Chapter: 第十一話◆幸せな日常 侯爵夫人としての生活が始まった。 朝は、エドワールの腕の中で目を覚ます。仕事がどんなに忙しくても、夜は必ず帰ってきてくれた。 外交でしょっちゅう出張だと結婚前は屋敷を開けていたのに、今は全くその気配はない。それにもし出張が入った場合は、これからは私も連れていくからと宣言されている。 離れたくないと言われてしまったら、私も嬉しくてつい「ついていきます」なんて勢いよく答えていた。 朝食も、夕食も、一緒に取る。たまに昼食も――。仕事が詰まってなければ、一度帰宅してくれるのだ。 エドワールは仕事の話をしてくれるようになった。外交機密に関することは口にはしないけれど、仕事場であった面白い話を教えてくれる。「レティシアの意見を聞きたい」 エドワールがよくそう言って、私の考えを尊重してくれる。 社交界にも、一緒に出席するようになった。エドワールが必ず隣にいてくれる。他の男性がただ挨拶目的で近づいてきても、すぐに腰に手を回してまるで「俺のだ」と言わんばかりに睨みを利かせていた。 その光景を目撃されるたびに、「嫉妬深い夫はすぐに嫌われるわよ」と、ミリエルに嗜められていた。 一時期は二人の関係を勘違いしていた私だったが、ミリエルとは友人になった。お茶会に招かれは、時間も忘れてミリエルと話し込んでしまう。夕方になると、エドワールが迎えにきて帰る――というのが今では通常の流れになっている。「エドワールったら、レティシアのことばかり話すのよ」 ミリエルが笑いながら言う。「可愛いって、綺麗だって、愛おしいって。もう、聞いているこっちが恥ずかしいわ」 頬が熱くなる。エドワールは、私のことをそんなふうに話しているのか。「お恥ずかしいです」「幸せそうで、良かったわ」 ミリエルが優しく微笑んだ。「あなたたち、本当にお似合いよ」(嬉しい) ミリエルの言葉に、私はにっこりと微笑んだ。「あの――ミリエル様は秘密の恋をしてるって聞いたのですが」 恐る恐る尋ねると、ミリエルは満面の笑みで「秘密にしているつもりはないのよ」と言い、振り返って背後に立つ男性を愛おしそうに見つめた。「騎士のリカルドよ」 凛々しい顔つきの青年だった。リカルドは私と視線が合うと、軽く頭を低くして挨拶をする。私も会釈を送る。「か、格好いいですね」「惚れちゃ駄目よ?」「惚
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Chapter: 第十話◆新婚初夜 結婚式は、夢のような時間だった。 白いウェディングドレスを纏い、バージンロードを歩く。エドワールが祭壇の前で待っていた。いつもの無表情ではなく、柔らかい笑顔で私を見てくれた。 誓いの言葉を交わし、指輪を交換した。私たちは、正式な夫婦になった。 七歳の頃からの夢が叶った。エドワールの妻になること――。 寝室に入ると、エドワールが扉を閉めた。鍵がかけられる音が響く。エドワールが振り返り、私を見つめる。熱を帯びた瞳には抑えきれない欲望が滲んでいる。「レティシア、ウェディングドレス、とても綺麗だったよ」 エドワールが囁いた。一歩、近づいてくる。(綺麗って言ってもらえて良かった) 彼に気に入ってもらえるように、吟味して選んだのだ。「ウェディングドレス姿の君は、天使のようだ」「それは……言い過ぎです」 褒め言葉に、頬が熱くなる。エドワールが私の頬に手を添えた。「今からドレスを脱がしてもいいか?」 囁きに、心臓が跳ね上がった。エドワールの手が私の背中に回り、ドレスのファスナーを下ろしていく。ゆっくりと、愛おしそうに。ドレスが床に落ち、白い下着姿になった。エドワールの視線が私の身体を這う。「美しい」 囁きに、恥ずかしさが込み上げてくる。身体を隠そうとすると、エドワールが手を掴んだ。「レティシアの全部を見たい」 真剣な声で言うとエドワールが私を抱き上げ、ベッドへと運ぶ。