悪役令嬢を押し付けられたので、世界の記録を書き換えます ~追放された公爵令嬢は第二王子と運命を再生する~

悪役令嬢を押し付けられたので、世界の記録を書き換えます ~追放された公爵令嬢は第二王子と運命を再生する~

last updateLast Updated : 2026-10-13
By:  ふりっぷUpdated just now
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乙女ゲーム『プリムローズ・メモリア』。 それは三人の王子の誰かを選び、王妃となることで世界を救う物語――のはずだった。 公爵令嬢クラリッサ・ド・アルベリオンは、舞踏会の夜、第一王子から婚約破棄を告げられる。 罪状は、聖女マリアを階段から突き落としたこと。 だが、それは身に覚えのない冤罪だった。 追放されたクラリッサは、やがて自分だけが失われた真実に辿り着けることを知る。 なぜ彼女は悪役令嬢にされたのか。 なぜ運命は書き換えられたのか。 歪められた世界の記録を取り戻すため、彼女の反撃が始まる。

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Chapter 1

第1章 第1話 断罪の舞踏会

 第一王子アルトリウスが、

 クラリッサの瞳を見なくなったのは――

 学園祭の夜からだった。

 表面上は何も変わっていない。

 けれどクラリッサには分かっていた。

 今夜の舞踏会が、決定的な転機になると。

 ◆

 王立宮殿、大広間。

 冬の終わりを告げる最後の舞踏会は、今夜も華やかな光に満ちていた。

 千の蝋燭が黄金の天蓋を照らし、弦楽器の調べが夜を彩る。

 貴族たちの笑い声が重なり合い、その中心には一人の令嬢がいた。

 クラリッサ・ド・アルベリオン。

 紅のドレスを纏うその姿は、誰の目にも気高く美しい。

 王国屈指の名門アルベリオン公爵家の長女。

 そして第一王子アルトリウスの婚約者。

 誰もが思っていた。

 いずれ彼女は王妃になるのだと。

 ――少なくとも、この瞬間までは。

 クラリッサは広間を静かに見渡した。

 視線が集まることには慣れていた。

 だが今夜の視線は、いつもと少し違った。

 値踏みするような目。

 哀れむような目。

 何かを知っていて、知らぬふりをしているような目。

 噂は、既に広まっているのだろう。

 それでもクラリッサは背筋を伸ばした。

(最後まで立っていなければ)

 アルベリオン公爵家の令嬢として。

 理を守る者として。

 給仕からグラスを取ろうとした、その瞬間――

 誰かの肩が、かすかに触れた気がした。

「マリア!」

 広間を裂くように、アルトリウスの声が響いた。

 楽団の演奏が止まり、ざわめきが凍りつく。

 階段の下に、一人の少女が倒れていた。

 聖女マリア・ルヴィエール。

 純白のドレスがこぼれた葡萄酒を吸い込み、赤い花のように染まっている。

 震える指先。

 青ざめた顔。

 今にも泣き出しそうな表情。

「……殿下、私は大丈夫です……」

 その姿に、会場の空気が一気に傾いた。

「聖女様を突き落としたのか?」

「まさか……」

「アルベリオン嬢が?」

 囁きが広がる。

 クラリッサは静かにその光景を見つめた。

 驚きはなかった。ただ胸の奥に冷たい確信だけが走る。

(来た)

 その時――

 マリアの胸元に刻まれた聖紋が淡く光った。

 黄金色の光。

 会場から息を呑む音が漏れる。

「理紋が反応している……」

「王家の理紋は真実を語る」

 王宮内の偽証に反応し、罪を暴くと伝えられる王家の秘跡。

 だがクラリッサには違和感があった。

(こんな光……自然じゃない)

 美しすぎる。

 整いすぎている。

 まるで誰かが丁寧に描いた絵のように。

 その時だった。

 階下でマリアが顔を上げる。

 二人の視線が交差した。

 微笑んでいる。

 けれど、その瞳だけが笑っていなかった。

 ぞくり、と背筋に寒気が走る。

「クラリッサ様も……迷われただけなのです」

 優しい声。

 誰もが心を打たれるような声音。

 だがクラリッサには聞こえた。

 その奥に潜む、かすかな嘲りを。

(予定通り……そう言っている)

