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第430話

Author: かおる
彼はいつもそうだった。

取り繕って嘘をつくことすらせず、正面から押し通す態度は、もはや厚顔無恥に近い。

星は数秒黙したのち、口を開いた。

「スタジオは譲ってもいいわ。

ただし条件がある。

先輩の件、すぐにネットの話題を消して、流した連中を突き止め、先輩の潔白をはっきりさせて」

雅臣は一瞬黙し、やがて短く答えた。

「いいだろう」

星はさらに言った。

「作曲の件については、明日あなたと直接会って話す」

「構わない」

通話を切ったあと、彩香は不安そうに星を見つめた。

「星、本当に雅臣と話し合うつもりなの?

あの人は骨の髄まで食い尽くすような男よ。

まともに渡り合っても、あなたが得をすることなんてまずないわ」

星は淡々とした口調で答えた。

「大丈夫。

簡単に食い物にされるほど、私も甘くはないわ」

その落ち着いた表情に、彩香の胸はかえってざわめいた。

彼女は知っている。

星の性格なら、そう易々と妥協するはずがない。

あの目の奥には、何か別の策が隠されている――

胸騒ぎは強まるばかりだったが、彩香自身もこれ以上抗いきれなかった。

相手は巨大資本、到底太刀打ちできる相手ではない。

もし相手が雅臣でなければ、スタジオを差し出すことにこれほど抵抗はなかったかもしれない。

四億の補償があれば、改装費や家賃を差し引いても二億円の利益は出る。

だが、それが清子という女のために雅臣が求めていると知れば、怒りが収まるはずもなかった。

経営者としては冷静さを欠いているかもしれない。

けれど彼女は星のマネージャーであると同時に、親友でもある。

星の味方にならずして、誰がなるのか。

だが現実には、二人だけでは到底雅臣に太刀打ちできない。

家族の支えもなく、頼れるものはあまりに少なかった。

ここまでやってこられたのは、星自身の力だ。

確かに影斗の助けもあったが、決定打を放てるのはいつだって彼女自身だった。

今回もそう。

航平に頼んで情報を探らせたり、影斗に救い出されることはあっても、雅臣と正面から争うことを求めることはできない。

助力と対立は別物だ。

影斗にしてみれば、一人の女性のために会社の未来を賭けて雅臣と敵対する理由はない。

二つの大企業が衝突すれば、損失は数千億に上る。

そのとき彼女が背負うのは「恩義」では済まされな
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