Masuk思い悩んだ末、エリアーリアは妥協案を示した。
「分かったわ。でも、母さんはお店を空けられないから、二人だけで行くのよ。町までは少し遠いけど、歩いていける?」
「行ける! 今までだって、おつかいで行ったことあるじゃん。平気だよ」
「アルトが迷子にならないよう、わたしがちゃんと見てるから」
しっかり者のシルフィが言うと、アルトは口を尖らせた。
「えー! なにそれ。おれ、迷子になんかならないもん!」
双子のやり取りに、エリアーリアは微笑する。
「町に行くのなら、約束してほしいことがあるの。一つは、騒いだり迷惑をかけたりしないこと。もう一つは、王様やお付きの人に、かあさまの話をしないこと」
「騒がないよ。でもなんで、かあさまの話をしちゃ駄目なの?」
シルフィが首を傾げた。
「理由は後で話すわ。約束が守れるなら、町へ行っても良いわよ」
「分かった! 騒がない。かあさまの話もヒミツ!」
アルトが元気よく頷く。シルフィはまだ不思議そうにしていたが、王様を見に行く好奇心には勝てなかったようだ。
「わたしも、約束する」
「よろしい。困ったことがあったら、マルタおばさんを頼りなさい。いいわね?」
双子は揃って手を上げた。
「はーい!」
◇ 朝のうちに小屋を出て行った双子の背中を、エリアーリアは長いこと見送った。(アレクは子どもたちの存在を知らない。だから、人混みからそっと見るくらいなら気づかないはず。そもそも彼は、私のことなどもう忘れているかもしれないわ。ううん、きっとそうに決まっている)
一人になると、彼女は店の奥の薄暗い調合室にこもった。窓の外から遠く聞こえてくる、次第に大きくなる歓迎の喧騒と、彼女自身の息遣いだけが、静かな室内に響いている。
気を紛らわせようと薬草を乳鉢で砕き始めるが、不安で手が思うように動かない。やがてひときわ大きな歓声と角笛の音が、小屋まで届いた。国王の一行が町の広場に到着したのだ。
エリアーリアアルトはもちろん、シルフィも子供らしい好奇心に勝てなかった。 なぜ母の話が秘密なのか、理解していなかったせいもある。「よし、シルフィ、行こうぜ!」 アルトは持ち前の度胸を発揮して、シルフィの手を引きながら大人たちの間をすり抜けた。最前列に出る。「あれが、夏空の王様……」「かっこいい!」 白馬に乗るアレクの姿は堂々としていて、国王の威風が感じられた。 双子は目を輝かせて、王の姿を見上げた。◇ アレクの視線が、小さな双子を捉える。 彼の中で時が止まった。 腹に響くような歓声も、鳴り響く音楽隊の演奏も、全てが遠のいていく。他の全てのものが色を失って、アレクを見上げている二人の子どもたちだけが鮮明に映った。 子どもたちは見知った色をしていた。 男の子の髪は想い人の金。瞳は夏空の青。 女の子の髪はアレクによく似た銀。瞳は愛する人の深緑。(あの子たちは……? エリアーリアと俺の色。俺たち二人の色を分け合っている。まさか!) 七年前、彼の命を救った儀式の記憶が蘇る。彼女に『私の全てを使った』と言わしめた、禁忌の夜の記憶が。 幸福な愛の一夜と絶望の朝の思い出が、七年の時を経てなお鮮明によぎった。(あの子たちの年頃は、恐らく六、七歳頃……)「皆の者、止まれ!」 アレクは手綱を強く引いて、行列の停止を命じた。「陛下、いかがなされました」 宰相ヨハンの声に応えず、アレクは馬から飛び降りた。 驚いた民衆が、波が引くように道を開ける。 アレクはまっすぐに双子の元へと歩み寄った。◇ 広場は水を打ったように静まり返った。周囲の者全てが固唾をのんで王の姿を見守っている。 アレクは双子の前まで来ると、膝をついて目線を合わせた。王が道端の子供に跪くという、あり得ない光景だった
国王アレクの視察団が、南の辺境の町に到着した。 秋の澄んだ空の下、町は歓迎ムードに沸いている。人々はありったけの花びらを撒いて、町と空とを彩った。「国王陛下、万歳!」「賢王陛下、夏空の王。万歳!」 民たちの歓声が響く。 白馬にまたがるアレクは、民衆に穏やかな笑みで手を振りながらも、彼らの中に想い人の面影を探していた。(ここにもいないのだろうか……) 王として始めた民情視察の旅も、もう終盤に差し掛かっている。今までアストレア王国の大半を巡ったが、彼女の足跡すら見つけられないでいた。 この南の辺境が最後の望み。ここで見つけられなければ、彼女はこの国にいないか――そもそも人の領域を去ってしまったのかもしれない。 