「お助けいただきましてありがとうございました。」
サラリオの部屋に入るとすぐに私は床に膝と額をつけて頭を下げた。夫の幸助さんにお礼を言う時、見送りや帰りを出迎える時、私はこうして敬意を払っていた。
「何をしているんですか。頭をあげてください。」
サラリオは驚いた声で慌てて頭をあげるように言ってくる。不思議に思い顔をあげるとサラリオは私の目の前に駆け寄り膝をついて手を差し伸べてきた。
「お美しいお顔を床につけたりしてはいけません。」
(お、お、おうつくしい……??)
そう言って膝と額を優しく撫でたあと、手の甲にキスをしてきた。
「ひゃっ……」
「ああ、失敬。そなたの国では男性からこのようなことをしないのかな」
おでこや手の甲だけでなく男性にキスなんて今まで一度もしてもらったことなんてない。
「この国では女性を敬い、喜ばせるのは当然のことです。女性たちが輝いてこそ明るさや活力が生まれるのです。あなたのように床に顔をつけるなんてとんでもない。お美しい顔が汚れてしまいます。あなたはにっこりと微笑むだけで皆を幸せにするのです。」
(にっこりと微笑むだけで幸せにする……?そんな馬鹿な!!)
馴染みのない言葉に耳を疑った。
「ここはバギーニャ王国。父はこの国の王で、私は第一皇子のサラリオです。あなたは?」
「私は高岡葵と申します。日本から来ました。」
「タクヮァオクヮァ?」
「葵です。アオイと呼んでくださいませ」
「アオイね、これなら言えるよ。アオイの来たところは知らないな」
「信じてもらえないと思うのですが、私、山奥の滝にいたら急に渦を巻いて激流に飲み込まれてしまって……気がついたらここにいたんです。」
急に滝に飲まれた……こんな話を誰が信じるだろうと思っていたら予想外にもサラリオは納得した顔をしている。
「ああ、そういうことね。たまに水以外の物が飲み込まれるんだけど人が来たのは初めてだよ。」
(え、ええーーあっさり信じてくれるの???)
「世界中の滝や湖の水は、バギーニャ王国の泉と繋がっているんだ。ある条件が揃うと水の循環をするんだけれど今回はそれがアオイの国の水だったみたい。」
「それってバギーニャ王国の泉にいけば元いた世界に戻れるってことですか?」
「いや。水の交換は数年に1度でタイミングで行われるけれど、具体的な日にちも分からなければ、どこの国の水と循環するかも分からない。万が一タイミングがあったとしてもまた全然知らない国に行ってしまうと思うよ。」
「世界中だから、次にアオイの国と循環するのは360年後とかじゃないかな。」
サラリオはニコニコとしながら説明を続ける。
(360年……。次のタイミングまで生きていないよ。ということはこの国で一生暮らしていくってこと????)
私が混乱しているとサラリオは笑顔で近づいてくる。幸助さんが佐紀さんを見つめていたように優しい瞳で覗き込んできた。
「どうしたの、アオイ?アオイにとってここはそんなに嫌な場所?ここは女性を大切にする国でアオイに対して乱暴なことをしたり怖い思いをさせる人は誰もいないよ。僕がアオイのこと大切にするから側にいてくれないかな。」
サラリオは両手で私の手をギュッと握り、碧い瞳で優しく見つめてくる。私の背の高さに合わせるように少しかがみこんで、私の視界の真ん中に入ってきた。今まで経験したことのない距離感に私はドキドキが止まらなかった。
「サ、サラリオ様……。アオイ様が気を失っています。」
「おっと、悪いことをするつもりはなかったのだけれどビックリさせてしまったかな」
(葵のおでこにキスをしたら言葉が分かるようになった。そして滝に飲み込まれてここに来たと言っている……。国を引き継ぐものだけが知るあの言い伝えは本当なのか?そうだとしたら葵は……間違ってここに来たわけではないというのか?)
