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第四話「ちか」

Auteur: ひなた翠
last update Date de publication: 2026-02-10 15:05:50

 マンションのドアを開けて中に入ると、リビングから明かりが漏れていて、キッチンに人の気配がした。玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いてリビングに足を踏み入れると、黒髪の長身の男性がキッチンに立っていて、こちらに気づいて振り返った。

「随分と遅い帰りだな」

 鷹宮玲司が低い声で言いながら、切れ長の目を細めてこちらを見つめてくる。整った顔立ちに鋭い眼光が宿っていた。

(これは……怒ってる)

「起きてたんだ」

 僕が答えると、玲司はカウンターに手をついて首を傾げた。

「昨日は早くあがったのに」

 俺より帰宅が遅いのはどういうことだ――と言いたいのだろう。

 玲司は僕がバイトしているカマバー「Queen's Night」でバーテンダーをしていて、昨夜は僕が早めにシフトを終えて店を出たことを知っている。

 玲司がキッチンから出てきて、僕の前に立った。高い身長が威圧感を与え、見下ろされる形になる。玲司の手が上がり、親指の腹で僕の首筋を軽く押してきた。

(きっとキスマークがバレた)

「これは? もう遊ぶのはやめたって言ってなかった? こっちにもある……どういうこと?」

 首筋に残るキスマークを指摘され、顔が熱くなる。玲司の視線が鎖骨へと移動し、ワンピースの胸元から覗く肌にも赤い痕が残っているのを確認しているようだった。

「ホテルに行った」

 正直に答えると、玲司の目が僅かに細められた。

「誰と?」

 問い詰められて、視線を逸らす。玲司の鋭い視線から逃れたくて、床を見つめながら小さく答えた。

「……兄さんを見かけたんだ。一人でバーに入っていくのを。それで追いかけて――」

「女のフリをしたまま抱かれたの?」

 玲司の声が低くなり、心臓が早鐘を打つ。嘘をつくことはできなくて、僕は小さく頷いた。

「バレたけど」

 玲司の視線が下に向けられ、僕の太腿に何かを見つけたようだった。テーブルにあるティッシュを手にすると、垂れてきていた白濁の液体を優しく拭ってくれる。

 兄さんの精液が太腿を伝っていたことに気づいて、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。

「処理しきれてない。しっかりとかきだしたほうがいい。風呂なら湧いてるから」

 玲司が淡々とした口調で言い、ティッシュを捨てる。

「ありがとう」

「一人でできるよな?」

「うん。大丈夫」

 答えると、玲司は僕の頭に手を置いて軽く撫でた。

「俺は寝るから。朝食は食べてから帰って」

「――ありがとう」

「千景、あまり無理するなよ」

 玲司が心配そうな声で言い、僕は頷くことしかできなかった。玲司が寝室へと入っていくのを見送り、一人になったリビングで深く息を吐く。

 浴室へと向かい、ドアを閉めて服を脱いでいく。全てを脱ぎ捨てると、鏡に映る自分の姿が目に入った。

 浴室にある大きな鏡に映る裸の身体には、至る所にキスマークが残っている。首筋、鎖骨、胸、脇腹、太腿。兄さんが夢中で口づけを落とした証が、赤く腫れて肌に刻まれていた。昨夜の痕跡が身体中に残り、触れると僅かに痛みが走る。

 太腿には、兄さんの精液が白く筋を引いて垂れていた。ホテルで何度も繋がり、そのたびに兄さんが僕の中に注いだものが、まだ体内に残っている。お風呂に入る前に、しっかりと出さなければと思いながら、浴室に足を踏みいれた。

(僕は兄さんが好きだ)

 兄さんとは血が繋がっていなくて、高校生になる年に母親が再婚をした。新しい父親になる人の連れ子としていたのが、伊織兄さんだった。

 初めて会った日のことを、今でも鮮明に覚えている。母親に連れられて新しい父親の家を訪れた時、玄関先で出迎えてくれたのが兄さんだった。整った顔立ち、切れ長の瞳、凛とした佇まい。スーツ姿の兄さんが微笑みながら「よろしく」と言った瞬間、心臓が跳ねて、頬が熱くなった。

 ――一目惚れだった。

 兄さんはもう社会人で、すでに一人暮らしをしていたから、義兄弟になっても一緒に暮らしたことはない。長期休みの際に帰ってきて、数日間一緒に過ごすくらいで、会える機会は限られていた。

