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第4話

Author: 宝田元
彼は私の布団の端を整えると、温かいタオルで私の掌や頬を丁寧に拭った。

市内で最高の専門医を呼び集め、私の治療にあたらせた。

皆の前で甲斐甲斐しく立ち働くその姿は、「献身的な完璧な恋人」そのものだった。

私はベッドに横たわり、その空々しい茶番劇を冷めた目で見つめていた。

意識は時折鮮明になり、また混濁した。

微睡みの中で、私はいくつかの記憶を思い出した。

警察学校の卒業式の日、奏多が大きな向日葵の花束を抱えて校門で待っていたこと。

彼は誇らしげに周囲の友人に紹介した。

「俺が心底惚れ抜いて、ようやく射止めた彼女、咲茉だ」

陽光の下、彼の笑顔はその向日葵よりも眩しかった。

過去数年間、羽衣が何度もトラブルを起こしたこと。

他人と殴り合い、サボり、窃盗……。

そのたびに奏多は金とコネで揉み消し、警察署から彼女を連れ出した。

当時の私は、彼への感謝と申し訳なさで胸がいっぱいだった。

私を愛しているからこそ、私の家族の尻拭いまでしてくれるのだと信じて疑わなかった。

今にして思えば、彼は私を助けていたのではない。

彼は私を掌の上で転がし、弄ぶ快感を楽しんでいただけなのだ。

私という存在は、彼と羽衣の歪んだ情欲を盛り上げるための、最高のスパイスでしかなかったのだ。

奏多が転院の手続きのために席を外し、より環境の良い私立病院へ移ろうとしていた時だった。

彼のスマホが棚の上に置き忘れられていた。

不意に画面が点灯し、一通の通知が表示される。

私は何かに導かれるように手を伸ばし、そのスマホを手に取った。

【奏多さん、私、妊娠したわ。いつお姉ちゃんと別れてくれるの?】

――妊娠。

その二文字が、私の心の中に僅かに残っていた幻想を無慈悲に粉砕した。

心が凍りついていくのを感じた。

私はそのメッセージを消去せず、自分のスマホを手に取った。

一通の未読メールが届いている。

【特別選抜隊員 採用通知】

メールを開くと、着任期日は翌日にまで迫っていた。

不思議なほど、心は凪いでいた。

いいだろう。

これも天命なのだろう。

私は無表情のまま、腕に刺さった点滴の針を引き抜いた。

モニターが耳障りな警告音を鳴らし始める。

奏多が戻ってきた時、私は既に服を着替え、静かにベッドの端に座っていた。

彼は引き抜かれた針を見て顔色を変え、足早に駆け寄ってくる。

「咲茉、何をしている?」

私は顔を上げ、微かな笑みを浮かべて見せた。

「奏多、私、やっと吹っ切れたの。

一緒に帰りましょう」

彼は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに安堵したように口角を上げた。

「咲茉、本気か?」

私は頷き、かばんから一枚の名刺を取り出して彼に手渡した。

「でもその前に、お願い。私の代わりに、あるものを受け取ってきてほしいの。

この銀細工店に、数日前にお揃いのペアリングを注文しておいたの。内側に私たちの名前を刻印してもらった、特別なやつ」

「ああ、分かった。すぐに行ってくる」

奏多は微塵も疑うことなく、弾んだ声で応じた。

彼は私を抱き寄せ、額に口づけを落とした。

「待っていてくれ、すぐ戻る。

それから、一緒に家に帰ろう」

彼が背を向けた瞬間、私の顔から穏やかさも笑みも、全てが消え失せた。

最後にもう一度だけ窓の外の景色を見つめる。

そして私は迷うことなく病室を後にし、雑踏の中へと姿を消した。

奏多がペアリングを手に病院へ戻った時、病室は誰もいなかった。

その瞬間、彼の心臓を冷たい手が掴んだかのような、得体の知れない不安が襲った。

彼は焦燥に駆られながら私の番号を呼び出した。だが、スピーカーから聞こえてくるのは、「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか……」という無機質なアナウンスの繰り返しだった。

心拍が激しく打ち鳴らされる中、彼の手元でスマホが鳴った。

共通の友人からの連絡だった。

「奏多、咲茉と喧嘩でもしたのか?」

奏多の心臓が早鐘を打ち、かすれた声で問い返す。

「どういうことだ」

「たった今、採用者名簿を見たんだが……

国境の最果てへの配属に伴い、向こう十年間、外部との接触は厳格に制限される。

採用者名簿の中に……咲茉の名前があった」

電話の向こうの言葉が終わるか終わらぬうちに、奏多の手から力が失われた。手元から滑り落ちたペアリングは、乾いた高い音を立てて床を転がった。
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