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第6話

Author: 晴天
実乃里は一人で自宅へ戻った。

丸一日しっかり休養を取ったおかげで、翌日にはようやく体調も落ち着き、再び出社することができた。

席に着いたばかりの彼女のスマホに、一通のメッセージが届く。

送信者は裕翔だった。

【机の上にある契約書を持って来い。十分後の会議で使う】

実乃里は【承知しました】と返信し、立ち上がって社長室へ向かった。

契約書を手に取り、そのまま会議室へ向かおうとした時だった。

社長室所属の秘書たちが、慌ただしい様子で彼女のもとへ駆け寄ってくる。

「実乃里、大変なの!社員食堂の料理に問題があったみたいで、何人かお腹を壊したの。冷蔵保管庫からサンプルを取り出して調べなきゃいけないんだけど、鍵はあなたが持っているでしょう?一緒に来てくれない?」

本当は先に契約書を届けてから対応したかった。

だが彼女たちは執拗に引き止める。

「社員たちが騒ぎ始めてるの!早く対処しないと!」

時計を見る。

まだ少し余裕はある。

そう判断した実乃里は、彼女たちについて行くことにした。

冷蔵保管庫へ到着し、鍵で扉を開ける。

中へ入るよう促そうとした、その瞬間だった。

背後から突然強い力で押された。

「っ――!」

よろめきながら数歩前へ出た時には、すでに扉が閉まっている。

ガシャンという重い施錠音が響いた。

冷蔵保管庫の温度は極端に低い。

社内は暖房が効いているため、皆薄着のままだった。

当然、実乃里も例外ではない。

その服装では寒さに耐えられるはずもなく、身体は瞬く間に震え始めた。

彼女は慌てて扉へ駆け寄り、必死に叩く。

「開けて!」

鉄扉に拳を打ちつける音が冷蔵庫内に響き渡る。

「何のつもりなの!?早く出して!」

幸いにも扉の防音性は高くなかった。

だから外で笑っている声がはっきり聞こえる。

「長嶺様から、ちょっと懲らしめておけって言われてるの。中で大人しくしてなさい。安心して。本当に凍死させるつもりはないから」

言葉が終わると同時に、足音が徐々に遠ざかっていく。

助けを求める相手はいない。

実乃里はスマホを取り出し、誰かに連絡しようとした。

だが画面上部に表示された文字を見て、絶望が胸を締め付ける。

――圏外。

骨まで凍るような寒さが、露出した肌から全身へ広がっていく。

彼女は部屋の隅へ身を寄せ、小さく身体を丸めた。

腕で自分を抱き締めながら、少しでも体温を逃がさないよう必死に耐える。

だが、それも焼け石に水だった。

時間が経つにつれ、震えさえ弱くなっていく。

どれほど経ったのだろう。

意識はぼんやりと霞み始めていた。

もう限界だと思ったその時――

冷蔵保管庫の扉が再び開いた。

だが実乃里は動かなかった。

それすらも、凍え死ぬ直前に見る幻覚なのではないかと思ったのだ。

やがて女性の不安そうな声が聞こえてくる。

「ちょっと......扉を開けたのに出てこないよ?まさか本当に何かあったんじゃ......」

呼ばれた女性も動揺を隠せない。

「知らないわよ!早く様子を見てきなさい!」

ようやく誰かが中へ入ってきた。

そして見つけた。

まつ毛にまで白い霜が張り付き、ぐったりと座り込んでいる実乃里を。

「大変!早く運び出して!」

数人が慌てて彼女を外へ連れ出した。

暖かい空気に触れたことで、凍り付いていた身体に少しずつ感覚が戻ってくる。

実乃里が反応を示した途端、秘書たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

責任を追及されるのが怖かったのだろう。

だが実乃里には彼女たちを追う余裕などなかった。

ふとスマホを見る。

裕翔から契約書を届けるよう言われていた時間から、すでに一時間半以上が経過していた。

血の気が引く。

身体はまだ冷え切ったままなのに、それでも彼女は無理やり立ち上がった。

契約書を抱え、会議室へ向かう。

息を切らしながら辿り着いた時には、会議はすでに終わっていた。

広い会議室の中に残っていたのは二人だけ。

顔色の悪い裕翔と、面白そうに事の成り行きを眺めている奈々花だった。

彼女の姿を見た瞬間、裕翔は手元のコーヒーカップを掴み、そのまま投げつけた。

「夏井実乃里!」

怒りを隠そうともせず怒鳴る。

「今が何時だと思っている!?」

身体はまだ震えて、体温も戻り切っていない。

反応は鈍く、避けることもできない。

カップは足元で砕け散った。

飛び散った破片が脛を切り裂き、細かな傷口から血が滲む。

それでも彼女は痛みに耐えながら説明しようとした。

「申し訳ありません......わざとではないんです。長嶺さんが何人かを呼んで私を冷蔵保管庫に閉じ込めて――」

だが、その言葉は最後まで届かなかった。

裕翔の耳には、それは責任逃れの言い訳にしか聞こえなかったのだ。

彼の怒りはさらに膨れ上がる。

その声は氷のように冷たかった。

「そんな話を俺が信じると思うのか?」

彼は吐き捨てるように続ける。

「奈々花がお前みたいに陰険な真似をするとでも?」

そう言って契約書を掴み上げると、彼女へ向かって乱暴に投げつけた。

だが実乃里は避けることすら忘れていた。

彼の言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になっていたからだ。

口を開く。

けれど何も言えない。

――そうだ。どうして忘れたのだろう。

裕翔の中で自分は昔からずっと、一番残酷で、一番薄情な女だ。

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