LOGIN「美月さん……?」 和江は、さらに写真を拡大した。 ステージ脇を歩く蒼真。その少し後ろに、小柄な女性が写っている。 横顔しか見えないが、美月に似ていた。 和江は画面を指で動かし、次の写真を開いた。 そこにも同じ女性がいる。今度は先ほどよりも顔がよく見えた。「やっぱり……」 間違いない。 美月だった。 和江は今日の記憶をたどった。 自分が蒼真へ声をかけた時、美月の姿には気づかなかった。少なくとも、近くにはいなかったはずだ。「一緒に来てたの……?」 胸の奥がざわつく。 さらに写真を送っていく。 ステージや企業ブース、人混みを何気なく撮影した写真が続き、その中の一枚で、和江の指が止まった。「あ……」 会場の端に設けられた休憩スペースだった。 そこに蒼真が写っている。 そして、その向かいには美月。 美月のそばには、ベビーカーがあった。「赤ちゃんも……」 顔までは見えない。 けれど、美月が連れているのなら、あの子に決まっている。 蒼真が何かを差し出し、美月が笑いながら受け取ろうとしていた。 ただ、それだけの写真だ。 なのに和江は、なかなか次の写真へ進めなかった。「……家族みたい」 自分の口から漏れた言葉に、胸が詰まる。 拓也は、第三者がいなければ赤ちゃんに会えない。 自分は抱くことすら許されなかった。 それなのに蒼真は、美月と赤ちゃんと一緒にこんな場所へ来ている。「どうして……」 さっき拓也に言われたばかりだった。 もう何もするな。 このまま接
帰宅すると、和江は何事もなかったようにテレビを見ていた。「母さん」「あら、おかえり」「今日、九条に会ったの?」 和江の表情が変わる。「……誰から聞いたの?」「また弁護士だよ!」「別に悪いことしてないでしょう?」「何もしないでって言ったよね?」「会社には行ってないわよ」「そういう話じゃない!」 拓也は声を荒らげた。「イベントに行っただけよ。誰でも入れるところよ?」「そこで九条に話しかけたんだろ?」「いたんだから、話すくらいいいでしょう」「よくないから連絡来てるんだよ!」「何よ、その言い方」「次やったら警察に相談するって言われてる!」 和江が目を見開いた。「警察?」「そうだよ」「私、何もしてないわよ」「母さん!」「話しかけただけじゃない!」 和江も声を大きくした。「九条さんだって普通に話してくれたわよ。私が暴れたわけでも、つきまとったわけでもないのに!」「でも、もう直接会うなって言われてただろ!」「おかしいじゃない」 和江は立ち上がった。「美月さんの言うことなら、何でも通るの?」「そうじゃなくて」「私は孫に会いたいだけよ!」「それで俺まで会えなくなったらどうするんだよ!」 その瞬間。 和江が黙った。 拓也も、自分が何を言ったのか分かっていた。「……結局、それなのね」「何が」「拓也は自分が会えればいいんでしょう?」「違うよ」「私が孫に会えなくても、自分の面会さえ守れればいいのね」「だから、そういう話じゃないって」「そういう話じゃない!」
『先方からは、これまでの経緯も踏まえ、今後同様の接触が続く場合には、警察への相談も検討するとの申し入れがありました』「警察……?」 拓也は思わず聞き返した。『はい』「でも、今日はイベントですよね?」『そう聞いています』「母さんがイベントに行ったら駄目なんですか?」『イベントへ参加したこと自体が問題だと言われているわけではありません』 弁護士は淡々と答えた。『九条さんへの直接の接触を控えるよう伝えられたあとで、再び接触したことが問題になっています』「……」『その前には、美月さんのお母様とお子さんへの接触もありました』「それは聞きました」『先方から見れば、一度きりではありません』 母への連絡。 実家の近所。 九条の会社。 そして、今日のイベント。 並べられると、拓也にも印象が変わって見えた。「でも……母さん、九条に何かしたんですか?」『暴力などがあったという報告はありません』「だったら、警察っていうのは大げさじゃないですか?」『今すぐ刑事事件にするという話ではありません』 弁護士の声は変わらなかった。『ただ、接触しないでほしいという意思表示を受けたあとも繰り返せば、相手が不安を感じ、相談記録を残そうと考えることはあり得ます』「……」『朝倉さん』「はい」『これはお母様の行動ですが、あなたの今後にも無関係ではありません』 拓也の表情が強張った。「俺の面会ですか?」『はい。直ちに取りやめるという話ではありません。ただ、お子さんとの面会を今後広げていきたいのであれば、先方の不安を増やす状況は避けるべきです』「俺は何もしてません」『承知しています