そうなれば、もう二度と会えない。 諦めきれない一縷の望みと、もう彼女はいないのかもしれないという深い悲しみの間で、アレクの心は揺れ動いていた。 町の人々が総出で出迎えてくれたのだろう、アレクの周囲にはたくさんの民たちがいる。 アレクは探して、探して……やはり見つけられない。 王としての威厳を崩すわけにはいかず、内心の悲しみを無理に覆い隠した笑顔を浮かべた、その時。 ふと、追い求めていた色が目の端に映った。 陽光を束ねたような金の色。愛しい想い人の長い髪の色と同じ色彩。 居並ぶ群衆の最前列に、小さな子どもたちが顔を出している。その片割れ、男の子の髪が彼女とそっくりだったのだ。◇「わあ。人がいっぱいいるね!」 町にたどり着いた双子は、お祭りムードの周囲に目を丸くした。 あちこちで花が撒かれ、軒先には青地の旗が掲げられている。行き交う人々はみんな笑顔で、実に楽しそうだ。 アルトとシルフィも心がウキウキとするのを感じた。「アルト。約束、忘れちゃ駄目だからね」 シルフィが言うが、アルトは落ち着きなくあちこち見回している。「分かってるよ。騒がない、かあ
思い悩んだ末、エリアーリアは妥協案を示した。「分かったわ。でも、母さんはお店を空けられないから、二人だけで行くのよ。町までは少し遠いけど、歩いていける?」「行ける! 今までだって、おつかいで行ったことあるじゃん。平気だよ」「アルトが迷子にならないよう、わたしがちゃんと見てるから」 しっかり者のシルフィが言うと、アルトは口を尖らせた。「えー! なにそれ。おれ、迷子になんかならないもん!」 双子のやり取りに、エリアーリアは微笑する。「町に行くのなら、約束してほしいことがあるの。一つは、騒いだり迷惑をかけたりしないこと。もう一つは、王様やお付きの人に、かあさまの話をしないこと」「騒がないよ。でもなんで、かあさまの話をしちゃ駄目なの?」 シルフィが首を傾げた。「理由は後で話すわ。約束が守れるなら、町へ行っても良いわよ」「分かった! 騒がない。かあさまの話もヒミツ!」 アルトが元気よく頷く。シルフィはまだ不思議そうにしていたが、王様を見に行く好奇心には勝てなかったようだ。「わたしも、約束する」「よろしい。困ったことがあったら、マルタおばさんを頼りなさい。いいわね?」 双子は揃って手を上げた。「はーい!」 ◇ 朝のうちに小屋を出て行った双子の背中を、エリアーリアは長いこと見送った。(アレクは子どもたちの存在を知らない。だから、人混みからそっと見るくらいなら気づかないはず。そもそも彼は、私のことなどもう忘れているかもしれないわ。ううん、きっとそうに決まっている) 一人になると、彼女は店の奥の薄暗い調合室にこもった。窓の外から遠く聞こえてくる、次第に大きくなる歓迎の喧騒と、彼女自身の息遣いだけが、静かな室内に響いている。 気を紛らわせようと薬草を乳鉢で砕き始めるが、不安で手が思うように動かない。 やがてひときわ大きな歓声と角笛の音が、小屋まで届いた。国王の一行が町の広場に到着したのだ。 エリアーリア
「エリア、小麦の配達に来たよ」 薬草店に馴染みの女性、マルタがやって来た。彼女はパン屋のおかみで、小麦粉とパンをいつも届けてくれるのだ。「ありがとう、マルタ」「町はもうお祭り騒ぎだよ。誰も彼もが王様のおいでを楽しみにしていてね。エリア、あんたも見に来るだろう?」「いえ、私は……」 答える言葉が見つからず、エリアーリアは曖昧に相槌を打つことしかできない。「見なきゃ損だよ! こんな辺境の町じゃ、今を逃せば王様を見る機会なんてないんだから。当日は双子ちゃんを連れて、早めにおいで」 エリアーリアの内心に気づかず、マルタは笑って去っていった。(逃げなければ。彼に見つかってしまう。この穏やかな日々が消えてしまう。それに、もし子どもたちが拒絶されたら。あの子たちはどれほど傷つくことだろう) アレクとの再会は、心のどこかで願っていたことだった。 それなのに実現しそうになると、ここまで恐ろしいとは。 エリアーリアは一瞬、本気で双子を連れて町を出ることを考えて、すぐに首を横に振った。(いいえ、何を馬鹿なことを。王様が、こんな辺境の町の薬草師一人に気づくはずがないわ。今ここで夜逃げ同然に姿を消せば、かえって怪しまれる) 彼女の心は、出口のない迷路にはまり込んでしまった。 ◇ 王の視察当日になった。 小屋の外からは、早朝のうちから音楽隊の音が聞こえてくる。町と小屋とは少し距離があるが、風に乗って音が響いているのだ。 アルトとシルフィは、この日のためにとっておいた一番いい服を着て、目を輝かせていた。「かあさま、おれたちも王様を見に行きたい! 一生のお願い! 『夏空の王』なんでしょ? きっとすごく格好いいよ!」 アルトはぴょんぴょんと飛び跳ねながら母に頼んだ。「おねがい、かあさま。わたしも、王様を見てみたい。一度でいいから……」 いつもは大人しいシルフィも、今日ばかりは食い下がっている。 子どもたちを傷つけたくない、危険にさ
