LOGIN「おはようございます。お嬢様」
カーテンが開けられた窓の外からは、明るい日差しが降り注ぎ、風が木々を揺らしている。
小鳥が歌い、飛び交う様子が目に写った。
白とピンクを基調とした可愛らしい部屋は、朝日に照らされてキラキラと輝いて見えた。
適度な温度を保った掛け布団。
スプリングの利いたふわふわのベッド。
ベッド脇に置かれたサイドテーブルには、まだ湯気の立つ温かな紅茶が置かれている。
夢だと思っていたのに、確かに時間は経過し、私はまだこの世界にいた。
「ゆめじゃ……なかったの?」
ベタだが、頬をつねってみる。
痛い。
死んだはずの私は、確かに痛みを感じていた。
「夢、ですか?」
不思議そうに隣に控えた乳母のバルバラが首を傾げる。
まるで生まれてからずっとここで過ごしてきたような記憶が、私の頭には残っていた。
昨日あの後、夕飯を食べに食堂に行ったり自室に戻るのに、道に迷うことなんて無かった。
乳母の名前も顔も分かる。
他の侍女達も同様だ。
私は知らないはずなのに、ここで生きていたリリアンナの記憶が確かに存在していた。
「おとうさまが、おとこの子をつれてきて、シヴァってなまえをつけて……」
「それなら、夢じゃありませんよ。確かに昨日旦那様は子供を連れて来ました。シルヴィオと名付けて、執事長の遠縁の子供ということで届け出もしたそうです」
彼女の言葉に、もうそこまで話が進んでいたのだと知る。
死んでいない。
生きているのだ。
佐藤穂香だったはずの日本人の私が、リリアンナ・モンリーズとして。
「それじゃ……」
私はここで生きていくしかない。
リリアンナの未来を思い出す。
男性に襲われたという恐怖体験の話。
後に第一王子の婚約者となり、一国の王妃になるという責任と重圧。
万が一ゲーム内の主人公が第一王子ルートに進んだ場合、自分に訪れるであろう身の破滅。
「どうしよう……」
一気に押し寄せてきた不安に、涙が零れる。
布団を握りしめ泣き出した私を見てどう解釈したのか、乳母がぎゅっと私を抱きしめてくれた。
柔らかい感触は、穂香だった時には得られなかったものだ。
違和感はあるが、優しく私の背を擦ってくれる手に安心感を覚える。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
ここにいる皆がリリアンナに優しい。
そのリリアンナは、どこに行ってしまったんだろう。
私はここにいて良いのかな。
不安と疑問が渦巻く中、私は必死に自分自身を奮い立たせた。
何が起こっているかは分からない。
ここで生きるしかないのなら、私は私なりにリリアンナ・モンリーズとして生きてみよう。
それは私自身のためでもあるし、周囲の優しい人々のためでもある。
なにより、大好きな推しのシヴァをゲームのシナリオみたいに追い詰めないように。
彼が幸せになれるようなリリアンナの立ち振る舞いをしてみせよう。
考えを纏めて息を整えてから、私は乳母に断りを入れて起き上がった。
着替えを手伝ってくれる彼女は、しきりに話しかけてくる。
「大丈夫ですよ、お嬢様。公爵様にとっての大事な娘はお嬢様だけですから」
どうやら、私がシヴァにお父様を取られて落ち込んでいると思っているらしい。
元々リリアンナとして生きていたなら、そういう感情もあったかもしれない。
でも、私は元々佐藤穂香だったのだ。そういう意味での嫉妬なんてするはずがない。
「ちがうのよ、バルバラ。ゆめがこわかっただけなの」
そう私が言っても彼女はハンカチの端で涙を拭くばかり。
ああ、これは理解していないなと察して放っておくことにした。
着替えが終わると乳母に連れられて食堂へ向かう。
広々とした食堂には、絵でしか見たことの無いような長いテーブルが鎮座し、その上座にはお父様が座っていた。
「おはよう、リリー。今日は遅かったね?」
「おはようございます、おとうさま」
朝の挨拶を交わし、綺麗にお辞儀をする。
うん、ちゃんと令嬢らしく振舞えている気がする。
顔を上げると乳母がお父様に何か耳打ちしていた。
