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第4話

作者: 珠々
医師は2人のやり取りを、ただの夫婦喧嘩だと思ったらしく、慌てて間に入ろうとした。「お二人とも、落ち着いてください。奥様のお腹には――」

「先生」

その言葉を、渚が遮った。上体を起こし、医師のほうを向く。「お薬を取ってきてくださるんじゃなかったんですか?」

医師は一瞬、戸惑ったように渚を見た。けれど、彼女の意図を察したのか、それ以上は何も言わなかった。

「……分かりました。すぐにお持ちします」

そう言い残し、病室を出ていく。

扉が閉まると、洋介は再び渚に視線を向けた。「さっき、医者がお腹って言ってただろ。お腹がどうした?」

渚はわずかに視線を逸らした。「別に。お腹にも傷があるって話だよ」

適当に言って、その場をやり過ごそうとする。

洋介の表情がほんの少しだけ強張ったが、口調は冷たいままだった。「美波に手を出さなければ、階段から落ちることもなかったんだ。今回のことは、そもそもお前が悪い。美波に謝れ」

渚は、首を横に振った。「私は悪くないのに、どうして謝らなきゃいけないの?レストランには防犯カメラがあるでしょう。映像を見れば、何があったか分かるはずだよ」

その言葉に、洋介の顔がさらに険しくなった。「見る必要なんかない。俺は、美波を信じてる。お前は黙って謝ればいいんだ!」

渚は小さく息を吐いた。

階段から突き落とされ、身体にはまだ鈍い痛みが残っている。

お腹の子は無事だった。今の自分に必要なのは、安静にして身体を整えることだけだ。これ以上、洋介と無意味な言い争いをする気力もない。

「……謝れば、放っておいてくれるの?」

どこか力の抜けた声だった。

洋介は、その言葉に一瞬だけ眉をひそめた。

――渚の様子が、いつもと違う。

そんな違和感が胸をかすめたが、結局黙ったまま頷いた。

渚はそれ以上、何も言わなかった。ベッドを降りると、そのまま美波の病室へ向かう。

扉を開け、美波の前に立つ。

「……ごめんなさい」

そう言って、渚はすぐに洋介へ視線を向ける。「これでいい?」

返事を待つこともなく、彼女は背を向け、病室を出ていく。

あとに残された洋介が、苦い表情のまま、その背中を見つめていた。

それから数日。

入院している間、渚は看護師たちの話から、洋介と美波のことを嫌でも耳にすることになった。

洋介が美波にどれほど献身的なのか。

軽い怪我だったにもかかわらず、市内でも指折りの医師を呼び集め、いつでも美波のそばに待機させていること。美波が何か食べたいと言えば、自分の手で口元まで運んで食べさせること。トイレに行くときでさえ、彼女を抱き上げて入口まで連れて行くこと。

誰もが、洋介の一途な愛情を羨んでいた。

けれど、渚は聞こえなかったふりをした。もう、それは自分とは関係のないことだ。今はただ、身体を休めることだけを考えたい。

退院の日、すべての検査を終えたあと、医師は改めて渚に告げた。「赤ちゃんはとても元気ですよ」

渚はほっと息をつき、そっと自分のお腹に手を当てた。

しばらく迷ったあと、ふと医師に尋ねる。「先生。もし……一卵性双生児の兄弟がそれぞれ父親になった場合、生まれてくる子供は、よく似ることがあるんでしょうか?」

少し変わった質問に、医師は一瞬きょとんとした。それから、穏やかに答える。「父親の遺伝的な特徴が強く出れば、似てくる可能性はありますよ。ただ、遺伝の表れ方には個人差があります」

「……そうですか」渚は、ほっとしたように微笑んだ。「ありがとうございます」

医師に礼を言うと、渚は診察室を出た。

ところが、正面玄関まで来たところで、美波と鉢合わせる。

どうやら彼女も、今日退院するらしい。

その隣には、当然のように洋介がいた。

渚の姿を見つけると、美波はいつもの無邪気な笑顔を見せた。「渚さん。この前のことは、もう気にしてませんから。これからも仲良くしましょうね」

そして、何事もなかったような口調で続ける。

「そうそう。退院祝いに、洋介がみんなを集めてくれたんです。渚さんも一緒に行きましょう」

「いえ、私は――」

断る間も与えず、美波は渚の腕を取った。そのまま、半ば強引に車へと連れて行く。

やがて、会場となった店の個室に着くと、2人の共通の友人たちはすでに集まっていた。

その夜も、洋介は美波の世話を焼いてばかりだった。果物の皮をむいてやり、酒を勧められれば代わりに断る。美波の足元が冷えないよう、自分のジャケットをそっと膝にかける。

その様子を見ていた周囲は、羨ましそうに笑っていた。

けれど、渚だけは2人のほうを一度も見なかった。

やがて誰かが、ゲームをしようと言い出した。負けた者は、「本音を話す」か「酒を飲む」かを選ぶ。

ゲームが始まり、しばらくした頃。

渚が一度、負けた。

それまでにも美波が何度か負けていたが、そのたびに洋介が代わりに酒を飲んでいた。渚は、自分の番ではそんなことは起こらないと分かっていた。

だから、迷わず「本音を話す」という選択肢を選んだ。

誰かが、面白そうに笑い、ちらりと美波のほうを見やる。

洋介、美波、そして渚。3人の関係を知っている者は、意味ありげな笑顔を見せる。

「じゃあ、一つ聞いてもいいですか?渚さんが好きな人って――この中にいます?」

渚は顔を上げなかった。ただ、目の前に置かれたジュースを一口飲む。そして、静かに答えた。

「いません」

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