Partager

第65話

Auteur: ASAMI
last update Date de publication: 2026-08-26 19:24:18

消火剤の白い煙が漂う地下通路。

冷たく湿ったコンクリートの壁に反射して、隠れ家の上に配置された防犯アラームの警報音が不気味に響き続けていた。

「大丈夫かい、音羽! 走れるか!?」

ケビンが私の手をしっかりと握り締めながら、地下の闇を切り裂くように先行して突進していく。

背中には『黒のストラディバリウス』のケース、そして手には組織の不法送金と「終焉のソナタ」の解読データが収められた暗号化ストレージ。

私は息を乱しながらも、ケビンの背中に必死についていった。

「ええ、大丈夫よ……! 足は止めないわ!」

かつての私なら、目の前で繰り広げられた激しい暴力と狂気に立ちすくみ、涙を流して運命を諦めていたかもしれない。

けれど、消火器を構えて神崎蓮の襲撃を自らの手で退けた今、私の心には不思議なほどの強さと冷徹な覚悟が宿っていた。

地下通路の奥へ進むにつれ、頭上からドスン、ドスンという重い足音と鋭い破壊音が聞こえてくる。

組織の実行部隊が隠れ家の内部へと完全に侵入し、消火剤の煙の中で身悶えしていた蓮を排除して、私たちの後を追ってきているのだ。

「脱出経路の出口は、この通路を抜けた先にある敷地外の古い
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Dernier chapitre

  • 三年間、彼に恨まれた契約妻は、世界を魅了する仮面の天才音楽家だった   第92話

    羽田空港の国際線到着ロビー。フラッシュの眩しい光と、大勢の報道陣が挙げる歓声が私たちを包み込んだ。「音羽さん、凱旋帰国おめでとうございます!」 「ヨーロッパツアー大成功の感想を!」カメラの群れに向かって、ケビンが手慣れた仕草で完璧な笑みを浮かべ、私の肩を抱き寄せた。「音羽の演奏は世界を魅了しました。今回の日本での支援基金設立コンサートは、彼女の情熱が形になった特別な舞台になります。期待してください」頼もしい言葉。けれど、私の肩を抱くケビンの手に込められた力は、庇護というよりも「誇示」に近い重みを持っていた。ケビン……。私を守るための姿勢。けれど、その指先からは「この女は誰にも渡さない」という強い拒絶と圧迫感が、じりじりと肌に伝わってくるのだった。都内の高級ホテルのスイートルームへチェックインした後、ケビンが打ち合わせのために席を外した。静まり返った部屋で、私はひとり、窓の外に広がる東京の街並みを見つめていた。逃避行の末に旅立ったあの場所へ、私はこうして世界的な奏者として戻ってきたのだ。部屋の固定電話が鳴った。「はい、音羽です」『……音羽さん? 私よ、西園寺玲奈です』懐かしい、けれどどこか切迫した声に、胸が跳ねた。「玲奈さん! お元気でしたか?」『ええ。子供たちに音楽を教えながら、穏やかに過ごしているわ。……音羽さん、急でごめんなさい。どうしても、あなたに直接渡さなければならないものがあるの』「渡さなければならないもの……?」『……蓮から、預かったものよ』蓮の名前を聞いた瞬間、息が止まりそうになった。『昨日、彼が私の教室を訪ねてきたの。彼は……社会復帰プログラムに入り、もう以前の彼ではなかったわ。やつれて、過去の罪に苛まれながら……ただあなたの幸せだけを祈っていた。彼が父親のマインドコントロールから解放されて最後に見つけた「本当の心」が、この手紙と記録にあるの』「蓮の……本当の心……」『ケビンさんが近くにいるなら、渡しづらいかもしれない。でも、音羽さん……これだけはあなた自身が目を通すべきだと思うの。あなたが過去を真の意味で乗り越えるために』玲奈の切実な声に、私は胸の手繰り寄せられるような痛みを覚えた。幼い頃、離れの窓の外から私を見つめていたあの少年。私を支配し、傷つけた悪魔。けれどその正体は、父親に初恋を歪め