「クラリッサ・ド・アルベリオン」

 アルトリウスが冷たく告げる。

「弁明はあるか」

 クラリッサは静かに顔を上げた。

 かつては優しかった瞳。

 学園で共に過ごした日々。

 未来を語り合った時間。

 その面影は、もうどこにもない。

 いや――学園祭の夜から、既になかった。

「もう、何を申し上げても、信じてはいただけないでしょうか?」

 会場がざわめく。

「最後に一つだけ、お願いがあります」

「……なんだ」

「どうか思い出してください。

 私たちが共に過ごした日々を」

 一瞬、アルトリウスの瞳が揺れた。

 だが次の瞬間、その視線はマリアへ向く。

 いや――

 正確には、彼女の胸元で輝く光へ。

 まるで引き寄せられるように。

(まさか……記憶まで)

 違和感が確信へ変わる。

 あの光は何かを隠している。

 何かを固定している。

 そして、誰かの記憶すら歪めている。

「クラリッサ・ド・アルベリオン」

 アルトリウスの声が響く。

「聖女への傷害未遂、王家への反逆的行為により――

 婚約を破棄し、王都より追放とする」

 広間から音が消えた。

 父のアルベリオン公爵が一歩踏み出しかける。

 しかし周囲の貴族たちが静かに道を塞ぐ。

 母は唇を噛み締め、声を上げない。

 まるでここが、最初から決められていた舞台であるかのように。

 クラリッサは静かに目を閉じた。

 不思議と怒りも悲しみも。

 湧いてこない。

 だが、胸の奥を満たしていたのは、拭いきれない違和感だった。

 私がおかしいのではない。

 世界の方がおかしい。

 そんな確信にも似た感覚。

 耳元で誰かが囁いた。

「お疲れ様でした」

 マリアだった。

 いつの間にか、すぐ傍まで来ている。

「……何のことでしょう」

「これで終わりですもの」

「終わり……?」

「ええ」

 マリアは楽しげに囁く。

「私が断罪される物語は、これで終わり。

 これからは、あなたが悪役令嬢でいてくださいませ」

 クラリッサの背筋が凍る。

 この少女は、聖女なんかじゃない。

 もっと別の存在だ。

 もっと恐ろしい何か。

 その瞬間――

 頭の奥で、何かが弾けた。

 光る板。

 指先で文字を操る自分。

 そして――

 この光景を、どこかで知っている。

 だが次の瞬間には霧が晴れるように消えてしまった。

 マリアは一歩下がる。

 その表情は、誰もが知る慈愛に満ちた聖女そのもの。

 広間の誰一人として、その異様さに気づいていない。

 気づいたのはクラリッサただ一人。

 この断罪劇には、まだ何かが隠されている。

 世界のどこかに、失われた真実が眠っている。

 そして――

 自分の物語は、まだ終わっていない。

 胸の奥から、誰かの声が響いた。

【プリムローズ・メモリア 再接続】

 その名を聞いた瞬間。

 世界が、ほんのわずかに軋んだ。

 止まっていた歯車が、再び動き始めるように。

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第1章 第1話 断罪の舞踏会
 第一王子アルトリウスが、  クラリッサの瞳を見なくなったのは――  学園祭の夜からだった。 表面上は何も変わっていない。 けれどクラリッサには分かっていた。  今夜の舞踏会が、決定的な転機になると。 ◆ 王立宮殿、大広間。 冬の終わりを告げる最後の舞踏会は、今夜も華やかな光に満ちていた。 千の蝋燭が黄金の天蓋を照らし、弦楽器の調べが夜を彩る。 貴族たちの笑い声が重なり合い、その中心には一人の令嬢がいた。 クラリッサ・ド・アルベリオン。 紅のドレスを纏うその姿は、誰の目にも気高く美しい。 王国屈指の名門アルベリオン公爵家の長女。 そして第一王子アルトリウスの婚約者。 誰もが思っていた。  いずれ彼女は王妃になるのだと。 ――少なくとも、この瞬間までは。 クラリッサは広間を静かに見渡した。 視線が集まることには慣れていた。  だが今夜の視線は、いつもと少し違った。 値踏みするような目。  哀れむような目。  何かを知っていて、知らぬふりをしているような目。 噂は、既に広まっているのだろう。 それでもクラリッサは背筋を伸ばした。(最後まで立っていなければ) アルベリオン公爵家の令嬢として。  理を守る者として。 給仕からグラスを取ろうとした、その瞬間――  誰かの肩が、かすかに触れた気がした。「マリア!」 広間を裂くように、アルトリウスの声が響いた。 楽団の演奏が止まり、ざわめきが凍りつく。 階段の下に、一人の少女が倒れていた。 聖女マリア・ルヴィエール。  純白のドレスがこぼれた葡萄酒を吸い込み、赤い花のように染まっている。 震える指先。  青ざめた顔。  今にも泣き出しそうな表情。「……殿下、私は大丈夫です……」 その姿に、会場の空気が一気に傾いた。「聖女様を突き落としたのか?」 「まさか……」 「アルベリオン嬢が?」 囁きが広がる。 クラリッサは静かにその光景を見つめた。  驚きはなかった。ただ胸の奥に冷たい確信だけが走る。(来た) その時――  マリアの胸元に刻まれた聖紋が淡く光った。 黄金色の光。  会場から息を呑む音が漏れる。「理紋が反応している……」 「王家の理紋は真実を語る」 王宮内の偽証に反応し、罪を暴くと伝えられる王家の秘跡。 だがクラリ
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第2話 すべてを失った夜
 王宮の回廊は、異様なほど静かだった。 ほんの数刻前まで、舞踏会の音楽が響いていたとは思えない。 床に敷かれた赤い絨毯の上を、クラリッサは一人で歩いていた。 誰も声をかけない。  誰も視線を合わせない。 すれ違う使用人たちは、慌てて頭を下げるだけだった。 まるで、存在そのものに触れてはいけないかのように。(……終わったのね) その言葉が胸の奥に落ちる。 不思議と涙は出なかった。  泣くには、まだ現実感が足りない。 ただ、頭の中だけが真っ白だった。 王都追放。 アルトリウスとの婚約破棄。 社交界からの永久追放。 王都立ち入り禁止。 すべてが一夜にして決められた。 部屋へ戻ると、すでに荷造りが始まっていた。  侍女のソフィアが泣きながら服を畳んでいる。「お嬢様……」「ソフィア」 声をかけると、彼女は慌てて涙を拭った。「申し訳ございません……」「どうして謝るの?」「せめて、お供だけでも……と思ったのですが、  許されませんでした」 クラリッサは首を横に振った。「あなたが謝ることではないわ」 ソフィアは唇を噛みしめる。「でも、お嬢様は何もしていないのに……」 その言葉に胸が痛んだ。 そうだ。  何もしていない。 少なくとも、自分ではそう思っている。  けれど、国中が違うと言っている。「大丈夫よ」 そう言って微笑む。  それしかできなかった。 すると、廊下から足音が聞こえた。 老執事グレイスだった。「お嬢様」「グレイス」 彼は深々と頭を下げる。「馬車の準備が整いました」「……もう?」「はい」 あまりにも早い。  まるで、最初から準備されていたようだった。 その時、グレイスが小さな箱を差し出した。「こちらを」「これは?」「お嬢様がお使いになっていた羽根ペンです」 見慣れた白い羽根。  幼い頃から使っていたものだった。「ありがとうございます」 受け取った瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。 すると。 ――ピクリ。 頭の奥が微かに痛んだ。(……え?) 一瞬だけ、視界の端に文字が浮かんだ気がした。【記録保存】 だが、次の瞬間には消えている。 けれど、消えたはずの文字の輪郭だけが、  まだ目の奥にうっすらと残っている――そんな感覚があった。「……?」「お嬢
