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第718話

Author: シガちゃん
敦は、沙耶子の言葉の裏にある意味を察していたが、あえて何も答えなかった。

「ラウラ、前から海都市を回ってみたいって言ってたでしょう?せっかく来たんだから、少しゆっくりしていきなさい」沙耶子は隣に座る赤毛の女性へ目を向け、柔らかな笑みを浮かべた。

ラウラはハーフらしい整った顔立ちをしている。しかし、言葉はまるでこの国でずっと暮らしてきたかのように流暢だった。

「わかりました。お母さんがいらっしゃる間は、私も一緒にいます」

「その方は……娘さんですか?」敦は意外そうに目を見開いた。

沙耶子はラウラの手の甲をそっと撫で、慈しむように微笑む。「ラウラは私の実の娘じゃないよ。でも、小さい頃からずっと見てきた子なの。この子が私を母と呼ぶなら、私にとっても娘と同じだよ」

……

一方その頃――由奈と祐一は骨董品店を出たところだった。

そのとき、祐一のスマホが短く震える。画面に表示された麗子からのメッセージを見た彼は、そろそろ午後の用事へ向かわなければならないことを悟る。

「どうしたの?もう仕事に行く時間?」由奈が振り返って尋ねる。

祐一はスマホをしまいながら頷いた。「ああ。今日の件
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  • 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る   第718話

    敦は、沙耶子の言葉の裏にある意味を察していたが、あえて何も答えなかった。「ラウラ、前から海都市を回ってみたいって言ってたでしょう?せっかく来たんだから、少しゆっくりしていきなさい」沙耶子は隣に座る赤毛の女性へ目を向け、柔らかな笑みを浮かべた。ラウラはハーフらしい整った顔立ちをしている。しかし、言葉はまるでこの国でずっと暮らしてきたかのように流暢だった。「わかりました。お母さんがいらっしゃる間は、私も一緒にいます」「その方は……娘さんですか?」敦は意外そうに目を見開いた。沙耶子はラウラの手の甲をそっと撫で、慈しむように微笑む。「ラウラは私の実の娘じゃないよ。でも、小さい頃からずっと見てきた子なの。この子が私を母と呼ぶなら、私にとっても娘と同じだよ」……一方その頃――由奈と祐一は骨董品店を出たところだった。そのとき、祐一のスマホが短く震える。画面に表示された麗子からのメッセージを見た彼は、そろそろ午後の用事へ向かわなければならないことを悟る。「どうしたの?もう仕事に行く時間?」由奈が振り返って尋ねる。祐一はスマホをしまいながら頷いた。「ああ。今日の件はどうしても外せなくてな」「そうか。私とのデートよりも大事?」何気ない冗談のつもりだった。だが祐一が一瞬言葉を失ったのを見て、由奈は慌てて手を振る。「あ、今のは冗談。私だってわがままを言うつもりはないよ。大事な仕事なら、そっちを優先して当然。気にしないで」祐一は少し掠れた声で言った。「悪いな。加藤を迎えによこすよ」「うん、わかった」二人は商店街の出口で別れた。由奈は祐一を乗せた車が見えなくなるまで見送り、その後スマホのアルバムを開く。並んでいるのは十数枚の写真。そのどれにも祐一が映っている。胸がもやもやして、頭の中では二つの気持ちがせめぎ合っていた。――妊娠のこと、もう話してしまえばいいのに。――でも、あの人は何も説明しないまま離婚を切り出した。こっちの気持ちなんて考えてくれなかったのに、どうして私だけ気遣わなきゃいけないの?――だけど、彼が離婚を切り出したのは私を守るためであって……それに、妊娠のことはサプライズで伝えるつもりだったんでしょう?答えの出ない自問自答を続けていると、突然スマホが鳴った。見慣れない番号を見て、由奈は数