  • 三年間、彼に恨まれた契約妻は、世界を魅了する仮面の天才音楽家だった   第91話

    ウィーン公演の大成功から数日後。ヨーロッパツアーの全日程を終えた私たちは、次なる舞台――アジアツアーの皮切りの地である日本へと向かう機中にいた。ファーストクラスの静かなシートで、私は窓の外に広がる広大な雲海を見つめていた。膝の上には、大切に抱えた『黒のストラディバリウス』がある。かつて逃亡者として偽造パスポートを握りしめ、怯えながら渡航したあの日とは違い、今の私は世界的なヴァイオリニストとして母国へ帰ろうとしていた。「音羽、日本に着いたらすぐにレセプションと記者会見がある。体調は大丈夫かい?」隣のシートから、ケビンが優しく声をかけてきた。差し出されたミネラルウォーターのグラスを受け取り、私は小さく笑みを返した。「ええ、大丈夫よ。ありがとう、ケビン」ケビンは私の手元にそっと自分の手を重ねてきた。指先が私の肌に触れた瞬間、胸の奥で小さな緊張が走る。ウィーンでのリハーサルや本番で見せた彼のあの激しい独占欲と、「君の居場所は僕の隣以外にない」という強い言葉。表面上は以前と変わらぬ穏やかな態度を保っているものの、彼の瞳の奥には今も静かで暗い炎が揺らめいていることを、私は感じ取っていた。ケビン……あなたは私を救ってくれた。でも、その愛に応えきれない私を、あなたは許してくれないのかもしれない……。彼への深い感謝と、急速に重みを増していく「所有」としての愛への息苦しさ。私の心は、二つの感情の間で揺れ動いていた。同じ頃、東京――西園寺玲奈の小さな音楽教室。夕闇が迫る室内で、玲奈はデスクの上に置かれた一通の古びた封筒を静かに見つめていた。数日前、雨の中に現れた神崎蓮が残していったものだ。封筒の中身は、蓮が幼少期から神崎トオルによって受けさせられていた精神投薬とマインドコントロールの記録、そして蓮自身が拘留中に書き綴った、痛々しいほどの謝罪と告白の手記だった。「蓮……」玲奈は小さく息を吐いた。かつて彼女自身も神崎家の身代わりとして運命を狂わされ、音羽を憎み、そして己の罪を受け入れて贖罪の道を歩んできた。だからこそ、洗脳の呪縛から解き放たれ、身を削るような後悔の中で苦しむ蓮の気持ちが、苦しいほど理解できた。『彼女に会う資格などない。ただ、本当の僕の想いと罪の証を渡してほしい』去り際に蓮が残した掠れた声。彼は今、社会復帰プログラムを受け

  • 三年間、彼に恨まれた契約妻は、世界を魅了する仮面の天才音楽家だった   第90話

    ウィーン楽友協会・大ホール。豪華絢爛なシャンデリアの下、超満員の客席からは、息を呑むような静寂がステージへと注がれていた。ヨーロッパツアーの締めくくりとなるウィーン公演の幕が、ついに上がったのだ。ピアノの前に座るケビンの背筋はピンと伸び、その立ち姿はどこまでも優雅だった。けれど、鍵盤に置かれた彼の指先からは、昨夜以上の凄まじい執着と情熱が解き放たれていた。重厚で包み込むようなピアノの響き。それはまるで、私をどこへも逃がさないために構築された「美しき金の檻」だった。ケビン……これが、あなたの愛なの……?私は目を閉じ、あごの下に『黒のストラディバリウス』を深く固定した。弓を弦に滑らせた瞬間、私の音色はケビンの圧倒的なピアニズムと激しくぶつかり合い、そして交錯した。私を救い出し、自由を与えてくれた命の恩人。彼への深い感謝と愛着。けれど同時に、私を自分だけのものにしようとする彼の独占欲に対する、息が詰まるような圧迫感。二人の旋律が織りなす圧倒的なドラマ性に、満場の聴衆は息を呑み、酔いしれていた。彼らにはそれが、最高峰のアーティスト同士による熱烈な「愛の対話」に見えていたに違いない。だが、私とケビンの間には、言葉にならない静かな歪みが確実に広がっていた。曲のフィナーレ、最後の和音が響き渡ると同時に、地鳴りのような拍手とスタンディングオベーションがホールを揺らした。「ブラボー! ブラボーッ!」喝采を浴びながら、ケビンが私の隣に立ち、そっと私の腰に手を回した。その手には、絶対に離さないという強い力が込められていた。観客に向かって微笑みながら、彼が耳元で静かに囁く。「聞いたかい、音羽? 素晴らしい喝采だ。君と僕の音が一つになった時、世界はこうして僕たちに平伏するんだ。君の居場所は……僕の隣以外にない」彼の熱い吐息と、腰を包む強い力。私は客席へ向かって深く頭を下げながら、胸の奥で言いようのない冷たい予感に震えていた。同じ頃――東京。雨が上がった夜の街で、西園寺玲奈は小さな音楽教室の片付けを終え、パイプ椅子に腰掛けてスマホの画面を見つめていた。画面に映し出されているのは、ウィーンで大成功を収め、喝采を浴びる音羽とケビンの姿だった。「音羽さん……」玲奈はそっと胸に手を当てた。身代わりとして引き裂かれた過去。自らの罪を受け入れ、