last updateLast Updated : 2026-08-16
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第3話 霧の森の襲撃
 王都リオネールを出発して、半日が過ぎていた。 馬車は石畳の街道を離れ、北へ向かって進んでいる。 窓の外には緩やかな丘陵が広がり、その先には深い森が横たわっていた。 クラリッサは膝の上で手を重ね、流れていく景色を静かに見つめる。 覚悟はしていた。 けれど胸の奥は、不思議なほど空っぽだった。 生まれ育った王都も、家族も、婚約者も、居場所も――すべて失った。 それなのに涙は出ない。 現実として受け止めるには、まだ心が追いついていなかった。「……お嬢様」 向かいに座る護送兵が遠慮がちに声をかける。「お体は大丈夫ですか」「ええ。ありがとうございます」 小さく微笑むと、兵士は気まずそうに目を伏せた。「我々は命令に従っているだけです」「分かっています」 クラリッサは再び窓の外へ視線を戻す。 誰も悪くない。 そう思わなければ、自分が壊れてしまいそうだった。 やがて日が傾き始める。 森が近づくにつれ、妙な静けさが辺りを包んだ。 鳥のさえずりは聞こえず、風さえ止まったように感じる。 馬が落ち着きを失い、小さく鼻を鳴らした。「……止まれ」 護送隊長が低く命じる。 周囲には濃い霧が立ち込めていた。「おかしい」「隊長?」「この辺りで霧など出ない」 兵士たちが一斉に剣へ手をかける。 張り詰めた空気が流れた。 次の瞬間だった。 ヒュンッ!! 一筋の矢が霧を裂く。「敵襲!!」 護送兵の肩を矢が貫いた。「ぐあっ!」 馬が暴れ、馬車が大きく揺れる。 悲鳴が響き、霧の中から黒装束の集団が姿を現した。 一人や二人ではない。 十数人。 全員が無言のまま剣を構えている。 まるで感情を持たない人形だった。「迎え撃て!」 護送隊長の号令と同時に剣戟が響く。 しかし敵は異様なほど強かった。「くっ……!」 一人、また一人と護送兵が倒れていく。「ありえない……!」 隊長は歯を食いしばった。「追放命令だぞ!」 剣を受け止めながら叫ぶ。「国外へ出せば済むはずだ!」 敵は何も答えない。 返事の代わりに、鋭い刃が振り下ろされた。「なぜ殺しに来る!!」「お嬢様! 逃げてください!」 その瞬間だった。 頭の奥に文字が浮かぶ。【アナスタシス・コード起動:失敗】【覚醒条件:未達】(誰なの……) 護送兵に背中を
last updateLast Updated : 2026-08-16
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第4話 第二王子エルネスト
 翌朝。 アルカディア離宮の空気は驚くほど澄んでいた。 鳥たちのさえずりが窓の外から聞こえ、  朝日が石造りの回廊を柔らかな光で包んでいる。 馬車がゆっくりと停まり、護衛騎士が扉を開いた。「到着いたしました」 クラリッサは馬車を降りると、その場で思わず足を止めた。「……綺麗」 目の前には広大な庭園が広がっていた。 白薔薇が風に揺れ、中央では噴水が静かな水音を響かせている。 さらに奥には小さな湖が朝日にきらめいていた。 王宮の豪奢さとは違う。 どこか肩の力を抜いてくれるような穏やかな景色だった。「お待ちしておりました」 落ち着いた声が聞こえ、執事服の青年が一礼する。 栗色の髪をきちんと整えた、穏やかな雰囲気の青年だった。「私は第二王子殿下の側近、オリバー・ド・グレイと申します」「クラリッサ・ド・アルベリオンです」「もちろん存じ上げております」 優しく微笑みながら応える。「長旅でお疲れでしょう。まずはお部屋へご案内いたします」 クラリッサは頷いたが、ふと気になって尋ねた。「あの……第二王子殿下は?」 オリバーは少し困ったように笑う。「昨夜から執務室に籠もったままでして」「昨夜から……?」「ええ。徹夜ですね」「お身体は大丈夫なのですか?」「いつものことです」(いつものこと……?) 