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第七話「突然の帰省」

Auteur: ひなた翠
last update Date de publication: 2026-02-11 09:13:13

 自分の部屋でベッドに横になりながらスマホを眺めていると、階下から騒がしい声が聞こえてきた。何事かと思い、スマホを手に持ったまま部屋を出て廊下に立つと、声が聞こえてきた。

 階段を降りながら玄関を覗き込むと、スーツ姿の義兄、伊織が立っていた。長期休みにしか帰ってこない兄さんが、平日の何でもない日に帰宅するなんて予想もしていなくて、心拍数が跳ねあがる。

(なんで兄さんが――)

「伊織くん、どうしたの?」

 母が驚いた声を上げ、義父が心配そうに兄さんの顔を覗き込んだ。

「体調でも悪いのか」

 父の問いかけに、兄さんは首を横に振って答える。

 僕は階段を降りながら、いつも通りを装って声をかけた。

「兄さん、おかえりなさい。珍しいね」

 僕の声が聞こえた瞬間、兄さんの肩が一瞬だけ強張ったように見えて、視線がこちらに向けられた。スーツ姿のまま、カバンを手に持っている兄さんは、会社から直接、実家に帰ってきたのだろう。

 明日だって会社があるはずなのに、なぜ実家に帰ってきたのだろうか。

(まあ……原因は僕なんだろうけど)

「どうしましょう」

 母が困った声を上げ、おろおろといろいろな方向に身体を向ける。

「せっかく伊織くんが帰ってきてくれたのに、夕食が……」

「急に帰ってきたのは俺ですから、気にしないでください」

 兄さんが丁寧に答えたが、母は首を横に振った。

「でもお腹、減ってるでしょう?」

 母の心配そうな声に、僕は咄嗟に言葉を発していた。

「じゃあ、兄さんが僕の分を食べて」

 僕の言葉に、全員が一斉に僕の顔を見つめてきた。母、父、兄さん。三人の視線が突き刺さり、息が詰まりそうになる。

「千景?」

 母が首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。

「実はさっきバイト先から連絡が入ってさ。急遽、出ることになって」

 嘘を重ねながら、心臓が早鐘を打つ。母は僕の顔をじっと見つめ、疑うような視線を向けてきた。

「今日は休みじゃないの?」

「風邪で来れない子がいるんだって。代わりに出てくるよ。帰りも遅いから」

 スマホを手に持ったまま、階段を降りて玄関へと向かう。靴箱から靴を取り出し、急いで履いていった。

 両親からいろいろ質問されるまえに、家を出ないとボロを出してしまいそうで怖い。

「バイトって?」

 兄さんが質問してきて、背中に視線を感じる。長期休みにしか帰ってこない兄さんは、僕がバイトしているのを知らないのだろう。

 家族との時間を大切にしたいと、兄さんが帰宅するときはバイトを休ませてもらっていたから。

「飲食店。じゃ、行ってくるね」

 にこっと作り笑顔を浮かべて振り返り、三人に手を振る。母と父は困惑した表情を浮かべていて、兄さんは無表情のまま僕を見つめていた。

 玄関の扉を開けて外に出ると、冷たい空気が一気に肌を刺した。薄着のまま家を飛び出してきたことに気づき、身体が震える。

(しまった……携帯しか持ってないうえに、上着もない)

 今更、家に戻るのも恥ずかしい。

「さむっ」

 両腕を抱えて身体を温めようとしたが、秋の夜の冷気は容赦なく肌に突き刺さってくる。早足で家を離れた。

 徒歩十五分のところにある玲司のマンションに着くと、エントランスで呼び鈴を鳴らした。インターホンから玲司の声が聞こえてくる。

「千景? 合鍵持ってるだろ?」

「今、スマホしか持ってなくて……開けてほしい」

 少しの沈黙の後、自動ドアが開く音が響いた。中に入り、エレベーターで玲司の部屋があるフロアへと上がっていく。

 玄関前に到着すると、すでに玲司がドアを開けて待っていてくれた。手にはフリースを持っていて、僕が近づくと黙って肩にかけてくれる。温かい生地が肌に触れ、じわりと温もりが広がっていった。