周囲の視線が集まった。 男性の表情がわずかに硬くなる。「朝倉様、こちらでは――」「一分でいいんです!」 和江は構わず続けた。「美月さんと赤ちゃんのことで、お話ししたいんです!」 その言葉に、蒼真が振り返った。「朝倉様」 蒼真がこちらへ歩いてくる。 ようやく話ができる。 和江はほっとした。「九条さん。初めまして」「初めまして」 蒼真は一定の距離を空けたまま立ち止まった。「先日、会社へいらしたことは聞いています」「だったら、私の伝言も?」「伺っています」「よかった」 和江の顔が明るくなる。「でしたら、分かっていただけますよね?」「何をでしょうか」「赤ちゃんのことです」 ◇「九条さん、美月さんとお付き合いすることに、私は何も言うつもりはありません」「はい」「でも、あの子には父親がいます」「承知しています」「拓也です」「はい」 蒼真は否定しなかった。 それで和江は勢いづく。「拓也は今でもあの子を大切に思っています。会いたがっています。それなのに、あなたは何の関係もないのに自由に会えるんでしょう?」 蒼真の表情がわずかに変わった。「何の関係もない、というのは?」「だって、あなたの子じゃないでしょう?」「はい」「だったら――」「私は、父親だと名乗ったことはありません」 静かな声だった。「でも、一緒に出かけてるんでしょう?」「はい」「それがおかしいって言ってるんです」「なぜでしょうか」「なぜって……」 和江は言葉に詰まった。「拓也
週末。 和江は朝から、いつもより丁寧に身支度を整えていた。 向かうのは、九条グループが協賛する地域イベントだ。 複数の企業がブースを出し、食品や雑貨の販売、子ども向けの催しなども行われるらしい。 入場は無料。 事前予約も必要ない。「誰でも行けるんだもの」 鏡を見ながら、和江は呟いた。 九条の会社へ行くわけではない。 美月にも、その両親にも会いに行かない。 もちろん赤ちゃんを探すつもりもない。 拓也との約束を破ることにはならないはずだ。 会場は思っていた以上に混雑していた。 家族連れも多く、ステージでは地元の団体による演奏が行われている。 和江はパンフレットを受け取った。 九条グループの名前は、すぐに見つかった。 協賛企業として大きく掲載されている。 さらにページをめくったところで、和江の目が止まった。『開会セレモニー 協賛企業代表挨拶』 その下に、『九条グループ代表取締役 九条蒼真』 と書かれている。「やっぱり来るのね」 和江は小さく息を吐いた。 別に、待ち伏せではない。 パンフレットを見るまで、蒼真が本当に来るかどうかは知らなかった。 偶然、今日ここへ来て。 偶然、本人も来ると知った。 それだけだ。 和江はステージの見える場所へ移動した。 しばらくすると司会者が登壇し、開会セレモニーが始まる。 何人かの関係者が挨拶をしたあと、名前が呼ばれた。『続きまして、九条グループ代表取締役、九条蒼真様より――』 和江は顔を上げた。 写真で何度も見た男が、ステージへ上がる。「あの人……」 美月の恋人。 拓也の代わりに、美月の隣にいる男。 そして、自分よりもずっと自由に孫のそばにいられる男。 蒼真は短く挨拶を終えると、関係者とともにステージを降りた。 和江は人混みの向こうに、その姿を目で追った。 何人もの人に声をかけられながら、蒼真が関係者用のスペースへ向かっていく。 今なら。 直接話せるかもしれない。 一歩、踏み出す。 だが、すぐに人の流れに遮られた。「すみません」 人の間を抜けようとする。 蒼真との距離は、少しずつ離れていった。「九条さん!」 思わず声を上げる。 周囲の何人かが振り返った。 けれど、蒼真には届かなかったらしい。「九条さん!」 もう一度呼ぶ。 今度は
仕事を終えた拓也は、帰宅するなり母を探した。「母さん」「おかえり。今日は早かったのね」「九条の会社に行った?」 和江の動きが止まった。 ほんの一瞬だったが、それだけで答えは分かった。「……行ったわよ」「なんで?」「話したいことがあったから」「俺、何もしないでって言ったよね?」「美月さんたちのところには行ってないでしょう?」 やっぱり。 拓也は額を押さえた。「そういう意味じゃないよ」「じゃあ、どういう意味なの?」「勝手に動くなってことだよ」「だったら最初からそう言ってくれればよかったでしょう」「言ったよ!」 思わず声が大きくなる。 和江は不満そうに眉を寄せた。「大声出さなくても聞こえるわよ」「母さんが九条の会社に行ったって、また弁護士から連絡来たんだよ」「そう」「そう、じゃないだろ」「別に騒いでないわよ。受付で九条さんに会わせてくださいってお願いしただけ」「会えたの?」 拓也は反射的に聞いた。 和江がじっと拓也を見る。「会えてないわよ」「……そっか」「何よ」「いや」 拓也は視線を逸らした。 自分は何を期待していたのだろう。「でも、伝言はお願いしたわ」「何て?」 また、すぐに聞いてしまった。「拓也」「何?」「あなた、私に怒ってるんじゃないの?」「怒ってるよ」「だったら、どうしてそんなに聞きたがるの」 拓也は答えられなかった。 和江はため息をついた。「美月さんと付き合うことについて、私が口を出すつもりはないって言ったわ