──戦いは、あっけなく終わった。
地面には黒焦げのクレーター。暴走者・灯村トオルは気絶し、周囲の建物も燃え残る匂いを漂わせていた。 「……ふぅ。ギリギリだったね」 リリムが額の汗を拭いながら、ふにゃりと笑う。その身体はまだ黒革のまま。むしろ、蒸気で濡れて少し透けていた。 「おい、なんでそんな格好のまましゃべってんだよ……」 「だって、これが“指定衣装”なんだもん♡ 文句はバビロンコードに言って?」 総一は顔を背けつつも、しっかり横目で確認していた。肌にぴっちりと貼りついた黒革スーツ。腰回りのラインが妙に生々しい。 「なあ、それ透けてるってわかってんのか」 「うん、わかってる。ふふ、もしかして見て興奮してる? あ、魔力がまた共鳴しちゃうかも♡」 「……やかましい。帰るぞ」 リリムはしれっと彼の隣に並ぶと、腕にぴとっと体を寄せた。 「やっぱり、まだアタシの力……アンタの中に残ってたね」 「さっきの力か。……勝手に動いた。意識してたわけじゃねぇ」 「でも確かに反応してた。ってことは、これはもう“仮契約”ってことでいいよね?」 そう言って、リリムがいきなり総一の胸元に手を突っ込んできた。 「うお!? なにしてんだお前!!」 「契約報酬♡ 魂の味、ちょっとだけ確認♡」 彼女の舌が、喉元にぴたりと触れた。ひんやりした感触と、ぞくりとする刺激。 「ひゃっ……!? おまっ、やめろッ!」 「んふふ……昔よりずっと、おいしくなってる♡」 「バカかお前はああああああああッ!」 リリムはケラケラ笑いながら、黒革の胸元を押し上げ、無駄に揺らして挑発した。 「──で? なんでお前が俺んちにいるわけ?」 「ん? だってホテル代ないし。魔力ないし。帰る地獄も封印中だし。つまり……ここしかない♡」 総一の家、築四十年のボロアパートにて。玄関を開けた瞬間、リリムがすでにソファでゴロ寝していた。 「帰るぞって言った意味、理解してなかったなお前……」 「だって“お持ち帰り”でしょ? 女の子にこういうのさせといて、責任取らない男は最低よ?」 「いや誰がだよ!? てかその格好やめろ、視界が死ぬ!」 「えー? でもアタシ、黒革気に入ってるんだけど。ほら、こうすると──」 リリムは腰をくいっと突き出し、わざと胸元のチャックを一段階下げた。 「うわああああ!? やめろ、隣人に見られたら終わるッ!」 「大丈夫♡ 見せても魔力の契約にはならないから安心して?」 「そういう問題じゃねえんだよ!!」 半ば強引にリビングへ引きずり込み、毛布をかけて視界からリリムを排除する。 「ふぅ……落ち着け、俺……これは幻覚じゃない。現実だ」 リリムはケタケタ笑いながら、スマホを手に取って叫んだ。 「えっ、なにこれ!? この黒い板、しゃべる!? わあっ、勝手に画面光った!?」 「おいそれスマホ! 投げるな! 壊れたらマジで困るって!」 「スマホ? これが人間界の情報端末……ふむふむ……お、おにゃのこがいっぱい出てきた♡」 「それ広告だバカァ!!」 スマホを指でスワイプするたび、リリムはにやにや笑う。 「ねえ、この“ギャルゲーム”ってやつ、なんか契約の匂いがする……♡」 「するわけねえだろ! っていうか課金するなよ!?」 深夜、リリムは一人でスマホをいじりながらソファに寝転がっていた。 「うーん、この“ねっとふりっくす”ってやつ、悪魔の誘惑よりヤバいわね……♡」 画面の中で人間たちが恋愛したり裏切ったりキスしたりするたびに、彼女の尻尾がぴこぴこと揺れる。 一方、総一は台所でコーヒーを淹れていた。 「……騒がしすぎる。静かにできないのか、あの悪魔」 カップを片手に戻ってくると、リリムがふと振り返る。 「ねえ、総一。ちょっとこっち来て」 「は? なに急に」 「いいから。契約の痕跡、ちょっと見たいのよ」 リリムはスマホを操作し、“契約痕索アプリ”を起動する。