少し心配になった、その時だった。「殿下! 少しは休憩してください!」「あと五分だ」「その五分を二時間前にも聞きました!」「記憶違いだ」「違いません」 思わず吹き出してしまう。「ふふっ」 その笑い声に、オリバーも嬉しそうに笑った。「ようやく笑ってくださいましたね」「え……?」「昨日からずっと、お辛そうなお顔をされていましたから」 その一言が胸に染みる。(見ていてくださったのね) その時だった。【精神状態:安定化】【回復率:28%】(また……) 頭の奥に淡い文字が浮かぶ。 もう驚きはしなかった。(本当に何なのでしょう……) そう考えていると、執務室の扉が勢いよく開いた。 白い軍服姿のエルネストが姿を現す。「オリバー」「はい」「理紋の資料が一冊足りない」「机の左側です」「君から見て左か、私から見て左か?」「左は左です」 オリバーは苦笑しながら部屋へ入り、  机の上から一冊の資料を取り
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第5話 離宮の朝、王都の陰謀
 離宮の食堂には、焼きたてのパンの香ばしい香りが漂っていた。 大きな窓から差し込む朝日が白いテーブルクロスを照らし、  静かな時間が流れている。 クラリッサは少し戸惑いながら席についた。 王宮のような豪奢な料理ではない。 焼きたてのパンに温かなスープ、卵料理と季節の果物。 だが、どれも丁寧に作られていることが伝わってきた。「お口に合わなかっただろうか」 向かいに座るエルネストが尋ねる。「いえ、とても美味しいです」 クラリッサは微笑んだ。「ただ……」「ただ?」「第二王子殿下と朝食をご一緒する日が来るとは思っておりませんでした」 エルネストは少し考え込むように視線を上げる。「私もだ」「え?」「誰かと食卓を囲むこと自体、あまりない」 その一言に、クラリッサは少し驚いた。「いつも研究がお忙しいのですか?」「ああ」 淡々と答える。「気付けば時間を忘れる」「昨日も徹夜でしたものね」 エルネストは視線を逸らした。  その先に、数輪だけ咲く花がある。 青薔薇だった。「……綺麗。」 思わず声が漏れる。 すると、エルネストが微笑んだ。「王家の理紋で奇跡的に数輪が咲いた。  青薔薇、この離宮の象徴だ。  『不可能を可能にする』という花言葉がある」 クラリッサは小さく頷き、花を見つめた。 思わず笑みがこぼれる。 そんな穏やかな空気を、不意に扉を叩く音が破った。 コンコン。「失礼いたします、殿下」 食堂へ入ってきたのは、側近のオリバーだった。 濃紺の軍服を身にまとい、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。 その表情は朝とは違い、どこか緊張していた。「……報告か、オリバー」「はい」 オリバーは一礼すると、一瞬だけクラリッサへ視線を向ける。「アルベリオン公爵令嬢に関する件ですが……」 クラリッサの肩がわずかに強張った。 しかしエルネストは落ち着いた様子で頷く。「構わない。ここで話せ」「承知しました」 差し出された書簡を開きながら、オリバーが続ける。「アルトリウス殿下がマリア令嬢との婚約を発表しました」「予想より早いな」「はい。そして、殿下がクラリッサ様を離宮へ迎え入れたことで、  王宮では警戒が強まっています」 エルネストは静かに書簡へ目を落とした。「兄上は何と?」「『第二王子が罪人
last updateLast Updated : 2026-08-20
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第6話 プリムローズ・メモリア
