Se connecter翌日。
拓也は近所のドラッグストアにいた。
目的は決まっている。
美月が帰ってきた時に必要なものを揃えるためだ。
「シャンプー……これだったよな」
棚に並んだ商品を見比べる。
美月が以前使っていたもの。
同じパッケージを見つけ、かごへ入れた。
次は歯ブラシ。
洗顔料。
化粧水。
拓也は店内を歩きながら、以前家にあったものを思い出していく。
「これも使ってた気がする」
正確には覚えていない。
それでも、見覚えのある商品を次々とかごへ入れた。
会計を済ませる頃には、袋が二つになっていた。
家へ戻ると、和江が驚いた顔をする。
「ずいぶん買ったのね」
「美月の」
「全部?」
「うん」
拓也は袋を持って、自分たちが夫婦で使っていた部屋へ向かっ
数日後。 美月は健診のため、病院を訪れていた。 診察を終え、医師から今回も問題ないと聞いて、ようやく緊張がほどける。「ありがとうございます」 診察室を出たあと、美月は少し迷ってから受付へ向かった。「あの、相談したいことがあるんですけど」「はい。どうされましたか?」「夫のことで……」 受付の女性が美月を見る。「できれば、夫が来ても私のことを教えないでほしいんです」 言葉にすると、胸がざわついた。「今、離婚の話し合いをしていて、直接会うことも避けています」「そうなんですね」「以前、この病院の近くで待っていたこともあって……」 正確には、以前病院で偶然拓也に見つかった。 けれど今となっては、また来る可能性を考えずにはいられない。「少々お待ちください」 受付の女性は奥の職員へ声を掛けた。 しばらくして、美月は別の場所で詳しい事情を説明することになった。 現在、離婚調停中であること。 警察にも相談していること。 本人への直接の連絡を控えるよう言われているにもかかわらず、実家へ第三者を使って手紙を届けてきたこと。「夫が来た場合、私の予約日とか、通院しているかどうかを教えないでもらえますか?」「もちろん、患者さんの受診状況や予約について、ご本人の同意なくお答えすることはできません」「良かった……」「ご不安があるということですので、院内でも情報を共有しておきますね」「お願いします」 美月は頭を下げた。 こんな相談までしなければならない。 少し前なら、申し訳ないと思っていたかもしれない。 けれど今は違う。 自分と子どものために必要なことだ。 診察を終えて病院を出ると、蒼真の車が待っていた。
次の調停の日がやってきた。 美月は前回と同じように、藤崎と家庭裁判所を訪れていた。 緊張していないわけではない。 けれど、前回ほど身体は強張っていなかった。「お気持ちに変わりはありませんか?」 調停委員に尋ねられ、美月は頷く。「はい。離婚したいです」「ご主人は、今回も夫婦関係を続けたいと希望されています」「そうですか」 予想していた。「ご主人からは、生活を立て直すために仕事を探しているというお話もありました」「はい」「今後は家族を大切にしたいと。その点を踏まえても、お気持ちは変わりませんか?」「変わりません」 美月は迷わず答えた。「拓也がこれからどうするかとは別に、私はもう一緒に暮らしたくありません」「分かりました」 調停委員は静かに頷いた。「では、そのご意向としてお伝えします」 美月は小さく息を吐く。 前回と同じだ。 拓也が何を約束しても、自分の答えは変わらない。 しばらくして、今度は拓也が調停室へ入った。「奥様は、離婚の意思に変わりはないとのことです」「……またですか?」「はい」「俺が仕事を探してることは伝えました?」「お伝えしています」「もう浮気もしないってことも?」「夫婦関係を改善したいというご意向についてもお伝えしています」「それでも?」「はい」 拓也は黙った。 以前なら、そこで苛立っていたかもしれない。 けれど今日は違った。「分かりました」 調停委員が少し意外そうに拓也を見る。「離婚に同意されるということでしょうか?」「違います」 拓也は穏やかに答えた。「離婚はしません」「そ
