LOGIN夏休み明けの平日ということもあって、巨大テーマパークはそれほど混んでいなかった。
とはいえ、並ばずにアトラクションに乗れるなどということは夢のまた夢だった。
「夢の国だけに」
「はい? なんでしょう」
先を歩くDが振り向いて怪訝そうに私を見た。
何でもないと分かるとまた前を向いて探しものを始めた。
入園してからずっと、お互いに話すことがなくて沈黙を続けていて、片方が言った独り言に過剰反応するやつを繰り返している。
付き合い始めのカップルが、長い列に並んで話始めたはいいが早いうちに話題が尽きてしまった後と一緒だ。
でも、私とDとはまだ一つもアトラクションの列に並んでいなかった。
空いていたというのではない。本当にアトラクション無視で調査中なのだった。
「見つかった?」
「たしかこの辺りにもあったかと」
Dが探しているのは電話だった。公衆電話ではない。ガラケーでもなかった。
アトラクションや建物に時々設置されている電話の形をした遊具だ。
受話器を取ると、名前を言ってはいけないあのネズミが甲高い声で、
〈ハロー! 元気? ボクはとっても元気さ! 君の名前を教えて〉
と一方的に話し出すあれだ。
最初に見つけた場所は、ヨーコが3歳の時に来て、一日中そこだけで過ごしたカトゥーンワールドだった。
そこにあるアトラクションの外壁に電話機が取り付けられていたのだ。
カトゥーン調にデフォルメされたスカイブルーの受話器を手に取ったDは、
「これです。使えない電話」
と言って私の耳に当てて来た。
〈キミの好きなことを言ってごらん〉
「なんだろう。そうだなあ……」
〈それはとってもとっても素敵なことだね。ボクが好きなのは名前を言ってはいけないあのメスネズミさ〉
何も言ってないのに素敵なことって。
確かにこれは使えないと納得した。そもそも彼女は「こと」ではなかろうし。
私が
辻バスを降り、大曲大橋を徒歩で渡ってホテルの部屋に戻ると、中は暑さがこもってムッとしていた。私は窓を開けて空気を入れ替えてから、ベッドの脇に置かれた、黄色いコロコロトランクを開けて着替えを出していた。するとDが床に倒れた自分のコロコロを指して、「これ場所変わってて気持ち悪いです。タケルさん、開けてくれませんか?」 出掛ける前は作業机の脇に立てておいたのだという。たしかに部屋の真ん中に転がっているのは変だった。私は今朝のこともあるので手形が付いてないか確認してチャックを開けた。「蓋を開けて中を見せてください」 女子の荷物を開けることには気が引けたのでDを見ると、「お願いします」 私は顔を逸らして蓋を開けた。「ヒッー!」 Dが悲鳴を上げた。Dを見ると左手で口を押えて私の手元を凝視していた。私もDのコロコロをみた。そこにあったのはくしゃくしゃになった黄色い服だった。カレー☆パンマンの顔がいっぱいプリントしてある。私はそれを見てDの悲鳴の意味を理解した。これはDのものではない。小説のミヤミユが殺されたとき着ていたパーカーだ。「やっぱり繰り返してる」 Dの声が震えていた。私にはDに掛けてあげる言葉が見つからなかた。「どうする? これ」「捨ててください」 私も直で触るのは嫌だったので、入り口脇のロッカーの長い靴ベラを取ってカレー☆パンマンをその先にひっかけ部屋から放り出そうとした。「そんなとこ捨てないで」 Dが部屋の奥からこちらを見ていたのでしかたなく、そのまま廊下に出てダストシュートを探すことにした。 両手で持った靴ベラの先にパーカーを下げて赤い絨毯を歩いた。エレベーターホールまで来たけどその間にゴミ箱もダストシュートもなかった。反対側の廊下を見たけれど同じようだった。ふと、この情景はさんざん小説に書いたことを思い出した。真っすぐに続くドアと外窓の列。その突き当りの非常階段から二部屋目に、地下道から忍び込んだ屍人のミヤミユがフジミユと対決した905号室がある。 気付くと私は、靴ベラの先の黄色いパーカーに引っ張られるように905号室に向かって廊下を歩き出していた。部屋の前まで来て見ると905号室のドアが少し開いていた。なんでそんなことをしようと思ったか、私はドアのノブに手を掛けて開けようとしていた。そして
読者の皆様いつも『少女がやらないゲーム実況』にお立ち寄りいただきありがとうございます。本日の更新は都合によりお休みです。次回の更新は、11/13(木)22時以降です。内容は たけりゅぬとDが青墓で開催されるスレイヤー・Rに参戦します。どうかお楽しみにたけりゅぬ
