帰り道、街灯がぼんやりと道を照らす中、俺は心配になり佳奈に尋ねた。
「今日は疲れただろう? ごめんな。それに母さんも失礼な発言していたし」
俺の言葉に佳奈は小さく首を振った。
「大丈夫、ありがとう。啓介が私のことかばってくれたの嬉しかった」
佳奈の声は、夕食時の緊張とは裏腹に驚くほど穏やかだった。彼女がそう言ってくれることがたまらなく愛おしかった。俺は無意識のうちに佳奈の頭を撫でていた。
「それは当たり前だよ。俺が家族の肩をもったら、佳奈は言いたいこと言える相手いなくなるだろ? 母さんたちが何かするようなら俺が間に入って佳奈のことしっかり守るよ。」
俺の言葉に佳奈は何も言わなかった。夜空を見上げて微笑んでいる。その姿が俺には何かを我慢しているように見えて、人通りの少ない場所に来た時、たまらず佳奈の髪を撫でてそっと自分の胸に抱き寄せた。
柔らかな髪が指の間を滑り、彼女の体が俺の胸にすっぽりと収まる。この温かさと安心感が今の俺には何よりも大切だった。佳奈を抱きしめているだけで今日の母との戦いがすべて報われるような気がした。
「『自由な結婚』って案外難しいな。と言っても俺のことで佳奈を振り回してしまっているのだけれど」
その言葉に佳奈はくすりと笑った。
二人でキッチンに立ち、啓介は手際よく食材を並べ、私に包丁の持ち方から教えてくれる。「こうやって、猫の手にして…そうそう、上手」啓介は、私の後ろに立ち、私の手を包み込むようにして包丁の動きを教えてくれた。彼の温かい手が私の手を導く。不器用な私が包丁で野菜を切るたびに、トントンと軽快な音ではなく、たどたどしい音が響く。啓介は、そんな私の不器用さに「ふふっ」と小さく笑いながらも真剣に教えてくれた。「佳奈っていつもテキパキ何でもこなしているから、こういう姿って新鮮だな」「料理はね、食べられればいいと思ってたの。野菜とかも丸かじりやちぎるだけ、ざっくり四等分とかで過ごしてきたし。きっと自分のためには覚えようと思わなかったし、啓介やお母さんのおかげかも。」啓介は小さく笑って頭を撫でてくる。お湯を沸かしている間や、啓介がソースを混ぜている間など、ちょっとでも手が空くとすぐにキスを求めてきた。「ん…佳奈、可愛い」彼の唇が、私の額に、頬に、そして唇に、何度も触れる。そのたびに、私はくすぐったさと幸福感で体が熱くなるのを感じた。キッチン中に、私と啓介の笑い声と、唇を合わせたときの甘いキスの音が響き渡る。恋に落ちたばかりのティーンエイジャーのように私たちはイチャイチャしていた。私が切った野菜たちは大きさもバラバラで、薄切りに関しては繋がっていたり分厚く不
「ううん。啓介は何も悪くないよ。むしろ私をしっかり守ってくれて本当に嬉しかった」私は顔を上げて啓介の目を見つめた。あの時、母の剣幕に怯むことなく私を庇ってくれた啓介の姿を思い出す。啓介は、私の気持ちを気にせず孫をせがむ母親に、「俺たちは子どもを産む道具じゃない」とまで言ってくれた。彼のあの言葉は私にとってどれほどの支えになったか分からない。「そんなの当たり前だよ。佳奈が傷つくのが俺は一番嫌だから」啓介が微笑みながら私の頬をそっと触れる。指先で優しく肌を滑らせる。お互い愛おしく視線を、指を、唇を絡ませながら日々の疲れや受けたダメージを補い、癒していく。若きエリートCEOと出世欲の強いバリキャリウーマン、世間からはそんな風に呼ばれるが私たちは強くない。普段は、背筋を伸ばして堂々と前を向いているけれど、こうして気を緩める時間が必要だ。そして、その緩める時間はもう一人ではなく啓介といる時がいいと思うようになっていた。普段は社長としての顔を持つ啓介だが、今この瞬間は私だけの恋人だ。そして、この大切な恋人とずっと一緒にいたい。私は意を決して口を開いた。「ねえ、啓介?お願いがあるの……。」「啓介、私にもお料理教えて。私、今まで全然やってこなくて今のままじゃお母さんの前で料理もできないし、教わる以前のレベルなの。でも……これからは頑張りたい」私がそう言うと、啓介は驚いて振り返
啓介の実家を訪問した翌日、私たちは久しぶりに二人きりの時間を過ごすことにした。昨日の啓介のお母さんの言葉や態度はまだ胸に残っていたけれど、すかさず啓介がお母さんに言ってくれたことで、私をどんなに大切にしてくれているかを実感した。隣で寝息を立てている啓介を見ていたら不思議と頬が緩む。私の視線に気づいて啓介が目を覚ますとくしゃっと笑った。昨日の緊迫した状況とはまるで別人のように、少しだけ眠たそうにうっとりとした無防備な瞳が甘く私を優しく包み込む。啓介は何も言わず、私の頭を撫でてそっと抱き寄せ額にキスをしてくる。しばらくの間、何の言葉も交わさずに抱きしめ合った。啓介の匂いや肌の感触、こうして触れ合っているだけで癒される。休日の朝、布団から出るのを渋る姿は普段とのギャップが大きく堪らない。みんなの知らない啓介を私は知っていると思うとこれからも独り占めしていたかった。「朝食、何がいい? 佳奈の好きなもの作るよ」そう言って黒縁眼鏡にゆったりとしたTシャツとスウェットにエプロン姿でキッチンに立っている。大手企業のCEOで普段はビジネススーツを着こなす啓介のエプロン姿は見ているだけで胸がキュンとした。手際よく私の好きなフレンチトーストを作ってくれる啓介。ふわふわのフレンチトーストにバターとメープルシロップ。添えられたフルーツは、彩り豊かでカフェのようだった。「美味しい。啓介が作っ