彼女の手のひらに魔法陣のような光が浮かび上がった。 「暴走者・灯村の魔力、分析できた。これ、人間由来じゃない」 「人間じゃない……つまり?」 「誰かが“本物の悪魔じゃない存在”として、契約をばら撒いてる可能性があるのよ。かなり厄介なやつがね」 「なるほどな。最悪だ」 「ふふっ、そうやってすぐ顔をしかめるところ、変わってないわね」 リリムはにやりと笑うと、総一の隣に腰かけた。 「ねえ、怖がってくれる? アタシ、守ってもらう側って初めてなのよ?」 「……はぁ。どっちが守られてんだか」 リリムはくすりと笑って、そっと総一の肩に頭を預けた。尻尾がふにふにと揺れる。 「ねぇ、これ……新婚っぽくない?」 「寝ろ。今すぐ寝ろ」 「じゃあ、膝枕してくれたら寝る♡」 「お前、ほんとに寝る気ねえだろ」 翌朝。目覚ましのけたたましい音で、総一は目を覚ました。 「……うるせぇ……って、おい」 布団の中から見えるのは、黒革。隣には当然のようにリリムが寝ていた。しかも足が絡まってる。 「ちょ、なんでお前まで布団に入ってんだよ!?」 「んふぅ……だって寒かったんだもん♡ ぬくぬくしたくて」 「着ろよ布団じゃなくて服を! お前、そのままの格好で寝たのか!?」 「うん。脱いだらもっとヤバいでしょ? アタシに理性なんて期待しないでね?」 「お前なあああ……!」 騒ぎながら朝の支度。リリムは総一のシャツを勝手に着て、「これが“彼シャツ”ってやつ?」とノリノリで鏡の前に立つ。 「やば、私、彼女みたいじゃない?」 「違ぇよ! 一ミリもそんな関係じゃねえからな!」 「でも、ちょっとはドキッとしたでしょ?」 「……してねえよ!」 そんなやりとりを繰り返しつつ、二人は登校へ。 学校では、総一の親友・星川カイが登場。 「Yo! そうちゃん今日も眠そうだな~……って、誰!?」 リリムを見た瞬間、目を見開いて硬直。 「え、まって、あの、その黒革の方、地獄から来た契約悪魔的なアレっすか!? 俺、知ってる! アニメで見た!」 「いや落ち着け。こいつはただの居候だ」 「ただの!? このビジュアルで!?」 リリムはニコッと笑って、カイに手を振る。 「はじめまして♡ この人の“元”契約者、いまはちょっとだけ、寄生中♡」 「寄生……っ!? なんて素敵な響きッ!!」 総一は爆発した。麗奈が研究所での生活を始めて二週間。彼女の表情はますます明るくなり、クラスでも少しずつ友達ができ始めていた。「おはよう、麗奈ちゃん」朝のホームルーム前、女子生徒の一人が声をかけてくる。「おはようございます、田村さん」麗奈が微笑んで答える。最初は人との関わりを避けていたが、リリムたちの励ましもあって、積極的にコミュニケーションを取るようになっていた。「今度の文化祭、何か参加する?」「文化祭……」麗奈が首をかしげる。「まだ何も決めてないです」「だったら一緒に考えない? 私たち、演劇部の手伝いをするつもりなの」「演劇……」「面白いわよ。恋愛物語なんだって」「恋愛物語?」麗奈の目がキラリと光る。最近、恋愛に対する興味が高まっていた。「詳しく聞かせてください」「いいわよ。お昼休みに演劇部の部室に行きましょう」昼休み、麗奈は田村さんと一緒に演劇部の部室を訪れた。「こんにちは」「あ、田村さん。それに……」演劇部の部長らしき女子が、麗奈を見て目を丸くする。「すごく美人な子ね」「黒崎麗奈です」「私は演劇部部長の山田です。よろしく」「こちらこそ」「文化祭の劇の手伝いに来てくれたの?」「はい。恋愛物語だと聞いて……」「そうなのよ」山田部長が台本を見せる。「『星に願いを』という話で、内気な少女が王子様と恋に落ちる物語」「素敵ですね」麗奈が台本をぱらぱらとめくる。「でも、まだキャストが足りなくて困ってるの」「キャスト?」「主人公の少女役がまだ決まらないのよ」
