LOGIN星の胸は、すっと冷え込んだ。怜央の言う通りなら、ここは外界から切り離された孤島だ。だとすれば、彼が自分に何をしようと、抵抗する術はない。――刺激してはいけない。怜央を怒らせても、自分に何ひとつ得はない。星は、以前、怜央が自分をずっと見下していたことを思い出した。家庭に入っていた女で、しかも離婚歴まであると。思考を巡らせた末、彼女は口を開いた。「どうして急に私に目を向けたのかはわからない。でも、私のことを調べたなら知ってるはずよ。私は離婚歴があるし、子どももいる。あなたは司馬家の当主で、しかもまだ独身。あなたなら、家柄の釣り合う女性をいくらでも選べるでしょう。私たちは、もともと釣り合っていないの」怜央は答えた。「昔そう言ったのは、俺の傲慢さと偏見のせいだ。本当のお前は、とてもいい女だ。俺がこれまで見てきた多くの女より、ずっと優れている」怜央はずっと星を見てきた。だからこそ、彼女が何を考えているのかもすぐにわかった。彼は静かに言う。「星、安心しろ。お前が嫌だと言うなら、無理強いはしない」そのあまりに親しげな呼び方に、星は背筋がぞくりとした。この男、本当にもう取り繕う気すらない――星は必死に平静を保ちながら言った。「怜央、私をここに連れてきて、いったい何がしたいの?あなたも私も、ここに一生いられるわけじゃない。あなたが長く姿を見せなければ、当主の座だって奪われるわ」怜央は、星の向かいにある椅子へ腰を下ろした。「もともとは、ネットで少し話せればそれでよかった。遠くからお前を見ていられれば、それで満足だった。でも、お前は俺をブロックして、隠れて、会おうともしなかった。だから、ここへ連れてくるしかなかった」星は思ってもみなかった。雲井家を出ると決めたことこそが、怜央をここまで追い詰め、すべてを賭けさせる引き金になっていたなんて。この男は、あまりにも危険すぎる。同じ空間にいるだけで、息が詰まりそうだった。星は皮肉を込めて言った。「もしかして、最初から明日香と手を組んでたんじゃない?明日香が失脚したタイミングで私を攫って、あの人に全部取り返させるつもりとか」怜央は彼女を見つめた。「その点は心配しなくていい。お前のものは、明日香には奪えない。必要な手は全部打ってある。ただ、お前が姿を消している間は、多少の損失が出
星は気にも留めず、ただ目を閉じて休んでいた。ここ数日、怜央のせいでずっとろくに眠れていない。昨夜、星は仁志と電話で話した。あと一日か二日もすれば戻れる、と彼は言っていた。部屋の飾りつけも、もうほとんど終わっている。仁志が戻ってきたとき、驚いてくれるだろうか。そんなことをあれこれ考えていたとき、不意に車体が小さく揺れ、そのまま止まった。星は目を開けた。「どうしたの?」侑吾が答えた。「たぶんタイヤに問題が出たみたいです。星さん、あなたと彩香さんは車の中で待っていてください。俺と拓海さんで見てきます」星は小さく頷いた。侑吾と拓海が外へ出て確認すると、タイヤが破損していた。一人は車のそばに残り、もう一人はトランクへ替えのタイヤを取りに向かう。そのときだった。脇から、黒ずくめの身軽な男たちが一斉に飛び出してきた。侑吾と拓海の顔色が変わる。異変を察した二人は、ためらうことなくすぐに拳銃を抜いた。だが、一歩遅かった。二発の弾丸が、素早く二人の体に撃ち込まれる。二人は反撃する間もなく、その場で意識を失って倒れ込んだ。麻酔弾だ――車内にいた彩香と星も、その光景を見て顔色を変えた。異常に気づいた星は、すぐに電話をかけようとした。だがその瞬間、別の一団が車を完全に取り囲む。星が発信するより早く、布を口元と鼻に押し当てられた。彼女は一瞬で意識を失った。彩香、拓海、侑吾の三人が目を覚ましたのは、一時間後だった。星の姿が消えている。しかも連絡も取れない。それに気づいた瞬間、三人の表情は恐怖に凍りついた。彩香は一秒も無駄にせず、すぐに仁志へ電話をかけた。……星が目を覚ますと、自分が柔らかな見知らぬベッドの上に横たわっていることに気づいた。周囲の調度はどこか見覚えがある。けれど同時に、ひどくよそよそしかった。まるで、自分が仁志とのために整えた部屋にそっくりだった。ざあ……ざあ。規則正しい波音が、耳に届く。窓の外から陽光が差し込み、果てしなく広がる青い海が星の目に映った。星の瞳がきゅっと縮む。ここは、どこ……?彼女は慌てて携帯を探した。だが、携帯はとうになくなっていた。そのとき、入口のほうから男の低くかすれた声が響く。「星」星が顔を上げると、そこには輪郭のくっき