乳母の話を聞き、私に向かって慈愛に満ちた笑みを浮かべてくるのを見て話の内容を察する。
違うんですよ、お父様。
否定も出来ず、私は引いてもらった椅子に腰かけた。
隣にはシヴァがいる。
横目でこちらを見ている彼は、この屋敷の執事服を身に纏っていた。
子供用に採寸を合わせたのか、大人びた服に着せられている彼はとても可愛い。
「おはよう、シヴァ」
「……はよ」
相変わらずぶっきらぼうに返事をしてくる。
彼の席は私の下座だ。
話しやすいように気を使ってか、隣同士にしてくれている。
本来ならお母様が座るであろう正面の席には誰もいない。
面倒は見るが、この家の子供ではない。
年は上でも、あくまでリリアンナより立場は下なのだと、この席順が彼のモンリーズ家での立場を表している。
「シルヴィオ、お嬢様への言葉遣い」
突然ぴしゃりと放たれた言葉に、シヴァはビクリと体を震わせる。
ちらりと彼の後ろを見ると、執事長のルネが控えていた。
バルバラにそう尋ねると、彼女は笑いながら答えてくれた。「ヴァイゲル公爵家のマルグリータ様からです」その名前には聞き覚えがある。マルグリータ・ヴァイゲル。攻略対象の一人である第二王子レオナルド・リヒハイムの婚約者だ。女好きな王子に控えめで気の弱い婚約者の組み合わせはゲームを攻略する側にとってはあまりにも簡単で、その難易度の低さから初心者は第二王子ルートから始めるよう言われるほどだ。本来ならば攻略対象との仲を邪魔し、敵になるはずの彼女は少しの会話で第二王子を諦めて身を引く。それも攻略難易度の低さを後押ししていた。「マルグリータ様は病弱ですし、大勢は呼ばずに王家と婚約を結んだ者同士交流がしたいだけのようです。これなら参加しても宜しいかと」なるほど、婚約パーティに彼女が現れなかったのはそれが原因か。病弱で寝込んでいて第二王子との仲が深められず、彼女自身も未練が無いのならあの素早い身の引き方も理解できる。だが、今は王家と婚約を結んだ者同士、手を取り合うのは良いことだ。「分かりました。お父様にも許可を貰ってきますわ」そう言って手紙を持ち、私はお父様の執務室へ向かった。執務室にいたお父様は一度仕事の手を止めて話を聞いてくれた。もちろん、ヴァイゲル公爵家へ出かけることは素直に了承してくれる。これでもう話は終わりかと思った時だ。「そうだ、リリー。そろそろ話しておきたいことがあるんだ」思い出したかのように、お父様が話し出す。彼が目くばせをすると一緒にいたルネが一礼して部屋を出て行った。デスクから離れ、私の座っているソファの隣にお父様は腰を下ろす。一瞬緊張が走ったが、何の話なのか想像はついた。「リリーにはね、【魅了】っていう特別な力があるんだよ」ようやく、お父様は私にその話をしてくれた。一通り説明されるが、既に知っていることの復習のようなものだ。丁寧な説明に、私
小さな咳が部屋に響く。咳が収まると一息つき、少女はペンを走らせた。ベッドの上で上半身を起こしたまま、少女は手紙を書いている。彼女の乳白色のストレートヘアはベッド上を這い、濃い青色の瞳は真剣に文面をなぞっていた。その体は同年代と比べても明らかに細く弱弱しいが、頬は年相応に丸みを帯び病床においてもその美しさが陰ることはない。書き終わり、ライムグリーンの封筒に手紙を入れて蜜蝋を垂らし終わったところで扉がノックされた。「どうぞ」小さいが澄んだ声は良く通る。扉の向こうの人間に無事届いたのか、扉が開かれて老年の執事が顔を出した。「お嬢様、終わりましたか?」「ええ。ちゃんとここに」差し出された手紙を執事は恭しく受け取る。「宛先はモンリーズ公爵邸で間違いありませんか?」「ええ、そうよ」少女がテーブルの上の道具を片付けていると、執事もそれに手を貸して二人で片づけを済ませる。空になったベッドテーブルは端に避けられると、彼女は口を開いた。「リリアンナ様はわたくしと一つ違いらしいの。……わたくし、ちゃんと仲良くなれるかしら?」「もちろんですとも」笑顔で答えてくれた執事に安心したのか、彼女はモソモソとベッドに横になり布団にくるまる。「その日までに、ちゃんと治さないといけないわね」「ええ。ですから、しっかりお休み下さい。後で薬湯と、ご褒美のデザートをお持ちしますので」「爺は甘やかし過ぎよ……でも、嬉しいわ」クスクスと楽しそうに笑って、少女は目を閉じた。***婚約パーティを終えてからの毎日は、更に忙しくなった。継続される魔法訓練や基礎勉強に加えて、マナーレッスンやダンスレッスンも本格化。次期王妃となるべく王宮での講義
