LOGIN二度と戻らないと決め、彼女は姿を消した。 19歳の越山珠莉(こしやま しゅり)は、兄の親友であり、警察特別機動隊員の星野和也(ほしの かずや)と、禁断の一夜を過ごした。 だが、その結末はあまりにも残酷だった。「ただの過ちだ」と言い放ち、彼は冷たく彼女を突き放したのだ。 2週間後、珠莉は自分が妊娠していることに気づく。しかも、和也には最初から婚約者がいた。絶望した彼女は、誰にも行き先を告げず、跡形もなく姿を消した。 7年後、和也はついに彼女を探し出す。 珠莉はたったひとりで、必死に娘を育てていた。 だが実は、和也はあの婚約者とは結婚していなかった。その長い歳月、彼もまた、ずっと珠莉を探し続けていたのだ。 陽菜が自分の娘だと知った今、彼は失われた家族を取り戻そうと、強い執念を燃やしている。 けれど珠莉は、かつて自分の心を粉々に打ち砕いた男に、二度と心を許すつもりはない。 親権をめぐって激しく対立し、断ち切ったはずの想いが再び燃え上がる中、2人はやがて、隠されていた真実と向き合うことになる。 あの日、彼が珠莉を突き放したのは、自分の中にある深い闇から彼女を守るためだったこと。そして珠莉自身もまた、ふたりの未来のために足掻くことを諦め、ただ逃げ出してしまったのだという事実を。 すれ違ったふたつの魂は、過去の傷跡を乗り越え、もう一度、美しい未来を紡ぐことができるのだろうか――
View More珠莉視点その番号は、ある木曜の夜、知らない番号として表示された。もう少しで、鳴りっぱなしにするところだった。7年間、身を隠してきたせいで染みついた警戒心もあったし、見知らぬ着信などたいていは間違い電話か勧誘で、付き合う気力もなかったからだ。4回目の呼び出し音で、私は電話に出た。何かが、そうさせた。何なのかは、自分でもわからない。理屈では説明できない直感だった。「……珠莉」世界が揺らいだ。私は膝の力が抜け、思わずキッチンの椅子にへたり込んだ。電話を耳に押し当てたまま、名づけようのない感情で全身ががたがたと震え出した。間違いなく兄、遼の声だった。実に7年ぶりだった。この7年間、直接その声を聞いたことは一度もなかった。思い出してみれば、一度だけ電話をかけたことがある。ごく短く、私が家を出てから18か月ほど後のことで、あのときも公衆電話からだった。沈黙があまりにも耐えがたかったからだ。電話をかけた相手は父だけで、兄にはかけなかった。兄は父よりずっと感情的になりやすい人だったから、私は、自分がどこにいるかを伝えなかった。事態が悪化する前に、電話を切った。それが、6年前のことだった。兄の声は変わっていなかった。年を取ったのか、少しかすれていた。でも、それはやはり遼だった。父の職場の駐車場で自転車の乗り方を教えてくれた兄。私の皿から野菜をこっそり取ってくれた兄。怖がっているときはいつも、思っているほど悪くないよと慰めてくれた兄。「……兄さんっ」私は言った。両手が震えていた。空いているほうの手をキッチンのテーブルに強く押しつけ、どうにか震えを止めようとする。「お前の居場所は知ってる」彼は言った。声は抑えられていた。電話をかける前に、意識的に落ち着かせたような口調だった。「陽菜のことも聞いた」震えがさらに激しくなった。「……和也が話したのね」私は答えた。それは疑問文ではなかった。ほかに考えられなかったのだ。遼が私を見つける方法などない。この7年間、私はずっと慎重にしてきた。私の防御を突破できたのは、和也と彼が雇った調査員だけだった。そして今、和也はその情報を使って、こんなことをしたのだ。私の同意も、相談もなしに。別の種類の怒りが、こみ上げてきた。7年前の彼の行いに対
和也視点俺はグランビューホテルに6週間滞在していた。1泊40万円。今の俺にとっては取るに足らない額だが、同時に重苦しい象徴でもあった。なにしろ、プレジデンシャルスイートに住む必要など、俺にはなかったのだ。俺は、湿気で天井に染みが浮いたような、2部屋しかないぼろアパートで育ったのだ。親父はいつも、毎月1日を迎える前に、家賃まで酒代に使い果たしてしまうような男だった。今の俺に金があるのは、それを血の滲むような努力で稼いだからだ。金のない苦しさを味わい尽くした人間だけが持つ、あの泥臭い執念とともに。だが俺は、快適さと人生の豊かさを、これまで一度も取り違えたことはなかった。池町通りのその物件は、珠莉の住まいから車で20分の距離にあった。3LDKで、機能的なキッチンがあり、建物のエレベーターはきちんと動いていた。この点だけは絶対に譲れなかった。珠莉のアパートのエレベーターは俺が来る前からずっと壊れたままで、彼女は毎日買い物袋を提げ、6歳の子どもを連れて4階まで階段を上り下りしていたのだから。俺は、すぐには彼女にこの住まいのことを伝えなかった。彼女は弁護士を通じて住所を知っていて、俺の現地の連絡先も把握していたけれど、俺自身から直接話すことはしなかった。珠莉はすでに、抱えきれないほど多くのことに直面している。だから、急激な変化を押しつけるのではなく、少しずつ時間をかけて日常に溶け込ませていきたかった。……俺はそう、自分に言い訳をしていた。結果的に、その役目を果たしてくれたのは陽菜だった。それが明らかになったのは、水曜のいつもの公園での面会のときだった。前の週、陽菜は俺の家にベッドがあるのか、毎晩ホテルに泊まっているのかと尋ねてきた。今は自分のアパートがあるのだと説明すると、彼女はいつもの賢さでその情報を素早く頭に入れた。その翌日、彼女はまったく別の長いおしゃべりの途中で、いかにも些細なことのように珠莉にそのことを漏らしたらしい。「パパにはアパートがあるんだって」陽菜は、おそらくそんなふうに言ったのだろう。「ゲストルームがあって、私の部屋になるかもしれないって言ってた」その部屋のことは、俺が何気なく口にしただけだった。珠莉がこんなに早く反応してくるとは、思ってもいなかった。その夜、彼女は俺に電話をかけてき
