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第2話

Auteur: 魚住 澄音
篠原家。

翔真が先に一步入り、ことはを置き去りにして、焦りに駆られるように二階へ駆け上がる。

彼の慌ただしい後ろ姿を見ながら、ことはの足は鉛を詰められたように重く、ぎこちなく歩いた。来る途中、彼女はすでに翔真の沈んだ顔に、隠しきれない焦燥と切迫感があることに気づいていた。

それは罪悪感による動揺ではない。彼のあの様子は、ことはが生理痛で救急搬送されたときとまったく同じだったのだ。

自分の夫が、彼女を顧みずに他の女を気遣っている。

皆が寧々の部屋に集まる中、ことはは入り口で足を止め、目の前に広がる光景が再び彼女に致命打を与えた。

寧々は壊れた人形のように翔真の腕にすがって泣き、翔真はかつてことはにだけしていた仕草で、忍耐強く優しく彼女をあやしていた。

それを見ても、誰一人として違和感を覚えていないようだ。

その時、ことはの前に大きな人影が立つ。「こっちに来て」

ことはは兄に手を掴まれ、書斎に連れて行かれる。

扉が閉まると、涼介は告げた。「医者の話では、寧々のうつ病が再発したそうだ」

ことはは淡々と聞き返す。「原因は?」

「翔真だ」

その言葉に、ことはは口元を歪めた。寧々の今回の再発が本物かどうか、彼女が一番よく分かっている。「兄さん、私と翔真は今日、婚姻届を出したばかりなのよ」

涼介の冷静な顔には、どこか強い語気が宿っていた。「だからこそ、彼女には刺激が強すぎた。さっき見ただろう、寧々は翔真に依存してる」

二十年以上も彼女を可愛がってきた兄を前にして、ことははもう別人を見るような目になっていた。赤く染まった目で皮肉に言う。「じゃあ兄さんは、私に翔真を譲れって言うの?」

「そういう意味ではない」

「じゃあ、どういう意味?ああ、分かった。兄さんの言いたいことはこうよね。寧々が私の夫を必要としてるなら、私は譲らなきゃいけない。だって彼女をこんなふうにしたのは私だから、責任は私が取れってことなんでしょ」

涼介は彼女の肩を掴み、懸命に言った。「ことは、寧々は今本当に不安定なんだ。医者は、彼女が自殺願望を抱えてるって言ってる。これから何度も繰り返すかもしれない。やっと見つかったのに、また両親に娘を失う苦しみを味わわせたいのか?」

またそれだ。そうやって彼女を道徳で縛る。

悪いのは彼女じゃないのに、なぜ罪を背負わせるのだ。

彼女は間違っていた。二度目に篠原家を出ようと決めた時、あのまま出ていればよかった。

ことはは涼介の手を振り払い、「私がどう言ったって無駄よ。翔真本人の意思を聞きなさい」

涼介の目がふっと和らぎ、優しく言った。「君さえ納得するなら、翔真の説得は僕がやるよ」

その時、書斎のドアが勢いよく開いた。

怒りを露わにした翔真が飛び込んでくる。「俺は反対だ!」

思いもよらぬ否定に、ことはは一瞬たじろいだ。

翔真は大股で詰め寄り、苛立ちを隠そうともせず言った。「俺は君の夫だぞ。他の女に譲るつもりか!」

ことはの表情が一瞬だけ空白になる。彼が今さらどうしてそんな正義面して責めるのか、彼女には理解できなかった。

さっきまで、翔真はあれほど急いで寧々を抱きしめていたくせに。

彼女が口を開く隙も与えず、翔真はことはの手をぎゅっと握り、涼介に向かって怒鳴った。「ことはが君を兄さんと呼ぶから、俺も兄だと思ってきた。だけど兄さん、少しは理屈をわきまえてほしい。寧々のことをことはに押しつけるのはやめてくれ。それに!今の兄さんの言動、自分でおかしいとは思わないか?」