彩香は、本当はこう言いたかった。怜央より、あなたの仁志のほうがよほど危ない、と。怜央みたいな男は、結局のところ力ずくでやるだけだ。けれど仁志は違う。一見すると無害そうに見えて、そのやり方だって決して優しくはない。彼の優しさは、ただ星だけに向けられているものだった。少なくとも星の前では、仁志はかなり抑えている。だが裏では、もしかしたら怜央以上に容赦がないのかもしれない。星もまた、彩香の視線を追うように怜央をひと目見やり、それから言った。「でも、仁志は絶対に受け入れない」彩香はため息をついた。そう。仁志が絶対にそんなことを認めるはずがない。彼がまだ怜央を殺していないのは、星が怜央を好きになることなどあり得ないとわかっているからだ。しかも今、星はすでに彼と一緒にいる。だからこそ、彼女に悪い影響を残したくなくて、手を下していないにすぎない。もし星が怜央と少しでも関わるようなことがあれば――仁志の性格なら、迷わず怜央を消しにかかるはずだった。彩香は星を見つめながら、ふとあることを思った。「星、仁志が事業を移してまであなたを助けようとしてるのは、もちろんいいことだと思う。でも、考えたことある?あくまで、もしもの話だけど、あなたと仁志が別れることになったら、そのときどうするの?」星は彩香と一緒に店を離れながら答えた。「そんなこと、考えたこともない」彩香は言った。「私ね、仁志は怜央より、もっと厄介かもしれないって思うの」ずっと仁志が星の味方で、損得を顧みず彼女を支え続けてきた。しかも星も、その想いに応えている。だから今は、すべてが穏やかで美しく見えているだけだ。けれどもし、星が仁志と結ばれていなかったら。あの男は、怜央以上に狂っていたかもしれない。そこまで考えて、彩香はふと航平のことまで思い出した。「星って、どういう体質なの……?なんでこう、陰のあるヤバい男ばっかり引き寄せるの……」そこまで言ってから、彩香は、これでは仁志までひどく言いすぎだと気づいた。慌てて言い換える。「いや、その……なんでこんなに厄介な男ばっかり寄ってくるのよ」星には、そんなもしもや万が一のことを考える余裕などなかった。少し前、怜央が自分を見つめていたあの目を思い出すだけで、まぶたがぴくりと跳ね、頭皮がぞわつく。少し考えてか
明日香のためだったからこそ、そこにはまだ筋道があった。論理としても、一応は理解できた。でも今は――何の前触れもなく、自分を好きになったと言われても、ただただ不気味なだけだった。星は冷ややかに言い放った。「怜央、あなたが最初から最後までずっと明日香だけを好きでいて、たとえ悪事をやり尽くしたとしても……そのほうが、まだ少しは見直せた。なのに今さら急に私を好きになったなんて、気移りが激しいとしか思えない。あなたの感情は軽いし、安っぽい。まるで価値がないわ」だが、怜央は静かに言った。「仁志の言う通りだ。誰だって、見返りもなく与え続けられるわけじゃない。俺も同じだ。明日香が返してきたものは……俺の欲しいものじゃなかった」星は言った。「怜央、明日香にあなたの望むものが与えられないなら、私にだって無理よ。あなたが欲しいものをくれる相手は、他にいるかもしれない。でも、その相手が私であることは絶対にない」怜央は答えた。「いや、お前ならできる」星はこんな話をしたくなかった。けれど、今の怜央の様子は、彼女の胸に説明のつかない不安を呼び起こしていた。いっそ、自分を欺いてしまえたらよかった。怜央は明日香を助けるために、わざと自分へ近づいているだけなのだと。だが、星自身が一番よくわかっていた。怜央は人を殺すことも、火を放つことも、どんな悪事でもやりかねない男だ。