朝の教室、制服を着た生徒達がざわつく。もうすぐ担任が来るというのに。それはいつものことだろうが、少し何か違う。
窓際で本を読みながら級長の宮部清太郎はそれを感じ取っていた。というか知っていた。担任から今日は転校生が来ると。 神奈川県から引っ越してきて、以前清太郎と同じ故郷に住んでいたと。級長としてだけではなく、他にも訳があってクラスに馴染めるようサポートしてくれないかと言われたのである。 名前を聞いて清太郎はハッとした。そしてこの日を少し心待ちにしていたとは周りには言えなかった。 「ねぇ、なんかみんな騒がしいけどなんでなんで」 転校生が来ることを知らない一部の生徒。 「もしかして橘綾人と尊タケルのダブル主演BLドラマの話のこと?」 「それは朝のワイドショーやってたから誰でも知ってるから違う。今日転校生が来るんだって……ねぇ、宮部くん」 と、急に振られて清太郎は頷く。転校生が来ると知っていた数名、そして声のでかい女子生徒が「転校生」と言うキーワードを発したらさらに教室はざわつく。 転校生が誰かを知ってるのは級長で同郷である清太郎だけだったから。 「ねぇ、どんな人? イケメン?」 「いや、男とは言わんだろ、ほら……宮部の横の席空いてるから女の子だろ」 「えー、なんで宮部くんしか知らないの。ずるーい。さらに口硬いから一切教えてくれないし!」 詰め寄られる清太郎は読んでいた本、中山七里の殺人鬼カエル男を顔で覆う。朝から似つかわしい本を読むものだと思うが。 でも自分が言わなくてもすぐわかるだろうと言わなかっただけでもある。 「おい、お前ら席につけ!」 チャイムと共に大きな声の担任が入ってきた。まだその転校生は入ってきていない。生徒達は慌てて自分の席に着く。高校2年生ともあり、内申点を気にしてか教師のことは従わなくてはという生徒もいるのだろう。 清太郎はため息をついて本に栞を挟んで席に戻って 「起立、礼」 と声を出す。 「おはようございます」 教室に声が響く。 清太郎は声がでなかった。なぜかというと扉の向こうに立っていた転校生の女子生徒、藍里と目があったからだ。 清太郎と藍里は中学を上がる前に離れ離れになった。急にだ。 子供の頃からずっと仲良かった、バイバイといえば次の日も会える、と思ってたのに。 この数年間、なぜ会えなかったのか。もう会うこともできないのかと。 高校2年生の夏休み明けにこのような形で再会して2人はずっと見つめ合っていた。 「宮部くん、どうしたのずっと立ってて……てかあんたが着席って言わないとみんな着席しないんだけど」 前の席の女子に言われ清太郎は慌てて 「着席っ!!!」 と、言うと教室は大爆笑。藍里も笑っていた。 「実は宮部と百田さんは同郷……幼馴染らしい」 余計なことを言うなよ、と清太郎は頭をかくが藍里は彼を見ている。 「はじめまして、神奈川からきました百田藍里です。先生がご紹介してくださった通り私は隣の岐阜県で生まれました。訳あって中学前に母と神奈川に行き、また隣の県ですが愛知県に戻ってきました。この辺りはよくわかりませんが、早く慣れて遊びに行きたいです」 藍里は緊張しつつもサラサラと話すそのそぶりを見てクラスメイト達はハッとする。 姿勢も良く、容姿も整った藍里にクラスメイトたちは惚れ惚れする。 そして変に清太郎と藍里を茶化すことはしなかった。 そして藍里が清太郎の横の席に座る。 「……久しぶりやな、藍里。てか苗字は……」 「まぁ色々あってさ」 「……色々」 清太郎は担任の目を気にして喋りかけるのはやめた。藍里の横顔を見て最後に見たあの時の姿と比べる。 こんなに美しくなったのか、と。 藍里も清太郎の目線が黒板に移った同時に彼を見る。あの頃は自分よりも小さかった彼も自分よりも背が高いであろう、そして喉仏。子供っぽさが抜けて大人の男に近づいた横顔にドキッとする。 しかし、彼女は少し苦い顔をしている。 「なんでこのタイミングで?」さくらは綾人の声が聞こえるなりビクッと身体を起こした。そして毛布をその場に叩き落として部屋に入っていった。 しまった、という顔を互いにして見つめ合う。テレビには綾人がニコッとして微笑みながら他局のエンタメニュースでも出ていた新CMのこの番組のための宣伝だった。 やはりこの番組にはお世話になってたとにこやかに話す綾人。ちらっと過去の映像も流れる。そして最後はやはりCMの話題に戻って終わった。