帰り道、街灯がぼんやりと道を照らす中、俺は心配になり佳奈に尋ねた。「今日は疲れただろう? ごめんな。それに母さんも失礼な発言していたし」俺の言葉に佳奈は小さく首を振った。「大丈夫、ありがとう。啓介が私のことかばってくれたの嬉しかった」佳奈の声は、夕食時の緊張とは裏腹に驚くほど穏やかだった。彼女がそう言ってくれることがたまらなく愛おしかった。俺は無意識のうちに佳奈の頭を撫でていた。「それは当たり前だよ。俺が家族の肩をもったら、佳奈は言いたいこと言える相手いなくなるだろ? 母さんたちが何かするようなら俺が間に入って佳奈のことしっかり守るよ。」俺の言葉に佳奈は何も言わなかった。夜空を見上げて微笑んでいる。その姿が俺には何かを我慢しているように見えて、人通りの少ない場所に来た時、たまらず佳奈の髪を撫でてそっと自分の胸に抱き寄せた。柔らかな髪が指の間を滑り、彼女の体が俺の胸にすっぽりと収まる。この温かさと安心感が今の俺には何よりも大切だった。佳奈を抱きしめているだけで今日の母との戦いがすべて報われるような気がした。「『自由な結婚』って案外難しいな。と言っても俺のことで佳奈を振り回してしまっているのだけれど」その言葉に佳奈はくすりと笑った。
仕事を頑張りたいという佳奈に対し、母は最初のうちはやんわりと仕事をセーブするよう伝えていた。そのうち、出来なかった場合に備えて不妊治療も考えた方がいい、佳奈の年齢的にも早い方がいいなど失礼な発言をするようになっていった。ついに我慢できなくなり、俺たちが『子どもは絶対欲しいわけではない』という共通の認識を伝えると母は激昂し声を荒げたのだった。こうして母との初めての顔合わせは、殺伐とした空気の中で終わった。夕方になり、父が帰宅して夕食をともにしたが食卓の空気は最悪だった。明らかに不機嫌な母の存在が場全体を重苦しくしている。父はそんな空気を和らげようとしたのか、時折、俺や佳奈に対して今取り組んでいる仕事について尋ねてくれた。「佳奈さんは留学していて語学堪能なんだって?今の部門でも期待されているんじゃない?」「いえ、日常会話なら問題ないのですが、ビジネス英語やM&Aなど法律や経営分析も絡んでくると専門用語も多いのでまだまだ勉強中です。」「仕事熱心なんだね。」母の反応とは打って変わって、父は穏やかに微笑んでいた。しかし、この微笑みだけでは本心を読み取ることはできない。(父も母と同じように仕事を邁進したいという佳奈にいいイメージがないのだろうか?)考えたくなかったがふと嫌な疑問がよぎる。
こんな張り詰めた状況でも二人で視線を送り微笑みあうなんて到底理解できない。啓介の目には、彼女を守るという深い愛情と強い決意が宿っていた。二人の間に流れる空気は、私には決して立ち入ることの出来ない強固な信頼と絆に満ちている。彼らの絆の深さを見せつけられたようで私の心はさらに深く沈んだ。息子のことを褒められて、本来ならば私も素直に喜ぶべき場面だったのだろう。だが、喜びなど微塵もなかった。佳奈のために私に歯向かう息子が憎たらしかった。佳奈はさらに続けた。「私の両親は、子どもが大好きで子だくさんの家庭に憧れていました。しかし、なかなか出来ず、私は妹の2人姉妹です。待望の子だからこそ本人の意思を尊重したいと言って、いつも背中を押してくれます。私はそんな両親にとても感謝しています。しかし今、両親と同じくらいの熱量で子どもが欲しいと思えていません。子どもが出来ることを心から願い、愛したいと思った時に考えたいと思っています。」佳奈の言葉に私は押し黙った。彼女の生い立ちを聞き、両親の気持ちを慮る姿勢に少しは共感できる部分もあった。待望の子供だったからこそ、本人の意思を尊重するという親の気持ちは理屈では理解できる。しかし感情的には到底受け入れがたい。(欲しいと思ったら考えるものなのだろうか?)私の頭の中には疑問符が渦巻いた。結婚したら、いつ授かっても大丈夫なように準備しておくものだ。それが、女性としての、妻としての務めではないのか。そんな思いが私の心から拭えない。実際に私