私と凛が行おうとした悪事が夫にバレたら、私はこの家での立場がなくなる。夫は、怒りと失望の目で私を見てくるだろう。これまでの信頼関係が一瞬にして崩れ去る。私は、テレビ画面から目を背けたくなったが、もう今できることは何もなかった。逃げる場所も、隠れる場所もない。
テレビ画面に再生が始まったことを示す「▶」マークが、不気味なほど大きく表示された。
(終わった……。)
私の心の中で絶望の叫びが木霊した。
夫に全ての悪事が露呈する――
その絶望的な予感に私は目を閉じた。
しかし、次の瞬間に流れたのは、私と凛が用意した悪意に満ちた映像ではなかった。画面には、啓介の会社のロゴがスタイリッシュにアニメーションで動き、会場で流れた創業記念を祝う本物のDVDが映し出されていた。パーティーの時に流れた会社の歩みを振り返る美しい映像のあとに、当日撮られたばかりの社員たちの写真が、美しく編集され、新たなパートとして追加されていた。皆の笑顔、楽しげな会話、そして温かい拍手が、リビングを満たす。
(え……。どういうこと?)
私は混乱し恐る恐る目を開けた。夫は真剣な顔で画面を見つめている。
その後も、佳奈の実家で夕食をご馳走になりながら会話は続いた。訪問してから既に四時間以上、リビングで話を続けていることに俺は圧倒されていた。自分の親と、こんなにも長く途切れることなく会話を続けた記憶はほとんどない。父は忙しく平日は帰りが遅く休日も家にいないことが多かった。母も小学生の頃は話をしたが、思春期以降は必要最低限の会話のみだった気がする。だからこそ、佳奈の家族が次から次へと会話の種を見つけ、笑い声が途切れないことに俺は驚きを隠せずにいた。「お姉ちゃんは私と一緒で昔から負けず嫌いで気が強いところあるんですけど、啓介さんは気が強い女性でもいいんですか?」三奈の真っ直ぐな瞳に見つめられ、俺は思わず吹き出しそうになった。俺の母親も最初佳奈に対して「気が強そうだ」と思っていたが、三奈も同じような印象を持っているらしい。だが、俺が佳奈に抱く感情は全く違う。「負けず嫌いは思うけれど、気が強いと感じたことはないかな。」俺は普段感じている佳奈への印象を、飾り気なく、素直に話した。「佳奈さんは、初めて会った時から向上心が強く、目的を持って行動していました。だから、『気が強い』じゃなくて、『芯の強い』自分を持っている女性だと感じています。」そう答えると佳奈は少し照れくさそうに笑っていた。三奈は、目を輝かせ、その後も俺と佳奈の出会いや付き合った経緯など質問攻めしてくる。今まで自
当日、新幹線と在来線を乗り継ぎ実家へ向かった。タクシーから見える海岸沿いの景色を眺めながら、ここで佳奈が育ったのかと思うと親近感が湧いた。「ここで佳奈が育ったのか……。」俺の故郷とは全く異なる開放的でどこか懐かしい風景。佳奈の明るくおおらかな性格はこの土地で育まれたのだろうか。やがてタクシーは海から少し入った住宅街の一角に止まった。「ただいまー!」佳奈は全く緊張する素振りもなく玄関を開ける。ご両親は家庭菜園が趣味らしく庭にはところ狭しと野菜が栽培されていた。「ようこそ、啓介くんもよく来たねー。さ、入って入って!」佳奈の言う通り、ご両親は俺のことをまるで昔からの知り合いかのように、温かく歓迎してくれた。自分の実家とは全く違うアットホームで開放的な雰囲気に驚きながらも、俺は彼らの温かさに誘われるように少し遠慮がちに中へと足を踏み入れた。リビングに通されると、佳奈の母・美香さんが出してくれたお茶を飲みながら四人で談笑していた。お父さんの五郎さんは、俺が持参した手土産を手に取り、「おお、これは!美味しそうなものをありがとう。」と満面の笑みで喜んでくれた。社員たちの選定に間違いはなかったようだ。しばらくすると玄関から、ガラガラと少し古びた引き戸の音が
