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第24話

Author: ハリネズミちゃん
「俺は神崎グループの後継者として育った。

幼い頃から、大人たちの裏切りや駆け引きばかりを見てきた」

和哉の声は低く、けれどどこか自嘲を含んでいた。

「どんな策略にも耐えられるつもりだった。

なのに、身近な人の嘘にだけは簡単に惑わされた。

風鈴の気持ちすら見抜けず、見下して……」

「だから今こうなったのは、俺への報いだ。受け入れるしかない」

泉が冷静に肩を竦める。

「なら潔く諦めるのも男の度量ってもんだろ」

「……本気で愛した人を、どうやって手放せっていうんだ?」

和哉はかすかに笑った。

「遅すぎたけど、気づいたんだ。俺はずっと、風鈴を愛してた。

だから、俺には無理だ」

その時、風鈴のアパートの扉が開いた。

ゆったりしたセーターに髪をざっくりまとめた姿で、彼女が現れる。

和哉の心臓が一瞬止まる。

――そうだ。結婚してからの彼女は、ずっと窮屈そうだった。

今の風鈴は、結婚前の自由で自然な姿に戻っている。

それを奪ったのは、間違いなく自分だ。

「泉、ごめん。夕食、別の日にしよ」

風鈴が静かに言うと、泉は柔らかく笑った。

「もちろん、気にしないよ」

泉が去ると、風鈴は視線を横に移した。

壁にもたれて、サンドイッチを握りしめたままの和哉。

「ノルヂアに長居しすぎじゃない?」

淡々と投げかけられた言葉に、和哉は背筋を伸ばし、サンドイッチをくるんでポケットに押し込む。

「会社はどうしたの?」

「もちろん大事だ」和哉の瞳が輝く。

「でも……君と一緒に帰って、二人でやっていきたい」

風鈴は小さくため息をついた。

彼が「追いかけ直す」と宣言してから、もう十五日。

毎日店を手伝い、子犬のように後をついてくる姿。

無視しようとするほど、目が離せなくなる。

――時間が傷を癒してくれると思っていた。

でも、違った。

再び彼を目にした瞬間、分かった。

強がれると思ったのは、ただの思い込み。

……やっぱり、自分はいまだに彼を愛している。

だからこそ怖い。

また同じ痛みを味わうことが。

「風鈴……一緒に帰ろう。やり直したい」

和哉の声は真摯で、どこまでも真っ直ぐ。

「同情はいらないわ」風鈴は静かに告げる。

「違う!」彼は即座に否定した。

外套の上から、手を腰にあてる。

「俺も考えた。たとえ君の腎臓をもらわなくて
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