【女たるもの夫の成功のために尽くし、その身と人生を捧げよ】武力で国を統制していた時代、祖先はある藩の党首だった。党首として武力の向上はもちろんのこと、多くの女性を寵愛し子孫繁栄に努めたそうだ。武士の末裔として生まれた私は小さい頃から、『将来、夫になった人に忠誠心を持ち従うこと』を家訓として祖父母や両親に言い聞かされてきた。結婚相手の成功と子孫繁栄。そのために影ながら支える事こそが女の幸せ。我が家系に古くから伝わる教えで、旦那様にこの身を捧げることが役目だと思っていた。あの秘境で滝に飲み込まれてサラリオ様と出逢うまでは……。武力の時代が終わりを迎えてから数十年。私、高岡葵は16歳の時にこの地域では資産家と名高い佐々木の家へと嫁いだ。佐々木家は江戸時代より薬種問屋として医師に薬を売る商売をしていた。時代が移り変わっていくにつれて問屋として流通させるだけではなく、自分の息子たちを医師に育て上げ病院というものを作った。庶民にも薬や治療の提供が出来るようになり、医療は人々の生活の中に浸透し身近なものとなり、第一人者でもある佐々木家は皆に尊敬され愛されていた。昔から親交のある佐々木家と高岡家は親同士が決めた政略結婚である。夫である佐々木幸助は寡黙で何を考えているのか分からない人だった。結婚式当日まで私たちは顔すら合わせることもなく、初めて顔を合わせた日に、結納・顔合わせ・入籍と婚姻の儀を一気に行いその夜から一緒に住むことになった。夫婦が生活を共にする部屋には、ぴたりとくっつき合った2組の布団。その時、私は幸助さんの元へ嫁いだのだと改めて実感した。今日初めて顔を合わせたばかりの人が夫になり、今後は同じ部屋で生活を共にする。(し、子孫繁栄って……。頭では分かっているけれど、私も子どもを授かるためにそうなるということ????)身を持って体験することに若干の不安と戸惑いを感じていた。「今日は疲れているでしょうから、そのままお休みください。」そう言って布団を離して私に背中を向けて眠る幸助さん。幸助さんなりの配慮だと感じ、その日は休ませてもらうことにした。そして、そんな優しく気配りしてくれる幸助さんのもとへ嫁いだのだからこの身と人生を捧げようと強く決意をした。しかし、翌日も、その翌日も幸助さんが私に触れてくることはない。(最初の頃は、まだ社会や男女の恋も知らな
Terakhir Diperbarui : 2025-06-04 Baca selengkapnya