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第7話

Author: 柚乃
由美と秀子は、そろって言葉を失った。場が一瞬、静まり返った。

紗季はたちまち目を赤くし、「ごめんね、お母さん、おばあちゃん。全部、私が奏太を甘やかしてしまったせいよ。

奏太!おばあちゃんとひいおばあちゃんに謝りなさい」

「嫌だ!」奏太は顔を強張らせたまま、ぷいっと背を向けた。

自分が本当に叱られるなんて、奏太は思っていなかった。物心ついた頃から、母にきつく叱られたことなど一度もない。それに、もし母が自分を叱ったとしても、父や本宅の祖母が黙っているはずがない。

「奏太……」紗季の声が厳しくなる。

由美は紗季が言い終える前に、小さな声で口を挟んだ。「もういいよ。奏太はまだ小さいんだから……」

秀子も続けて、「子どもなんてみんなそんなものよ。もう少し大きくなれば、ちゃんと分別もつくわ」

気まずい空気になってしまい、紗季は仕方なく奏太を連れて、その場を離れた。

細く長い路地は曲がりくねっていて、辺りは薄暗かった。遠くの突き当たりにある街灯だけが、ぼんやりと黄色い光を落としている。

紗季と奏太は並んで歩いていたが、二人とも険しい顔をしていた。

「奏太、今日のあなたには本当にがっかりしたよ」

奏太は唇を固く結び、頑なに黙っていた。

「おばあちゃんもひいおばあちゃんも、奏太のことをすごく大切に思ってるの。あんなことをしたら、二人とも悲しいでしょ」紗季はそう言い聞かせながら、もう少し素直に人の話を聞ける子になってほしいと思っていた。

「だって、僕はただママと一緒に家に帰りたかっただけだもん。僕、ここに来るのが嫌なんだ。それくらいいいでしょ?」奏太は唇を尖らせ、不満そうに言い返した。

その冷めた態度は、まるで怜司そっくりだった。

紗季は大きく息を吸った。「あなたが小さい頃は……」

「聞きたくない。聞きたくない!」奏太はわざと母に逆らうように、両手で耳を塞ぎ、嫌だとばかりに首を横に振った。

紗季は失望したように奏太を見つめたが、それ以上は何も言えなかった。

家へ向かう車の中は、しんと静まり返っていた。

奏太は顔を強張らせたまま窓の外を眺め、何を考えているのか分からない。

やがて車が御山苑の敷地内に入ると、紗季は奏太を連れて車を降りた。

そのとき、前方から楽しそうな女性の笑い声が聞こえてきた。紗季が顔を上げると、そこには怜司が数人の友人たちと立っていた。

白いシャツに黒いパンツ。スーツの上着は無造作に腕に掛けていて、どこか気だるげな色気を漂わせている。

その前には美月が立っていた。唇には柔らかな笑みを浮かべ、手を伸ばして、曲がっていた怜司のネクタイを整えている。

「そんなに尽くしてくれるなら、いつになったら怜司に嫁ぐんだよ?」

友人の一人がからかう。「もう、やめてよ!」

美月は照れたようにたしなめた。

「美月ちゃんを嫁にもらうのは大変だぞ。今どきの自立した女性なんだから、男に嫁いで家にこもるなんて、そう簡単に受け入れるわけないだろ」

「私たちは家にこもるような結婚は嫌だけど、誰かさんだったら、ほら、喜んで嫁ぐんでしょ?」

皆がどっと笑った。

怜司は両手をポケットに入れたまま、美月を見つめていた。口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。彼女の反応を楽しんでいるようにも見えた。

「そういえば、君たちって幼なじみなんだろ?なんで今まで一緒にならなかったんだ?」

「そりゃ、あの計算高い女に先を越されたからだろ」

友人たちの言葉を聞いた瞬間、紗季の胸の奥が激しくかき乱された。さっき食べたばかりのものまで、込み上げてきそうになる。

彼らが口にした「あの計算高い女」が、自分のことなのは分かっていた。

怜司の友人たちは、自分の存在を知っている。それでも、誰一人として自分をまともに見ようとはしなかった。

皆が自分を嫌い、憎んでいた。まるで、自分が存在すること自体が怜司を汚しているとでもいうように。

「美月お姉さん!」突然、奏太が声を上げた。

一斉にこちらへ視線が向き、紗季は慌てて車の陰に身を隠した。

奏太は小さな足音を響かせながら、ぱたぱたと美月のところへ駆けていく。「美月お姉さん、本当に美月お姉さんなの?」

「奏太、どうしたの?一人で来たの?」美月が心配そうな顔を向けたのを見て、奏太はさっき母に厳しく叱られたことを思い出した。途端に胸の奥に溜まっていた悔しさが込み上げ、唇をへの字に曲げると、声を上げて泣き出した。