「ココアでいいか?」

 玲司が短く尋ね、僕は頷いた。

「ありがとう」

 室内に入り、リビングのソファに腰を下ろす。玲司はキッチンへと向かい、鍋を火にかけて牛乳を温め始めた。ココアパウダーを混ぜる音が聞こえ、甘い香りが部屋に広がっていく。

 玲司が完成したココアをマグカップに注ぎ、テーブルに置いてくれた。湯気が立ち上り、温かさが手のひらに伝わってくる。

「ここに来た理由を聞いてもいいか?」

 玲司が僕の隣に座り、静かに問いかけてきた。切れ長の目が僕を見つめ、答えを待っている。

「兄さんがいきなり帰ってきて、バイトって嘘をついて家を出てきた」

 ココアを一口飲み、甘さが口の中に広がる。今日は店の定休日だから。玲司は家にいると思って、尋ねた。

「――泊まっていくか?」

 玲司が優しい声で提案してくれたが、僕は首を横に振った。

「ううん、帰る。バイトが終わる時間に合わせて帰るよ」

「そうか」

 玲司が短く答え、それ以上は何も言わなかった。

 僕はスマホを開き、母親にメッセージを送った。「鍵を持っていくのを忘れたから、玄関の鍵を開けておいて」と打ち込み、送信ボタンを押す。すぐに母から返信があり、「了解」のスタンプが画面に表示された。

「あの後、お兄さんと話ができたのか?」

 玲司が静かに尋ね、僕はスマホから顔を上げた。

「してない。だから帰ってきたんだと思う。わからないけど」

 曖昧に答えると、玲司は小さくため息をついた。

兄さんは『考えとく』と言ったから、てっきり有耶無耶にするのかと思っていた。このまま、なんとなき時がすぎて、年末年始に兄さんが帰省。ふんわり家族と過ごして、「ちか」という存在はなかったことにすると予想していたのだが――もしかしたら違うのかもしれない。

「どうするんだ?」

「――わからない。兄さんの出方次第、かな」

 僕から動くことじゃないと思うから。

 兄さんが「ちか」を必要とするなら、僕はいくらでも協力する。「ちか」がいらないのなら、僕は静かに身を引いて、義弟の立場を貫くしかない。

「千景が逃げてたら、出方もなにもないだろ」

 玲司の言葉が胸に刺さり、俯いてしまう。玲司の言う通りで、反論できなかった。

「そうなんだけど。急な帰宅で、兄さんの分の夕飯がないって母さんが言うから。思わずバイトって口走ってたんだ」

「じゃあ、千景はまだ夕飯食べてないの?」

 玲司が心配そうに顔を覗き込み、僕は頷いた。

「うん」

「何か作るよ。パスタでいい?」

 玲司が立ち上がり、キッチンへと向かう。冷蔵庫を開けて材料を取り出す音が聞こえてきた。

「ありがとう、玲司」

「どういたしまして。身体が冷えてるから、作っている間にお風呂に入っておいで」

 玲司が優しく微笑み、僕は立ち上がって浴室へと向かった。

 服を脱ぎ、温かい湯船に浸かる。身体の芯まで冷えていたことに気づき、お湯の温もりが染み渡っていくのを感じた。目を閉じて深く息を吐いた。

(帰るの……怖いなあ)

 十分に身体を温めてから浴室を出て、リビングに戻った。テーブルの上には完成したパスタが置かれていて、良い香りが漂っている。スマホの画面を見ると、着信の通知が表示されていて、「松井田伊織」という名前が目に飛び込んできて、心臓が跳ねる。

 風呂に入っている間に、兄さんから連絡があったようだった。メッセージを開くと、短い文章が表示される。

『話がしたい。バイトが終わって帰宅したら、起こして』

 文字を読んで、胸が締め付けられた。兄さんはあの日の出来事について面と向かって話すつもりでいるのだとわかる。

(僕も覚悟、決めないとな)

