LOGIN「あなた!なんであんなこと言ったんです!?」
奏の姿が見えなくなり、奏の母親は父親に詰め寄るように責め立てた。母親からすれば、可愛い一人息子が勘当なんて耐えられないのだろう。 「アイツに私達の後ろ盾がなくて生きていけるはずがない。すぐに泣きついて来るさ」 「それはそうですけど……」 「少し灸をすえるには丁度いい。もう二度と歯向かうことなんてなくなるさ」 「そう、ですね……」 不満は残るものの、父親の強気な態度にそれ以上の言葉は控えた。 *** 奏の職場である病院でも、波紋は広がっていた。 「ねぇ!聞いた!?藤原先生の事!」 「聞いた聞いた!辞めるんでしょ?急よねぇ」 退職すると言う話はあっという間に広まり、看護師だけではなく、患者からも困惑と心配する声が聞こえてきていた。 引き継ぎが終わり次第、退職という事になっているにしろ、なんの素振りも見せずに急な退職に『医療事故』や『パワハラ』を疑う者も少なくない。 「恋人を追いかけて国を出るんでしょ?」 「えぇ!素敵!」 「違うわよ。元恋人らしいわよ」 噂とは怖いもので、真実と嘘が綺麗に混じりあってまた流れていく。 (どこから情報が漏れているのか……) 自らの醜態を晒すはずがないのに、気がつけば噂となって真実が晒されている。 「でもさぁ、それって重くない?」 「それは相手の受け取り方じゃない?私は愛されてるって思ってヨリを戻しちゃうかも」 「えぇ!?私は無理。一度別れてるって事は、相手に嫌いな部分があったからでしょ?」 看護師達の言葉が刃となって、奏の胸を容赦なく突き刺してくる。結花が眠りに付き、煌と二人の時間になった。「なあ……帰りのあれ、本心か?」 「え?」 「俺と結婚を前提ってやつ」 「あ」 あの時は奏を諦めさせるために、それしか答えが出てこなかったけど、改めて考えると恥ずかしくなってきた。「今更なかったなんて言わないよな?」 「えっと……いいの?」 「当たり前だろ」 なんか売り言葉に買い言葉のようになってしまったから、納得できないんじゃないかなと思ってた。 煌からすれば、柚の口から聞けただけで十分だった。それが例え、その場限りのものだとしても……「ずっと夢見てたんだ。お前と一緒になることが俺の夢だったんだ」 柚を自分の腕に抱き寄せながら伝えた。 柚は微かに震える煌の肩に手を回した。言葉にしなくても、その仕草で煌の心は晴れやかになる。「柚……」 そっと顔を見つめると、どちともなく唇を寄せ合い深いキスを交わした。 *** 奏はホテルで酒を呷っていた。 窓に輝く街の灯りは腹が立つほど綺麗で、遥乃と付き合って頃を思い出させた。「奏くん、綺麗ね」 「そう?ただの灯りじゃないか」 「もう、乙女心がわかってない」 夜景の見えると話題の観覧車に乗った時の会話だ。素っ気ない態度を取って怒らせてしまった。 カップルばかりで、何となく居心地が悪くて夜景なんてどうでもいいから早く終われと思いながら乗っていたのを覚えてる。僕はつまらなそうにしていても、遥乃はとても楽しそうに顔を輝かせて外を眺めていたな…… 今なら共感できる。凄く綺麗だ。 そう思っても、伝える相手がいない。それがどれだけ寂しくて虚しい事か…… 奏の頬を一筋の涙が伝った。「ッ!?」
いつも通りの時間に仕事を終えた柚は、会社の前で煌が終るのを待っていた。 季節は暖かい時期を過ぎ、肌寒くなってきていた。(さむっ) 手を擦りながら行きかう人の顔を見ていると、忙しなく歩く人や笑顔で楽しそうに会話をしながら歩く人。手を繋ぎながらあるくカップルなど、いろんな人が目につく。 その中で、ある人に視線が止まった。(あ、れ?) 相手も、こちらの視線に気が付いたのか、こっちに向かって歩いて来る。まさか……という思いが頭をよぎる。「柚」 笑顔で名前を呼ぶその人は、紛れもなく奏その人……「なんで……?」 「ごめん。迷惑なのは分かってる。