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第231話

Author: かおる
言い終えると、星は雅臣の返事を待つことなく電話を切った。

清子は、その一連の行動に思わず唖然とした。

――この電話、一体どういう意味?

まさか自分を口実にして、雅臣に縋ろうとしているのか?

だが、たとえ彼が来たとしても、見るのは自分であって、星ではないはず。

電話を切ったあと、星は葛西先生と翔太を促し、昼食を続けた。

清子は空っぽの腹を撫でた。

朝から何も食べておらず、本来なら昼は雅臣と一緒に取るつもりだった。

だが結局、ここに残されてしまった。

もっとも、彼が迎えに来るだろうという確信はある。

だからこそ、星が電話をかけるのを止めなかったのだ。

むしろ好都合だった。

これで彼に、自分がどれほど惨めな思いをしているか伝えられる。

一時間後、雅臣がやって来た。

星たちはすでに食事を終えていた。

怜は薬草を仕分け、星は薬をすり潰し、患者の清子は椅子に座って、入り口を待ちわびるように見つめていた。

長身の男が悠々と足を踏み入れた瞬間、彼女の瞳がぱっと輝いた。

「雅臣、来てくれたのね!」

雅臣は彼女の手を見やり、低く問う。

「傷はそんなにひどいのか?」

清子は驚いた子うさぎのように慌てて両手を背に隠した。

「いいえ、ただちょっと切っただけで、もう治ったわ......」

だが雅臣は眉をひそめ、力任せにその手を引き寄せた。

そして凍りつく。

彼女の手には、傷一つ残っていなかった。

まさに本人の言うとおり、もうすっかり治っていたのだ。

雅臣の視線が鋭く星に向けられる。

声は深く沈んでいた。

「わざと俺を弄んだのか」

星が答える前に、怜が口を挟んだ。

「神谷おじさん、どうして星野おばさんを責めるの?

痛いって騒いだのは小林おばさんの方だよ。

自分の体が特別で、血が止まらないかもって言ったんだ。

先週だって指を切った時、神谷おじさんは大慌てで病院に連れて行って、血液まで用意したんでしょ?

でも病院に大出血の患者さんがいて、その血が回されて、小林おばさんは使えなかった。

それで神谷おじさん、怒って医者や看護師を全部クビにしたんだよね」

大人は嘘をつけるが、子どもはそう簡単に嘘をつけない。

しかも怜が口にしたのは、雅臣と清子しか知らないはずの細部だった。

真偽は言うまでもなかった。

そこへ、薬瓶をいくつか抱えた
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