「……」 藍里は久しぶりにとまではいかないが意識的にテレビを見た父、綾人の姿に懐かしい気持ちを思い出した。ずっと彼と会っていないのだが、最後に会った時の面影も残しつつもそれから人気になりスターとなり洗練されてさらにカッコ良くなった父に見とれていた。「綾人さん、かっこいいよね。こんなことはさくらさんの前では言えないけどさ」「……かっこいいよ、パパは」 2人の間で何ともいえない空気が流れる。さくらの部屋からは啜り泣く声も聞こえる。藍里はテレビの電源を切り、椅子に座って朝ごはんを食べ始めた。 ピザトースト、コーンスープ、ヨーグルト、バナナ、牛乳。「ママのところに行かなくていいの?」 藍里は時雨に聞く。「……後で行く。多分今何言ってもダメだし」「さっきもママに何か言われてたよね」「僕の言葉がいけなかったから……うん。今は何言ってもさくらさんにはネガティヴに捉えられてしまうから」 と時雨もピザトーストを齧る。いつも2人は一緒にご飯を食べる。朝はさくらが仕事でいない時もあるからだ。 時雨が来る前は1人で食べる時が多かった。今ならいつも時雨がいる。バイト先で食べている時以外、彼の作った温かいご飯をいつも食べられる藍里。 家のこと全てをやってくれている時雨にさくらの機嫌の悪さ、感情を全てぶつけられる時雨に少し申し訳ないと思うが今は彼と2人きりでいられる時間が増えたと思うと少し嬉しい。 なんで時雨は複雑な過去を持つさくらと付き合っているのだろう、そしてそのさくらの娘である藍里と一緒にいるのだろうか、と藍里は思ったこともあったのだが。 しかしそれよりも綾人のことが気になる藍里であった。 ご飯を食べ終え、身なりを整えて藍里は時雨の作ってくれて弁当を持って学校に向かった。「行ってらっしゃい」「いってきます……ごめんね、ママのこと」「大丈夫、帰ってきた頃には良く
さくらは台所に置いてあったお弁当箱をいつも忘れないように玄関に置きにいくと、リビングからさくらの声が聞こえた。 朝からよくもまぁそんな大きな声を出せるなぁと藍里は思いながらもリビングに戻る。「もう知らないっ!」「ごめん、さくらさん……あ、藍里ちゃん」 時雨は困った顔をしていた。こういう場面は初めてではなかったが、たった少し部屋を離れただけで怒りの沸点に達するさくらは相当今日はカリカリしている、触れない方がいいと藍里はもうずっと一緒にいるからわかってはいる。だからあえてさくらのもとには行かないようにした。「食べる? 朝ごはん」「うん、食べる。ママは食べたの?」 ソファーに毛布をかぶって横になるさくらを横目に椅子に座る藍里。時雨は首を横に振った。「じゃあ今から用意するから待っててね」 時雨が台所に行っている間にリビングのテレビのチャンネルをザッピングする。 朝はいつも同じ番組を流し、天気予報にメインニュース、芸能情報、最近のトレンド、そして占いを見るころには藍里の出る時間だ。 いつもよりも早く起きたから少し見たことないコーナーが流れる。他の局の番組に変えるのも楽しいものだと変えていくと地元の情報番組に手が止まった。 藍里が岐阜の頃によく見ていたなぁと。父はこの番組を好んで見ていた。愛知出身の男女2人のタレントが朝から名古屋弁を捲し立ててやっていたのだが10年くらい前にアナウンサーがMCとなり、いまだにタイトルも変わらず地元の情報をメインに伝えている。 実は藍里の父は地元のコーナーで素人代表でレポーターをしていたらしい。 最初は野次馬の1人だったがとあるコーナーで目をつけられて、地元の劇団員ともあって柔軟に対応もでき、背も高く顔もそこそこよかったからスカウトされて藍里が生まれる前からの何年か出ていた、と母から聞かされていたのを思い出した。 その番組に出なくなっても父はその番組を見ていた。だから藍里も当たり前のように見ていた。 岐阜から出てようやく神奈川での生活が落ち着いた頃に、朝その番組をつけたが全く違う番組がやっていて落胆したことも。県外で暮らしたことがなかった藍里はあれが東海地方限定の番組であることを知るのは少ししてからであった。 ようやくその番組を見れる地域に戻ったがさくらの前ではつけるのは躊躇したが今日は何の気なしにその局に変