エリアーリアは子どもたちの頭を撫でながら、空を見上げた。夏の空、遠い王都の方向を。「……そうね。きっと、とても優しくて誰よりも強い方よ。瞳はこの空と同じくらい、澄んだ青色をしているわ」「アルトの目とおんなじ色だね、王様」「え? そうなの?」 アルトはきょとんとしている。普段あまり鏡を見ないので、自分の目の色がよく分からないのだ。 エリアーリアはそんな双子たちを優しく見つめた。その横顔は誇らしげで、少しだけ寂しそうだった。 ◇ また別の日の夕暮れ、町の広場に王都からの触れ役が到着した。人々が集まる前で彼が読み上げるのは、国王アレクによる大規模な民情視察の知らせだった。 買い物の帰りにその知らせを耳にしたエリアーリアは、その場で凍り付く。「――以上を以て、賢王、夏空の王アレク陛下は、来月、当方、南の辺境地域をご巡幸なされる!」 買い物に町を訪れていたエリアーリアは、その報せを聞いてぎくりと足を止めた。(彼が、この町に来る……?) 喜び、驚き、そして恐れ。様々な感情が、彼女の心の中で渦巻いた。会いたい。でも会ってはいけない。もし見つかれば、この穏やかな生活は終わってしまう。(アレクは子どもたちの存在を知らないわ。もし出会って、拒絶されたら) そんなことはないと思いながらも、エリアーリアは最悪の想像を止められなかった。 町中が王の来訪の知らせでお祭り騒ぎになる中、彼女だけが血の気の引いた顔で立ち尽くしている。(どうしよう……。この町を離れるべき……?) アレクの来訪という避けられない運命の足音が、エリアーリアの平和な日常の終わりを告げていた。◇ 国王来訪の知らせから数週間、辺境の町はお祭り騒ぎとなっていた。 季節は秋。木々が色づき、農村では収穫が行われる頃だ。 町でも普段であれば収穫祭が行われるが、今年は王の来訪ですっかり持ちきりになってしまった。「国王陛下がおい
「陛下。その方策は素晴らしいですが、問題も多いと思われます。一人で広い土地を受け取り、小作農を抱えて農場を経営する者が現れれば、貧富の差が拡大して民の不満が高まりましょう」 宰相ヨハンが言うが、アレクは頷いた。「分かっている。一人あたりの名義で分配を受ける土地の上限を設けたり、分配された土地の売買を禁じるなどで対策は取るが、定期的な見直しが必須となるだろう。これは草案だ。細部はこれから詰めた上で、運営上の問題を洗い出す。ただ、失った土地を取り戻せるとなれば、農民たちは意欲を見せるだろう。また、復興作業が終わった後の帰還兵も、農民として定着すれば職を得られる上に、食料増産に寄与できる」「なるほど……。一石二鳥、いや、一石多鳥ですな」 民の視点に立った賢明な判断に、大臣たちは感嘆の声を漏らす。賢王の治世の下、国が着実に良い方向へ向かっていることが示された瞬間だった。◇ 同じ頃、南の辺境の町。 エリアーリアの薬草店は、遠くの村からも患者が訪れるほど評判になっていた。 丁寧で病める者の心に寄り添った診察と処方が、多くの人の心を打ったのだ。 エリアーリアの薬草師としての腕は確かで、他の医師や薬師がさじを投げた病でも、彼女にかかれば希望が見えた。 ある日のお昼前、店の前のベンチで、アルトとシルフィが母親の仕事が終わるのを待っている。アルトは木の枝を振り回し、シルフィは道端の小さな花を眺めていた。 夏の空気は暑気をはらんで、子どもたちもすっかり薄着である。 仕事の手を休めて、エリアーリアが子どもたちの元へやってくる。「二人とも、そろそろお昼ごはんにしましょうか。今日のメニューは、いただきもののライ麦パンよ。山羊のチーズをスライスして、挟んでね。お天気がいいから、お外で食べましょう」「はーい!」 双子は元気に返事をして、エリアーリアからパンを受け取った。 パンにかぶりつきながら、アレクが言う。「かあさま、王様ってどんな人なの? 町のみんなが、すごく良い人だって言ってたよ。おれ、