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6話. 訴訟費用

Autor: YuIm
last update Fecha de publicación: 2026-11-04 13:28:59

昼休み、紗奈はトイレの前の廊下に出て、スマホを取り出した。

看護師にメッセージを送った。

『お会いできますか。時間と場所を決めたいです』

5分で返事が来た。

『今週の土曜日、午後2時に神保町の辺りでいかがですか』

紗奈はカレンダーを確認した。

その土曜は、隔週の出勤に当たっていなかった。

『大丈夫です。場所を送ってください』

『神保町駅のA3出口前のカフェにしましょう。詳しい場所は金曜日に改めて送ります』

送信済みの画面をもう1度確かめ、スマホをポケットにしまった。

廊下の突き当たりの窓から、4月の日差しが差し込んでいた。

5年間、1歩も前へ進めなかった。今、何かが動き始めている気がした。

看護師が持っているという記録が何なのか、まだわからない。それでも、胸が高鳴った。

スマホがまた鳴った。

妹だった。

「お姉ちゃん、看護師さんに連絡した?」

「今、メッセージを送った。土曜日に会うことになったよ」

「一緒に行こうか?」

「ううん。1人で行く」

「どうして? 危ないかもしれないよ」

「危なくはないと思う。カフェで会うから」

「でも」

「1人で行かなきゃ。看護師さんに負担を感じさせたくないの」

妹は少し黙ってから、ため息をついた。

「わかった。終わったらすぐ電話して」

「うん」

「何を言われても、録音とかしちゃだめだよ。相手の同意なしにやっちゃだめ」

「わかってる」

「それと、弁護士は探してる?」

「探してるよ。費用の問題があって」

「どのくらい?」

「30から50」

「……万円?」

「万円」

妹の唇が、薄く引き結ばれた。

「私も少し出す」

「大丈夫」

「大丈夫じゃないでしょ。お母さんにも話したほうがいいんじゃないの?」

「まだ。はっきりしてから」

「わかった。土曜日、電話してね」

通話を終え、オフィスへ戻った。

昼休みが終わる5分前だった。

残していた海苔巻きを1本、急いで食べた。

コンビニで買った、80円のツナの細巻きだった。

席につき、口元を拭った。

同僚が自分の席から手を振った。

「水原さん、また荷物です。5階だそうです」

「はい、行きます」

紗奈は段ボール箱を抱えてエレベーターに乗った。

5階に届けて下りてくると、内線が鳴った。

「水原さん、2階のプロジェクターがつかないって。見てもらえる?」

「今行きます」

2階の会議室のプロジェクターは、リモコンの電池が原因だった。

予備の電池に替え、動くことを確かめた。

会議の出席者は、もう待っていた。

「ありがとうございます、水原さん」

「いえ」

オフィスに戻ると、席にメモが置かれていた。

3階から、複合機の修理日程を変えてほしいという依頼だった。

もう1度業者に電話し、日程を調整して、ようやく自分の仕事に取りかかれた。

午後は、顧客対応の電話が続いた。

「配送が遅れている件、調べてください。もう1週間以上ですよ」

「注文番号を教えていただけますか?」

「SS-0412-1138です」

「確認いたします」

システムを調べると、物流センターで返品処理の途中だった。

「こちらの商品は、返品処理のあと、再発送する予定です。明日までには出荷の予定です」

「わかりました。早くお願いします」

「はい。申し訳ございません」

退勤時刻になると、同僚たちが1人ずつ席を離れた。

紗奈は消耗品予算のファイルを仕上げ、課長にメールを送った。

オフィスには、紗奈だけが残った。

蛍光灯が1本切れていて、席の周りは薄暗かった。

自販機で買ったコーヒーを飲みながら、予算ファイルの数字を確認した。

薄暗い明かりの下で、コーヒーから湯気が立っていた。

ビルを出ながら、スマホを取り出した。

検索欄に『家事事件 弁護士費用』と入力した。

ブログと法律相談サイトを、交互に読んだ。

監護者変更を争うための弁護士費用は、およそ30万から50万円だった。

着手金20万円というところが最も多く、成功報酬は別途相談。

印紙代、郵便料、鑑定費用は別にかかる。

前の裁判でかかった費用が浮かんだ。

30万円を用意するため、1年間、朝食を抜いたこともあった。

そして、結果は却下だった。

あのお金で、悠真におもちゃの1つでも送れたのではないか。そんな思いが、あとになって湧いてきた。

紗奈は地下鉄を待ちながら、スマホの電卓を開いた。

月給は、手取り20万9,000円。

家賃と管理費、保険料、交通費、通信費、日用品代。

電卓で、1つずつ引いていった。

固定費だけで、半分近くが消えた。

残ったお金から、食費を1日800円とした。

1か月2万4,000円。

そこから雑費と予備のお金を引けば、実際に貯められるのは月3万から4万円。

弁護士費用が30万円なら、8か月から10か月。

50万円なら、1年以上。

印紙代と郵便料を足せば、さらに延びる。

鑑定費用まで含めれば、もっとかかる。

証拠集め、公証の手続、交通費まで加えると、数字は増え続けた。

電車が来た。

紗奈は電卓の画面を消し、空いていた席に座った。

窓の外を、暗いトンネルの壁が流れていった。

また、数字を打ち込んだ。

法律扶助の収入基準を確かめた。

基準となる所得の中央値の125%。

紗奈の収入は、その基準をわずかに上回っていた。

正社員だから、法律扶助を受けられない。その皮肉。

(今度も、だめなのかな)

食費を1日500円に減らせば、月1万5,000円。

9,000円を余分に貯められる。

そうすれば、6か月から7か月。

コンビニ弁当とおにぎりでしのぐ、6か月から7か月。

地下鉄の窓の外を、暗いトンネルの壁が速く流れた。

紗奈の降りる駅に着いた。

改札を出て、路地へ入った。

ワンルームに帰り、バッグを置くと、また電卓を開いた。

数字を打って、消して、また打った。

どう計算しても、ぎりぎりだった。

できなくはない。ただ、危うい。

予備のお金が底をつけば、給料が1か月遅れただけで、もたなくなる。

それでも、不可能な数字ではなかった。

やってみることはできる。

紗奈は電卓の数字を消し、初めからもう1度打ち込んだ。

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