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9話. 法律事務所

Autor: YuIm
last update Fecha de publicación: 2026-11-04 13:29:11

看護師に会ってから、1週間がたった。

紗奈は会社の昼休みを使い、弁護士を検索した。

『家事事件に強い弁護士』『監護者変更』『面会交流の変更』。

検索語を変えながら、口コミと経歴、勝訴率を比べた。

3人の名前と連絡先、費用の目安をメモにまとめた。

印刷して、バッグに入れた。

仕事帰りの地下鉄で、妹に電話した。

「弁護士、調べた?」

「うん。3人見つけた。そのうち1人は、知り合いの紹介がある」

「誰が紹介してくれたの?」

「会社の先輩の旦那さんが、法曹関係の人なの。家事事件に詳しい弁護士を知ってるって」

「名前は?」

「篠宮怜。篠宮法律事務所」

「篠宮怜?」

「経験はかなりあるみたい。監護者変更の事件を、たくさん扱ってきたって」

「費用は?」

「相談のときに話すことになってる。ひとまず予約は取れたよ」

「いつ?」

「来週の水曜日、午後4時」

「水曜日なら、半休を取らなきゃ」

「半休、取れる?」

紗奈はカレンダーを確認した。

今月はすでに1度、半休を取っていた。

「取れるよ。ありがとう」

「一緒に行こうか?」

「ううん。1人で行く」

「また1人で?」

「弁護士に相談するだけだから」

「緊張してる?」

「少し」

「出かける前に、書類を確認してね。離婚の判決書と、診療記録の写し」

「用意してある」

「所見書のページも?」

「うん」

妹がため息をついた。

「うまくいくよ。終わったら電話して」

水曜日。

午後の半休に向け、午前中の仕事を急いで片づけた。

消耗品の発注確認、荷物の受け取りが2件、顧客対応の電話が4本。

昼はコンビニでおにぎりを2つ買い、10分で食べた。

同僚が紗奈のバッグを見て、首をかしげた。

「今日も半休? どこに行くの?」

「ちょっと、用事があって」

「水原さんって、ほんとに用事が多いね」

紗奈は軽く笑って、席を立った。

2時に会社を出て、地下鉄に乗った。

千代田区で降り、法律事務所の入ったビルを探した。

8階建ての灰色の建物だった。

1階のロビーは大理石張りで、壁に入居テナントの案内板があった。

法律事務所が3つ、税理士法人が1つ、社会保険労務士法人が1つ。

紗奈の日常からは、遠い世界の名前ばかりだった。

篠宮法律事務所、7階。

エレベーターのボタンを押して、待った。

鏡に映る自分を見た。

出勤時に着てきたブラウスに、しわが寄っていた。

7階で降りた。

廊下の突き当たりにガラスのドアがあり、その上に事務所の名前が出ていた。

紗奈はガラスの前で立ち止まった。

バッグの持ち手を握り直し、ブラウスの襟に触れた。

ガラスに、自分の顔が映っていた。

目の下に、濃い影が落ちていた。

先週から、ろくに眠れていない跡だった。

看護師の言葉が、頭から離れなかったからだ。

深呼吸をして、ドアを開けた。

受付が見えた。

内装はすっきり整えられ、左の壁には法律の本が並んでいた。

右手には廊下が続き、その両側に相談室のドアがいくつもあった。

受付の職員が顔を上げた。

「ご予約はございますか?」

「はい。4時に、篠宮先生の相談を予約しています」

「お名前を伺えますか?」

「水原紗奈です」

職員が画面を確認した。

「はい、確認いたしました。ご相談の前に、簡単な相談票をご記入いただけますか?」

用紙が差し出された。

紗奈は氏名、連絡先、相談内容を書いた。

相談内容の欄に『監護者変更』と書いて手を止め、それから横に『面会交流』と付け加えた。

「お済みでしたら、こちらの待合室で少々お待ちください」

紗奈は待合室のソファに座った。

会社の椅子よりも、ずっと柔らかかった。

ローテーブルには、家事事件のパンフレットがきれいに並んでいた。

監護者変更、面会交流、保全処分、親権者変更。

5年間、裁判所で、書類で、ネットの検索画面で、見続けてきた言葉だった。

読まなくても、何が書かれているかわかった。

時計を見た。

3時55分。

5分が、長かった。

紗奈はパンフレットを取り上げ、また置いた。

バッグの書類を確かめ、口を閉じた。

今日持ってきたのは、離婚判決書の写し、診療記録の写し、そして所見書のページだった。

待合室の向かいで、相談室のドアが開いた。

40代くらいの夫婦が出てきた。

女性は目を赤くし、男性は正面を向いて歩いていた。

2人の間に、会話はなかった。

ドアが閉まり、廊下の先へエレベーターの音が遠ざかった。

待合室には、紗奈だけが残った。

紗奈は目を伏せた。

5年前の自分も、あんなふうに見えていたのだろうか。

家事事件を専門にする事務所では、毎日繰り返される光景なのだろう。

「水原紗奈さん」

受付の職員が、紗奈を呼んだ。

「3番の相談室へどうぞ」

紗奈は立ち上がった。

手のひらをパンツで拭った。

バッグの持ち手を両手で握り、廊下を歩いた。

3と書かれたドアの前で止まった。

2度、ノックした。

「どうぞ」

中から、低く平坦な声がした。

紗奈はドアノブを握った。

手のひらが濡れていた。

ドアを開けた。

相談室には、机が1つと椅子が2脚あった。

ブラインドの隙間から、午後の日が斜めに差し込んでいた。

机の向こうに、男が座っていた。

書類の束を読んでいたが、紗奈を見て顔を上げた。

短い髪。

眼鏡はかけていない。シャツの袖を、肘までまくっていた。

まくりかけだったのか、右の袖口が左より1折り分高かった。

目元は鋭かったが、表情には感情が出ていなかった。

机には分厚いファイルが2つ、ノートパソコン、それに万年筆が1本あった。

男が立ち上がった。

「篠宮怜です。おかけください」

紗奈は向かいの椅子に座った。

バッグを膝に載せ、その上で両手を重ねた。

窓からの日差しが、机のファイルを照らしていた。

相談室のドアが閉まった。

外の物音が遮られた。

紗奈と篠宮の間には、机が1つだけ残った。

紗奈の呼吸は、浅くなっていた。

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