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第5話

Author: 椿
結愛はそう言いながら、ベビーコットの中の赤ん坊をあやしていた。

その声は、何でもない世間話をしているみたいに落ち着いていた。

「うちの人、外にもう一人女がいるんです。しかも、産婦人科の先生なんですよ」

私は息をのんだ。

あのメッセージは、結愛が送ってきたものだった。

「相原先生なら、誰のことかわかりますよね?」

そう尋ねてはきたものの、最初から決めつけているような口ぶりだった。

私が黙っていると、結愛は鼻で笑った。

「本当は、こんなに早く言うつもりはなかったんです。でも相原先生、なかなかやりますね。うちの人に、私を転院させるよう仕向けるなんて」

否定しようと口を開いた。

けれど、うまく声にならなかった。

「そんなこと、してません」

少しして、ようやく続けた。

「英孝があなたと籍を入れていたことも、知りませんでした」

「知らなかったで済むと思ってるんですか?あなたが不倫相手だったことに変わりはないでしょう」

結愛の声が荒くなった。

それでも、医師として見過ごすわけにはいかなかった。

「出産直後です。あまり興奮しないでください」

けれど、私が言い終える前に、結愛は突然、赤ん坊を抱いたままベッドから転がり落ちた。

そしてよろめきながら私の前まで来ると、その場に膝をついた。

赤ん坊の甲高い泣き声が耳に刺さる。

その瞬間、嫌な予感がした。

案の定、すぐに看護師が勢いよく病室のドアを開けた。

その途端、結愛は私に向かって土下座し、何度も頭を下げ始めた。

「相原先生、お願いします。主人を取らないでください。

この子はまだ生まれたばかりなんです。この子から父親を奪わないでください。

先生は若くてきれいで、仕事だってあるじゃないですか。相手なんていくらでも見つかりますよね?それなのにどうして、わざわざ人の家庭を壊してまで、うちの人を奪おうとするんですか!」

頭の中が真っ白になった。

そのあと、周りで何が起きたのか、ほとんど覚えていない。

ただ、いつも親しくしてくれていた同僚たちの目が、いつの間にか冷たくなっていたことだけは覚えている。

私を買ってくれていた上司にも、しばらく休んだほうがいいと言われた。

私の説明を聞いてもらえることはなかった。

けれど、それで終わりではなかった。

結愛が赤ん坊を抱いたまま私に土下座する動画が、いつの間にかSNSに出回っていた。

あっという間に、私はネットで叩かれる不倫女に仕立て上げられた。

病院にも抗議の電話やメールが殺到し、私を辞めさせろという声まで出始めた。

病院側も騒ぎを無視できず、私は当面の自宅待機を命じられた。

そんなとき、英孝から電話がかかってきた。

「莉都、俺が一言言えば、この騒ぎはすぐ収まる。

だから、これ以上騒がないって約束してくれ。

3年だけ待ってくれ。たった3年でいい。そのあとは、お前が欲しいものを全部用意する」

私は思わず笑った。

「私が今欲しいのは、二度とあなたの顔を見なくて済む生活だけよ」

電話を切ると、私はパスポートや必要な書類をすべて持ち出し、最低限の荷物だけをまとめてタクシーで空港へ向かった。

半年前、私は海外医療支援団体の派遣選考に通っていた。

けれど英孝のために、その夢を諦めた。

今になって思えば、あのときの私はどうかしていた。

でも、まだ遅くはない。

今ならようやく、誰にも縛られずに自分の道を選べる。

私は、紛争地域へ向かう一番早い便を押さえた。

搭乗前、スマホからSIMカードを抜き取り、そのままゴミ箱へ捨てた。

この瞬間から、この街のすべてを、私はもう置いていくことにした。

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