柔らかい感触が背中に伝わった。エドワールが私の上に覆いかぶさってくる。「今日からは、遠慮しない」 囁きが耳元で響いて、身体が反応してしまう。(今までだって、遠慮しなくて良かったのに) 彼は優しいから、私の心と身体を大切に扱ってくれていた。それはそれで、嬉しいけれどすれ違って辛い思いをするくらいなら、遠慮してほしくない。 エドワールの唇が私の唇に重ねられた。最初から深く、激しいキスだった。舌が侵入してきて、口内を蹂躙していく。息が苦しくなるほどの長いキス。離れると、糸が名残惜しく引いていった。「エドワール様……」 思った以上に甘ったるい声で名前を呼んだ。エドワールの瞳が優しく細められる。「今日からは、敬称なしで呼んでくれないか」「え……?」「エドワールと」「エドワール……」 緊張しながらも名前を呼ぶ。エドワールの表情が嬉しそうに蕩けた。「ああ、い
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Chapter: 第九話◆朝食 目を覚ますと、陽の光が窓から差し込んでいた。 全身が鉛のように重く、動かすのが辛い。腰が痛い……太腿の内側も、秘所も、鈍い痛みが残っていた。 昨夜のことを思い出し、頬が熱くなった。エドワールに抱かれて何度も求められ続けた。(嬉しい) 隣を見ると、エドワールが眠っていた。穏やかな寝顔で胸の奥が温かくなる。銀髪が乱れ、額にかかっている。思わず手を伸ばし、髪を撫でた。エドワールの瞼が動き、ゆっくりと目を開ける。「おはよう、レティシア」 掠れた声が色っぽい。エドワールが私を抱き寄せてくれる。温かくて心地よい。「おはようございます、エドワール様」 エドワールの腕の中で、安心感が全身を満たしていく。「身体は……大丈夫か」 心配そうな声でエドワールの手が私の背中を撫でる。「痛いです……少し」「すまない。激しくしすぎた」「いえ……幸せでした」 囁いた。エドワールの瞳が揺れ、額にキスを落とす。「愛している」「私も……愛しています」 抱き合ったまま、しばらく時間が過ぎた。やがて、エドワールが身体を起こした。「朝食を用意させよう」 使用人を呼び、朝食の準備を命じる。私も身体を起こそうとしたが、腰に力が入らなかった。「起き上がれません」 小さく呟いた。エドワールが私を抱き上げる。「無理をするな」 エドワールが私を抱いたまま、バスルームへと運んでくれた。温かいお湯を張った浴槽に、ゆっくりと身体を沈める。お湯が痛む身体を包み込み、痛みが和らいでいく。「気持ちいい……」 小さく呟いた。エドワールが私の髪を撫でる。「ゆっくり浸かっていてくれ。朝食ができたら呼ぶ」 エドワールが部屋を出ていく。 湯から上がると、エドワールが用意してくれた寝衣を着た。部屋に戻ると、テーブルに朝食が並べられていた。パン、スープ、果物。食欲はあまりなかったが、エドワールに勧められて席についた。「食べられるか」 心配そうに尋ねられ、頷いた。スープを一口飲む。温かく、優しい味。身体に染み込んでいく。「美味しいです」 私の言葉にエドワールが柔らかく微笑んだ。 朝食を終えると、エドワールが私を抱き寄せて移動する。ソファに座り、私を膝の上に乗せてくれた。温かい胸板に頭を預けて、私は幸せを噛み締める。「レティシア、話がある」 エドワールの真剣な声が頭上で