「どうした?」

 玲司が完成した料理をダイニングテーブルに運びながら尋ねてきて、僕はスマホを握りしめた。

「兄さんから連絡があって……。パスタを食べたら、帰るよ。作ってくれてありがとう」

 椅子に座り、フォークを手に取る。パスタを一口食べると、トマトソースの酸味と旨味が口の中に広がった。玲司の料理はいつも優しい味がして、疲れた身体に染み渡っていく。

「寒いから、家まで送ろうか?」

 玲司が心配そうに提案してくれたが、僕は首を横に振った。

「大丈夫。一人で帰れる」

 パスタを食べ終え、マグカップに残っていたココアも飲み干す。温かいものが胃に入り、少し気持ちが落ち着いてきた。

 兄さんに何を言われるか怖かったが、出した答えを僕は受け入れるしかない。どういう答えだったとしても、笑顔で受け止めよう。

「ごちそうさま。ありがとう、玲司」

「気をつけて帰れよ」

 玲司が玄関まで見送ってくれて、フリースを返そうとすると首を横に振られた。

「それ、着て帰れ。寒いだろ」

「でも――」

「いいから。また今度返してくれればいい。それとフラれたら、慰めてやる」

「フラれても、玲司には頼らない」

 僕の笑みに、玲司が寂しそうに笑う。僕はフリースを羽織り、靴を履いてマンションを後にした。

 夜の街を歩きながら、スマホの画面を何度も確認する。兄さんからのメッセージが表示されたまま、返信はまだしていなかった。

『バイト終わった。これから帰るけど、兄さんが寝てたら起こさない』

 仕事できっと疲れているのに、寝ているところを起こすなんて僕にはできない。寝ていたら、別日に話を聞けばいい。

 起きていたら、兄さんとちゃんと向き合おうと思う。

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  • 完璧な義兄は不完全な愛に溺れる〜義弟の甘い蜜〜   第二十七話「人事部からの呼び出し」

     俺は出勤すると自分のデスクへと向かい、鞄を置いて椅子に座った。 パソコンを起動させようとしたとき、内線電話が鳴った。受話器を取り、耳に当てる。「営業部、松井田です」『人事部の田中です。松井田部長、すぐに人事部まで来ていただけますか』 低く、事務的な声が響いた。嫌な予感が胸の奥に広がっていく。「分かりました。すぐに伺います」 電話を切ると、俺は深く息を吐いた。人事部からの突然の呼び出しと聞いて、なんだか気が滅入る。人事部と聞くだけで、緊張感が増すはなんでだろうか。 デスクの抽斗を開け、奥に仕舞っていた茶封筒を手に取ると、お守り代わりにスーツの胸ポケットにしまった。 営業部を出ると廊下を歩く。足音が響き、窓の外には青い空が広がっている。エレベーターに乗り込むと、ボタンを押した。上昇していく感覚が身体に伝わり、階数表示が変わっていく。人事部のある階で止まると扉が開いた。(空気からして重い) どんより暗い雰囲気みを感じるのは、錯覚なのかもしれないが――。営業部の階と違って、重苦しい空気が漂っている。 廊下を突き進み、人事部長の部屋の前に立つと、扉を三回ほどノックした。「どうぞ」という声が聞いてから、俺はドアを押し開ける。「失礼します。松井田です」 人事部長はすでに応接用のテーブルに座っていて、俺を見ると椅子を指差した。表情は硬く、眉間に皺が寄っている。(ああ、この表情はいいことではないな)「座ってください」 俺は促されるまま椅子に座った。人事部長が手元にあった封筒から何枚かの写真を取り出し、テーブルに並べ始める。一枚、また一枚と増えていく写真を目にして、俺の手が僅かに震えた。 全て俺と千景が写っている写真だった。 バイトの迎えに行ったときの写真。手を繋いでいる写真。キスをしている写真。親密な関係が一目で分かる構図ばかりだった。この写真には見覚えがある。つい先日、白石さんが俺に見せてきたのと同じものだ。「松井田部長、行きつけのバーの男性キャストと不適切な関係にあるという報告を受けましたが」 人事部長が一度言葉を区切ると、厳しい顔つきでこちらを見てきた。鋭い視線が俺を捉え、答えを待っている。 白石さんの密告だと分かった。俺と一対一で上手くいかなかったから、黒瀬を利用した。それも上手くいかなかったから、今度は上司を利用したのだろう。

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