  • 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る   第717話

    祐一は我に返り、視線を隣の由奈へ向けた。由奈は真剣な表情で絵馬に願い事を書き込んでいる。「お兄さんも一枚どう?神様に自分の願いを伝えるいいチャンスですよ」社務所のおばさんが並んだ絵馬を指しながら、満面の笑みで話しかけてくる。「じゃあ一枚をお願いします。支払いは彼女の分も一緒に」そう言って祐一は財布を出した。絵馬を受け取ると、祐一はマーカーでさらさらと数文字を書き込み、そのまま絵馬掛所に奉納した。ほんの数分の出来事だったので、由奈はまったく気づいていない。やがて隣まで来る彼に気がづくと、由奈は慌てて絵馬を胸元へ隠した。「見ちゃダメ!」「どうして?」「見られたら願いが叶わないんだって」祐一は数秒黙り込む。そして至極真面目な顔で言った。「でも、絵馬掛所に掛かってる絵馬はみんなに見られてるよな?それなら全部効力なくなってるんじゃないか?」「……」由奈は言葉に詰まった。確かに理屈としては間違っていない。反論できないのが悔しい。眉を寄せて本気で考え込む彼女を見て、祐一は思わず笑った。「分かった。見ないよ」そう言って背を向ける。由奈は書き終えた絵馬を絵馬掛所に奉納した。風が吹き抜け、絵馬同士が触れ合って澄んだ音を鳴らす。それから祐一のもとへ戻り、顔を覗き込んだ。「祐一は書かないの?」「もう書いた」「えっ、いつ?」不思議そうに首を傾げる由奈。祐一は顎で絵馬掛所の方を示した。由奈が振り返ろうとした瞬間――彼は後ろから片手で彼女の目を覆った。「君が言ったんだろ。見たら叶わなくなるって」「え?でも気になる。何書いたの?」由奈は諦めずに追及する。「君が書いた内容を教えてくれれば、教えてやってもいい」由奈は少し考えるふりをしてから、数歩前へ出た。そしてくるりと振り返り、にっこり笑う。「私はね――将来あなたが寂しくならないように、可愛らしいお友達ができますように、って書いたの」言い終えるなり、くすくす笑いながら駆け出した。祐一は呆れ半分、可笑しさ半分で息を吐き、大股でその後を追う。二人は雪化粧した並木の下を遠くまで走っていった。風が吹き、無数の絵馬が澄んだ音を立てる。そこには、数え切れないほどの願い事が書かれていた。その中の一枚、祐一が掛けた絵馬には、整った美しい字で、たった数文字だ

  • 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る   第716話

    翌日、滝沢グループ。麗子はコーヒーを片手に、資料を持って社長室へ入った。室内で書類に目を通している祐一の姿を見た瞬間、思わず足を止める。反射的にコーヒーを背中へ隠した。――おかしい。まだ朝の八時だ。祐一が普段出社するのは、だいたい十時頃。こんな時間に会社にいるなど珍しいにもほどがある。麗子の反応に気づかず、祐一は書類にサインを入れ、ファイルを閉じた。「九時から少し外出する。午前中の案件は君に任せた」麗子は一瞬きょとんとした。「ですが……影山敦さんとの約束は午後なのでは?」「相手は敦さんじゃない」祐一はペンのキャップを閉めながら答える。その表情には、かすかに隠しきれない機嫌の良さが滲んでいた。「由奈に誘われた」「……そうですか」麗子は納得するしかなかった。どうりで早起きなわけだ。仕事ではなく、デートだった。それにしても、離婚した由奈の方から誘うとは。麗子の知る由奈は、自分から積極的に動くタイプではなかった。とはいえ、ここは余計なことは言わない方がいい。そう思った。……九時きっかり、祐一は池上家へ向かった。車が静かに停まると、ほどなくして窓の外に一人の女性の姿が見えた。今日の由奈は、いつにも増して華やかだった。濃紺のロングコートはウエストベルトで美しいシルエットを描き、その下には淡い色のハイネックニット。足元には上質なレザーブーツ。艶やかな黒髪のウェーブが肩に流れ、控えめなメイクが彼女の整った顔立ちをいっそう引き立てていた。今さらだが、彼女が本当に美しいと、祐一は思った。車を降りると、由奈が駆け寄ってくる。だが雪で路面が滑りやすくなっていた。足を取られかけた彼女を、祐一は反射的に抱き留める。その拍子に、せっかく整えた髪が風に乱されてしまった。由奈は慌てて手で整えながら不満そうに言う。「せっかくセットしたのに、また崩れちゃった」「崩れてない」祐一はそう言って、彼女の髪を耳にかけてやった。「すごく綺麗だ」祐一の指先が由奈の耳先をかすめる。少し冷えた温度が伝わり、由奈は思わず肩を震わせた。それ以上に耐えられなかったのは、祐一の視線だった。真っ直ぐで、熱を帯びていて。まともに見つめられると落ち着かない。「ほら、早く行こう!」由奈は誤魔化すように急かした。祐一は低く

