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第174話

Author: かおる
観客席に座る彩香は、清子の演奏を耳にして、思わず目を細めた。

「この女、ただ泣き真似ばかりする人間かと思ってたけど......意外とやるじゃない。

今の演奏だけでも、少なくとも十年は積み重ねた腕前ね」

隣にいた影斗が口を開く。

「彼女は今ネット上で人気がある。

熱狂的なファンも多い。

もちろん雅臣が裏で仕掛けている部分もあるが、実力そのものは確かにある」

彩香も以前から、清子がネットの有名人であることは知っていた。

雅臣と噂を絶えず流し、たびたび検索ワードの上位に登場する。

ネット上での知名度は高く、ファンも活発だった。

ニュースを見れば、必ず彼女の名前を目にする。

ヴァイオリン演奏の動画が拡散されても、彩香は一度もクリックしなかった。

清子への偏見から、彼女を「不幸を売りにした可哀想アピール女」だと思い込み、「天才ヴァイオリニスト」「ヴァイオリン界一の美女」といった大げさな呼び名には鼻で笑っていた。

実力が足りないからこそ、ネット民に頼るのだと。

だが――清子には確かにA大に入学できるだけの実力があった。

今日の賭けが普通の相手であれば、敗北を免れなかったかもしれない。

長く黙り込む彩香に、影斗が問いかける。

「......星ちゃんは、本当に負けないんだろうな?」

彩香は我に返り、きっぱりと言った。

「どうして負けると思うの?

清子に実力があるのは認めるけど、星と比べたら全然よ!」

影斗は眉をわずかに上げる。

「星ちゃんは、そんなにすごいのか?」

「私が嘘を言うと思う?」

それでも影斗は疑念を拭えずにいた。

「そうは言うが......彼女、この五年間、ほとんどヴァイオリンを弾いていないんじゃないのか?」

彩香は咳払いをしてごまかし、

「最近はずっと練習してるの。

仮に五年間まともに弾いていなかったとしても、清子に勝つのは問題ないわ」

言い切ると、声に再び力がこもる。

「もし全盛期の星だったら、一瞬で叩き伏せてる!」

――やがて、清子の独奏が終わり、彼女の横のライトが点いた。

そこに現れたのは翔太。

黒のミニタキシードに身を包み、髪もきちんと後ろへ撫でつけられている。

小さいが紳士さながらの姿だった。

清子は白、翔太は黒――二人の並びは造形と演出の効果で最大限に引き立てられていた。

先ほどの化粧
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