だけど、やっぱり君の事が諦められない」 困惑する私を余所に、自分の気持ちを伝えてくる。今そんな事を言われても、理解が追い付かない。「仕事は終わったんだろ?少しだけ話せるかな?」 眉を下げ、遠慮しがちに言われても、前に進むと決断した今、こちらには話す事など何もない。ここで奏の話を聞けば、変な期待を持たせることにもなる。「……私は貴方と話すことはない」 「少しでいい」 「やめて。こんな所までやって来てどういうつもり?」 「僕はもう君を失いたくないんだ」 「随分、自分勝手な事いうのね」 こんな所で口論していれば、嫌でも目に付く。会社の前という事もあって、知った顔もちらほら視界に入る。「本当に迷惑なの」 「どうしたら、償える?」 「二度と目の前に現れないで」 「それはできない」 一向に引こうとしない奏に、溜息しか出ない。そんな時、煌が会社から出てくるが見えた。「私、彼と結婚を前提に付き合ってるの」 煌を指しながら奏に伝えた。「え?」 それに驚いたのは奏んだけではなく、煌も同じこと。目を見
煌は苛立っていた。 奏に会った事で早朝会議には遅れ、巻き返そうとしたら手元に置いたコーヒーをこぼし、書類を駄目にしてしまった。 奏に会ったと言うだけでも憂鬱だってのに、悪い事は重なるものだと、頭を抱えながら息を吐いた。 柚が遭遇していないか心配だったが、出社して来た柚を見る限り、接触した様子はない。「なに?眉間に皺なんか寄せて……みんな怖がってるじゃない」 「ああ、すまない」 柚に注意され、寄っていた皺を伸ばすように眉間に手をやった。「何かあったの?」 「お、心配してくれるのか?」 「ち、違う!職場の雰囲気が悪くなるから!」 軽口で応対する俺に、柚は顔を真っ赤にさせて怒った風に見せてくる。だが、心配してくれているのは見れば分かる。(くくくっ、本当に嘘が付けないな) ここが職場じゃなければ抱きしめていた所だ。「今日は仕事早く切り上げるから一緒に帰ろう」 わざと耳打ちする様に言えば、更に顔を赤らめる。こうした一つ一つの仕草までが愛おしい。(もう重症だな) 自分で自覚がある分、救いがあるか。 *** 煌から告白を受けた。 驚きはあったものの、どこかで桜と私に接する態度や仕草が違う事に気が付いていたのに、気付かないフリをしていたのかもしれない。それも煌には知られていたのかもしれない。言葉にしてしまえば、私を困らせることになると……(困ったな……) いや、困ったという表現は違う気がする。だって、このまま煌と一緒になるのが私にとっても結花にとっても一番いい選択だと思っている。「はい」そう一言伝えるだけなのに、その一言が出てこない。 どうしても、奏の顔がチラついてしまう。いつまでも私の心の奥底にしがみついていて離れてくれない。……そうしているのは私自身なのかもしれない……
いつもより少し早い出勤の煌は「行ってらっしゃい」と、柚と結花に送り出されて家を出た。 マンションを出た所で、空を見上げながら口角を吊り上げた。 ここ最近の柚の態度が明らかに変化したからだ。 俺の事を兄として慕っていたが、その兄が実は自分の事を想っているのを知ったんだ。少しぐらいは反応してもらわなければ困る。 今までは体を密着させても顔色一つ変えなかったのに、今では少し手が触れただけで顔を真っ赤にして意識してくれている。それが、堪らなく可愛くてもっといじめたくなる。 ──もっと俺の知らない柚を見たい。 男として認識されれば、後はこっちのもの。 ほくそ笑みながら会社へと向かって足を進めていると、一人の老人が苦しそうに蹲っているのが見えた。 「どうしました!?大丈夫ですか!?」 慌てて駆け寄り声をかけるが、呼吸が荒く声すらも出せないような状態だった。 (まずいな) 煌はすかさずスマホを手に取ると、救急車を呼ぼうとボタンを押した。 「どうしました!?」 電話を掛けていると、駆けつけてくる人影が見えた。 「僕は医者です!」 そういう男の顔を、煌は知っていた。だが、今はそんな事より人命救助が先だ。 慌ただしく動いていると、いつの間にか辺りは人集りになり、老人の家族だという人もやってきた。 奏の処置が良かったのか、すぐに容態は安定したが、大事をとって救急車で病院へと搬送されて行った。 「本当にありがとうございます」 妻だと言う人に何度も何度も頭を下げられたが、当然の事をしたまでだと伝えておいた。 救急車を見送り、辺りも落ち着きを取り戻したのを見計らってから奏に向き合った。