二人きりで部屋までの道を歩いていると、シヴァは口を開く。「楽しかったか?」「それより疲れちゃったかな。ダンスの時なんてアレクサンド様の足を二回も踏んじゃって、他のご令嬢に怒られちゃったよ」ずっと縛られていたせいで頭皮が痛くなり、ヘアリボンを外しながら話しているとシヴァは足を止めた。先を行っていた彼が立ち止まったので、私も同様に立ち止まる。「それなら、試しに踊ってみるか? 見てやるよ」振り返った彼が私に手を差し出す。月光に照らされた彼は後光を差したように輝いていて、神様が月から私を迎えに来てくれたようにも見える美しい姿だった。周りを見渡せば、ちょうど中庭に下りられる場所でありダンスが出来るような空間がある。そっと手を伸ばして掴んだ手は、その白さから想像していたものとは違い温かい。「シヴァ、踊れるの?」「少しはな」ぐいっと引っ張られてダンスの時の正式な形で手を組みなおす。腰に手が回されると、さっそくステップが開始された。昔、前夜祭に出掛けた時も思ったが、シヴァは踊りが上手い。リズムが正確で振り付けも完璧なのは、きっと鍛えられた肉体のせいだろう。「お前はいつもここで足を出すのが遅れる」そう言いながら、軽いターン。思い返せば確かにこの場面でよく相手の足を踏んでいる気がする。言われた通りにシヴァの足を踏みそうになるが、彼は華麗にそれを避けてくれた。「もう一度」ダンスは基本動作の繰り返しだ。同じリズムと動作を繰り返し、再びターンするタイミングに入る。「右足」いつも踊っていた時よりも少し早いタイミングで声がかけられ、急いで足を動かす。私の体は綺麗にターンすることが出来、シヴァの足を踏むことはない。「出来た!」「教え方がいいからな」私が喜んでいると、シヴァは不敵に笑う。そのまま再び同じ動きを繰り返すと徐々にタイミングが合
振り返れば蜂蜜色の髪が視界に入る。「何をしておいでですの?」その声はゲーム内ボイスの物よりも高く幼い。「休憩したいというレディを引っ張り回すのが紳士の嗜みだなんて、始めて知りましたわ」その高飛車で強気な態度は、イザベラ・ナンニーニ!遠目で見ていた彼女がすぐ横にいることに驚きつつ、思わず感動してしまう。もしかして、助けれくれたの?感動で緩む表情を慌てて扇で隠していると、彼女は杜若色の瞳をキッと釣り上げて少年達を見た。明らかに年上の人もいるし、皆が彼女よりも背が高い。それでも彼女は怯むことなく私と彼らの間に立ちふさがる。正論を叩きつけられた少年達は、口々に謝罪をしながら走り去っていった。「ありがとうございます」「ナンニーニ侯爵家が次女。イザベラ・ナンニーニと申します。急なご無礼をお許しください」そう言って彼女は深く腰を折る。その姿は正しくレディで、教育が良いのか幼いながらにその仕草は板についていた。「いいえ、助かりました。リリアンナ・モンリーズです。礼を言わせて下さい」「礼を言われるようなことは致しておりません。ただ、一言言わせて頂くと」先程までの粛々とした姿はどこへやら。彼女は先程の少年達に向けたのと似たような視線を私へ向けた。「ダンス中に殿下の足を二度も踏むなどあってはならないことです。もっとダンスレッスンを重ねた方がよろしいかと」うわ、さすが辛辣。図星をつかれているが、身分は上のはずの私によくぞここまで言えたものだ。流石イザベラ、最早感心するしかない。「お見かけするに、令嬢は体幹の鍛え方が足りないかと。そのせいで仕草の洗練さを欠いているので訓練することをお勧めします」それだけを言うと、深くお辞儀をして去っていく。まさに嵐のようなご令嬢だった。ほっと一息つき、私は再び人に囲まれないよう慌てて休憩室へと移動した。すれ違う際にちょっとした噂