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Chapter: 第八話◆寝室で「歩けないだろう」 囁きに、頷くことしかできなかった。エドワールが私を抱きしめたまま、廊下を歩く。客室ではなく、別の扉の前で立ち止まった。「私の部屋だ」 エドワールが扉を開けた。寝室は暖炉の火だけが灯り、薄暗かった。 炎が揺れるたびに、影が壁を這う。中央には天蓋付きの大きなベッドがあり、深紅のカーテンが垂れ下がっている。 窓からは月明かりが差し込み、床に淡い光の帯を作っていた。空気は暖かく、木の香りが混ざり合っている。 ベッドへと運ばれ、柔らかい感触が背中に伝わった。エドワールが私の隣に横たわった。横向きになり、私の頬に手を添える。「疲れただろう」「はい……」 正直に答えた。エドワールが微笑み、額にキスを落とす。「休んでいい。ただ、隣にいさせてくれ」 優しい声。エドワールが私を抱きしめた。温かい胸板に顔が押し付けられ、心臓の音が聞こえる。規則正しく、力強い鼓動。「愛している」 囁きが頭上で響いた。「私も、愛しています」 囁き返した。エドワールの腕に力が込められ、強く抱きしめられる。 キスが落とされた。額に、頬に、唇に。優しく、愛おしむような口づけ。唇が重ねられ、舌が絡み合う。 深く、甘いキス。エドワールの手が寝衣の上から身体を撫でる。肩から腕へ、腰から太腿へ。優しく、丁寧に。「触れていいか」「はい」 エドワールの手が寝衣の紐を解き、肌を露わにしていく。冷たい空気が肌に触れ、鳥肌が立った。胸が晒され、エドワールの手が柔らかい膨らみを包み込む。大きな手が、胸を覆い尽くす。揉みしだかれ、形が変わる。「ん……」 声が漏れた。エドワールの唇が胸に移動し、先端を吸い上げた。舌で転がされ、歯で軽く噛まれる。もう片方の胸も同じように愛撫され、身体が熱くなっていく。「君の身体、全部が愛おしい」 エドワールの声が掠れていた。唇が腹を撫で、腰骨にキスを落とす。太腿を撫でられ、内側を這われる。熱が集まり、身体が反応する。「休んでいいと言ったが……悪い。もう一度、君を感じたい」 囁きに、胸が高鳴った。エドワールの瞳が私を見つめている。熱を帯びた、愛に満ちた眼差し。「はい……」 囁いた。エドワールが微笑み、私を優しく抱きしめた。 エドワールの手が私の太腿を撫で、膝を掴んで開かせた。 恥ずかしさに顔が熱くなり、目を閉じる。エ
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Chapter: 第七話◆浴室で 身体の力が抜け、ソファにぐったりと身を沈めた。 全身が疲れ果て、指一本動かすことができそうにない。エドワールが私を抱きしめたまま、額にキスを落とす。優しく、慈しむような口づけだ。「もっと一緒にいたい」 囁きが耳元で響いた。「今夜は泊まっていってくれないか」 エドワールの声が甘く、懇願するような響きを含んでいた。私は疲れた身体を起こし、エドワールを見上げた。銀青色の瞳が私を見つめている。優しく、愛おしそうな眼差しに胸が温かくなった。「私も……一緒にいたいです」 エドワールの顔がほころび、笑顔になった。柔らかく、温かい笑顔。私だけに向けられた特別な表情だと思うと嬉しい。「レティシアの家には私から伝えておく」 エドワールが微笑んだ。立ち上がり、服を整える。書斎の扉を開け、使用人を呼んだ。「客室の準備を。レティシア様が今夜は泊まられる」 命令する声。使用人が恭しく頭を下げ、準備に向かった。エドワールが私に手を差し伸べる。大きく、温かい手。手を取り、立ち上がった。足が震え、まっすぐ立てない。エドワールが私の腰を支え、身体を寄せてくれた。「歩けるか」「大丈夫です」 強がってみたものの、足に力が入らず、一歩踏み出すのも辛かった。エドワールが私を抱き上げた。腕の中で身体が宙に浮き、思わず首に腕を回す。「無理をするな」 優しく叱られ、頬が熱くなった。 廊下を歩く使用人たちが行き交い、私たちを見て目を伏せる。恥ずかしさが込み上げてきた。抱きかかえられて運ばれる姿を見られている。何があったか、察せられているだろう。 客室へと案内され、エドワールが私をベッドに降ろした。柔らかい感触が背中に伝わる。「入浴の準備が整いました」 メイドが部屋に入ってきて告げた。エドワールが頷き、私を再び抱き上げる。「一人で大丈夫です」「いや、送る」 有無を言わせない口調で浴室まで運ばれ、扉の前で降ろされた。「ゆっくり浸かっておいで」 エドワールが髪を撫でた。頷き、浴室へと入る。扉を閉め、息をついた。 浴室は湯気が立ち込めていた。大きな浴槽に温かい湯が張られ、薔薇の香りが漂っている。服を脱ぎ、身体を洗う。太腿の内側に、白濁した液体が伝っている。エドワールに抱かれた痕跡だ。頬が熱くなり、胸が高鳴った。 湯船に身体を沈めると温かさが身体を包み込み、疲