デスペアとの契約を解除してから一週間。黒崎麗奈は神崎研究所で新しい生活を始めていた。「おはよう、麗奈」朝の食卓で、リリムが明るく声をかける。「おはようございます」麗奈が小さく微笑んで答える。一週間前とは見違えるほど表情が明るくなっていた。「今日も学校、一緒に行きましょう」「はい」最初の数日は学校を休んでいたが、昨日から復帰している。「でも、本当に大丈夫?」総一が心配そうに聞く。「まだ無理しなくてもいいんだぞ」「大丈夫です」麗奈が頷く。「皆さんがいてくださるので、心強いです」「そうよ」リリムが得意げに胸を張る。「何かあったら、わたしが守ってあげるから」「リリムさん……」麗奈の目が潤む。本当の家族に恵まれなかった彼女にとって、研究所のメンバーは初めての温かい居場所だった。「そうそう」ヴェルダが弁当箱を二つ差し出す。「今日は麗奈さんの分も作りました」「え? いいんですか?」「当然です」ヴェルダが微笑む。「家族なんですから」「家族……」麗奈がその言葉を噛み締める。まだ慣れない響きだったが、とても温かかった。「ありがとうございます」学校への道のり。「麗奈ちゃん、調子はどう?」リリムが気遣う。「はい。おかげさまで、だいぶ良くなりました」「良かった」「でも……」麗奈が少し困ったような顔をする。「クラスの皆さんと、どう接すればいいか分からなくて」「あー、それか」
黒いオーラに包まれた黒崎麗奈の前で、リリムと総一が対峙していた。「誰も……誰も私を愛してくれない……」麗奈の声が虚空に響く。「だったら、全部消えてしまえばいい……」彼女の周囲に黒い波動が広がり、触れた街灯や看板が次々と朽ち果てていく。「これは……」リリムが警戒する。「絶望の魔力ね。かなり危険よ」「絶望の魔力?」「人の絶望感を増幅させて、全てを無に帰す力」リリムが魔力を展開して結界を張る。「一般人に触れたら、生きる気力を全て奪われてしまう」周囲の人々は既に避難していたが、まだ完全に安全とは言えない。「黒崎さん!」総一が叫ぶ。「俺たちの話を聞いてくれ!」麗奈がゆっくりと振り返る。その瞳には、深い絶望と憎しみが宿っていた。「あなたたち……」「そうよ、学校で会ったリリムよ」「学校……」麗奈の表情が僅かに揺らぐ。「そんなもの、もうどうでもいい」「どうでもよくないわ」リリムが一歩前に出る。「あなたはまだ十七歳。これからいくらでも幸せになれる」「幸せ?」麗奈が嘲笑する。「私に幸せなんてない」「そんなことない」「ある!」麗奈の怒りが爆発し、黒いオーラがさらに強くなる。「両親は死んだ! 親戚は私を邪魔者扱い! 学校でも誰も話しかけない!」「それは……」「私は一人よ! 誰からも愛されない! 誰からも必要とされない!」麗奈の叫びが街に響く。その時、黒い影が彼女の背後から現れた。「そうだ、麗奈……」低い声が響く。
リリムの料理修行が一段落してから一週間。平和な日常が続いていた。「はい、今日のお弁当♡」朝の神崎研究所で、リリムが得意げに弁当箱を総一に手渡す。「ありがとう」総一が受け取ると、ほんのり温かい。「今日は何が入ってるんだ?」「秘密♡ 学校で開けてのお楽しみよ」「そうか」最近のリリムの手作り弁当は、日に日に美味しくなっている。見た目も綺麗になってきて、もはやプロ級だった。「俺も弁当欲しいな……」カイがうらやましそうに呟く。「美優ちゃんに頼んでみたら?」「そんな図々しいこと言えないよ」「恋人なんだから、遠慮しなくてもいいんじゃない?」「でも……」「あら、カイってば奥手ねえ」リリムがくすくす笑う。「もっと積極的にならないと」「積極的って……」「例えば、一緒にお弁当作るとか」「一緒に?」「そう。二人で作れば楽しいし、絆も深まるわよ」「なるほど……」カイが考え込む。「でも、俺料理できないし……」「大丈夫よ。わたしが教えてあげる」「本当?」「もちろん。