台所を通ると時雨が朝ごはんを作っていた時雨。藍里の弁当箱はもう保冷バッグに入っている。「おはよ、早かったね」「う、うん……あのね」 藍里は洗濯物のことを言おうとするとリビングから音が聞こえた。テレビがついている。そしてさくらが起きていることに気づく。「さくらさんも、起きてるんだけどさ……」「ママも早いよね」「僕が起きたら起きちゃって5時からずっとリビングでテレビ見てたんだけど」 母親が機嫌悪い、それを聞くとひやっとする藍里。機嫌の悪いさくらは少し苦手なのだ。 すると時雨が台所の奥に藍里を手招く。そしてリビングにいるさくらに聞こえないように小声で伝えてくれた。「さっきテレビで……前の旦那さんが出ててさ」「パパ……」「そっから機嫌悪くなってさ」 小声でこそっと話を少しいつもより近い距離でするのにどきっとする藍里。洗濯物のことはいつ言えばいいのか……もどかしくなる。 するとリビングから声がした。「時雨くーん」「はーい」 近くの距離でいられた時間はあっという間に終わった。 まだドキドキはしていた。 あんなに近くで話したのは藍里にとっては初めてだった。 ほのかに匂う柑橘系、正直彼が初めて家に来た頃は女世帯の家に1人の男性が来たのもあってか、家の中の匂いが変わったのを藍里は感じとった。 父といた頃、父はいい香りの香水をつけていた。何と言う香水だったか、レモンの匂い……そして微かに彼の吸っていたタバコの匂い。 タバコの煙は苦手だったが父の匂いは嫌ではなかった。父と住まなくなってから次第に臭いはなくなり、なんか寂しくなった時期もあったが次第に慣れていくのが不思議と感じる。 そして久しぶりの男の人の匂い。そういえば、と藍里は思い出した。父と最後にいた頃の年齢と時雨の年齢は同じくらいだ。 時雨は今はタバコを吸わないが家に来た頃はタバコを吸っていたらしい。 今は働いてないからと吸ってはない。 きっと彼も香水かなにかレモン系のものを身体に纏っているのだろうか、来た頃にふと香る匂いに藍里は懐かしさを感じた。
次の日、藍里はハッとして目が覚めた。何かお尻から冷たい感じが……。 飛び上がってみるとお尻の辺りから血が。そう、藍里も生理が来てしまったのだ。幸いまだそこまで大量ではないのだが、ショーツはもちろんズボン、敷布団の上に載っている敷きパッドが血で汚れた。「最悪」 自分自身も時雨に恋をし、ひさしぶりに幼馴染に会って成長した姿に浮かれてしまったのか? と思いながらも敷きパッドを丸めて持って洗面所に向かう。 まだ朝も早い。台所には時雨はいるとして洗面所に向かうまでにお尻の血のシミが見えないよう前後逆にして、制服一式も持っていきこっそり部屋から出て洗面所に向かう。 ちなみに生理用品はさくらが買ってきて、血で汚れた場合は自分達で洗う。もちろん敷きパッドとかと同様だ。それはさくらと藍里母娘が時雨と同棲する時に決めたルールでもあった。 藍里はまず新しい生理用のショーツに夜用のナプキンをつけてタオルと共に置いておく。夜用にしたのもこの数年自分の血液の流出する量が多いとわかっているからである。 全部服を脱いでシャワーを浴びる。髪の毛はしっかり束ねて。 まだ始まったばかりなのかそこまでは出てくることはなかった。 もしかして、と昨日のちくんとする痛みは恋の苦しみではなくて生理前だったからなのかと。 浴室で体をタオルで拭き、ナプキンをつけたショーツを履き、浴室から出る。 ついでにシャツも替えて制服を着る。その時だった。 トントン 扉を叩く音。藍里はびっくりした。「藍里ちゃん?」 時雨の声だった。きっとシャワーの音が聞こえたからか来たのだろう。今からショーツやシーツに着いた血液汚れを流そうとしたのだが。「う、うん」「ごめん……洗濯したいんだけどシャワーならまた後で呼んでね」「わかった」 藍里は心臓がバクバクと言っているのに気づく。鍵はかけられる洗面所だった。 慌てて血液洗剤を取り出してかけたらたくさん出てしまって慌てる。 しかもいつもよりも朝早く目が覚めて少し眠い。 生理が来るたび女じゃなきゃよかったのにと口走ってしまう藍里。さくらも頷いていた。 でもこの数日辛いだけで乗り越えればなんとかなる、また汚したりしないだろうか。 それを時雨に見られてしまったら。恥ずかしい、そんな気持ちばかりだ。 完全には落ちたわけではないかある程度汚れは落ちた。血