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Chapter: 第六話◆婚約破棄の申し出 侯爵邸の門をくぐる時、足が震えた。 馬車から降り、石畳を踏みしめる。一歩一歩が重く、時間が引き延ばされているように感じた。執事が扉を開け、私を中へと導く。廊下を歩く音が響き、自分の心臓の音と重なって聞こえた。「書斎でお待ちです。どうぞ」 執事が扉の前で立ち止まり、ノックをした。中から低い声が響く。「どうぞ」 扉が開かれ、私は一歩を踏み出した。書斎はいつも通り静かで、窓から差し込む午後の光が重厚な家具を照らしていた。本棚には古い書物が整然と並び、革の匂いが空気に混じっている。エドワールは窓辺に立ち、背中を向けたまま外を眺めていた。深藍混じりの銀髪が、光を受けて淡く輝いている。「レティシア」 振り返ったエドワールの顔は、いつもの無表情だった。銀青色の瞳が私を捉え、何も語らない。冷たく、遠い。私は胸が締め付けられるのを感じた。あの夜会での光景が蘇る。ミリエルと談笑するエドワール。初めて見た彼の笑顔。柔らかく、心を開いた表情。私には決して見せてくれなかった笑顔。胸が痛んだ。息を吸い込むたびに、肺が軋むような感覚があった。「エドワール様」 私は声を絞り出した。喉が渇き、声が震えそうになる。言葉を紡ぐために、唇を噛んだ。「お話があります。婚約を……解消していただきたいのです」 静寂が降りた。 時計の音だけが、規則正しく部屋に響いている。エドワールは動かず、ただ私を見つめていた。表情が読めない。拒絶されるのか、それとも安堵されるのか。心臓が早鐘を打ち、全身に血液が駆け巡っていくのが分かった。「……どういうことだ、レティシア」 低い声が響いた。 いつもと違う。感情が、声に含まれていた。驚き、動揺、何か別の感情。私は顔を上げ、エドワールを見た。銀青色の瞳が揺れている。初めて見る表情だった。「私では、エドワール様にふさわしくありません。もっと、宮廷に相応しい方が……」「誰だ?」 声が低く沈んだ。エドワールが一歩、近づいてきた。足音が床を踏む。静かで、重い音。「誰のことを言っている」「ミリエル様が相応しいかと」「――ふざけるな」 さらに近づいてくる。距離が縮まり、彼の影が私を覆った。見上げると、エドワールの顔が目の前にあった。瞳が私を捉えて離さない。「十一年だ」 囁きが耳朶を撫でた。「君が大人になるのを、どれだけ待
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Chapter: 第三話「八年ぶりの再会」 戦争終結の知らせが届いたのは、初夏の朝だった。 使用人が興奮した様子で駆け込んできて、兄からの手紙を持ってきた。私は震える手で封を開け、几帳面な兄の文字を目で追った。 戦が終わった。我が国の勝利。兄は無事で、近日中に帰還する。そう書かれた文面を読み終えると、涙が溢れて止まらなくなった。 八年間、ずっと待っていた。毎晩祈り続けた。兄とダリウスが無事に帰ってきますように、と。 戦場からの便りは少なく、時折届く手紙だけが、二人の生存を知らせる唯一の証だった。夜、ベッドの中で兄からの手紙を読み返しながら、涙を流した日々が何度もあった。 手紙を胸に抱きしめると、心臓が激しく鼓動を打った。兄が帰ってくる。ダリウスも——帰ってくる。 八年ぶりに、彼に会える。