あっという間に、佳奈の実家へ向かう日がやってきた。佳奈は「大丈夫だよ、うちの親は気さくだから」と笑うが、結婚の挨拶という人生の一大イベントに俺は未だに緊張の糸を張り詰めていた。俺の実家の厳しい雰囲気とは違う、とはいえ緊張しないわけがない。手土産を用意するために、社員にオススメを聞いてみた。「いつまでに必要ですか?取引先でしたらこちらで手配します。」「いや、プライベートなんだ。」メモを取って準備しようとするので慌てて、そう答えると彼らは一瞬、顔を見合わせた。そして、そのうちの一人が目を輝かせながら尋ねてきた。「プライベート……もしかしてご両親への挨拶とかですか?」「え?あ、うん。まあ……。」先日のパーティーで佳奈のことを婚約者だと紹介した影響だろう。言葉を濁したことや表情の変化から、あっという間に勘付かれてしまった。社員たちの予想は確信へと変わり、冷やかしの嵐だった。「それならちゃんとした物を選ばないとですね。いくつか見ておきます!」「社長、手土産で印象変わるかもしれないですよ!」
「もっと気楽に考えればいいのよ。彼女の家に遊びに行って親とご飯食べるだけよ。」私は緊張をほぐすために、そう言って彼の肩をポンとと叩いた。しかし、啓介は私の言葉に真剣な顔で首を傾げた。「付き合っている人の親とご飯とか行ったことないよ。そもそも会ったことないし。」彼の言葉に、今度は私が驚いてしまった。「え?」私の驚きの「え?」という言葉に、啓介もまた「え?」と聞き返してきた。啓介は『おかしなことを言った?』とでも言っているかのような表情をしていた。「佳奈はあるの?」啓介が少しばかりの好奇心と驚きを混ぜて尋ねてくる。「え、まあ……。彼がいない時に遊びに行って帰りを彼の部屋で待っていたり、彼抜きで両親と食事したりとかは、何度かある、かな?」私は努めて冷静に答えたつもりだったが、啓介はさらに目を丸くしていた。彼の顔には、驚きと、困惑と、そして少しばかりの呆れが入り混じったような、複雑な表情が浮かんでいた。(あれ……?これ言わない方が良かった?)
早速、母に電話をかけると私の報告に弾んだ声が返ってきた。「もちろんよ!私たちはいつでもいいんだけど、三奈が啓介さんに会いたいって言ってるのよ。今度の連休はどう? みんなで一緒にご飯食べましょう!」母の声からは、私以上に喜んでいる様子が伝わってきた。妹の三奈も前回のテレビ電話で啓介のことをかっこいいと興奮気味で何度も口にしていたことを思い出す。こうして来月の連休に、実家への訪問が決定した。週末、二人で連休の計画を立てていると、啓介は一大プロジェクトの準備をするかのように、真剣な顔で私に問いかけてきた。「どんな服装がいいかな? やっぱりスーツかな? フォーマルすぎると引かれるかな。でも、砕けすぎても失礼だし……。あと、手土産は何がいいかな? お父さんの好みは? お母さんの好きなものは?」その質問攻めに私は思わず目を丸くしてしまった。普段のクールで冷静な啓介からは想像もつかないほど、緊張しているのが分かる。「えー、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。適当でいいって。うちの親、そんなに堅苦しいタイプじゃないし。」私は笑いながらそう答えたが、啓介は首を傾げた。「そんなこと言って。俺の実家に行くときは佳奈もこんな感じだったのに、なんか立場が逆転したみたいだな。」啓介はわざと少しだけ
「坂本の親に挨拶ってことは、社長さんの家の問題は解決したんだな?」佐藤くんの眼差しが急に真剣になった。彼が、私がこの数ヶ月で経験してきた困難を、どこまで知っているのかは分からない。しかし、彼が私を気遣ってくれていることは確かだ。「うん、お母さんも承諾してくれた。」「あのDVDのことはちゃんと話せたか?」さっきまでの陽気な声とは違い、周りには聞こえないようボリュームを下げて低く冷静な声になっている。あのパーティーで映像を担当していた佐藤くんは誰よりも早く、DVDの中身を確認していた。そして、機転を利かせ少しだけ流した後に本来流す映像に切り替えたのだ。その際に会場にいる人たちの表情を観察し、動揺や怒りなど他の招待客と違う反応をしている凜を姿を見つけていた。佐藤くんの洞察力と瞬時の判断力には感心させられる。「うん、啓介に伝えてお母さんからもちゃんと話を聞くことが出来た。映像が流れなくて本当によかったって泣いていたよ。佐藤くんのおかげ。本当に助かった、ありがとう。」私は心からの感謝を伝えた。彼の機転がなければパーティーは修羅場と化していたはずだ。「問題が解決して良かったよ。それに俺は任された仕事をしただけで大したことはしていないよ。なんたってプロだからな!」今日の佐藤くんはい