恋愛の先輩として、後輩をサポートするのは当然でしょ」「ありがとう、リリム」そんな和やかな会話をしていると、総一のスマホに連絡が入った。「学校からだ」総一がメールを確認する。「今日、転校生が来るって」「転校生?」「二年生に一人。詳細は不明」「珍しいわね」リリムが首をかしげる。「この時期に転校なんて」「家庭の事情とかじゃない?」カイが推測する。「まあ、今日会えば分かるか」三人は学校に向かった。教室に入ると、既に騒がしくなっていた。「転校生、美人らしいぞ」「マジ? 楽しみ」「どんな子だろう」生徒たちが期待に胸を膨らませている。「やっぱり美人なのかな」カイが興味深そうに言う。「美優ちゃん以上の美人はいないと思うけど」「そういうことを堂々と言えるようになったのね」リリムが感心する。「成長したじゃない」「そうかな……」一時間目のホームルーム。担任の田中先生が教室に入ってきた。「皆さん、お待たせしました」先生の後ろに、一人の女子生徒が続く。「うわ……」教室がざわめく。確かに美人だった。長い黒髪に整った顔立ち。背も高く、スタイルも良い。ただし、どこか近寄りがたい雰囲気があった。「それでは自己紹介をお願いします」「はい」
お花見から数日後。「よし、今日から本格的に料理を覚えるわよ!」朝の神崎研究所で、リリムが気合いを入れて宣言した。「料理?」総一が首をかしげる。「急にどうしたんだ?」「だって、美優ちゃんが手作り弁当作ってるの見て、わたしも作りたくなったのよ」リリムの目がキラキラ輝いている。「愛情たっぷりの手作り弁当♡」「愛情って……」「当然でしょ? 愛する人のために料理を作るのよ」「でも、お前料理下手だろ……」「失礼ね! これから上手になるのよ」その時、キッチンからヴェルダが顔を出した。「料理を覚えたいんですか?」「はい! ヴェルダさん、教えてください」「もちろんです」ヴェルダが微笑む。「でも、基礎からしっかりやりましょうね」「基礎って?」「包丁の持ち方、火加減、調味料の分量……」「うう、難しそう……」「大丈夫です」ヴェルダが励ます。「愛があれば必ず上達します」こうして、リリムの料理修行が始まった。「まずは卵焼きから」ヴェルダが手本を見せる。「卵を溶いて、砂糖と醤油を少し加えます」「砂糖と醤油? 甘いの? しょっぱいの?」「甘めの関東風です。フライパンを温めて……」ヴェルダが慣れた手つきで卵液を流し込む。「箸で混ぜながら、少しずつ巻いていきます」「うわあ、きれいに巻けてる」あっという間に、ふわふわの卵焼きが完成した。「今度はリリムさんがやってみてください」「は、はい」リリムが恐る恐る卵を割る。「あ」殻が
四月。桜が満開の季節がやってきた。 「わー! 綺麗!」 神崎研究所の近くの公園で、リリムが桜を見上げて感嘆の声を上げる。 「これが『お花見』ってやつね!」 「そうですよ」 神崎が微笑む。 「日本の春の風物詩です」 今日は研究所のメンバー全員でお花見をすることになっていた。 総一、リリム、カイ、美優、セラフィーネ、エリス、ヴェルダ、神崎、アルカード、そしてベル。 「すごい人数になりましたね」 美優が感心する。 「最初は三人だったのに」 「愛が人を引き寄せるのよ」 リリムが得意げに言う。 「わたしたちの愛のおかげね」 「自分で言うか……」 総一が苦笑する。 ブルーシートを敷いて、みんなで輪になって座る。 「乾杯!」 ベルがお茶のペットボトルを高く上げる。 「桜との出会いに」 「乾杯」 みんなでペットボトルを合わせる。 「ベルさん、すっかり人間らしくなりましたね」 カイが感心する。 「一年前まで感情を知らなかったとは思えません」 「皆さんのおかげです」 ベルが感謝する。 「特に桜を見ていると、心が温かくなります」 「これが『美しいものに感動する』って感情ですね」 「はい。とても素晴らしい感情です」 お弁当を広げて、みんなでわいわいと