「どうしたの?誰かにいじめられたの?奏太、話してごらん。私がちゃんと叱ってあげるから」

美月は奏太の前にしゃがみ込み、ハンカチで優しく涙を拭ってやった。

美月に優しくされればされるほど、奏太はかえって悔しさが込み上げてきた。堪えていた大粒の涙が、ぽろぽろと頬を伝っていく。

「どうした?」怜司も声をかけた。

奏太はひどく傷ついた様子で、しゃくり上げながら答えた。「パパ……パパ、僕、ママが嫌い……もう、あんなママいらない……」

怜司は眉をひそめ、車のほうへ目を向けた。

「どうしたんだ、奏太。あの女に怒られたのか?」怜司の友人の一人が、憤った様子で尋ねる。

奏太はしゃくり上げながら、小さく頷いた

「まったく、何様のつもりだよ。よくもうちの奏太を叱るなんて」

「そもそも奏太を産んだから、黒田家だってあの女を嫁に迎えたんだろ。それなのに、何年も黒田家の嫁をやってるうちに、自分がどういう立場なのか分からなくなったのかよ」

怜司の友人たちは口々に憤り、紗季を責め立てた。

紗季は車の陰に隠れ、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。

屈辱と怒りが一気に押し寄せてきて、今にも飲み込まれてしまいそうだった。

自分はいったい何をしたというのだろう。どうして、こんなことを言われなければならないのか。

自分がずっと手をかけて育ててきた息子に、どうして美月の前で自分への不満を訴えられなければならないのか。

怜司は、紗季が車の後ろに隠れていることに気づいていた。

しばらくそこを見つめていたが、やがて何事もなかったように視線を逸らした。

友人たちが別の話題に移った隙に、紗季は逃げるように屋敷へ駆け戻った。

屋敷に戻るなり、紗季は二階の寝室へ駆け込み、そのままベッドに身体を投げ出した。

頭の中では、怜司が美月を優しく見つめていた姿と、奏太が美月の前で泣きながら訴えていた場面が、何度も重なっては入り乱れていた。

「なんで今まで一緒にならなかったんだ?」

「そりゃ、あの計算高い女に先を越されたからだろ」

「もう、あんなママいらない……」

その言葉が何度も何度も耳の奥で響いていた。

紗季は頭を抱え、頭が割れるような痛みに耐えながら、あの声も光景も頭から追い払おうとした。

けれど、いくら振り払おうとしても消えてくれない。

いつの間にか、紗季は眠りに落ちていた。

友人たちと別れたあと、怜司は奏太を連れて家に戻った。

「紗季は?」怜司が尋ねる。

「もう寝たんじゃないですか」春江はそう答えると、奏太を連れて身支度をさせに行った。

怜司は二階へ上がった。

広く静まり返った別荘の中では、怜司の足音だけがやけに鮮明に響いていた。

一歩、また一歩と近づいていき、やがて紗季の寝室の前で止まる。

怜司がこの部屋を訪れるのは、もうずいぶん久しぶりだった。というより、この二年、家に帰ってくること自体がほとんどなかった。

扉が開き、ギイッと小さな音がする。

廊下から差し込んだ明かりが、真っ暗な寝室を一筋だけ照らし、その光はちょうど紗季のベッドを照らしていた。

紗季はハッと目を覚ました。だが、起き上がることも、振り返ることもしなかった。

ただ、唇を強く噛みしめた。

直感で分かっていた。そこに立っているのは、怜司だ。

紗季は、怜司が何か言うのを待っていた。

しかし、しばらくしても怜司は何も言わず、静かに扉を閉めた。すると、部屋は再び闇に包まれた。

翌朝、紗季は遅くまで寝ていた。息子はすでに使用人が幼稚園へ送り届けている。

紗季が一階へ下りてダイニングへ向かうと、怜司がすでにダイニングテーブルに座っていた。

それが紗季には意外だった。怜司が最後に家で食事をしたのがいつだったのか、もう思い出せないほどだった。

怜司は隙のないスーツ姿で、いかにも仕事のできる男といった雰囲気だ。

肩幅は広く、腰は細い。すらりと伸びた長い脚も目を引く。彫りの深い端正な顔立ちに、ひんやりと白い肌。切れ長の美しい目は深い陰影を帯び、そのせいかどこか危うい色気さえ感じさせる。

全身から近寄りがたい威圧感と冷たさが漂っていた。

そんな怜司を見ていると、昨夜、美月を優しく見つめていた姿が脳裏に浮かぶ。

今目の前にいる彼とは、まるで別人のようだ。

「昨日の夜、奏太はどうして泣いてた?」怜司はそう尋ねながらも、眉を伏せたまま紗季を見ようとせず、スプーンを手にスープをゆっくりとかき回していた。

紗季は怜司の向かいに腰を下ろした。

そのとき、怜司が眉間に深いしわを寄せていることに気づいた。どうやら、スープに浮かんだネギが気になるらしい。

怜司は食事に関して妙に細かいところがあった。ネギやショウガ、ニンニクの風味は平気なのに、実物が入っているのは嫌がる。

以前は料理を作るたびに、紗季がネギやショウガ、ニンニクをすり潰して汁だけを取り、こしてから料理に加えていた。

親子二人の食事は、いつも紗季が用意していた。だから、使用人たちは二人の好みをあまり把握していなかった。

「大したことじゃないわ。奏太がちょっと間違ったことをしたから、注意しただけよ」紗季は答えた。

「奏太は体が弱い。もう少し優しくしてやってほしい」

その言葉を聞いた瞬間、紗季の頭の中がざわざわと音を立てた。

何も考えられなくなる。

自分は、息子に十分なことをしてこなかったのだろうか。

「子どもなんだから、間違えるのは普通よ。でも、間違えたときにちゃんと教えておかないと、大人になって社会に出たとき、嫌でも誰かに叱られることになるでしょ」

「黒田家の子どもは、黒田家がきちんと教える。あなたに口出しされる筋合いはない」

そう言い終えると、怜司は完全に食欲を失ったようだ。

スプーンを器の中に乱暴に置き、紙ナプキンで口元を拭ってから、春江に言った。「春江、こいつの小遣いを半年間止めてくれ」

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