく怜奈の前に立ち塞がった。「何をしに来た?何の用だ?」怜奈を庇う哲也を見て、海斗の心はかき乱されたが、彼は努めて無視して怜奈の顔を見つめ続けた。「怜奈……二人だけで話せるかな?」「あなたと話すことなんてないわ。用がないなら出ていって。哲也の手当てがあるから」「頼む……たった5分でいいんだ」しばらく、重苦しい沈黙が続いた。結局、怜奈は哲也の腕を軽く叩いた。「先に用事を済ませて。あとでまた会いに行くから」一方

  • 夫の初恋が帰国。身代わりの私は対テロ部隊へ   第19話

    一方、近頃ようやく任務が落ち着き、現場でも少しの安らぎが訪れていた。海斗が去ってから、怜奈の表情は目に見えて明るくなり、それにつられたかのように哲也の気分も晴れやかになっていった。懸命にトレーニングする怜奈の背中を眺めながら、哲也の心の底では知れぬ深い感情が渦巻いているようだった。いつからだったか、怜奈への気持ちが変わっていた。当初は単に、蓮の妹だから世話を焼こうとしていただけなのに。しかし、いつの間にかそこに自分の下心が混ざるようになった。「明日から休みを取るんだ。君もまだ任務はできないだろ、外の空気を吸いに行こう」ある日、哲也は怜奈の部屋のドアを叩いた。「どこへ行くんですか?」と怜奈は尋ねた。だが哲也は、もったいぶるように軽く笑った。「行けばわかるさ」飛行機が着陸したとき、怜奈にはまだ夢を見ているような気分だった。車で向かった先は小さな町で、哲也がすでに手配を済ませていた。怜奈は厚手のブランケットに包まり、小屋の前で空いっぱいに広がる美しい星空を見上げた。それは夢にまで見た光景だった。哲也は温かいココアを持ってきて、そっと怜奈の手に持たせた。「寒いか?」怜奈は首を振り、吐く息が冷たい空気に溶けていく。「ここ、本当に綺麗」哲也は小さく笑いながら隣に座った。視線は、ずっと怜奈から離れなかった。「ああ……本当に綺麗だ」しばらくして怜奈が横を向くと、哲也の目に映る星々の輝きがひと際煌めいて見えたように思った。「どうして突然、ここへ連れてきてくれたのですか?」哲也は少しの間沈黙し、遠くの砂丘の方を見つめた。「君が前に悔やんでいたからさ。この世で一番見たいのがオーロラなのに、あの男が連れて行ってくれなかったって言ってたから、ここにはオーロラはないけど、星空だって負けてはいないだろ?」怜奈は驚いた。確かに、そう言った記憶がある。ずっと昔、海斗と他愛のない会話の中で確かそう願ったこともあった。その時、海斗はそっけなく「ああ」と返したきりで、その後何の進展もなかった。あとで聞いた話では、彼は杏をオーロラ見物に連れて行ったそうだ。何という皮肉だろうか……それが今は、哲也が覚えていてくれて、こうして何とか願いを叶えてくれようとした。そう思うと、怜奈の胸は思わず高鳴っ

  • 夫の初恋が帰国。身代わりの私は対テロ部隊へ   第18話

    一方家でドアが開く音を聞きつけた、杏は期待を込めて立ち上がった。彼女は海斗なら、決して自分を見捨てたりしないと踏んでいたから。しかし、彼の表情を見た瞬間、杏の笑みは凍りついた。海斗は冷え切った目で、まっすぐ歩いてきたのだ。「海斗……どうして……」震える声でそう言うと、杏は思わず一歩後ろへ下がった。「なぜだ?」怒りを押し殺した低い声で、海斗は杏の手首を強く掴んだ。そのあまりの力に杏は顔をしかめた。「怜奈が何をしたっていうんだ?どうして何度も彼女を傷つけるんだ!?」杏は顔を真っ青にして、逃げ出そうともがいた。「わ、私じゃない……」「違うと言うのか?」海斗は写真の束を杏に投げつけた。床に散らばったのは、湖畔にあった防犯カメラの映像や、杏が海外の武装組織とやり取りした記録など……彼女の罪を証明する決定的な証拠ばかりだった。足に力が入らなくなった杏は床に崩れ落ち、大粒の涙を流した。「海斗、私はただ、あなたを愛していたから!あなたを失うのが怖くて……」「愛しているだと?」海斗は冷ややかに笑い、その瞳に深い嫌悪が浮かんだ。「君の愛とは、これらの画策や嘘、人殺しを企てることなのか?怜奈を死の淵に追い詰めて、目的を果たすことが君の言う愛し方なのか!?」海斗は怒鳴りながら、テーブルの上の酒瓶をテレビに叩きつけると、画面は無惨に砕け散った。そして、驚いて悲鳴を上げた杏に、海斗はさらにあるものを取り出して見せた。それは、かつて杏に見せたあの日記だった。それは、海斗が杏と離れていた時に書いたもので、どのページも溢れんばかりの情熱に満ちていた。しかし今となっては、それらはまるで紙屑のように思えた。呆然とする杏の目の前で、海斗は無情にもその日記を引き裂いた。バリバリッ――杏が叫び声をあげて、それを奪おうとすがりつく。「やめて!それは私にくれた言葉なんでしょ?」だが、海斗は杏の手首を締め上げ、そのまま壁へ突き飛ばした。その勢いで杏の背中は壁に激しく当たり、そして床に崩れた彼女の皮膚にガラス片が突き刺さり、血が流れた。限界を超えた杏は、取り乱して泣き叫んだ。「海斗!あの女のために私をこんな目に遭わせるの?私がどれだけあなたのために尽くしたと思ってるの!」「尽くしただと?」