和也視点ある火曜の朝、徳弘から電話がかかってきたとき、俺は賃貸契約書に署名しているところだった。俺は、スマホを鳴らしっぱなしにしておいた。池町通りにあるビルの3階、新居へ最初の段ボール箱を運び込んでいる最中にも、着信音は鳴り響いていた。それでも俺は、スマホを無視し続けた。搬入業者がベッドフレームとひとまず使えそうなソファ、とりあえず使えそうなダイニングテーブルなど、すべての荷物を運び終えた頃には、4件の不在着信と、こんなメッセージが残されていた。【まだあの街にいるのは知ってる。もう6週間だぞ。防災関連事業の契約会議は11日後だ。2社の顧客が、お前がどこにいるのか聞いてきてる。折り返せ。さもないと、そっちに飛んでいく】俺はようやく徳弘に折り返した。彼とは、4年前から共同経営者としてやってきた。俺が投資事業を本格的に組織化しようとしていた矢先に出会ったのだ。彼には俺に欠けている実務的な頭脳があり、俺には彼が必要としていた防災・危機管理分野の人脈があった。ふたりの関係はずっと良好だった。握手を交わし、有能な弁護士を雇うだけで十分だった。それ以上、関係を必要以上に形式張ったものにする必要など、一度も感じなかった。41歳になる徳弘は几帳面な男で、ある種の有能なビジネスマン特有の資質を備えていた。あらゆる角度から検討し尽くさなければ、絶対に決断を下さないタイプだ。彼は俺の決断の早さを「驚異的に効率的だが、同時に心底恐ろしい」と評していた。彼にとってそれは俺の最大の長所であり、同時に絶えず神経をすり減らす最大の要因でもあるらしかった。「そっちに6週間もいるだろう」電話に出るなり、彼は言った。「ああ、知ってる」「契約会議は11日後だ」「それも知ってる。事前準備は全部お前に任せる。書類を送ってくれ。今夜目を通して、週末までに意見を送る」沈黙があった。「和也。いったい何があったんだ」俺は部屋を見渡した。家具は揃っているものの、生活感がなく、まだ誰も暮らしていない空間特有の冷たさが漂っていた。真っ白なキャビネットが並ぶキッチン、夕暮れには美しい残照を映すであろう西向きの窓。そして、もう一つの寝室。そこはいずれ6歳の娘の部屋になると、俺はすでに心の中で決めていた。「ここに、家族がいるんだ」
珠莉視点「これ、大きい箱のやつ、買ってもいい?」陽菜が尋ねた。24色の水彩絵の具のセットを手にしている。「欲しいものは何でもいいぞ」和也が言った。陽菜はその絵の具セットを、彼が持っている小さなかごに入れ、次の棚へ向かった。私はそのとき、丸筆が並ぶ棚を眺めていた。買うつもりはなかったけれど、彼女の質問が耳に入ってきた。その声は、はっきりとして率直だった。彼女が、たいていの疑問を口にするときの、いつもの調子で。「ねえ……」彼女は言った。「私のパパになってくれる?」私の周りだけ、時間がぴたりと止まった。周囲の物音は続いていた。レジのカチャカチャという音、入り口近くの小さなスピーカーから流れる音楽、店内のざわめき。それでも、私のすぐ近くだけ、すべてが凍りついたようだった。私は振り返らなかった。展示棚の前で動けないまま、6号の丸筆を指に挟み、ただじっと待った。和也が小さく息を呑む気配がした。ため息ではない。ゆっくりと深く、息を吸う音だった。それから服がこすれる音がして、彼がしゃがみ込んだのがわかった。声の響き方がわずかに変わり、今度は低い位置から聞こえてきた。そこでようやく、私は振り返った。彼は画材店の通路の真ん中で、片膝をついていた。陽菜は彼の前にまっすぐ立ち、水彩絵の具の箱を胸に抱きしめながら、彼をじっと見つめていた。しゃがみ込む直前、彼は私のほうをちらりと見た。その視線には、無言の問いが込められていた。彼を簡単に安心させるつもりはなかった。けれど、冷たい表情を作るより先に、私はほんのわずかにうなずいていた。「俺は、ずっと前から陽菜のパパだったんだ」彼の声は落ち着いていて、まっすぐで、一切の飾り気がなかった。「ただ、俺自身が知らなかっただけだ。でも、今は知ってる」陽菜は彼を見つめた。「どうして知らなかったの?」一瞬の沈黙。けれど、それはすぐに過ぎ去った。「少し複雑な事情があったんだ。でも、一番大事なのは、今の俺がちゃんと知ってるってことだ」陽菜は、その答えをじっくり考えた。腕を組み、首をかしげる。「じゃあ、ずっといてくれる?」「もうどこにも行かないよ」彼は答えた。彼女はもう少しのあいだ、彼を見つめていた。何かを決める前に見せる、あの真剣な表情で。それから、彼女の