幼い頃の記憶が、鮮やかに蘇ってきた。灰青色の瞳。低い声。「一生を添い遂げてください」と囁いた、あの日。 私は窓辺に立ち、庭を眺めた。薔薇が満開に咲き誇り、甘い香りを放っている。 八年前、あの日は春だった。中庭で剣の稽古をする兄とダリウスを、私は夢中で眺めていた。ダリウスが私の手の甲にキスをした時、心臓が壊れそうなほど鳴っていた。あの感覚は、今でも鮮明に覚えている。 鏡の前に立ち、自分の姿を映してみた。十七歳になった私は、いくらか大人になっている――と思いたい。 背は伸び、身体つきも丸みを帯びてきた。淡い金髪は腰まで伸び、緩やかなウェーブを描いている。淑女のような妖艶な魅力はまだないが、そこそこ女性らしくなってはいるはず……。 瞳の色は、淡い緑色に金が混じっていた。明るい光を吸い込むような色だと、兄はよく言っていた。 鏡に映る顔を見つめながら、不安が込み上げてきた。 私は頬を両手で挟んだ。顔が熱い。会いたい。ダリウスに会いたい。八年間、ずっと心の中で想い続けていた人。初恋の人。 幼い頃の淡い恋心は、時が経っても消えることはなかった。むしろ、会えない時間が長くなるほど、想いは強くなっていった気がする。 ダリウスに会った時、恥ずかしくないようにしなくちゃね。 ◇◇◇ 兄の帰還予定日の朝、屋敷中が慌ただしく動き回っていた。メイドたちは床を磨き、窓を拭き、花を飾り、料理の準備に追われていた。執事は玄関ホールの掃除を監督し、庭師は庭の手入れを念入りに行っていた。屋敷全体が、兄の帰還を祝う準備で
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Chapter: 第二話「幼い日の誓い」 春の午後の光が、中庭いっぱいに降り注いでいた。花壇に植えられた薔薇が淡い桃色の花弁を開き、甘い香りを風に乗せている。芝生の上には、剣を持った二人の青年が立っていた。兄と、兄の親友であるダリウス。 二人とも汗で額を光らせながら、剣の稽古に励んでいた。金属がぶつかり合う音が、規則的に響いている。私はベンチに座り、膝の上で人形を抱きしめながら、二人の動きを眺めていた。 九歳の私にとって、兄の剣の稽古を見学するのは何よりも楽しい時間だった。兄は優雅に剣を振るい、ダリウスは力強く踏み込む。二人の動きは美しく、まるで踊っているようにさえ見えた。特に、ダリウスの剣捌きは見事だった。黒に近い濃紺の髪が汗で額に張り付き、灰青色の瞳が鋭く光る。彼の真剣な表情を見ているだけで、胸が高鳴った。「休憩にしよう」 兄が剣を下ろし、額の汗を拭った。ダリウスも頷き、二人は芝生に腰を下ろした。メイドが運んできた冷たい水を、二人は喉を鳴らして飲み干す。私は人形を抱えたまま、二人の元へと駆け寄った。「兄様、ダリウスお兄様、すごく格好良かったわ」 兄が笑いながら私の頭を撫でた。大きな手が、優しく髪を撫でていく。「ありがとう、アリア。今日も見ていてくれたのか」「もちろんよ。二人とも、本物の騎士様みたい」 ダリウスが私を見た。無表情な顔のまま、小さく頷く。彼はいつも無口で、あまり笑わなかった。兄とは対照的に、言葉少なで、何を考えているのか分かりにくい。けれど私は、ダリウスが嫌いではなかった。むしろ、彼の静かな佇まいに惹かれていた。「ねえ、お姫様ごっこをしましょう」 私は膝の上の人形を高く掲げた。兄が苦笑する。「またか。アリアは本当にお姫様ごっこが好きだな」「だって楽しいんですもの。ねえ、今日は特別よ。二人で勝負して、勝った方がお姫様に結婚を誓うの」 兄の顔が、少し困ったように歪んだ。「妹のごっこ遊びに、そこまで本気になる必要はないだろう」「いいじゃない。私、ずっと楽しみにしていたのよ」 私は頬を膨らませた。兄は溜息をつきながらも、立ち上がった。「分かった、分かった。ダリウス、付き合ってやってくれ」 ダリウスが無言で立ち上がる。彼は剣を拾い上げると、兄と向かい合った。二人の間に、緊張した空気が流れる。私は胸を高鳴らせながら、ベンチに座り直した。人形を膝の上に置き、両手を
