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第4話

作者: 狐坂
楽屋の扉が、荒々しく閉められた。

遥香はすぐ後ろについてきて、目を赤くしたまま、震える声で言った。

「旭、私、本当に大画面であんなのが流れるなんて、知らなかったの……糸がどうして私を陥れようとするのかも、さっぱり……」

旭は私の手を離し、振り返って彼女を支えた。表情は相変わらず穏やかだったが、目の奥には押し殺した苛立ちが濃く沈んでいた。

彼女を落ち着かせてから、彼はようやく私のほうを向いた。

「謝れ」

聞き間違えたのかと思った。

「何て?」

旭の表情は冷え切っていた。

「今夜の主役は遥香だったんだ。それなのに、お前は彼女の出番で演奏を止め、大勢の前で恥をかかせた。謝るのが筋だろう」

胸を何かに押しつぶされているようで、息が詰まりそうになった。

「あの手紙は、私があなたに書いたものよ?それを、みんなに見せるために取っておいたのはあなたじゃない」

旭の眉間に皺が寄る。

「取っておいたのは、捨てるのが面倒だったからだ。

あいつらがあれで遊んだのは、単にあいつらの悪ノリだ。

けど今夜、お前が皆の前で演奏を止めて、遥香に恥をかかせた。それはお前の責任だ」

あまりにも自然に言ってのけた。

まるで、私の惨めさも、私の恥も、私が10年抱え続けた本気の想いも、すべてが、遥香のデビューまでの道のりに起きた、ほんの些細なトラブルに過ぎないとでもいうように。

遥香が彼の袖口をそっと引いた。

「いいよ旭、糸もわざとじゃないと思う」

彼女がそう庇えば庇うほど、旭の目はさらに冷たくなった。

「そういうわけにはいかない」

彼は私を見つめ、抑揚のない声で言った。

「俺が甘やかしすぎた」

私の指先が、じわじわと固く握りしめられていく。

「旭。あなたは今まで、自分が間違ってるなんて思ったこと、一度もないんでしょう?」

彼はその問いにうんざりしたように言った。

「俺に落ち度があったとすれば、お前を甘やかしすぎたことだけだ」

楽屋は恐ろしいほど静まり返っていた。

旭は私の前まで来ると、手を伸ばし、私の顎をつかんだ。指の腹は冷たいのに、力加減だけは慎重に抑えられていた。

「糸」

低い声で彼が言う。

「お前が10年間、俺を好きだったことは分かってる。今だって、俺の気を引きたいだけなんだろ。みんなの前で、俺にお前を選ばせたいだけなんだろ」

その目にはわずかな呆れが浮かんでいた。まるで、聞き分けのない子どもを見るような目で。

「けど、こんなやり方はよくない。大人しくしていれば、お前が欲しがっているものをやる」

私は彼を見つめた。そして、ふと、静かに尋ねた。

「欲しがっているものって?」

旭はすぐには答えなかった。

遥香の指が、グラスの縁でぎゅっと強張るのが見えた。

少し間を置いて、彼は淡々と言った。

「俺の妻の座は、いずれお前のものになる」

遥香の顔が一瞬青ざめた。

けれどすぐに、旭はもう一言付け加えた。

「ただし、これ以上こんな見苦しい真似はするな、という条件付きでな」

そうか。これが、彼が私に与える「施し」だったのか。

このまま我慢し続けろ、待ち続けろということ。

彼が飽きるまで。遥香が退場するまで。彼がふと、桜井糸という女の存在を思い出すまで。

私は思わず笑ってしまった。旭が眉をひそめるほど、はっきりと。

「何がおかしい」

私は首を振った。

「何でもない」

ただ、ようやく分かっただけだ。

彼を好きでいたこの気持ちは、本当に、どうしようもなく惨めで、救いようがなかったのだと。

旭は私が折れたと思ったらしく、手を離した。

「もう済んだなら、遥香に謝りに行け」

私は振り返り、ソファに座る遥香を見た。その瞳の奥には、隠しきれない得意げな色があった。けれど私はただ、疲れているとしか感じなかった。いや、彼女を憎む気力すら残っていなかった。

だから私は、あっさりと彼女の前まで歩いていき、腰をかがめた。

「今まで、すみませんでした」

遥香は呆気にとられた。

旭も一瞬、動きを止めた。

私は体を起こし、静かな声で言った。

「これからもずっと、お似合いでいてね」

言い終えると、私は身を翻し、ドアへ向かった。

旭が先にドアノブを押さえ、納得のいかない声で言う。

「待て」

私は目を伏せたまま、見向きもしなかった。

彼は何か言いたげに喉を鳴らしたが、それより先に遥香が、震えるような甘い声で口を挟んだ。

「旭、私、少し頭がくらくらする……」

旭の言葉は、そこで無理やり断ち切られた。

彼はちらりと彼女を振り返り、ドアノブを押さえていた手をゆっくり緩めた。

私はその一瞬の隙を突いて、そのままドアを押し開け、外へ出た。

彼は結局、追ってこなかった。

きっと彼は、私がまたいつものように、彼に屈しただけだと思っているのだろう。

この10年、私はあまりにも多く、頭を下げすぎてきたから。

けれど今回は、もう二度と下げるつもりはない。

……

新幹線がホームに入ってきたとき、空はすでにすっかり暗くなっていた。

私はスーツケースを引いて乗り込み、スマホの電源を切り、ドアが閉まるのを見届けてから、窓際の席に腰を下ろした。

窓の外を、街の灯りがひとつ、またひとつと後ろへ流れていく。

私は目を閉じた。

もう二度と、あの場所を振り返ることはない。

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