この時、サラリオは微笑みながらも国の後継者だけが知る伝説と重ねながら葵を見ていた。
(幸助さん、お父様、お母さま、急に帰らなくなってしまった私をお許しください。私は今金髪で慧眼の男性に保護されています。女性を大切にする国だそうで大切に扱われています。私はこの国で生きることになりそうです。……そして距離感や言動が初めての事ばかりで混乱と恥ずかしさで気を失ってしまったようです。自分の身が持つかとても心配です。)
私はこれから起こる日本とは真逆の溺愛生活に戸惑いで気を失っていた。
愛されなかった武士の娘が寵愛の国へ転身~王子たちの溺愛が止まらない~ 尽くす側から尽くされる側へ、そして転生は偶然ではなかった? 毎日22:22に更新中!気に入って頂けたら本棚登録してもらえると嬉しいです。
夜会が終わり、それぞれが部屋に戻ってから、重厚なドレスときつく締めあげた下着を脱いで、私はようやくホッと息を吐いた。「葵、大丈夫か?疲れていないか?」夜着に着替えたサラリオ様が心配そうな顔で尋ねてくる。「はい、大丈夫です。疲れてはいませんが緊張しました。でも、とても幸せで、楽しかったです。」「私もだ。葵と晴れて夫婦になれて嬉しいよ。」サラリオ様は私のところへきて、優しく抱きしめてくれた。ふわっと毛布を掛けられたような温かさに包まれながら、サラリオ様の胸の中でゆっくりと瞳を閉じる。サラリオ様の熱や力強い鼓動で私の緊張の疲れも解きほぐし、深い安堵へと導いていく。サラリオ様は私の肩に両手を置くと、真っ直ぐに私を見て真剣な表情で口を開いた。「私は、一生をかけて葵を幸せにする。この先、大変なこともあるかもしれないが、私の隣で王妃として、私についてきてくれないか?」「――――もちろんです。サラリオ様の側でお役に立てることが、今の私の最大の幸せです。添い遂げさせてください。」私がサラリオ様の顔を見て微笑むと、サラリオ様は力強く抱きしめて熱い口づけをした。お互いの瞳を合わせながら舌と舌を絡めて、愛おしさと情熱を交差する。サラリオ様の碧い瞳と私の黒い瞳が至近距離で交わり、お互いの存在を
「リリアーナ王女、ありがとうございます」サラリオ様は、リリアーナ王女が私に近付いてきたことに気がつくと、すぐにこちらへ来てくれた。そして、牽制として私の肩に手を添えている。その一瞬の張り詰めた空気は、私たちがただの恋愛で結ばれたのではなく、国益という重い鎖で繋がれている王族であることを改めて思い知らされた。「お二人のご結婚と今後のご健勝を祈っていますわ、それでは。」王女はその一言だけ言うと、深く一礼して去って行った。サラリオ様も緊張していたようで、小さく息を吐いたが、ひとまず取り越し苦労だったようだ。しかし、王女の目が微かに潤み湿っているのを私は見逃さなかった。(リリアーナ王女は、何を思っての涙なのだろう?王女の瞳は怒りや悔しさではなくて、寂しそうに見えたけれど。)その緊張をアゼルも察していたようで、周りに聞こえないようにそっと近付いてきた。「兄さん、葵、リリアーナ王女のことは俺が見ている。だから、二人は気にするな。今日は祝福の空気を乱させるな。」婚姻を強く迫ってきたリリアーナ王女が、この場で何か外交的な動きや騒ぎを起こさないかと、アゼルも注意していたようで、サラリオ様も小さく頷いてアゼルに任せていた。そんなアゼルと秘めた感情を持ち合わせたリリアーナ王女が、この婚姻の
時は、サラリオと葵が婚姻の儀をした時まで遡る――――――ここから語られるのは、二人が国王と王妃になるまでの物語だ。葵side「あなたたちは互いを愛し、信じて生涯を共にすると誓いますか?」私たちは、大勢の人に祝福されながら人生最高の日を過ごしていた。純白のウェディングドレスは、この数年間の努力と葛藤の重みそのもののように感じられた。私はこの日を無事に迎えられたことに安堵と感動をして、終始涙が止まらなかった。隣にいるサラリオ様の力強い誓いを聞きながら、異国で孤独に勉強漬けの日々を送った記憶が蘇り、込み上げるものを抑えきれなかった。「葵様、葵様とサラリオ様のお幸せを願っていましたが、本当にこの日が来るなんて……私はとても嬉しくて、嬉しくて……」すぐ側に控えていた侍女のメルも、私と同じように目を潤ませていた。「メルーーー!メルのおかげだよ、ありがとう。私がここに来た時から、メルがずっと側にいてくれたから頑張れたの。ありがとうね。」「葵様……」メルの涙に私ももらい泣きして、思いっきり抱き着いて感動に浸っていた。二人とも涙は止めどなく流れ、鼻をすする音だけで深い会話をし
