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第4話

Author: 清水澪
あの一件があってから数日後。珍しく慎の方からメッセージが届いた。

【今回の件は俺が悪かった。くるみと少し口論になって、「そんなに怒るなら子供なんておろせ」とついキツイことを言ってしまったんだ】

【あいつが真に受けて、お前のところへ怒鳴り込むなんて思わなかった。すまない】

【子供が無事に生まれたら、ちゃんとメディアの前で誤解を解くから。それまでは、どうか少しの間だけ我慢してほしい】

メッセージの直後、私の口座に『迷惑料』とでも言わんばかりの巨額の振り込み通知が届く。

私はスマートフォンを握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めた。

ただ、あの二人が痴話喧嘩をしたというだけの理由で。

私は、築き上げてきた名誉も、愛した仕事も、すべてを台無しにされたのだ。

大勢の群衆から投げつけられた罵声、同僚たちの軽蔑するような視線、私を赤の他人だと言い放った慎の冷たい声……

あの時の光景が、頭の中にこびりついて離れない。

私はゆっくりと背中を丸め、ベッドにうずくまった。

もう、あの男と争う気力すら、一滴も残っていなかった。

結局のところ、『愛していない』というのはこういうことなのだ。

何があっても、彼にとっての最優先は常にくるみであり、私はただの都合のいい防波堤に過ぎない。

――それならもう、あの二人が好きなようにすればいい。

私は海外へ向かう片道航空券を手配し、出国に必要な手続きもすべて終えた。

あとは、あの家に残したままになっている例の『婚前契約書』と、そして無残に散らばった母の真珠の粒を回収するだけだ。

翌日。

こっそりと荷物をまとめるため、久しぶりにあの家へ足を踏み入れた私は、思わず立ちすくんだ。

リビングには、色とりどりの風船や飾り付けが施され、大勢の子供たちがワイワイと集まって騒いでいた。

どの子も、浩一と同じくらいの年の子ばかりだ。

壁に飾られた大きな『Happy Birthday』のガーランドを見て、私はようやく思い出した。

今日は、浩一の5歳の誕生日だ。

以前の私なら、絶対にこの日を忘れることなんてなかった。それどころか、一ヶ月も前から彼の喜ぶ顔を想像しながら、一生懸命プレゼントを探して準備していただろう。

もっとも、過去に私が贈ったプレゼントなど、とっくに彼の手によってゴミ箱へ直行しているのだろうが。

私は伏し目がちに視線を落とし、なるべく存在感を消して部屋の隅を歩いた。

さっさと寝室で必要なものだけを回収して、この場から立ち去ろう。そう思った。

しかし、私の姿を見つけた浩一は、パァッと顔を輝かせて駆け寄ろうとしたのだ。

「ママ……!」

よくよく考えてみれば、あのビンタの一件以来、私は長い間この子と顔を合わせていなかった。

だが、今の私には彼に情をかける余裕などない。私は浩一を一瞥もせず、冷たく横を通り過ぎようとした。

その時だった。

目ざとい一人の男の子が、私を指差して声を上げた。

「あ!あのおばさん、テレビで見たことある!うちのママが『よその家族を壊す悪い女だ』って言ってた人だ。どうしてこの家にいるの?

おい浩一、あのおばさん、お前の家にまで勝手に入ってきたのかよ!やばくない?」

一瞬にして、浩一の顔から血の気が引き、青ざめたり赤くなったりとせわしなく表情を変えた。

言葉に詰まっている浩一を見て、子供たちはさらにニヤニヤとからかいの言葉を投げかける。

「えー、もしかして、あの悪い女が浩一の本当のママとか?お前、あの魔女の子供なの?」

「ちがう!!」

浩一は首まで真っ赤にして、必死で言い返した。

慎は眉をひそめて足早に歩み寄り、私の腕をきつく掴んで声を押し殺した。

「こんな時に何しに帰ってきた!? 今日は浩一の誕生日だってわかってるだろ! あれだけ世間で騒がれておいて、お前は恥というものがないのか! こっちの身にもなれ!」

私は感情のない冷たい目で彼を見つめ返すと、その手を無言で振り払い、寝室へと向かった。

目的のものを取り出し、部屋を出たその瞬間だった。

目の前に、ケーキの乗った皿が勢いよく飛んできた。

避ける間もなく、生クリームの塊が顔面に激突する。

――それだけではなかった。

一緒に投げつけられたケーキナイフの刃が、反射的に顔を庇おうと前に出した私の手のひらを、容赦なく深く切り裂いたのだ。

鋭い痛みに、一瞬にして顔から血の気が引く。

ポタポタと床に血が滴る中、顔を上げると、そこには首まで真っ赤にして、肩で激しく息をする浩一の姿があった。

「この泥棒猫!どうしてパパとくるみママの家族を壊そうとするんだよ!

今日は僕の誕生日だ!さっさと出て行け!!」

先ほどまで浩一をからかっていた子供たちは一瞬呆気に取られていたが、すぐに状況を面白がり、パチパチと手を叩いてはやし立て始めた。

「すげー!」

「いいぞ、やれやれー!」

私は血の流れる手をきつく握り締め、あまりの寒気に全身をガタガタと震わせた。

浩一が私を嫌っていることは知っていた。けれど、実の母親に刃物を投げるほど憎んでいたなんて、想像すらしていなかった。

流れ落ちる血を見て血相を変えた慎が、慌てて駆け寄ってくる。

怪我を確認しようと伸ばされた彼の手を、私は力一杯払いのけた。

「……あなたの言う通りね」

ひび割れた、掠れた声が喉の奥から漏れる。

「私はあなたの妻じゃない。あの子も私の息子じゃないし、ここは私の帰る場所でもない」

5年という契約の期限は、いよいよ終わる。

浩一の親権も、慎の妻という肩書きも、あの戸籍も。

――もう、何もいらない。

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