  • 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る   第715話

    「そんなことはないのよ」敦美の目にあるのは、ただ息子を案じる気持ちだけだった。母親にとって、我が子が生気を失い、後悔と諦めだけを抱えている姿ほどつらいものはない。「誰かと比べなくていいの。彰は彰なんだから。それに、どんな辛いことだって、いつか終わるのよ」彰は、その言葉を聞いていたのかどうかも分からない。枕を整えると、そのまま横になった。「少し休む」「ほら見てみろ、こいつ――」「もうやめて」敦美は夫の言葉を遮った。目にはうっすら涙が浮かんでいる。「彰を休ませてあげましょう。話なら外で聞くわ」……川の向こう岸にはネオンが帯のように連なり、水面に揺れる光が夜景を彩っていた。由奈と祐一は窓際の席で夕食をとっている。テーブルの上では、グラスに入った冷たいドリンクの中で細かな泡が弾け、デザート皿のタルトにはまだほんのりと温もりが残っていた。祐一はブルーベリータルトを一切れ取り、由奈の皿に載せる。「明日は近くの美術館に行くか、それとも商店街を散歩して市場でも覗いてみるか?」由奈は頬杖をついた。「両方じゃダメ?」「残念だが、午前中しか時間がないんだ」祐一が苦笑する。「そっか。滝沢社長はお忙しいもんね」由奈もため息まじりに笑った。「じゃあ商店街に行こうかな。海都市の古い商店街、久しぶりに行ってみたいし」すると祐一がふいに彼女を見つめた。その視線は鋭く、何かを見透かそうとしているようだった。「いつ栄東市に戻るんだ?」由奈は一瞬だけ固まった。だがすぐにグラスを手に取り、平然を装う。「まだ決めてないの」ひと口飲み、いたずらっぽく笑う。「なに?滝沢社長は私と離れるのが寂しいの?」「別に」由奈の笑みがぴたりと消える。だが祐一は肩をすくめて続けた。「会えなくなるわけじゃないしね」由奈は何も答えなかった。――子どもが生まれるまでは、たぶん会えないだろう。夕食を終え、祐一が会計を済ませる。彼は由奈のコートとバッグを持ち、二人は個室を後にした。由奈はわざと歩く速度を落とす。ただ、彼の背中を見ていたかったからだ。昔から何度も見てきた背中だった。むしろ正面より、背中を見ている時間のほうが長かったかもしれない。けれど今こうして眺めると、その背筋の伸びた端正な立ち姿が妙に新鮮だった。祐一はいつもの癖で手を伸ばした。だが