  • 三年間、彼に恨まれた契約妻は、世界を魅了する仮面の天才音楽家だった   第89話

    ウィーンでのリハーサル初日。ウィーン楽友協会の伝統ある黄金のホールは、息を呑むような重厚な気品に満ちていた。ステージ中央でヴァイオリンを構える私の隣には、完璧な姿でピアノに向かうケビンがいる。昨夜の告白と重苦しい沈黙が嘘であったかのように、彼の弾くイントロダクションは正確で、洗練され、どこまでも美しかった。けれど、弓をあてた瞬間、私には分かってしまった。旋律が……重い……。ケビンのピアノの音が、以前のような「自由に羽ばたかせるための風」ではなく、私をどこへも行かせまいと包み込む「見えない枠組み」のように迫ってくるのだ。彼の鍵盤を叩く指先に込められた、過剰なまでの情熱と独占欲。私の音に寸分の隙もなく重なってくるその演奏は、まるで私の旋律を彼の色だけで塗り潰そうとしているかのようだった。「音羽、もっと僕の音に身を委ねていい。君の表現をすべて僕が受け止めるから」曲の合間、ケビンが柔らかく微笑みながら私に囁いた。その目は優しく、けれど絶対に私を逃さないという強い光を帯びている。ケビン……あなたは私を救ってくれた。でも、今あなたの愛は……私を縛り付けようとしているの?胸の奥が締め付けられるような息苦しさを覚えながら、私は必死に『黒のストラディバリウス』を鳴らした。同じ頃、日本の東京――警察病院の精神科保護病棟。秋の冷たい雨が窓を叩く部屋で、神崎蓮はベッド脇の椅子に腰掛け、一冊の古いスケッチブックを開いていた。面会に訪れた弁護士が、静かに蓮の様子を見守っている。「神崎さん、体調は少しは落ち着かれましたか」「……ええ。おかげさまで」蓮の声は小さく、消え入りそうだった。彼の手元にあるスケッチブックには、拙いタッチで描かれた少女の横顔があった。神崎家の古い離れの窓辺で、涙を流しながら小さなヴァイオリンを弾いていた、幼い頃の音羽の姿だ。「トオル被告の裁判は、あなたのマインドコントロールの被害事実が正式に認められ、責任能力の減免措置が検討されています。社会復帰に向けたプログラムも準備されつつありますよ」「社会復帰……」蓮は自虐的な笑みを薄く浮かべ、スケッチブックをそっと閉じた。「僕に……そんな場所に行く資格はありません。父親に操られていたからと言って、僕が音羽の肌に刻んだ恐怖、彼女から奪った時間は戻らない……」「神崎さん……」「で