家に帰ると遅くなるはずだったさくらがリビングのソファーで横になっていた。毛布でくるまっている。スマホを触りながら。「ただいま、ママ」「おかえりなさい、藍里」 気だるそうにしているのを見て藍里は察した。きっと生理だ、と。「おかえり、藍里ちゃん……何か飲む?」「うん、お茶飲む」 わかった、と時雨は台所に戻った。さくらの口元を見ると少し赤くなってる。 あのエビチリを食べたんだろうな、と思いながら藍里は一旦部屋に戻って部屋着に着替えてリビングに戻った。 その頃にはもうお茶が置いてあった。「ちょっと早く生理来ちゃったー。明日明後日休むわ……」「わかったよ。無理しないでね」「ありがとう」 と目を伏せてもスマホには目を通しているさくら。 何を見ているのかはあえて聞かない藍里。 毎月さくらが生理になると大抵休みになる。生理休暇、と言ってて藍里は自分のバイト先にはそんなものが無いから羨ましいと思った。「ごめん、藍里……薬持ってきて」 顔色が悪いさくらに藍里は頷いて台所に行くと時雨が明日の弁当の準備をしていた。「どうしたの?」「ママが頭痛薬ほしいって」「あー、ここにあるよ」「ありがとう」「なんかさくらさん。つきのもの、きちゃったって……」 時雨は「つきのもの」と恥じらいながら言う。 藍里とさくらの母娘2人だけだったら「生理」とダイレクトに言うのだが男である時雨の前では流石にそうは言わない。「うん……」「辛そうだね、毎回……こればかりは変わってやれないけど出来ることはさくらさんの身体が少しでも楽になるようにサポートするしかない」 よく見ると藍里が高校に持っていくお弁当だけでなく他にも器がある。きっとさくらのためのものだろう。 鍋にはほうれん草、にんじん、コーン、玉ねぎ、鶏肉の入ったシチュー。「ほうれん草は貧血にいいんだよ。女性は男性よりもより多く鉄分取らなきゃダメだからね。あと温かいスープだと体も温まる……」「普通に美味しそう」 バイト先でまかないをたべたのだが美味しそうな匂いについ食べたくなる藍里。「味見する?」「……え、いいの?」「食べたい時に食べていいんだよ」「太っちゃう」「ははっ」 時雨にシチューを注いでもらい、藍里はフーフーと何度も冷ましてから口につける。「美味しい」「でしょ。って市販のルーだけどさ
気もそぞろもあってか、バイト中に皿を一枚割ってしまった藍里。「本当は、君はそそっかしい……」「すいません」 調理担当の男性社員沖田はいつも一言多く、厳しい。「せっかく可愛い顔してんだからウエイターの方行ってニコニコ注文とってりゃーいいやん」 それはできない藍里。表に立つ仕事はするなとさくらに言われてる。「まぁそっちでも注文ミスとか皿割ったりしてもっと迷惑かかるか。そっちの方が会社の名誉に傷つく」「すいません……」「謝ってばっかじゃん、もういいよ」 なにがもういいよかわからず、藍里は調理室から離れてスタッフルームに行った。 女優の夢どころか将来の夢も持てず、バイトでは上手く仕事ができず、いろんなことに不器用な彼女はもう苦痛でしかなかった。 そしてあの男性社員が父親と重なる。 母親をなじるあの時の父の声と表情を思い出す。さくらもこんなに苦しかったのだろうか、あの時は全部さくらに当たられていたから感じなかったこの心の痛みが今になってわかっても遅い、と。「百田さん」 同じアルバイトの女子大学生の岸田理生が藍里に声をかけた。ウエイター担当で他の派手でシャキシャキとした人たちよりも大人しく落ち着いている。 唯一藍里がバイト内で話せる相手でもある。「さっきみてたけさっき見てたけどまた色々言われてたね。あんなの無視無視。バイトの雪菜と喧嘩してるし少し売り上げ下がってて本部からも怒られててカリカリしてるだけだから」「ですよね、雪菜さんも機嫌悪くて」 そう、男性社員だけでなく違う高校バイトの雪菜にもネチネチ裏で藍里のミスを指摘されていたのだ。「雪菜にも言っておいた。私情を持ち込むな、それを人にあたるなって……まぁ百田さんも二ヶ月目だし少しずつ頑張ろうね」「はい……」「にしても沖田には気をつけてね。なんだかんだ百田さんにあたってるけど狙われているから」「えっ」 藍里は驚く。いつもなにかしら言いがかりをつけたり、粗探しして彼女にきつく当たっていたからよほど気に食わないと思われていたのだ。「裏で他の男子バイトとか絶対百田さんの名前出るんだから。沖田が百田さんのことをベタ褒めしたから喧嘩して、それで雪菜も沖田も機嫌悪いってわけ」 そんなことを全く知らなかった藍里はなんか自分がカップルの喧嘩の原因になってしまったのかと申し訳なさと自分が他の男