けれど、こんなふうに時間をかけて自分に想いを告げ続けるほどの忍耐を持つ人間ではない。なぜ急に自分へ執着し始めたのかはわからない。だが今は、まず怜央の意識を別のところへ逸らすしかない。星は言った。「それは、あなたの世界が狭すぎるからよ。出会ってきた女性が少なすぎるの。怜央、もっといろんな女性と知り合ってみればいい。そうすれば、私が与えられるものなんて、大したものじゃないってわかるはずよ」怜央は、星の思惑をひと目で見抜いた。彼は淡々と言った。「星、俺は女を見てこなかったわけじゃない。でも、誰にも興味が持てなかった。今、興味があるのはお前だけだ」星は眉をひそめた。「でも、あなたのそのつきまといが、もう十分迷惑なの」怜央は言った。「俺はただ、仁志と公平に競う機会がほしいだけだ」星は冷えきった声で拒絶した。「ありえない」怜央は数秒黙り込み、ようやく口を開いた。「……俺は諦めない」
怜央の名を聞いた瞬間、星は反射的に眉をひそめた。振り向くと、案の定、怜央がドアを押して入ってくるのが見えた。彩香の表情もすぐに強張る。「星、電話する?謙信と雅人を呼んだほうがいいんじゃない?」仁志は出発する前、謙信と雅人をこの地に残し、何かあれば彼らを頼るよう星に伝えていた。星は静かに首を横に振った。「今のところ、その必要はないよ。こっちで何かあれば、仁志のほうにもすぐ伝わる。そうなったら、あの人、焦って戻ってきちゃうだろうし。それに……これくらいのことも自分で対処できないなら、もう大人しく何もせずにいるしかないでしょ」星の言葉には筋が通っていた。けれど、彩香の不安は消えない。怜央が星を好きだとわかっていても、彩香の目には、怜央はどう見てもまともな人間には映らなかった。いつ突然おかしくなっても不思議じゃない。そう思うと、気が気ではなかった。星は安心させるように彼女を見て、やわらかな声で言った。「彩香は侑吾と一緒に外で待ってて」彩香はますます不安そうな顔になる。「でも……」星は落ち着いた口調で言った。「もし本気で私に手を出すつもりなら、たとえ侑吾でも止められない。大丈夫。あの人は、そう簡単に私に手を上げたりしない」彩香も、自分がここに残っても星の助けにはなれないことはわかっていた。それなら、外で様子を見ていたほうがいい。怜央に何か異変があれば、すぐに電話で助けを呼べる。彼女は言った。「じゃあ、侑吾だけでも残しておいて。あの人多少は、動けるから」星は小さく頷いた。「うん、わかった」彩香がその場を離れるころには、怜央はちょうど星のそばまで来ていた。前回と同じだった。彼の目には、やはり星以外の誰も映っていない。侑吾の存在すら、最初からないもののように無視していた。しゃがれた声で、彼は尋ねた。「星……どうして戻ってこない?」星の表情は淡々としていた。「別に理由なんてない。戻りたくないから戻らないだけ。そもそも、あそこは私の家でもないし」怜央は低い声で言った。「星、俺はもうお前を傷つけない。何かをするつもりもない。ただ……遠くからでもいい、毎日少しだけお前を見ていたいんだ」星が自分を警戒していることを、彼はよくわかっていた。だからこそ、必死に自分を抑え込み、彼女の邪魔をしないようにしていた。毎日、ほんの
「星、怜央ってどういうつもりなの?まさか雲井家に住みついたとか?」一度や二度なら偶然で済む。けれど、毎回顔を合わせるとなると――さすがにおかしい。星は言った。「たぶん、そうなんじゃないかな」彩香は声を潜めた。「暇だから雲井家に転がり込んでるの?それとも明日香と仲を深めに来たのか、私たちを監視しに来たのか……どっちなのよ」星は眉を寄せ、しばらく考え込んでから彩香に言った。「明日から、仁志のところに泊まろうか」彩香は目をぱちぱちさせた。「……私まで行ったら、お邪魔虫すぎない?」星は首を振った。「最近、溝口家のほうで少し問題が起きていて、仁志は一度戻って対応しなきゃいけないの。たぶん一週間くらい。その間、しばらくあそこに住ませてもらおうと思って。仁志がいないときに、余計な揉め事は増やしたくないから」もう怜央の視界から外れているはずなのに、彩香はまだ全身がひやりとしていた。