 離宮での生活が始まり、三日が過ぎた。 少しずつ。 本当に少しずつだけれど、クラリッサの呼吸は穏やかになっていた。 朝は庭園の散策。 午前は図書塔で勉強。 午後は離宮の手伝い。 夕方には皆で食事をする。 そんな毎日だ。 けれど――。 違和感は消えていなかった。 ◇(……また) 図書塔の窓辺。 一冊の本を閉じた瞬間だった。 視界の端に、金色の文字が浮かぶ。【選択肢を確認】【共鳴率未達】【ルート未確定】「……え?」 瞬きをする。 すると、文字は消えた。 何もない。 いつもの図書塔だ。(今のは……) 気のせい? そう思った、そのときだった。 胸の奥が、ふわりと熱を帯びる。 まるで、誰かが本をめくるような音。 パラリ。 パラリ。 そして、静かな声が響く。――【プリムローズ・メモリア】 クラリッサの身体が小さく震えた。(また……) 最近、何度か聞こえるようになっている。 誰かの声。 でも、誰なのか分からない。 怖くはない。 むしろ、懐かしい。 そんな不思議な感覚だった。「クラリッサ」 後ろから声がした。「ひゃっ!?」 思わず飛び上がる。 振り返る。 エルネストだった。「す、すみません!」「……そんなに驚くことか?」「い、いえ……」 慌てて本を抱える。 すると、エルネストが少し眉を寄せた。「顔色が悪いな」「え?」「眠れていないのか?」「いえ、大丈夫です」「嘘だな」「え……」「また、目の下に少し隈ができている」 さすが観察眼が鋭い。 クラリッサは少し視線を逸らした。「……少しだけ」「何かあったのか?」 迷う。 でも、隠すことではない。「最近……声が聞こえるんです」「声?」「はい」「誰のだ?」「分からないんです」 エルネストの表情が少し真剣になる。「順を追って話してくれ。いつから、どんな時に、何が見える」 その問いかけに、クラリッサは少し驚いた。 これまでのように断片を拾い集めるのではなく、 最初から整理しようとしている。「……断罪の夜からです。本を読んでいる時や、何かに集中している時によく」「声と、文字と。両方か」「はい。優しくて懐かしい声と……それから、変な文字も」「文字は覚えているか」「共鳴率、とか、ルート、とか」 エル
last updateLast Updated : 2026-08-21
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第7話 アナスタシス・コード発現
 離宮の空気は少しだけ張り詰めていた。 昨夜起きた《プリムローズ・メモリア》接続。 あれは、誰が見ても異常事態だった。 クラリッサは食堂へ向かいながら、自分の掌を見つめる。(……まだ残っている) 薄桃色の光。 完全には消えていない。 まるで血管のように、指先を淡く巡っている。「おはようございます。」 席に着くと、エルネストが顔を上げた。「ああ、おはよう。」 そして、いつもより真剣な表情になる。「朝食が終わったら、検証を行う。」「検証……ですか?」「昨夜の現象についてだ。」「はい……。」 少し緊張する。 すると、オリバーが笑った。「安心してください。」「え?」「爆発しそうになったら止めます」「そ、そんな危険なんですか!?」「冗談です。」「……。」「半分は」「半分!?」 エルネストが呆れた顔になる。「脅かすな。」「失礼しました」 しかし、そのおかげで少し緊張がほぐれた。 食事を終えると、三人は離宮の訓練場へ移動する。 そこは王宮のものとは違っていた。 実戦を想定した石畳。 魔法陣の刻まれた広場。 解析用の水晶柱。 そして、周囲を囲う結界。「広い……」「元は父上の研究施設だ。」「国王陛下の?」「ああ」 エルネストは歩きながら言う。「表向きは離宮だが、実際は王家の実験施設でもある」「実験……」「青薔薇の育成調査は表向きだ。 本来の目的は、王家に発現した理紋の研究と、歴史の解析だった」 彼は一度立ち止まった。「そして――記録家門との密会場所でもあった」 クラリッサは息を呑む。「アルベリオン一族が……」「なぜここが破棄されたと思う?」「え……?」「父上は、誰にも話さなかった」「……。」「兄上にも  王妃にも」「……。」「そして、私にもだ」 エルネストは少しだけ遠くを見る。「記憶の改竄を恐れていた」「そうだったのですね」「だが、君がまったく別の方法で再接続させた」 その言葉の重みが胸に落ちた。(どうして……私なの) その答えはまだ分からない。 すると、オリバーが水晶柱を起動させた。「では始めます。」 青い光が走る。「クラリッサ様」「はい。」「昨夜と同じように意識を集中してください」「わかりました」 深呼吸をする。 胸の前で両手を重ねる。