レオナルド・リヒハイム。リリアンナと同い年になる男の子だ。陛下似の焦げ茶色の髪は母親に似た真っ直ぐなストレート。それを顎のあたりで真っすぐ切りそろえられており、子供らしく可愛らしい顔立ちをしていた。その瞳は母によく似た意志の強いアップルグリーン。挨拶の最中にこにこと笑ってはいるが、ゲームの設定を知っている私からすると侮ることが出来ずなかなかに恐ろしい。彼のルートは一回しか周回したことがないが、とんでもない女たらしの遊び人なのだ。ヒロインに好意を寄せその本心を暴かれてからは彼女一筋になるのだが、それまではとにかく遊びまくる。あまり近寄りたくない人物だ。その次に知っている顔を見つけたのは、サンスリード公爵家からの挨拶の時。そこの三男が攻略対象その4、ステファン・サンスリードだ。父に息子三人が連れられてきており、その一番後ろに続く彼とは言葉は交わさないものの姿だけは確認できた。由緒正しい騎士団長の息子である彼も、後に兄達を追い越すような優秀な騎士へと成長を遂げる。綺麗な黒髪に朱色の瞳。他の兄弟とは違った容姿に異質さを感じるが、その表情と瞳はどこか虚空を見ているようで大人しい印象を受ける。まあ、眠っている獅子なだけですが。最後に見かけたのはナンニーニ侯爵家の次女、イザベラ・ナンニーニ。彼女は、ゲームでは誰にでも分かりやすい悪役令嬢だった。高飛車な言動で常にあらゆることに対し文句を言っており、周囲から嫌われている。リリアンナ率いる令嬢グループとはいつも一人で対立し、ヒロインに対する当たりもなかなかに強い物だった。だが、ただのおじゃま虫と思わせてそのステータスは軒並み平均以上で、彼女を超えるステータスを出せるか出せないかで攻略ルートが変わるという結構大切な役回りの子なのだ。蜂蜜色の柔らかく長い髪を一本のおさげにして垂らした幼い姿はなかなかに可愛らしい。彼女は杜若色の釣り目でキョロキョロ辺りを見渡していたが、壇上のアレクサンドを
「こら、あまり長話しないで。出発するぞ」「シルヴィオは私と一緒に後ろの馬車に続きます。旦那様は何かあれば合図を」「ああ」大人二人に諭され、私達は別々の馬車に乗り込む。その寸前、自然と彼と目が合った。微笑んでみせれば、彼も少しだけ微笑み返してくれる。うん、元気がチャージされた気がする!シヴァとのことも何とかなったし、お父様達が付いていてくれてると分かっているからか、以前王城に行った時よりも今日の方が圧倒的に緊張感は少ない。人前に出るのは緊張するが、終わればゲームの登場人物達の幼少期が見られるのだ。楽しみにならないはずがない。馬車に乗りながら、わくわくした気持ちで私は窓の外を眺めていた。私達一行は、無事パーティ会場に辿り着くことが出来た。ルネとシヴァは馬車の管理をしたり、何かあった時のために別室に待機しているようだ。お父様に連れられて控室へ進むと、この前会った国王陛下と王妃様、アレクサンドが出迎えてくれた。「本日は良い日を迎えられたこと、天の神々に感謝いたします」「よろしくお願い致します」お父様が深々とお辞儀をするのに倣い、私も隣でカーテシーを披露する。そんな私達を見て、もっと気楽にしてくれて良いと国王夫妻は笑った。陛下は柔らかな焦げ茶色の髪に黄金色の瞳をしている。普段は国王としての威厳を感じるが笑顔がとても優しそうで、アレクサンドとの血縁を感じる。王妃様はアレクサンドと同じ青い髪に青い瞳の物静かで穏やかそうな方だ。彼の顔立ちは王妃様に似ているだろうか。大人しそうな印象の王妃様の顔立ちと陛下の優しそうな笑顔が合わさってああなっていると考えると納得がいく。「準備も大変だったでしょう? 綺麗ですよ」パーティ会場に向かうためにエスコートしようと私に手を差し出しながら、アレクサンドはそう言った。白を基調とした金糸模様の服と青いタイや宝石から見て、すぐに