「私のことは、もう、気にしないでください。――――私は、あなたのことを思うと胸が温かくなって、それでいて切なくて苦しい。」エレナは、目に一杯の涙を溜めて、あの詩集の最初の一節を嗚咽交じりの声で口にした。その声は、僕の心を強く打ち抜いた。エレナと会えなくなってから、あの詩集を何度も何度も読み、僕は全てを覚えていた。そして、葵の告白と、エレナの逃げた姿から、この切なさこそが「愛」なのだと確信した。「あなたを知って私は恋を知った。」僕が、詩の次の節を口にすると、エレナは驚愕して、足を止めて僕の方を見て振り向いた。涙で濡れた瞳が、僕を射抜く。そのまま、最後の節まで続けた。「好き、大好き、愛している。だけど叶わぬ恋だということも分かっている。だからせめて夢であなたに会いたい。そう思いながら今日も私は瞳を閉じる――――」「本、読んでくださったんですか?」エレナの瞳から、一筋の涙が溢れた。「ああ、エレナに会えなくなってから何度も。すっかり覚えてしまったよ。そして、わかったんだ。エレナ、ルル王女と僕は、エレナが想うような仲ではない。本が好きで、つい話し出すと止まらなくなるんだけれど、お互い気になっているのは、本の中身だ。そして、僕が、あの詩集を読んで思うのは、エレナ、君だ。」「キリア
二か月後、ルシアン兄さんの家族と一緒に、ルル王女がバギーニャ王国を訪れた。ルシアン兄さんは、サラリオ兄さんたちと、最近の外交問題について真剣に話し合っている。自然と僕がルル王女をエスコートすることになり、庭園でお茶を飲みながら、最近読んだ本の話をしていた。「キリアン様から頂いた本、とても面白かったです。特に終盤は、今までの伏線が一気に回収されて爽快でした。」「僕も終盤が特に好きなんです。謎ばかりなんですが、しっかりと最後で丁寧に真実と誤解の裏側が書かれていていいですよね。あの続きが確か、ここから少し離れた王立の図書館にあるのですが、良かったら行きませんか?」「まあ、嬉しい。是非ともお願い致します。」ルル王女と馬車に乗り、図書館を目指していると、街の通りの向こうに見覚えのある横顔に気がついた。「エレナ?」「キリアン様!!」エレナは驚いて、僕とルル王女が一緒にいる姿を見て、一瞬で顔色を失い、逃げるように走り出してしまった。「ここで停めてくれ!ルル王女、本当にすみません。エレナは僕の大切な知人で、急いで話をしなければなりません。少しお待ちいただけますか?」僕はルル王女に深く頭を下げ
「もしかしてエレナは、僕が誰か気になっている人がいると誤解して、話しかけるのをやめたのか?」エレナに無用な誤解を与えてしまったかと思うと、胸がざわついて切ない。司書として親切にしてくれた彼女の日常を、僕の無自覚な言葉で終わらせてしまった。姿が見えなくなってからすぐに追えばよかったと思ったが、もう遅かった。市場は多くの人で賑わっており、みな笑顔に溢れている。しかし、誰かを追って人混みをかき分けるほどの情熱を持ち合わせていなかった僕は、そのまま王宮へと戻るしかなかった。「キリアン?図書館以外で会うなんて珍しいわね。」夕食を食べ終え、テラスで夜風に当たっていると、葵が僕に気がついて話しかけてくれた。「ちょっと考え事をね―――――。」「あれ、その本。」葵は、僕の手元を見て、昔を思い出すように懐かしそうな瞳で本を見つめていた。その本は、以前エレナが読んでいた詩集と全く同じものだ。「恋する想いを綴った詩よね。読んだわ。切ないけれど、気持ちが分かって読んでいるうちに涙が零れてくるの。」