翌日。 拓也は近所のドラッグストアにいた。 目的は決まっている。 美月が帰ってきた時に必要なものを揃えるためだ。「シャンプー……これだったよな」 棚に並んだ商品を見比べる。 美月が以前使っていたもの。 同じパッケージを見つけ、かごへ入れた。 次は歯ブラシ。 洗顔料。 化粧水。 拓也は店内を歩きながら、以前家にあったものを思い出していく。「これも使ってた気がする」 正確には覚えていない。 それでも、見覚えのある商品を次々とかごへ入れた。 会計を済ませる頃には、袋が二つになっていた。 家へ戻ると、和江が驚いた顔をする。「ずいぶん買ったのね」「美月の」「全部?」「うん」 拓也は袋を持って、自分たちが夫婦で使っていた部屋へ向かった。 美月が出ていってから、ほとんど変わっていない。 空いている場所へ、買ってきたものを一つずつ置いていく。 洗面所には新しい歯ブラシ。 浴室にはシャンプー。 棚には洗顔料と化粧水。「これでいいか」 拓也は少し離れて眺めた。 足りないものは、美月が帰ってきてから買えばいい。 何を使いたいのか、その時に聞けばいい。「拓也」 和江が洗面所を覗く。「これ、開けない方がいいんじゃない?」「なんで?」「いつ帰ってくるか分からないでしょう」「でも、すぐ使える方がいいじゃん」「歯ブラシくらいは袋のままでいいんじゃない?」「……それもそうか」 拓也は歯ブラシだけ元の包装へ戻した。 その顔は真剣だった。 美月を困らせないために準備している。 本人
数日後。 和江が掃除をしていると、拓也が廊下を何度も行き来していた。「さっきから何してるの?」「ちょっと片付けようと思って」「珍しいわね」 拓也は返事をせず、家の中を見回した。 美月が出ていってから、そのままになっているものも多い。 もちろん、美月が持っていったものもある。 けれど拓也には、それが一時的なことのように思えていた。「赤ちゃんが来るなら、物多いよな」 和江が振り返る。「赤ちゃん?」「うん」 拓也は当然のように答えた。「帰ってきた時に危ないものがあったら困るだろ」「……そうね」「この辺も片付けた方がいいかな」 拓也はリビングの棚を見る。 赤ちゃんが生まれて、すぐに歩き回るわけではない。 そんなことは考えていなかった。 ただ、美月と子どもが帰ってくる。 そのための準備をしておきたかった。「母さん、この棚使ってる?」「上の方は使ってるけど」「じゃあ下だけ空けてよ」「何を入れるの?」「赤ちゃんのもの」 まだ、ガーゼハンカチ一枚しかない。 それでも拓也の中では、そこはもう子どものための場所だった。「ベビーベッドって必要かな」「さあ。美月さんに聞かないと分からないんじゃない?」「今は聞けないから」 拓也はスマートフォンを取り出す。「調べればいいよ」 ベビーベッド。 ベビー布団。 哺乳瓶。 おむつ。 次々と検索する。「結構いろいろいるんだな」「生まれる前に全部買う必要はないでしょう」「でも、帰ってきて何もなかったら困るじゃん」 帰ってくる。 和江も、もうその言葉に何も言わなかった。 拓也は商品を眺めながら、楽しそうにしている。「これ、かわいいな」 小さなベビー服だった。 淡い色のロンパース。「サイズ分かんないけど」「生まれてからでいいんじゃない?」「そうかな」 拓也は少し迷って、画面を閉じた。「じゃあ、今は場所だけ作っとく」 その日の午後。 拓也は棚の下段を空にした。 中に入っていたものを別の場所へ移し、きれいに拭く。 そして、一枚だけ持っているガーゼハンカチを置いた。「……よし」 何もない棚。 その真ん中に、小さなハンカチだけが置かれている。 拓也は満足そうに眺めた。 一方。 美月はサービスアパートメントで、藤崎と電話をしていた。『次回も
