啓介は少し照れたように言った。彼の言葉から、今までどれだけ建前だけの言葉に囲まれて生きてきたかが伺えた。
「肩書きって努力が評価された成功の証で誇らしいものだもの。そんな輝いているものがあるのに魅力的に見えないわけない。そんなの宝石が好きだと言っているのにダイヤモンドを見て『カラット数なんて関係ない。存在しているだけでいい』って言ってるようなものよ。本当は1ct、2ctの大ぶりな光り輝くダイヤが欲しいのに謙虚ぶっているだけ。」
私は、彼の言葉に反論するようにさらに畳み掛けた。宝石に興味がない啓介は今の例えがよく分からなかったようだ。彼は、首を傾げながら困ったように私を見つめていた。
「例えばね、あなたがもし何の肩書きも持たないただの会社員だったとするわ。それでも、私はあなたの知性や、物事を深く考える姿勢、そして、私に真剣に向き合ってくれる誠実さとかそういう内面的な魅力に惹かれたと思う。」
啓介の顔を覗き込んでゆっくりと説明した。
「でもね、素敵な人で終わったかもしれない。そこに『若くしてCEOになった』という肩書きが加わることで魅力はさらに増幅されるの。どれだけ努力して、どれだけ困難を乗り越えてきたかの証拠でその努力の結晶が輝きになっているの。もともと美しい原石が磨かれてさらに輝きを増したようなもの、それが啓介の魅力でもあり、肩書きの価値なのよ。」
私の言葉に少しずつ納得したような表情を浮かべた。彼の顔に微かな笑みが浮かんだ。
「そういうものなのか?」
数日後、佳奈の実家訪問の余韻に浸りながらいつものように業務をこなしていく。そんな中、一人の社員が、少し興奮した様子で俺に報告してきた。「社長、規模の大きい新規案件の依頼メールが届いているんですが、目を通していただけますでしょうか?」「ああ、分かった。」メールを読み進めていくと、内容は地方創生IT化プロジェクトの協力依頼だった。受注金額も大きくありがたい話だが、俺の会社はまだ設立して間もないベンチャー企業だ。なぜ俺たちに依頼が来るのか少し不思議に思った。しかし、内容を詳細に確認していくとさらに驚かされた。依頼主の会社とプロジェクトの場所は、偶然にも佳奈の実家がある地域だった。そして、メールの送信元であるベンチャー企業の代表者の名前を見て俺は思わず息をのんだ。「代表 木下 夏也」その名前に俺の心臓は激しく波打った。脳裏にこんがりと焼けた肌と人懐っこい笑顔が浮かび上がる。(同じ地域に住む、佳奈の元彼と同じ名前の人物から、このタイミングで仕事の依頼メール。偶然にしては出来過ぎている……。まさか、佳奈の元カレが俺の会社だと分かった上で仕事を依頼してきたと言うのか?)彼が俺たちの会社をどうやって知ったのか。そして、なぜ連絡をして仕事の依頼をしてきたのか
佳奈の実家への訪問は、俺の想像とは全く違う形で、不思議な幕を閉じた。出発前、「結婚挨拶 実家訪問」と検索し、サイトに書かれている手順を何度もシミュレーションした。手土産を渡すタイミング、自己紹介の仕方、そしてご両親に結婚の承諾を得るための言葉。完璧な段取りを頭の中で描いていた。しかし、現実は違った。実家へ到着してすぐに手土産を渡すことはできたが、ご両親が俺の緊張をほぐすため、次々と話題を振ってくれたことで、挨拶のタイミングを完全に失ってしまった。妹の三奈が帰宅してからは、さらに会話は加速し、気がつけば四時間も喋りっぱなしだ。俺は、結婚の承諾を正式に得るための言葉を、喉の奥にしまい込んだまま、言い出す機会を失っていた。そして、佳奈の元カレである夏也が現れ、三奈が「お姉ちゃんの彼氏で今度結婚する予定なんだよ」と口走ったことで、俺が何かを改めて発する必要もなく、結婚の件は暗黙の了解のようにそのまま帰宅となった。あんなに緊張して行ったのに、結婚の言葉も出さずに帰ってくるなんて、まるで狐につままれた気分だ。帰り道、俺は真剣な表情で佳奈に尋ねた。「結婚のこと、俺から何も言わなかったけれど、また改めてちゃんと伺って言うべきかな?」真面目にそう尋ねる俺に、佳奈は笑って返してきた。「大丈夫だよ。みんな啓介が来た理由も分かっているし、誰も反対なんてしないから。うちはもう賛成ってこ