私とDはスオウ山椒園の大看板が正面に見えるバス停にいた。蘇芳ナナミの屋根なし軽トラックが農道を上っていくのを見送って20分は経ったが、辻沢駅行きのバスはやって来なかった。バス停の山側は擁壁で、谷側は底の見えない針葉樹の斜面だった。まだ昼過ぎなので日は高く遮るものがないので山の上とはいえ汗をかいた。 Dがバス停の標識板を手で触り、「このバス停ですよね」 と言った。小説では、ミヤミユを付け狙う少女のヴァンパイアが初めて姿を表す場所なのだった。「あれはもっと遅い時間だし、第一、もう」 ミヤミユは襲われた後だ。だからあの地下道にいたわけだし。「ですけど」 Dは何か言いたげだったがそれ以降は黙ってしまった。 バスはもう来ていい時間だったが、一向にバスの姿は見えてこなかった。 谷の底から、耳鳴りのようなジーーーという音や、生き物かすら分からないギョギョギョギョという音が聞こえてくる。雲が陰り冷たい風が背中を撫でていった。「バス来ました」 Dが山を指さした。見上げると木々の間の道をクリーム色の車体が下りてくるのが見えた。辻沢行きの辻バスのようだ。それから10分ほど待ってバスが到着した。運転席のドアが開き、〈お待たせしました。辻沢駅行きです〉 マイクを通した女性の声が聞こえて来た。「大曲大橋には行きますか?」 Dが聞くと、運転席の女性ドライバーは笑顔で答えた。〈そちらの停留所は通りませんが、どちらに行かれます?」「ヤオマンホテル大曲です」 女性ドライバーは少し考えてから、〈大曲大橋の袂の「雄蛇ガ池入り口」で下りて大橋の歩道を渡っていただくと、10分くらいでヤオマンホテルに着きますが乗りますか? 次のバスは一時間後です〉 と親切に教えてくれたので、私とDはそのバスに乗ることにした。 ゴリゴリカードは朝タクシーの支払いで
私の来し方を観た作左衛門さんは、刹那その本性を露わにしたけれど、すぐに普段の気のいいお兄さんに戻って、「不思議なこともあるな」 と言って奥に戻っていった。 それから私はDに、作左衛門さんの見立てはどうだったか聞いてみた。「一緒にビジョンを見た感じでした」 ただ自分が見ていたよりもずっと先まで見通す感じだったと言った。ベッド・イン・ビジョン、つまり私と一緒にベッドにいて先の自分を見るビジョンとも少し違ったのだそう。「タケルさんの時はビジョンを共有するっていうか、同じ風景を一緒に見てる。でも作左衛門さんは完全に観察者でした。ビジョンの外にいてあたしの側で見守ってその先を見せてくれた」 作左衛門さんが私を見たのはほんの一瞬だったので、その感覚はよくわからなかった。ただ、作左衛門さんがすぐ側にいるのは感じたような気がした。「それで、何が見えたの?」 その答えでミサさんが小説のレイカになってしまって、辻沢の時間軸が崩壊するかがはっきりする気がした。 Dは私の顔をじっと見ながら考えをまとめているふうで、そしておもむろに口を開くと、「言えません」 それ以上何も言うつもりがないようだった そこへ蘇芳ナナミがおにぎりが乗った大皿とやかんを持って現れた。「どうだった? 作左衛門さんの占いは当たるから怖いよ」 と軽い感じで聞いてきたけれど、私とDを見て様子が違うと悟ったらしく、「まあ、食べようか?」 とおにぎりの大皿を囲炉裏端において腰を下ろした。 おにぎりは辻沢名物の青山椒にぎりだった。白米に塩漬けにした青山椒のつぶを混ぜたもので、青山椒のつぶが見た目も清々しい。と小説には書いてきた。でも実は、私は一度も食べたことがなかった。 一つ手にして一口頬張る。辛みと爽やかさが口の中に広がってとても旨かった。なんかうれしい。「これ旨いですね」 とナナミに言うと、それには一つ肯いただけですぐに顔をDに向けた。それで私もDに視線をやったのだが、Dは青山椒にぎりの大皿を見つめたまま俯いて、泣いていたのだった。「何があった?」 ナナミがDに優しそうな声を掛ける。するとDは動くほうの左の袖で涙を拭い、「なんでもないです。おいしそう。青山椒にぎりだ。これ小説のラストでみんなが揃って食べるんですよね。あたしあのシーン読んで泣いちゃいました」
