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第155話

Author: 三佐咲美
もう、どれくらいぶりだろう。慎一がこんな目で私を見るのは。

ほんの数時間前まで、彼は信じられないほど優しくて、私を見るその瞳には、比べようもないほどの深い愛情が宿っていた。

なのに、今の彼は目を細めて、目の奥に苛立ちを浮かべている。「外で立ち聞きでもしてたのか?」

私は深呼吸して、わざと気楽そうに笑ってみせた。「言っちゃったこと、今さら誰かに聞かれたくらいで、怖がる必要ある?

それとも……私にだけは知られたくなかったの?」

長い間、朝も夜も顔を合わせてきた彼のその顔を見つめながら、胸の奥が複雑な感情でいっぱいになる。

愛してる?いや、そんな大層なもんじゃない。だって、何度も何度も彼に心をズタズタにされたんだもの。

じゃあ、憎んでる?それも違う。私だって悪いとこあるの分かってるし、彼に全てを求めるつもりもない。

たぶん、頭良いつもりで全部見抜いたつもりが、結局は彼に全部あしらわれて、惨めで、恥ずかしくて、プライドは地に落ちて……そのせいで、私はひどく傷ついて、こんなにも絶望してるんだ。

私と彼の間だけ、時間が止まったみたいだった。ずいぶん長いこと、私は彼を見つめていた。そして、ようやく心の中でひとつの結論に辿り着いた。

この男は、嘘をつくような人間じゃない。

つまり、彼の言葉は全部本心だ。私への想いなんて、最初から無かった。ただ、「悪くない」だけ。

私が問い詰めたとき、何か適当な言い訳でもしてくれたら――そんなことすら、なかった。

もしかして、真思が彼に持ってきた水に毒でも盛ったんじゃ?と疑うほど、彼はまた昔みたいに冷たく、無表情になっていた。

「慎一」私は呼ぶ。「私に、何か言いたいことないの?」

「何を?」ようやく口を開いた彼の声は、感情のカケラもなかった。「お前は今、感情的すぎる。今何を言っても、全部歪んで聞こえるだろう。少し落ち着いてから話そう」

「本当に、理性的だね」

女は誰だって、慰められたいものだ。私だって例外じゃない。「証拠、まだ私の手元にあるの。雲香のためだって言うなら、少しくらい綺麗事でも言ってくれてもいいんじゃない?」私は自嘲気味に笑った。

慎一の前でこんなふうに口が立つ自分なんて、初めてだ。

私は自分を武装して、無関心を装って、彼から受けた屈辱を、全部そのまま返してやろうとしてた。

この「お互い同意の上」の
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