  • 三年間、彼に恨まれた契約妻は、世界を魅了する仮面の天才音楽家だった   第88話

    静寂の中、私は膝を抱えたまま、しばらく動くことができなかった。手首に残るかすかな赤みと、ケビンの熱い吐息の感触。私を守り、導いてくれた「完璧なパートナー」としての彼が見せた、あまりにも剥き出しの執着と嫉妬。その激しい感情の波に煽られ、胸の奥が痛むようにざわついていた。扉の向こうの廊下からは、レールを叩く規則的な車輪の音だけが聞こえてくる。飛び出していったケビンは、まだ戻ってこない。「ケビン……」ぽつりと呟いた声が、狭い室内に虚しく響く。私を神崎家の暗闇から連れ出し、ヴァイオリンを取り戻させてくれたのは紛れもなくケビンだった。彼の存在がなければ、今の私は存在しない。だが、彼が私に向けていたのは「恩人」としての慈愛だけではなく、一人の男としての強い独占欲だったのだ。私が神崎蓮の悲劇に心を痛め、彼の中にかすかな哀愁を感じ取ったこと。それがケビンにとって、自らのすべてを捧げて掴み取った愛を脅かす、耐え難い裏切りに見えたのだとしたら――。数時間後、列車は夜のウィーン中央駅へと滑り込んだ。ホームに降り立つと、冷厳な音楽の都の夜風が、ほてった頬を容赦なく撫でた。「音羽……荷物を持とう」背後からかけられた声に振り返ると、そこにはいつもの完璧なスーツを着こなしたケビンが立っていた。けれど、その表情はどこか固く、目元には濃い陰影が落ちている。「ありがとう、ケビン……」私たちが交わした会話はそれだけだった。ホテルへ向かう高級タクシーの中でも、二人の間には重苦しい沈黙が横たわっていた。車窓を流れるシュテファン大聖堂の影やウィーン国立歌劇場の煌びやかな明かりも、今の私たちの心を晴らすことはできない。ホテルのスイートルームに到着し、ベルボーイが荷物を置いた後、ケビンは静かに私と向き合った。「音羽。昼間のことは……本当にすまなかった。君を恐怖に陥れるような真似をして、弁解の余地もない」ケビンは深く頭を下げた。その声は酷くかすれ、痛々しいほどに震えている。「いいの、ケビン……。私も、あなたの気持ちを考えずに話してしまったわ。あなたがどれほど私を大切にしてくれていたか、分かっていたはずなのに」「いや……僕が醜かったんだ」ケビンは顔を上げると、自虐的な苦笑を浮かべた。その瞳には、隠しきれない情熱と、自責の念が交錯している。「君を救った時、僕

  • 三年間、彼に恨まれた契約妻は、世界を魅了する仮面の天才音楽家だった   第87話

    息の詰まるような沈黙。私を押し倒すように拘束したケビンの腕からは、これまでの彼からは想像もつかないほどの激しい感情が伝わってきていた。いつも私を優しく包み込んでくれていた温かい手足が、いまは逃げ場を塞ぐ冷たい檻のように私を縛り付けている。「ケビン……お願い、落ち着いて……っ」私は震える声を振り絞り、彼の胸元をそっと押し返そうとした。けれど、男である彼の力に敵うはずもない。ケビンは荒い息を吐きながら、私の顔をじっと見つめていた。その瞳には、私への深い情愛と、それ以上に深い「失うことへの恐怖」と「激しい嫉妬」が渦巻いていた。「落ち着いていられると思うかい、音羽……? 僕がどれほどの思いで君を守ってきたか……君は本当に分かっているのか?」ケビンの低い声が、私の耳元で落ちる。「君が神崎家の地下で怯えていた時、命をかけて駆けつけたのは僕だ。君がヴァイオリンを弾くことすら恐れていた時、その手をとって再び音楽の光の中へ引き揚げたのも僕だ。君の傷も、君の恐怖も、すべて僕が包み込んできた……!」「分かっているわ……! ケビンがいてくれたから、今の私がいるの。感謝してもしきれないくらい……」「感謝なんて言葉が欲しいんじゃない!」ケビンは感情を爆発させるように叫ぶと、握りしめた私の手首をさらに強くソファーへと押し付けた。「僕が欲しいのは、君の心だ! 神崎蓮の影なんて1ミリも残っていない、僕だけを見つめる君の愛なんだよ……!」「ケビン……」彼の叫びは、私の心を鋭く抉った。私にとってケビンは、命の恩人であり、最も信頼できる音楽のパートナーだった。けれど彼にとって私は、単に守るべき対象ではなく、一人の女性として深く愛し、独占したい存在だったのだ。私が蓮の過去に「切なさ」を感じたこと。それは、ケビンにとって自分の捧げてきた献身や愛を否定されたかのような、耐え難い裏切りに映ったのかもしれない。「……あの男は、君の人生を壊した罪人だ。父親に操られていただの、本当は君が好きだっただの……そんな言い訳で君の心が揺れるなんて、僕は絶対に認めない」ケビンはそう言うと、ゆっくりと顔を近づけてきた。彼の唇が私の首筋に触れ、熱い吐息が肌を滑る。「嫌……っ、ケビン、やめて……!」私は必死に顔を背けた。その拒絶の仕草に、ケビンは弾かれたように動きを止めた。私の目か

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status