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Chapter: 第一話「あの日の誓い」「あのときの求愛の言葉は、有効かしら」 ベッドにいる私は、小さく呟いた。部屋を出て行こうとしているダリウスの足が止まる。 窓の外で光る月で照らされているダリウスの目が泳いだ。「あのとき……求愛?」 ダリウスの声が、僅かに戸惑っているように聞こえた。 ああ、彼は覚えてない――。 あれは、ごっこ遊びに過ぎない。記憶に残っている方がおかしい。 わがままな友人の妹に、付き合ってくれただけ。あの後、ダリウスは屋敷に来なくなったのが何よりもの証拠だ。 私のせいで、兄とダリウスの時間を奪ってしまった。「一生添い遂げるって、言ってくれた」 私は顔を上げて、ダリウスを見つめた。彼の瞳が、僅かに見開かれる。そして——私は、彼の唇に自分の唇を重ねた。 触れるだけの、軽いキス。ダリウスの唇は、温かかった。柔らかく、優しい感触。心臓が破裂しそうなくらい、激しく打っている。顔が熱く身体中が、火照っていた。 我に返った私は、顔を真っ赤にして布団に潜り込んだ。(なってことを! 私はしてしまったんだ) 嫉妬に狂って、こんなことをしてしまった。恥ずかしさと、後悔と、どうしようもない感情が、胸の中で渦巻いている。 布団の中で、私は身体を丸めた。このまま、消えてしまいたい。心臓が早鐘を打ち、息が荒くなる。 布団の中に隠れたはずなのに、あっという間に布が剥がれた。ダリウスの手が、私の手を掴む。「アリア……その気にさせておいて、逃げるのはずるい」 低い声が、耳元で響いた。 ダリウスの指が、私の指と絡み合う。手が繋がれた。温かい手。大きな手。彼の手が、私の手を包み込んだと思ったら、両手をベッドに押し付けられて、身動きを封じられる。(――え?) ダリウスの顔が、近づいてきた。彼の唇が、再び私の唇に重ねられる。今度は、触れるだけではなかった。深く、濃厚なキス。舌が唇をなぞり、口を開けるように促してくる。 口を開くと、舌が中へと侵入してきた。舌が絡み合い、甘い吐息が漏れる。息が苦しい。頭の中が、真っ白になっていった。 だんだんとキスが深まっていく。ダリウスが私の口の中を探るように、舌を動かしてきた。 吸われて舐められ、身体が熱くなる。彼の唾液が、私の口の中に流れ込んでくる。濃密で、甘い味がした。 ダリウスの手が、繋いでいた手を離して、私の身体を撫で始めた。ドレスの
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Chapter: 第二話「毎晩の誘いと拒絶されるエミール」 結婚式から一週間が過ぎた夜、僕は鏡の前に立って自分の姿を見つめていた。薄い絹でできた夜着が身体に纏わりつき、素肌が透けて見える。 胸の輪郭も、腰の線も、全てが透けている恥ずかしい格好だ。髪を梳かし、首筋に香油を塗る。甘い香りが鼻をつく。 鏡の中の自分は、まるで娼婦のように見えた。頬が紅潮し、瞳は潤んでいる。夜着の下には何も身につけておらず、少し動くだけで肌が露わになる。こんな格好で屋敷の廊下を歩くなど、恥ずかしくて発狂したくなる。 深く息を吸い込み、部屋の扉を開けた。廊下には蝋燭の明かりが灯り、長い影を作っている。足音を忍ばせて歩き始めると、曲がり角の向こうから使用人たちの声が聞こえてきた。「また今夜もあのオメガ、旦那様の部屋に行くのかしら」「あんなハシタナイ恰好で、屋敷内を歩くなんて下品だわ」「見てられないわよね。オメガに恥じらいなんてないのかしら」 ひそひそと囁き合う声が耳に届き、胸が締め付けられた。(そんなこと、わかってる) 恥ずかしいに決まっている。