 兄さんの恋愛対象は女性で、最初から僕が恋愛対象外なのは分かっていた。兄さんは何人も彼女を作り、そのたびに僕の胸が締め付けられた。この気持ちは隠したままでいるつもりだった。

(玲司は全部知ってるけど)

 兄さんに抱かれるなんて一生ないと思っていた。

 正月に兄さんが帰省した際、家で酔いつぶれた兄さんが零した言葉を聞くまでは――。

「恋人ができても、抱けないんだ」

 兄さんが俯きながら呟いた言葉が、今でも耳に残っている。今付き合っている女性ともできなくて、別れを切り出されるかもしれないと不安そうな表情を浮かべていた。

兄さんは何でもそつなくこなす優秀な人だった。

 高校、大学と一流と呼ばれる学校を卒業し、就職も大手企業に入社して、エリートとして着実に階段をのぼっている。容姿端麗で、きちっとした性格で、流れに身を任せてふわふわと生きる僕とは違う。兄さんの全てに惹かれ、憧れ、恋をした。

 女性が抱けないと聞いた時、僕の中で淡い期待が芽生えた。もしかしたら僕にもチャンスがあるかもしれないと、胸が高鳴った。

 男なのに。兄さんは、きっと男は抱けない。それでも女性を抱けないと聞いたときは期待してしまい、胸を焦がしていた。

 どんな隙も逃さないと決めた。兄さんに抱いてもらえるなら、どんなことも利用し、一時でもいいから繋がっていたいと願った。

 バーで兄さんを見かけた時、千載一遇のチャンスだと思って声をかけた。女装していることがバレても構わないと覚悟を決め、ホテルまで付いていった。

「夢は叶った――けど」

 足を伝う大好きな人の体液を見つめながら、襲ってくるのは虚しさだけだった。

 ホテルで、「千景」だと分かった時の兄さんのこの世の終わりと言わんばかりの表情が、目に焼き付いて離れない。

 混乱し、戸惑い、拒絶しようとした兄さんの顔。あの表情を見た瞬間、胸が引き裂かれそうになった。

 今のところ、抱けたのは「ちか」だけだから、無理やりなこじつけで関係を続けようとした。兄さんが女性を抱けるまでの間だけ、「ちか」として兄さんの相手をする。直してあげるという理由で、兄さんと繋がることを提案したが――。

(いい返事がくるかどうかさえもあやしい)

『考えとく』

 それはもう――拒絶を意味するのではないかとさえ思う。

 友達に誘われた時に、体よく断るのに使う「考えとく」という言葉。そのまま返事をせずに、うやむやにして時が過ぎて行くのを待つ的な……やつだ。

 兄さんなりに、角が立たない断り方をしたのだろう。一緒に暮らしてなくても、これから家族関係は続く。波風を立てずに、なかったことにしたい。

(そういう意味なんだ、きっと――)

 シャワーで身体を洗い流していく。兄さんの精液を指で掻き出し、温かいお湯で流していく。身体の中から兄さんの痕跡が消えていくのが、たまらなく寂しかった。

 髪を洗ってから、ゆっくりと湯船に浸かった。

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  • 完璧な義兄は不完全な愛に溺れる〜義弟の甘い蜜〜   第二十七話「人事部からの呼び出し」

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  • 完璧な義兄は不完全な愛に溺れる〜義弟の甘い蜜〜   第六話「夢の中でも――」

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  • 完璧な義兄は不完全な愛に溺れる〜義弟の甘い蜜〜   第五話「千景とちか」

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  • 完璧な義兄は不完全な愛に溺れる〜義弟の甘い蜜〜   第三話「義弟という悪夢」

     目を覚ますと、窓から柔らかい朝日が差し込んでいて、カーテンの隙間から光の筋が伸びていた。身体を動かそうとして、全身に心地よい疲労感が残っていることに気づく。筋肉が適度に張り、腰が重く、昨夜激しく動いた証が身体に刻まれていた。(昨夜の女性は……) ぼんやりとした頭で隣を見ると、そこには誰もいなくて、シーツだけが乱れたまま残されている。枕には長い黒髪が数本落ちていて、ちかがここにいた証を示していた。 耳を澄ますと、浴室の方からシャワーの音が聞こえてくる。水が流れる音、壁に当たって跳ね返る音が、静かな部屋に響いていた。(先にシャワーを浴びているのか) ベッドから視線を下に落とすと、床に

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