彼女は小声で尋ねる。「星、仁志は怜央が雲井家に住み始めたこと、知ってるの?」星は答えた。「まだ知らない。最近、仁志はすごく忙しくて……電話で少し話してても、雅人のほうからすぐ報告が入るの」このところ、彼女と仁志もほとんど顔を合わせていなかった。用があれば、電話かメッセージでやり取りするばかりだった。彩香は興味深そうに聞いた。「仁志って、今そんなに何をしてるの?」星は答えた。「事業の移転を進めてるの。仁志、溝口家の重要な産業の一部をM国に移そうとしてる」彩香は納得したように笑った。「それはまた、大仕事ね。星、仁志ってほんと、あなたのために必死なんだ」仁志が産業をM国へ移そうとしている最大の理由は、星を支え、彼女にとって最も強い後ろ盾になるためだった。これまで仁志は、星を助ける過程で何度も優位に立ってきた。けれど、策略や駆け引きだけでは長くは続かない。本当にものを言うのは、自分自身の力だ。そのことをよくわかっているからこそ、仁志はまず事業の一部をM国へ移す必要があった。一定の基盤さえ築ければ、彼の勢力は足止めされず、星をもっと力強く支えられるようになる。彩香は提案した。「星、前に言ってたじゃない。もう少ししたら仁志と一緒に住むつもりだって。だったら、この機会に引っ越しちゃえば?どうせ遅かれ早かれ一緒に住むんだし、いっそサプライズにしたらい
直後、鋭い平手打ちが忠の頬に叩き込まれた。「パチン!」そこまで力を入れた様子もないのに、忠は吹き飛ばされ、無様にも星の足元に倒れ伏した。仁志は、わざとらしく驚いたふりをする。「忠さんは星野さんを躾けるつもりだったんじゃないんですか?それが、ずいぶん丁重な扱いじゃないですか。亡くなったお母様に対して、後ろめたさでもあって、まずは土下座をされたとか?」靖と翔は険しい表情のまま、何も言わなかった。――忠は、なぜ学ばないのか。星に手を出すたび、どれほど痛い目を見るのか、まだ分からないのだろうか。しかも、この仁志は腕が立つ。石油王が銃を抜いた時の話を正道から聞
優芽利は一瞬、言葉を失い、思わず口にした。「兄さん、何か誤解しているんじゃない?仁志とは無関係でしょう。恨みもないのに、どうして兄さんを狙うの?」怜央の声は、まるで歯の隙間から絞り出されるようだった。「......あいつは、星のためにやった」「星のため?」優芽利はそれを聞いて、かえって笑った。「兄さん、それは本当に誤解だと思うわ。少し前に、彼の一族で問題が起きて、仁志は急いで戻って対応していたの。溝口家の周辺にいる人たちから聞いたけど、ここ二、三日でようやく騒動が収まったばかり。そんな状況で、兄さんのところに来る余裕なんてあるはずがないわ。それに
葛西先生は、重く息をついた。「......分かった」本来であれば、星の状態は、まず家族に伝えるべき内容だ。だが、この場にいるのは、皆、彼女の友人たちだった。雅臣については――もはや元夫であり、家族とは言えない。この状況で、星にだけ事実を伏せるのは、かえって失礼に当たる。葛西先生は、もう一度、ため息をついた。「......そうだな」彼の医術に、疑いの余地はない。治せると言ったものは、必ず治す。治せないと言ったものは、ほとんど望みがない。葛西先生は、静かに告げた。「星。ワシが保証できるのは、両手が元の形に戻り、骨が変形せず、雨の日でも痛まない
国際大会を前に、彩香は一度、仁志の自宅を訪ねた。しかし家には誰もおらず、留守のままだった。彩香はそのことを星に伝えた。「星、かなり長いことドアを叩いたのに、返事がなかったの。仁志、ずっと帰ってないみたい。......まさか、挨拶もせずに行っちゃったんじゃないでしょうね?管理人さんにも聞いたけど、仁志はおとといの早朝に出ていったきり、戻ってきてないって」彩香は、もう一度仁志を引き留めるつもりで来ていた。まさか、こんなふうにいなくなるとは思わなかった。星は言った。「記憶が戻ったばかりで、向こうでやらなきゃいけないことが沢山あるんだと思う。だから急いで帰っ