こんな格好で夜ごと夫の部屋を訪ねるなど、羞恥心で気が狂いそうだ。いやらしい格好で屋敷内を歩くオメガとして、僕の奇行は屋敷中に広まっているだろう。使用人たちは皆、僕を嘲笑っている。 それでも、僕には選択肢がない。(これしか方法を知らないし――) レオニードの部屋の前に立ち、手を伸ばしてノックする。コンコンと扉を叩く音が、静かな廊下に響いた。返事はない。もう一度ノックすると、中から低い声が聞こえてきた。「入れ」 扉を開けると、部屋の中には暖炉の火だけが灯っていた。炎が揺れるたびに、影が壁を這う。レオニードは窓辺に立っていて、シャツを脱いでいる途中だった。広い背中に、筋肉の起伏。戦士らしく、傷跡がいくつか残っている。 僕の姿を見て、顔を歪ませる。眉間に皺を寄せ、明らかに不快そうな表情を浮かべた。「またか」 呆れたような、冷たい声だった。「あの……今夜こそ、お願いします」 声が震えた。レオニードは脱いだシャツを椅子に投げ捨て、僕に近づいてくる。大きな身体が近づくたびに、威圧感が増していく。「何度も来ても同じだ。出ていけ」 冷たい声が耳朶を打ち、身体が震えた。レオニードが僕の夜着の襟元を掴み、引っ張った。「っ……!」 身体がよろめき、足が宙に浮く。荒々しく引きずられるように
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Chapter: 第一話「失敗できない結婚」 父の書斎の扉をノックすると、中から低い声が響いた。「入れ」 扉を開け、重厚な木の香りが鼻をつく書斎へと足を踏み入れた。父ハインリヒは窓際の大きな机に向かって書類に目を通していて、僕が入ってきても顔を上げることはなかった。 壁一面に並んだ本棚には古い書物が整然と並び、重苦しい空気が部屋を満たしている。暖炉の火がパチパチと音を立て、薄暗い部屋の中でわずかな明かりを灯していた。 僕は父の机の前に立ち、返事を待つ。父はペンを走らせ続け、インクの擦れる音だけが静寂を破る。時計の針が進む音が妙に大きく聞こえて、喉の奥が渇いていくのを感じた。立っているだけで足が震え、膝の力が抜けそうになる。 やがて父はペンを置き、ゆっくりと顔を上げた。灰色の瞳が僕を捉え、表情のない顔で僕を見つめる。感情の読めない冷たい視線に、背筋が凍りついた。「結婚が決まった」 父の声は淡々としていた。僕の心臓が跳ね上がり、息が詰まる。「お、お相手は……」 声が震えた。父は書類を僕の方へと押し出し、冷たい眼差しで僕を見下ろす。「レオニード・フェルゼン伯爵だ。先の戦争の英雄で、王の覚えもめでたい。将来、有望な人材だ。二十歳でお前より五歳若いが――お前を妻にしてもいいと言ってくれた唯一の男だ」 唯一の男……そう父に言われて胸が抉られるような痛みが走る。「来週、式を挙げる。今度こそ失敗するな」 父の言葉が胸に突き刺さり、呼吸が苦しくなる。『今度こそ』その言葉の重みが、僕の肩に圧し掛かってくる。 過去三度の結婚に、三回の離縁経験がある。全てが失敗に終わった僕の結婚生活。「はい」 僕は返事をすると頭を下げた。父はもう僕を見ていなかった。再び書類に目を落とし、ペンを走らせ始める。僕の存在など、もうどうでもいいとでも言うように。(まあ、三回も出戻って来たオメガの息子など、どうでもいいんだろうけど)「下がれ」 命令に従い、僕は書斎を後にした。扉を閉めると、足の力が抜けてその場に倒れ込みそうになる。壁に手をつき、なんとか身体を支えた。 廊下を歩きながら、僕は自分の部屋へと向かう。使用人たちが行き交い、僕の姿を見るとすぐに視線を逸らして通り過ぎていく。彼らの冷たい視線が背中に突き刺さり、胸が痛んだ。 四度目の結婚。 僕はもう二十五歳になる。オメガとしては高齢出産で、妊娠できる可能性は
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