「今日結婚したばかりの俺に、実の妹を押しつけて、実の兄が妹を人の愛人に仕立てようとしてるなんてありか?」

涼介の顔色がみるみる青ざめた。「翔真、言葉に気をつけろ!」

翔真は鋭い目を向けたまま言い返す。「兄さんが俺の妻を尊重してくれるなら、俺も言葉を選ぶ。もう遅い。ことはを連れて帰る。失礼」

そう言い放ち、翔真はことはの手を引いてその場をあとにした。

背後では、寧々のヒステリックな叫び声が部屋中に響き渡っていた。

車に乗り込むと、ことはは助手席に座り、翔真がそっとシートベルトを締めてくれる。彼は彼女の頬をやさしく撫でた。「怖がらないで、俺がいるから」

その声は重みと安心感に満ちていて、まるで何も変わらないかのように、彼は今も彼女を守っているようだった。けれどことはには、それがかえって混乱を生んだ。監視カメラの中で見た翔真と、今目の前にいる翔真が、まるで別人のようで、彼女の中で繋がらなかったのだ。

揺れる気持ちを抑えきれずにいると、翔真が突然車を路肩に停めた。「ことは、話さなきゃいけないことがある」

その一言に、ことはの心がぎゅっと締めつけられる。彼女は平静を装いながら返す。「何のこと?」

「ごめん、さっきの電話、実は寧々からだった。ずっと前にも告白されて、何度もはっきりと断ってきた。でも、今夜は応えてくれなきゃ死ぬって脅してきてた。まさか、本当にやるなんて思ってなかった」翔真は申し訳なさそうな顔で言った。

「君に話さなかったのは、君に影響を与えたくなかったからだ。結婚すれば寧々も諦めると思ってたけど、まさかこんなことになるなんて……」

言葉を詰まらせながら、翔真はことはをそっと抱きしめ、頭を彼女の首もとに埋める。「今回は手首を切ったけど、次に何をするか分からない。正直、このままだと俺たちの夫婦生活にだって大きな支障が出る」

ことははその体を両手で受け止めながら、ふっと冷静さを取り戻していた。

そして、さっきまで胸の中で渦巻いていた迷いに、ようやく自分なりの答えを見つけた気がした。

翔真を誘惑したのは、寧々だった。あの女は、ことはが取り乱して崩れるところを見たくてたまらなかったのだ。

翔真は変わっていない。そして自分も、あんな女の罠にまんまとはまるべきじゃなかった。

ならば今回は許して、何事もなかったようにしよう。

そう思ったことはは、静かに言った。「でも、寧々は本当にうつ病なんだよね」

「じゃあ明日から新婚旅行に行こう。3、4ヶ月ぐらいゆっくりして帰ってくれば、寧々はさすがに諦めて、症状も落ち着くと思う。どう思う?」

それは良い方法かもしれない。

「わかった、あなたの言う通りにするよ」

深夜、あたりは静まり返っていた。

ことはは、スマホのバイブ音で目を覚ました。着信は兄からだった。スマホを取って外に出ようとしたが、背後にはもう翔真の姿はなかった。

手を伸ばして布団を探ったが、翔真が寝ていた場所は、すでに冷たくなっていた。

嫌な予感を覚えつつ、ことはは電話を取った。まだ何も言っていないのに、涼介の冷たい声が飛び込んでくる。「翔真が今どこにいるか、分かるか?」

その言葉に、ことはの心臓がドクンと跳ねた。裸足のまま寝室を飛び出し、玄関を確かめる。

翔真の革靴はもうなかった。

電話越しに、涼介の嘲るような笑い声が響いた。「翔真は今、寧々のベッドにいる。君を抱くように、あの子を抱いて寝てるよ。さっき君の前で、僕をどう罵ったっけ?実の妹を愛人に仕立てるってな。ふん、ことは、これが君がどうしても嫁ぎたいって言った男だよ。君は、本当に奴のことを分かってるつもりだったのか?」

ことははその場に立ち尽くした。まるで、全身の血が一気に凍ったようだった。

兄の言葉は、まるで彼女の頬を強く叩くようだった。

翔真は、自分を寝かしつけたあとで、寧々のもとへ向かったのだ。

彼を許してあげたのに、どうして……

「どうやって寧々をなだめたか、知ってるか?」涼介の追い討ちは止まらなかった。翔真の本性を、ことはに思い知らせるかのように。「一番愛してるのは寧々で、一生お姫様みたいに大事にするって。あの子が君と離婚してって頼んだら、彼は迷ってた」

「ことは、僕が意地悪で君たちを引き裂こうとしてるわけじゃない。あいつは、最初から二股かける気だったんだ!」

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