私とDは背負い籠を担いだまま山椒の木に取り付き、刺々しい枝から実を摘み取ろうとした。山椒の木の芽の香りが鼻をくすぐる。すると新人研修目的で側にいる蘇芳ナナミが、「籠は置いて。少しずつ収穫して片手に持てなくなったら籠に入れるんだよ」 その後すぐ、「レイカと知り合いとはね?」 と言ったのだった。私はDに、どういうこと? と目で訴えた。すると、「さっき奥の部屋でミサの写真を見てもらったんです。そうしたら」「辻沢の問題児、調(シラベ)レイカじゃないか」 Dが見せたのはコスプレ衣装のミサさんだったが、ナナミは有名人でも何でもない知人に変装するという事態が呑み込めず、ミサさんのことを調レイカだと思い込んだのだった。「あいつは卒業してから一度も辻沢に戻ってきていないはずだけど、来てたっていうんだろ?」 小説のレイカは、役場倒壊事故が起こる年の5月、4年ぶりに辻沢に戻ってくる。「レイカさんが辻女を卒業して何年ですか?」「3年だ」 ということは来年、倒壊事故は発生する。「房ごとむしるように。そう」「むしるのが難しいなら、ハサミ使いなね」 話しながらも山椒摘みの作業はちゃんと教えてくれる山椒農園主なナナミだった。 夢中で収穫しているうち段々慣れて来て、汗もかき出した。すると、「痛い」 枝の向こうのDが左手で頬を抑えていた。右腕が利かないから房を取る時、邪魔な枝を避けられなかったようだ。 ナナミがDに近づいて頬を見た。「血が出てるね。もしかして右手が使えない?」 Dが申し訳なさそうに頷いた。「じゃあ、山椒摘むのはやめて種分けに回って」 これまでは房を摘むと片手に持っていて、溜まると後ろに置いてある背負い籠に入れに行っていた。これからはそれをDが受け取って籠に入れて、種分けもすることになった。「連絡先教えてあげたいけど、電話番号知らないんだ」 Dは、「LINEは?」 と言ったが慌てて、「なんでもないです」 と口をつぐんだ。私の小説をよく読んでるDは、ナナミがSNS嫌いなことを思い出したようだった。 それからは私もDも黙々と山椒の実を摘み続けた。10時の休憩は皆さんのところへは行かず、その場に腰かけてレイカのことを話した。「青墓でやってるバトルゲームに参戦しに来たって?」 バトルゲームとはスレイヤー・Rのことだと思うが
蘇芳ナナミに渡された書類は契約書だった。「内容確認して必要事項記入して」 私とDが記入している間、ナナミはずっとDの前にいて、時々しゃがみ込んでは顔を覗き込んでその度に首を傾げていた。「苗字の違う双子とか?」「違います。他人です」 ナナミはDを見るといきなり「小宮ミユウ」とミヤミユの本名で呼んだのだった。「連絡取れないから心配してたんだぞ」とも。 小説のミヤミユは夏の初めにスオウ山椒園にバイトをしに来た。その時ナナミは、小宮ミユウが少女のヴァンパイアに付け狙われていることを知り、いろいろ便宜を計ってやっている。けれど、その後ミヤミユがそのヴァンパイアに殺されたことまでは知らない。 私とDが契約書にサインをしてナナミに渡すと、それを一瞥してから、「土間の出口の背負い籠を一つ取って。軍手は持ってる?」 辻沢の山椒は原種に近く棘がある。そのことは小説に書いて知っていたので、私はゴム付きの軍手を用意してきていた。それを見せると、「いいね。あなたは?」 Dが持っていたのは百均で売ってる普通の軍手だった。「それだと手が血だらけになるね。うちに余ったのがあるから貸してあげるよ。付いておいで」 ナナミはDを座敷の奥に連れて行った。土間に取り残された私は背負い籠を取りに立ち上がろうとした。その時ざわつく何かが目の端に入る。そのままやり過ごせばやり過ごせたけど、私はそのざわつきを板間の上に探した。それは座敷の縁が上り框に落ちる角にあった。よく見ないと板間の黒さに紛れて分かりにくかったけれど、赤黒い4本の指の跡がついていた。それはDのコロコロに着いていたものとよく似ていた。そしてそれはちょうどDが座敷に上がる時に右手を付いた場所なのだった。 私は咄嗟にそれを軍手の背で拭き取ろうとした。それはやはりなかなか取れなかったので濡れティッシュをメッセンジャーバッグから4、5枚出して拭き取った。「何してるんですか?」いつの間にかDが板間にゴム付き手袋をして立っていた。「書類のカーボンが床に付いちゃったから拭いたんだ」と誤魔化した。Dはそれを気にする様子もなく土間に降りると、入り口の背負い籠を一つ取った。そして、「タケルさん。山椒摘みですよ」と庭に出て行ったのだった。 私が後に続き籠を背負って庭に出ると、Dはすでに他の人と挨拶を