「このDVD持っていたことすら忘れてた。そんな慌てて返さなくてもいいのに。なんで持ってきたんだろう?」帰りのタクシーの車内で、隣に座る佳奈は夏也が持ってきてDVDを不思議そうに眺めながら、独り言のように呟いた。(それは佳奈に会うための、単なる口実だったんじゃないか?)俺は、そう言いたくなるのを必死に堪えていた。余計なことを言ってせっかくの穏やかな空気を壊したくなかった。黙って窓から見える景色を眺めながら、さきほどの佳奈と夏也の帰り際の光景が頭の中で何度もリピートされていた。海外留学の経験がある佳奈は、驚きつつも慣れた様子で、夏也の背中に手を回し、トントンとあいさつに応じていた。その自然な仕草に、俺はなぜか心をかき乱された。「さっきの彼も、海外に行っていたことあるの?」俺は努めて冷静を装い何気ないふりをして尋ねた。「え? 夏也のこと? ううん、ないけど。」「じゃあ、親しい人には誰に対してもあんな感じなの? 彼ってフレンドリーだね。」俺が「夏也」という名前を使わず、「彼」と呼んでいることに佳奈は気づいたようだった。彼女は少し黙った後、何かを察したように話し始めた。
翌朝。潮風の香りがほんのりと漂う中、俺と佳奈は坂本家を後にしようとしていた。昨夜は、佳奈の温かい家族と過ごした時間と、布団の中で佳奈と寄り添った幸福感で最高の一日だった。しかし、その余韻も冷めやらぬうちに再び不穏な影が忍び寄る。「良かった、間に合って。佳奈が帰る前に渡しておきたい物があって。」玄関先でタクシーを待っていると、そこに現れたのは昨晩の訪問者、夏也だった。彼は息を切らしながら駆け寄ってきてカバンから一枚のDVDを取り出した。「これ、佳奈が好きで一緒に観ようって俺のうちに持ってきたやつ。」「え、あ、うん……。わざわざありがとう」。夏也が差し出したDVDに、佳奈は少し戸惑ったように答えた。隣でそのやり取りを聞きながら、内心そんな重要な用件ではないと思った。佳奈の家族と親しいのなら、わざわざ佳奈に会いに来なくても美香さんやお父さんに渡しておけばいいはずだ。そうしなかったのは単純に佳奈に会うためかもしれない。昨夜に続き、夏也の行動に微かな違和感を覚えていた。「彼が噂の婚約者? 初めまして、木下夏也です。」
ドタドタドタ……廊下から威勢のいい足音が聞こえてきた。その音は、どんどん俺たちがいる部屋の方に近づいてくる。バンッー勢いよくドアが開けられ、顔を向けるとニヤニヤと満面の笑みを浮かべた三奈ちゃんが立っていた。「お姉ちゃんー、啓介さんー、お風呂空いてるけど入る?」「もー、入る時はノックくらいしなさいよ!」佳奈と顔を見合わせ苦笑いを浮かべるしかなかった。少しだけ頬を膨らませて妹に注意するが、三奈は全く悪びれる様子がない。「だって、ノックしたら二人の普段の様子見れないじゃん。やっと二人きりになったからいちゃついているのかなって。でも、ちゃんとドタバタと音を立てて、来るかもって分かるようにしたんだよ!」ノックはしないが気配は消さないーー三奈ちゃんの無邪気な笑顔と坂本家の独特の距離感に
夕食後、リビングで佳奈の家族と和やかに談笑していると、佳奈の母・美香さんが俺に申し訳なさそうな顔で声をかけてきた。「啓介さんの寝る部屋なんだけど、リビングは騒がしいから佳奈の部屋でいいかしら?」俺はすぐに首を振って答えた。「僕はどこでも大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございます。」美香さんは俺の言葉に安堵したように再び笑顔を見せてくれた。「いいのよ。啓介さんが来てくれるのを、本当に楽しみにしていて嬉しかったの。でも、狭い部屋しかなくて。それで啓介さんが良ければいつでも大歓迎よ!昔は、佳奈や三奈の友達がよく泊まりに来ていて、リビングで雑魚寝したりしていたのよね。」懐かしそうに目を細め、屈託のない笑顔で笑う美香さんを見て、俺は佳奈の寛容さは美香さん譲りなのだと改めて納得した。自分の実家ではあり得ないような、このオープンで温かい距離感や居心地の良さに心を惹かれていた。「じゃあ、啓介さん、佳奈の部屋は二階だから案内してあげてね。」美香さんの言葉に佳奈が立ち上がり、俺はその後を追って二階へと向かう。佳奈の部屋に入ると、部屋の隅にはシングルベッドと机、そして床いっぱいに敷かれた一組の布団が置いてある。ベッドと机と布団でもう足の踏み場はほとんどない。