LOGIN時に、見えないものを指し示すためにも使う。 かつてローゼン自身が言った言葉に近い。 グラナート夫人は、しばらく黙っていた。 やがて、静かに言う。 「あなたは、本気で社交界を変えるおつもりなのね」 「届かなかった膝掛け一枚分くらいは」 「一枚?」 「いえ」 ローゼンは微笑んだ。 「三十枚分でしたわね」 部屋に、静かな緊張が走った。 これで、ローゼンは確実に敵を作った。 グラナート侯爵夫人は、彼女を許さないだろう。 少なくとも当分は。 高位夫人の一部も反発する。 ローゼン侯爵夫人は王宮に媚びた。 社交界の伝統を壊した。 善意を帳簿へ売り渡し
「あの」 声は小さい。 だが、全員が彼女を見た。 若い男爵夫人は一瞬ひるんだが、膝の上の手を握り直した。 「私は、空欄を出します」 ローゼンは彼女を見る。 リント夫人は続けた。 「昨年の毛布の件です。商会報告はあります。でも、孤児院からの受領確認がありません。礼状にも品目名がありませんでした」 数人の夫人が、わずかに目を伏せた。 それは、同じ経験がある顔だった。 寄付はした。 礼状は来た。 でも、本当に品物が届いたかまでは見ていない。 リント夫人は声を震わせながら言った。 「以前なら、商会報告があるから届いたことにしていたと思います。でも、今は
夫人たちの視線が集まる。 ローゼンは、カップを置いた。 音はほとんど立てない。 「自由であるべきですわ」 グラナート夫人の目が少し細くなる。 ローゼンは続ける。 「ただし、届いたふりをする自由は、いりません」 空気が変わった。 ホルスト伯爵夫人が、わずかに扇を持ち直す。 リント男爵夫人は緊張した顔で膝の上の手を握った。 グラナート夫人は、笑みを消さない。 「随分と強い言葉ですこと」 「実際に強い出来事がございましたから」 「あなたの茶会が利用された件ですか」 「ええ」 ローゼンは逃げなかった。 社交界で、自分の失態を自分から口にすることは勇気
社交界の噂は、香水より早く広がる。 しかも厄介なことに、香水より薄められにくい。 一度どこかの茶会で囁かれた言葉は、翌日には別の屋敷のサロンで少し形を変え、三日後にはまるで昔からあった事実のような顔をしている。 ローゼン侯爵夫人は、それを誰よりもよく知っていた。 だから、自分に向けられている噂も、当然知っていた。 ――ローゼン侯爵夫人は、王宮の若い顧問に取り込まれたらしい。 ――社交界の善意まで帳簿に載せるなんて、無粋にもほどがありますわ。 ――あれでは、夫人方がまるで商会の帳簿係ですわね。 ――慈善とは、心ですのに。 ――いえいえ、ローゼン様はご自分の茶会
添付忘れが四件。 保管場所不明が七件。 実確認者名なし、六件。 前年踏襲のみ、五件。 文言不備、三件。 支出先不明、二件。 本当に緊急、優先度高が一件。 「半分近くが、資料の置き場所か添付漏れですね」 トーマが言った。 「ということは」 クラリスは頷く。 「王太子府が止まっている理由の半分は、判断ではなく資料管理です」 ジュリアスが深く息を吐いた。 「耳が痛いな」 「でも、改善できます」 クラリスは言った。 「根拠資料台帳と提出前確認欄で、かなり減らせるはずです」 ライオネルが表を見つめていた。 「……差し戻しが多いのではなく、資料の扱
「笑ってはいません。分類し甲斐があると思っただけです」 「それも大概です」 ジュリアスが、差し戻し理由の仮分類表を差し出した。 「トーマが作った」 クラリスは表を見る。 根拠資料不足。 実確認者名なし。 前年踏襲のみ。 支出先不明。 文言不備。 本当に緊急。 悪くない。 むしろ、初動としてはかなりよい。 「まず、この分類で十分です」 トーマがほっとした顔をした。 だが、クラリスは続けた。 「ただし、“本当に緊急”は差し戻し理由ではなく、処理優先度です。別欄にしましょう」 「あ……そうですね」 トーマがすぐに書き直す。 「それから、