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性的不能者である夫を諦めた
性的不能者である夫を諦めた
Author: 十三という素数

第1話

Author: 十三という素数
私、江崎和穂(えざき かずほ)はアダルトグッズのネットショップを開いている。

百パーセント好評のランジェリー商品に、ある日ひとつだけ低評価がついた。【この色はダメ。夫が気に入らないって】

するとネット上の誰かが追及した。【それって……旦那さんのほうがダメなんじゃないの?】

購入者が追記した。【まさか!紫色に替えたら、夫が急に元気になったんだから!】

私は添付されていたライブ画像を開いた。

女性は頬を紅潮させ、恍惚とした表情で甘い吐息を漏らし、揺れる身体が快楽に震えていた。

カメラに背を向けた男性が彼女に覆いかぶさり、激しく腰を動かしている。片手は、女性が彼の肩に乗せた足をしっかりと掴んでいた。

その瞬間、私の指先がぴたりと止まった。

男性の手首に、半月型の傷跡があった。

あの年、篠原周平(しのはら しゅうへい)が私を庇って受けた傷、まさに同じ場所だ。

その時、彼は笑いながら言っていた。「傷が残ったほうがいいだろ?どこにいても、すぐ俺の手だって分かるから」

今年で、私は周平と結婚して八年目。

そして、私たちのセックスレスの結婚生活も、八年目を迎えていた。

疑いを確かめるために、その夜、私はあの紫色のランジェリーに着替えた。

深夜一時、周平が扉を押して入ってきた。

私を一瞥した瞬間、彼の喉仏が上下し、耳の先がほんのり赤くなる。「和穂、ごめん。今日は学生の研究テーマを見ていて帰りが遅くなった。長く待たせた?」

私は黙って彼の上着を脱がせた。

片手を彼の肩に回し、もう片方の手は器用に衣服の中へ滑り込ませる。

紫色が私の白く柔らかな肌を一層引き立て、半分ほど覆われた胸、そして私がわざと近づけたせいで、もともと少ない布地がほとんど私の体を包みきれていない。

指先を彼のベルトへとなぞらせ、潤んだ目で彼を見つめる。「周平……私たち、もう一度……試してみない?」

彼は視線を逸らし、反射的に私を押し離した。「和穂、やめなさい。

……俺には無理だって、前に言っただろ。君だって、セックスレスで構わないって……

それ、脱いで……君には似合わない」

突然、涙がぽろりと落ちて、私は苦笑した。「似合わないのは……服?それとも、私?」

彼は困ったように私を見つめ、眉をひそめた。「和穂、何を言ってるんだ?今日はどうした?」

私は首を振り、寝室へ向かった。「なんでもないよ。忘れて」

部屋に戻ると、不意に思い出す。

彼がいつも深夜に帰ること。首につく口紅。身体につく香水の匂い。そして手首に残る縛られたような痕。

彼はいつも「ちょっとした事故だ」、「不注意だ」とごまかされてきた。

八年もの間、私たちが一度も身体を重ねていないにもかかわらず、私は一度も疑わなかった。

もしかしたら全部、本当に偶然で……私が敏感すぎるだけなのかもしれない。

私は眠れず、考えが渦を巻く。

ベッドが沈み、周平がそっと私を抱き寄せた。

抑えきれず、私は口を開いた。「周平、もし……もし私が離婚したいって言ったら……」

「俺は何も持たずに家を出ていく。君が幸せになれるなら、それでいい」言い終える前に、彼はきっぱりと言い切った。

彼が私を強く抱きしめると、慣れ親しんだ冷たい木の香りが私を包み込み、温かい息が首筋に降り注いだ。

一滴の冷たい涙が落ち、その後にくぐもった声が続いた。「ごめん……俺が悪い。君の望む人生をあげられなくて」

ここまで自責している人に、私はなんてことを言ったのだろう。

あの半月型の傷跡一つで、彼を断罪するなんて。

「もし離婚するなら、前もって教えて。荷物をまとめて出ていくから」

泣き声を堪える彼の声を聞き、私は完全に疑いを捨てた。

私は向き直って彼を抱き返し、そっと慰めた。「離婚なんてしないよ。さっきのは、ほんの冗談。気にしないで」

胸の奥に罪悪感が広がり、自分の軽率な言葉を悔いた。

私はよく眠れなかった。

夜半、微かな物音で目が覚めた。

隣が空っぽだった。

トイレから細い声が漏れていた。

周平の必死に息を殺す声。「愛してる……もう、我慢できない……」

スマホから女の甘い声が響く。「すごい……もっと強くして……」

いやらしい喘ぎと彼のうめきが夜に響き渡る。

彼は扉に背を向け、片手にスマホの動画。もう片手は激しく自身をしごいていた。

私は全身の血が凍りつき、息さえ忘れた。

なるほど。私の想像でも、私が敏感すぎたわけでもなかった。周平は、本当に浮気をしていた。

彼は「できない」んじゃない。ただ……私にはできなかっただけ。

私は静かにベッドへ戻り、震える身体を抱え込んだ。涙が枕をじわりと濡らしていく。

しばらくして、周平が戻ってきた。

彼は私の首元に顔を埋めた。薄い汗の匂いに、胃がひっくり返る。

私が愚かだった。

八年間も、彼を見誤っていたなんて。

彼が眠りについた後、私はそっと彼のスマホを開いた。

信じていたから、一度も見たことのないスマホだった。

一番上に表示されているチャットは、私ではなく、「温井汐織(ぬくい しおり)」という名前の女性だ。

アイコンは、あの購入者のアイコンと全く同じ。

スクロールすると、彼女が夫の不倫相手の唯一の女性ではないと知った。ただ、最近の一人に過ぎなかった。

彼とそれらの女性たちとのやり取りは、見るに堪えない内容だった。

【今夜は車の中で試してみない?】

【可愛すぎ。会議中に君のあれをちょんと押したら、もう硬くなっちゃった】

【ハニー、昨日は最高だった。今日は俺が君を気持ちよくしてあげる】

……

動画の中で、二人は数えきれないほど体位を変えていた。

相手を喜ばせるために、彼は必死に、卑屈なほどに奉仕していた。

その獣のような姿は、私がこれまで一度も見たことのない彼だった。

そこにいたのは、私の知らない周平。

八年にわたる結婚生活は、結局のところ、彼が私のために用意した精巧な芝居に過ぎなかった。
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