「ごめん、ちょっとトイレ!」 「あ、おい!」 結花を煌に任せて、奏の姿が見えた当たりまで来ると、その姿を探した。だが、奏の姿は見当たらなかった。(見間違い……よね) いくらなんでも他人の空似だと思うが、何故か胸騒ぎが収まらない。「どうした!?」 私の様子を気にした煌と結花も慌ててやってきた。「ううん。なんでもない」 「すまん……俺の気が焦ったせいでお前を戸惑わせた」 煌は自分の告白のせいで逃げ出したと思っているようだった。「いや、本当に何でもないの!知り合いに似ている人が居たから……」 「知り合い?」 その言葉を聞いて、煌の眉間に皺が寄った。「あ、でも気のせいだったみたい。こんなところにいるはずないし……」 煌の目が光る中、気まずそうに目を逸らしながらそう伝えた。(誰とは口にしていないが、コイツがここまで気にする人物は一人しかいない) まさかと思いながらも、煌も辺りを見渡し奏の姿を探してみるがその姿を捉えることは出来なかった。ホッと安堵すると、柚と結花の手を取った。「よしっ、あっちに観覧車があるんだ。乗らないか?」 「乗る!」 「え、ちょっと待って!」 結花と煌に引っ張られるように手を引かれて行った。 その後は、奏の事なんて忘れるほど楽しい一日を過ごした。結花もずっと笑顔で、とても楽しそうだった。帰りは案の定、煌の背中で規則正しい寝息を立てていた。「結花も随分重くなったな」 「ごめんね。代わる?」 「いや、そういう事で言ったんじゃない。子供の成長は早いんだなと実感していた所だ」 「そうね。あっという間に私の元からも離れて行っちゃうわよ」 そうなったら、私は本当に一人きりになってしまう。寂しくないと言えば嘘になるが……「俺がいる」
次の日、煌は約束通り、私と結花を連れて大きなショッピングモールへやって来ていた。 沢山の店舗が入っていて、見ているだけでも楽しい。結花も目を輝かかせて、どの店から回ろうか吟味している様だった。 「ねぇ!こっちこっち!」 「こら、走るんじゃない」 煌に注意されても、気にせず一人で先に行ってしまう。 「まったくアイツは……」 「ふふふ、それだけ楽しいのよ」 ブツブツ文句は言うが、しっかり迷子にならないように目を光らせている煌を見て、思わず笑えてしまった。 「ママ!アイス食べたい!」 そう言いながら目の前の店を指さしていた。しっかりしているように見えても、こういう所は子供らしいと少しほっとしながら結花の元へ急いだ。 「お嬢ちゃん、今日はパパとママとお出かけ?」 「うん!」 「え!?」 私達の姿を見た店員の女の子が笑顔で声をかけたかと思えば、結花は満面の笑みで返事を返していた。その姿に思わず声がでた。 傍から見ればこの構成は家族のように見えておかしくないが、本来の関係性はまったく違う。 (ここで変に否定するのものな……) 変な疑惑を持たれそうだし……かといって否定しないのもどうなの?と必死に頭を巡らせていると、煌が肩を抱いてきた。 「良かったな結花。お姉さんに礼を言いなさい」 「うん。ありがとう!」 「いいえ。こちらこそありがとうございました」 結花は二つ乗ったアイスクリームを落とさないように持つと、嬉しそうにベンチに腰かけて食べ始めた。 「あんなに頬張っちゃって」 少し離れたところから微笑みながら呟いた。 「なあ」