  • 夫の初恋が帰国。身代わりの私は対テロ部隊へ   第17話

    それを聞いて、杏は、まるで雷に打たれたように顔が青ざめ、数歩よろよろと後ずさりした。「そんな……ありえない!」海斗は疲れ果てた様子で、眉間を押さえた。「杏、君は変わってしまった……いい加減にしてくれ。俺たち二人とも、少し頭を冷やそう」杏は突然叫び声を上げると、そばにあった花瓶を壁に向かって投げつけた。「私が変わった?変わったのはあなたよ!怜奈にたぶらかされてるのよ!」「黙れ!」花瓶が割れる激しい音の中で、海斗は思わず杏のあごを強くつかんだ。彼女のゆがんだ顔を見て、彼は心の底から失望した。「怜奈の悪口は許さない……」かつて記憶の中にいた、優しく思いやりのあった少女は、いつからこんな姿になってしまったのか?いや……もしかしたら最初からこの姿で、自分だけが気づいていなかっただけなのか?海斗の瞳は鋭く、凍てつくような冷たさを宿していた。彼は手を離すと、背を向けて立ち去った。しかし次の瞬間、杏は彼に飛びかかり、腰に強くしがみついた。「行かないで!あの女のところには行かせない!」しかし、怒りに満ちた海斗は、一本ずつ杏の指を強引に引き離し、振り返ることもなく出て行った。背後から杏の泣き叫ぶ声や物が壊れる音が聞こえたが、彼は振り返らなかった。その時、海斗はようやく自分の気持ちを確信した。深夜のバー。音楽が大音量で鳴り響いていた。そんな中海斗は掛け続けた電話をようやく切った。たしかあの時怜奈が無事を確認できるよう、必ず電話に出ると約束してくれたが、それでも、実際のところ彼女は一度も電話を取ってくれることはなかったのだ。そう思いながら、海斗はまたボディガードから送られてくる怜奈の写真を一枚ずつめくった。どの写真でも、怜奈は幸せそうに笑っていた。いずれにしても、自分と一緒にいる時よりも……楽しそうに見えるのは確かなようだ。ブランデーを次々と喉に流し込む。喉が熱いのに、胸の痛みは消えない。「もう一杯」掠れた声で、彼はカウンターを指で叩く。「海斗、もうやめておけよ」友人たちが海斗の横に座り、心配そうに止めた。海斗は鼻で笑うと、友人の手を払いのけた。「酒でも飲まないと、何をしたらいいのか分からないんだよ」しばしの沈黙の後、一人がふと聞いた。「お前はちゃんと考えたことがないのかよ?

  • 夫の初恋が帰国。身代わりの私は対テロ部隊へ   第16話

    そして、海斗がプライベートジェットに乗り込むまで、スマホが鳴り止むことはなかった。杏から10件以上のボイスメッセージが届いており、彼女はひどく取り乱して泣いているようだった。「海斗、どこにいるの?今すぐ来てくれないなら、飛び降りるから!」海斗はこめかみを押さえ、電源を切った。窓の外の雲を見つめながら、海斗はいろいろなことを思い出していた。怜奈が初めて作ってくれた料理のとき、緊張で指を切ったのに黙っていたこと。それに気付いた自分が手当てしたこと。本棚にあった難しい原作の本を隠れて読んでいた怜奈が、どこかで調べたのか、その物語に綴られていた愛の詩を書き写して、栞代わりに挟んで返してくれたこと。夜遅くまで接待が続いて帰ってきても、玄関には必ず小さな灯りがついていた。そして、ソファでうずくまって寝ていた怜奈の不安げな姿があった。しかし、もうあの灯りがもう自分のために灯ることはない。そう思いながら目を閉じると、怜奈の顔ばかりが浮かんできた。飛行機を降り、車に乗り込んで慣れ親しんだ街並みを見たが、海斗の心が晴れることはなかった。以前なら杏の元へ急ぎたがったはずだが、今日はどこか上の空で、まるで何かに病んでしまったかのようだ。一方、村上グループの本社ビルの屋上で杏はスマホをいじっていた。そして足音を聞くと、すぐさま立ち上がって海斗の胸に飛び込んでいった。「海斗!」だが、海斗は杏の足元を見ると、冷ややかな視線を向けた。そこには食べかけのスナックの袋と飲みかけのグラスが散らばっていたからだ。すると、彼は言いようのない怒りがこみ上げてきた。杏がここで長い時間「待っていた」のは明らかだった。「杏、そんなことで俺を翻弄して楽しいか?」杏の表情が凍りついたが、すぐに泣きじゃくった。「海斗、違うの……それは秘書の人たちが置いていってくれたの。多分気を遣ってくれたの……お願い、そんな怖い顔しないで。あなたがどこかへ行っちゃうのが怖くて……だから……」また同じような涙の訴えを見て、海斗は言いようのない疲れを感じた。杏を自宅へ送り届け、落ち着くまでなだめてようやく寝かしつけた。そして、海斗は杏の寝息が落ち着いたのを見届けた後、自分で運転して仕事を進めるため会社へ向かった。そして、会社で夜遅くまで過ごした。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status