last updateLast Updated : 2026-08-22
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第8話 初めての訓練
 朝食の席で、エルネストがふと手を止めた。「今日は、実技訓練を行う」「実技……ですか?」「ああ。これまでは、現象が起きるのを待つだけだった」 彼は紅茶を置く。「だが、それでは不十分だ。  君自身の意思で起動できるようにならなければ」 クラリッサは少し背筋を伸ばした。「分かりました」「無理はしなくていい」 エルネストはそう言ったが、その目には確かな期待があった。 ◇ 訓練場には、いつの間にか人が集まっていた。「お、今日はクラリッサ様の訓練日ですか」 オリバーが気軽に声をかける。「は、はい」「俺たちも見ていていいですか」「邪魔になるなら下がりますが」 文官長セドリックがエルネストの報告を終え、立ち上がる。 すると、武官長ガレスが腕を組んで頷いた。「我々はすぐに王宮に戻らねばならん。何かあればすぐ動きます」 その言葉には、見守るという以上の意味があった。 セドリックも書類を抱えたまま壁際に立つ。「クラリッサ様の記録は取らせていただきます。  不思議な理紋の参考資料を作りたいので」「あら、私も拝見してもよろしいですか?」 女官エマが小さく手を挙げる。 いつの間にか、訓練場には十人近くが集まっていた。(こんなに……) クラリッサは少し戸惑った。 追放された日には、誰も自分の方を見なかった。 なのに今は、こんなに多くの視線が、好奇心と期待を込めて  ——自分に向いている。「緊張するか?」 エルネストが隣に立つ。「少しだけ」「いつものことだ」 彼は水晶柱の前にクラリッサを立たせた。「まずは、意識を集中することから始める」「はい」 深呼吸をする。 胸の前で両手を重ねる。(……お願い) ドクン。 心臓が脈打つ。 淡い桃色の光が指先に灯った。 文字が浮かぶ。【起動条件:確認中】【共鳴率:一八%】「……昨日より低いな」 オリバーが水晶板を確認しながら呟く。「もう一度です」 クラリッサは頷いた。 二度目。 光は灯ったが、すぐに消えた。【起動失敗】 三度目。 四度目。 額に汗が滲む。「焦らなくていい」 エルネストの声が落ち着いている。「焦っているわけでは……」 言いながら、自分の声がわずかに揺れているのが分かった。(どうして……みんなが見ているから……?) いや、違
last updateLast Updated : 2026-08-23
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第9話 ルシアン来訪
 離宮の朝は静かな活気に包まれていた。 噴水の水音が石畳へ柔らかく落ち、  庭園の若葉が初夏の風を受けて揺れている。 クラリッサは東棟の書庫で《アナスタシス・コード》の  発動条件を整理をしていた。 机の上には数枚の羊皮紙が並んでいる。『共鳴率』『起動時間と精神消耗』 一つひとつを書き留めながら、彼女は小さく息を吐いた。(少しずつだけど……前に進んでいるわ。) そのときだった。 コンコン。 扉が叩かれる。「失礼いたします」 柔らかな声だった。「どうぞ。」 扉が開く。 そこに立っていたのは、一人の青年だった。 栗色の髪。 優しい緑色の瞳。 柔らかな笑み。 エルネストの鋭さとも、アルトリウスの威圧感とも違う。 まるで春の陽だまりのような雰囲気を纏っている。「お久しぶりです、クラリッサ嬢」 彼は胸に手を当て、丁寧に一礼した。「第三王子ルシアンです」 クラリッサは慌てて立ち上がる。