それから数日。 美月はサービスアパートメントで、穏やかな時間を過ごしていた。 拓也からの電話もない。 実家に手紙が届くこともない。 藤崎からも、新たな接触についての連絡はなかった。「最近、静かですね」 昼食を終えたあと、美月が呟く。「ご主人のことですか?」「はい」 蒼真に聞かれ、美月は頷いた。「何もない方がいいのに、何もないと逆に気になっちゃって」「また何かあるのではないかと?」「……たぶん」 電話に出なければ、別の番号から掛けてきた。 会うことを拒めば、実家へ手紙を届けてきた。 何度もそんなことが続いたせいで、静かな時間にも身構えるようになっていた。「でも、ずっと気にしてても仕方ないですよね」 美月は苦笑する。「次の調停もあるし、今は自分のことを考えます」「それがいいと思います」 蒼真はそれ以上、拓也の話を続けなかった。 そのことに、美月は少しほっとした。 一方。 拓也はスマートフォンのカレンダーを眺めていた。 次の健診だと予想した日まで、まだしばらくある。「長いな……」 待っていればいい。 そう決めたはずなのに。 数日経つと、もう美月の様子が気になっていた。 あの日見た美月。 以前より丸くなった腹。 隣を歩く九条。 思い出すたび、胸の奥がざわつく。「俺の子なのに」 何度目か分からない言葉を呟く。 その時、ふと思った。 病院へ行く時しか、美月は外に出ないのだろうか。 買い物。 食事。 散歩。 普通に生活しているなら、ほかにも外へ出るはずだ。「……どこに住んでるんだろ」 以前から気になっていた。 九条が用意したサービスアパートメント。 それ以上は分かっていない。 調べようとしても、九条が経営する会社の情報ばかり出てきて、美月の居場所にはたどり着けなかった。「まあ、いいか」 拓也はスマートフォンを置いた。 無理に探す必要はない。 病院なら分かっている。 また会える。 そう自分に言い聞かせた。 けれど翌日。 拓也は、また病院の最寄り駅にいた。「……近くまで来ただけ」 もちろん、今日は健診ではないだろう。 それでも、もしかしたら。 そんな気持ちがあった。 前回と同じように、病院から少し離れた場所を歩く。 正面玄関が見える場所まで来て、拓也は足を止めた。
美月が病院へ入ったあとも、拓也はその場を離れなかった。 どれくらい待てば出てくるのかは分からない。 けれど、帰るという考えはもうなくなっていた。 近くの店に入り、窓際の席へ座る。 そこからなら、病院の正面が見えた。「別に待ってるわけじゃない」 拓也はコーヒーを飲みながら呟いた。 少し休んでいるだけ。 美月が出てきても、話しかけるつもりはない。 ただ元気そうか確認する。 それだけだ。 一時間ほど経った頃。 病院から、美月と蒼真が出てきた。 拓也はすぐに身体を起こした。「出てきた」 美月は手に小さな紙袋を持っている。 蒼真と何か話しながら歩いていた。 その表情は明るい。 拓也の胸がざわつく。 自分と暮らしていた頃、美月はあんなふうに笑っていただろうか。「……九条がいるからって」 拓也は唇を噛んだ。 けれど、すぐに別のことへ気付く。 美月がお腹へ手を添えた。 ほんの一瞬だった。 それだけで、拓也の視線はそこへ釘付けになる。「俺の子……」 あそこにいる。 見えないだけで、確かに自分の子どもがいる。 なのに、自分だけが何も知らない。 今日の健診で何を言われたのか。 順調なのか。 予定日はいつなのか。「なんで九条は知ってるんだよ」 拓也の中で、苛立ちが膨らんだ。 夫である自分が知らないことを、九条は知っている。 それはおかしい。 順番が逆だ。 そう思った。 美月たちが車に乗り、走り去る。 拓也はその車を追わなかった。 今日は、それで満足だった。 美月を見ら