  • 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る   第714話

    敦美は嗚咽を堪えながら、救急処置室の方を指さした。「まだ……中にいるの……」言葉も途切れ途切れだ。そこまで言うと、彼女は涙を拭った。「慎吾……彰、大丈夫よね?もしあの子に何かあったら……」その言葉に慎吾の胸も締めつけられる。慌てて妻の肩を支えた。「縁起でもないことを言うな」彰は子どもの頃から手のかかる息子だった。成人してからも遊び歩いてばかりで、親を心配させることなど一度や二度ではない。だが、まさか今回は体まで壊し、病院に搬送されることになるとは思わなかった。怒りと焦りが入り混じり、胸が激しく上下する。しばらくしてようやく、「まったく、あの馬鹿息子が……!」と吐き捨てた。やがて救急処置室の扉が開き、医師が出てくる。「先生、息子はどうなんですか?」敦美は周囲の制止も振り切り、ふらつきながら駆け寄った。医師は落ち着いた口調で説明する。「胃洗浄を行い、薬剤も投与しました。現在は命に別状ありません」その言葉に二人はほっと息をついた。だが慎吾はすぐに尋ねる。「先生、一体何があったんですか?息子は普段から酒を飲んでいますが、こんなことになったのは初めてです」医師はカルテを確認しながら答えた。「急性アルコール中毒です。飲酒量が普段の許容量を大幅に超えていた可能性もありますし、複数種類のお酒を大量に混ぜて飲んだことが原因かもしれません。ただ、不幸中の幸いでした。患者さんはうつ伏せの状態だったため、嘔吐物が気道を塞がずに済みました。窒息を起こし、一晩放置されていたら、助からなかった可能性が高いです」そう言って小さくため息をつく。「まだお若いですし、できることなら早めに禁酒を考えた方がいいでしょう」敦美の顔から血の気が引いた。ホテルで見た大量の酒瓶が脳裏によみがえる。数十本はあったはずだ。今になって思えば、背筋が寒くなる。――もし発見がもう少し遅れていたら。そう考えるだけで恐ろしかった。彰はそのまま一般病棟へ移された。慎吾と敦美は付き添い、ずっとベッド脇で見守り続ける。そして数時間後――ようやく彰が目を覚ました。二人は同時に安堵の息を漏らした。「彰、大丈夫?具合はどう?」敦美が優しく問いかける。彰はかすれた声で呟いた。「……喉、渇いた」「今お水を持ってくるわ」敦美は急いで立ち上がった。その横で慎吾は

  • 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る   第713話

    祐一は熱を帯びた眼差しで由奈を見つめたまま、なかなか目を離せなかった。焦っていると思われたくなかったのか、ゆっくりと身を起こして尋ねる。「どうしたんだ、急に?」由奈は顔を上げた。「家にいても暇だったから来ただけ。迷惑だった?」「まさか」彼は、由奈が何のために来たのかなど気にしていなかった。自分を訪ねてきてくれた――それだけで十分だった。「下に新しいカフェができたんだ。なかなか美味しい。土屋に買ってこさせるよ」そう言って内線電話に手を伸ばしかけたところで、由奈が慌ててその手を掴んだ。「コーヒーは飲めないの」祐一が不思議そうに見つめる。由奈はわざと気恥ずかしそうに視線を逸らし、宙ぶらりんになった足を軽く揺らした。「生理中だから」祐一は一瞬言葉に詰まり、軽く咳払いをした。「……そうか」低い声でそう返し、「このあと会議がある。腹が減ったら土屋に言ってくれ」と言った。「うん、分かった」由奈はにっこり笑うと、応接スペースのソファへ移動した。傍らに置かれていた経済誌を手に取り、ページをめくる。仕事の邪魔にならないよう、動作も自然と静かになる。祐一の視線はずっと彼女を追っていた。ソファの隅で小さく身体を丸め、本を読んでいる姿を見ていると、知らず知らずのうちに表情が柔らかくなる。その時、ノックの音が響いた。麗子が入室する。由奈の姿を見ても特に驚いた様子はなく、軽く会釈をしてから祐一へ向き直った。「社長、MI社の役員の皆様がお見えです」「分かった」祐一はジャケットを整えながら歩き出した。だが数歩進んだところで足を止め、再び引き返してくる。由奈の前まで来ると、高い身体を屈めてしゃがみ、彼女と視線を合わせた。「会議が終わるまで、ここにいてくれるか?」その瞳には、わずかな期待が滲んでいた。由奈は雑誌のページの端を指先で弄びながら、目を細めて微笑む。「うーん、どうしようかな」「……帰るつもりなんだな」祐一は苦笑した。立ち上がろうとした瞬間――由奈が突然、彼の腕を引いた。予想外の力に身体が前へ傾く。咄嗟に彼はソファへ腕をつき、どうにか体勢を支えた。二人の距離は一気に縮まる。由奈が少し顔を上げれば、そのまま彼の鼻先にキスできそうなほど近い。麗子は無言で視線を逸らした。祐一の視線を受けながら、由奈は艶やかに微笑む。そして小声で囁

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