「ル、ルシアン殿下……!」「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。」 彼はふわりと笑った。「兄上から話は聞いています」「兄上……エルネスト殿下から?」「ええ」 ルシアンは椅子へ腰掛ける。「毎日、楽しそうに報告してくださるので」「……え?」 クラリッサが目を丸くする。 すると、後ろから低い声が聞こえた。「余計なことを言うな」 エルネストだった。  書類を抱えながら入室する。「兄上」「重要事項だ。楽しそうな話ではない」「そうですか?」「そうだ」「でも、『今日は共鳴率が三割を超えた』とか、  『羊皮紙を十枚も使った』とか……」「……単なる報告事項だろう」「兄上のこんな手紙始めて見ましたよ」 ルシアンがにっこり笑うと、エルネストが黙る。 クラリッサの頬が赤くなっていく。(報告していたのね……。) ルシアンがクラリッサにも微笑む。「兄上は興味を持った対象をとことん追求します。  お困りではないでしょうか?」「ええ。とても良くしていただいてますわ」「昔は研究以外に興味がありませんでしたのに」 エルネストは首を傾げる。「今も研究は最優先だ」「ふふっ、そうでしょうか?」 ルシアンは声を上げて笑った。「今見ているだけでも、ずいぶん仲が良さそうです」 エルネストが少し眉に皺を寄せる。「……そのよう
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第10話 新しい居場所
 離宮の中庭。 午後の陽光が白い石畳に降り注ぎ、噴水の水音が穏やかに響いていた。 風が花壇の花々を優しく揺らしていく。 クラリッサは訓練用の机に向かい、  《アナスタシス・コード》の記録を書き留めていた。「起動時間は七分二十秒…… 共鳴率は四十三%……」「順調ですね」 柔らかな声が聞こえた。 振り返ると、ルシアンが立っている。 今日は礼装ではなく、動きやすそうな訓練着姿だった。 白い上着に革の胸当てを着けたその姿は、  王子というより一人の騎士のように見える。「ルシアン殿下?」「少し体を動かそうと思ってね」 春の日差しのような笑みを浮かべる。 そこへエルネストも現れた。「ちょうどいい。 クラリッサも見ておくといい」「え?」「ルシアンの実力をだ」 クラリッサは目を丸くした。(実力……?) ルシアンは困ったように笑う。「兄上、そんな大げさな……」「謙遜するな。  お前が王国最強なのは事実だ」「……え?」 思わず聞き返してしまう。 目の前にいるのは、誰よりも穏やかな青年だ。 とても王国最強とは結びつかなかった。「その顔をされると傷つくなあ」 ルシアンが苦笑すると、エルネストは腕を組んだ。「私もルシアンから剣技を学んだくらいだ」「兄上」「事実だ」 その一言に迷いはなかった。 やがて訓練用の木人が十体並べられる。「見ていろ」 エルネストが短く告げる。 ルシアンは訓練剣を受け取り、静かに目を閉じた。 そして――。 空気が変わる。 柔らかな雰囲気が消え、全身から張り詰めた気配が立ち上る。(別人……) そう思った瞬間だった。 ――バンッ!! 風が爆ぜる。 右足を踏み込む。  見えたのは、それだけ。 そこからは目で追いきれなかった。 木人が一体、また一体と斬り裂かれていく。 五体目でようやく全身を捕らえ、  ひと呼吸の間に、すべての木人が崩れ落ちていた。 少し遅れて風圧が庭木を揺らす。「…………」 クラリッサは言葉を失った。「信じて貰えた?」 いつもの穏やかな笑みに戻ったルシアンが尋ねる。「あ……はい。すごいです」 クラリッサはぽかんと開いていた口を慌てて閉じた。「ありがとう」 照れたように笑うルシアン。 だがエルネストは淡々と言った。「これでも理
last updateLast Updated : 2026-08-25
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