「愛する人のために薬学を覚えるなんて、葵様は本当に立派ですね」
メルはそう言ってキラキラした目で私に話しかけてくれた。彼女の純粋な憧れの眼差しに私は少しだけ胸が苦しくなる。
「残念だけどメルが思っているような素敵な話じゃないんだ。私は、日本にいる時に自分が必要とされていない人間だと思っていたの。親同士が決めた結婚で、夫になった人には私とは別に一緒になりたい人がいたの。でも、それは叶わぬ恋だったのね。夫は私に全く興味がなかった、だから少しでも自分の価値を作りたかったの。」
幸助さんのことを久々に思い出し俯きがちに言った。
「薬学を覚えたのは夫のためだけれど『愛する人』ではなかったかな。夫に私の価値を感じて欲しかった。『特別』になりたかった。でもそこに愛情があったわけではない。特別になることが『使命』や『義務』だと思っていたから」
私の告白に、メルは何も言わずただ静かに耳を傾けてくれた。彼女の瞳は、私の言葉の全てを受け止めてくれるように優しく潤んでいた。
「でもね、今は感謝しているの。日本で学んだことがこの国で役に立って、誰かを笑顔にできることが本当に嬉しい。今は使命とか義務じゃなくて自分の意思で学びたいって思っているの」
「葵様は、やっぱり素敵です!」
メルは、私の言葉を聞き終えると満面の笑みでそう言
私が薬草の知識で人々の信頼を得ていく一方で、バギーニャ王国には新たな波乱の兆しが訪れていた。それは、ある日突然、嵐のようにやってきた。ある日の午後、サラリオの執務室で、私は国の医療改革について意見を交わしていた。彼の隣で、衛生管理の重要性を説いていた。私の提案が真剣に検討されていることに満たされた喜びを感じていたその時だった。執務室の扉がノックされ、国王陛下の側近である老練な宰相が重々しい面持ちで入室してきた。「サラリオ殿下、緊急の報せが。隣国ゼフィリア王国より使節団がまもなく到着するとのことです」「ゼフィリア王国が……?」宰相の言葉に、サラリオの顔に緊張が走る。ゼフィリア王国は、バギーニャ王国とは長年、貿易協定や国境問題で複雑な関係にある大国だと聞いていた。その使節団が、事前の通告なしに「まもなく」とは尋常ではない。「なんで突然?宰相、用件は把握しているのか?」普段の穏やかさとは異なり、張り詰めた声でサラリオは尋ねた。宰相は深く息を吸い込むと言葉を選びながら告げた。「それが……ゼフィリア王国が、友好関係の深化と両国の安定を願う証として……王女殿下方を我が国の王子方の結婚相手
レオンの擦り傷に庭の野草、日本でいうオオバコを塗って以来、宮廷の侍女たちや、時には衛兵の何人かが私にそっと声をかけるようになった。「葵様、この葉っぱも何かに効くのですか?」「先日、子どもが熱を出しまして……何か良いものはございませんか?」彼らは、私が日本で薬問屋の妻として学んだ知識に目を輝かせながら耳を傾けてくれた。私が「この草は火傷に良い」「あの実はお腹の調子を整える」と説明するたびに、彼らは驚きと感謝の表情を見せるのだ。夫・幸助さんには「不要な知識」と軽んじられたが、このバギーニャ王国では私の薬草の知識がとても喜ばれた。「葵様のおかげで、子どもの熱が下がりました!本当にありがとうございます!」ある日、侍女の一人が深々と頭を下げて感謝を伝えてきた。彼女の目に宿る純粋な感謝の光に私の胸は熱くなった。「本当に良かった。私のおかげっていうのは大袈裟です。一生懸命、看病したから良くなったのよ。子どもの看病すると母親も免疫が落ちているから、あなたもあまり無理しないでね。」「葵様の知識は、まるで魔法のようです」&nbs
メルの話を聞きながら、私は王子たちのことを考えた。サラリオは、私に国を共に創るパートナーとしての信頼を寄せてくれている。ルシアンは、私を常に笑顔にしようと甘い言葉をかけながらも、時にからかいながら私とサラリオの関係を深めようとしてくる。アゼルは、純粋な独占欲と情熱を私に向けてくれる。キリアンは話をするのが楽しい。彼と話をしていると深い知識の世界へと導いてくれる。「メルは、彼のどこに惹かれたの?」私は、自分の心の整理をするようにメルの恋についてもっと聞きたくなった。「リアムは、私が私であること自体を愛してくれるんです。私がどんなに不器用でも、失敗してもいつも温かく見守ってくれる。何があっても私のことを受け止めてくれるって絶対的な安心感があるんです。そして、私の良いところを惜しみなく褒めてくれるんです」メルの言葉は私の胸にすとんと落ちた。『何があっても私のことを受け止めてくれるって絶対的な安心感』その言葉は、私自身がずっと求めていたものだったのかもしれない。日本にいた時も、夫ことを絶対的な味方と思ったことも安心感を感じたこともなかった。私自身に興味がないことをひしひしと感じていた。この国の王子たちは皆、形や見え方は違えども私自身の「存在」を愛してくれていると思った。そして、王子たちが何があっても
メルの相手は、王宮で衛兵を務めるリアムという青年だ。彼は真面目で実直、そして何よりもメルのことを思ってくれているという。「リアムとは小さい頃からの幼馴染なんです」メルは懐かしそうに目を細めた。「まだ私が幼くて木登りばかりしていた頃、リアムはいつも私を追いかけて心配してくれていました。私が木から落ちて泣いていると、いつも駆け寄ってきて差し伸べてくれて。その温かい手にいつも安心していたんです。」幼い日のリアムの姿を思い描くように、メルの瞳は遠くを見つめていた。「リアムがいつも言っていたんです。『俺は将来、メルを守る衛兵になる。だから、ずっと一緒にいて』って。小さい子同士の約束だと思っていたけれどお互い大きくなっても変わらずに真剣な顔でそう言ってくれて……その言葉をずっと信じて今も一緒にいるんです」彼女の頬がさらに赤く染まる。リアムのちょっとした気遣いや優しい言葉の一つ一つを思い出し、宝物のように大切にしているのが伝わってくる。「この間も私が風邪を引いた時、リアムが心配してお見舞いにりんごを持ってきてくれて。移すと悪いから逢えなかったんですけどずっと気にかけてくれていたみたいで……」彼女の瞳は、リアムの優しさを語るたびに愛おしさに潤んだ。私には、信じられないような話だった。幸助さんは、私がどんなに体調を崩しても顔色一つ変えなかった。むしろ「しっかりするように」と喝を
「愛する人のために薬学を覚えるなんて、葵様は本当に立派ですね」メルはそう言ってキラキラした目で私に話しかけてくれた。彼女の純粋な憧れの眼差しに私は少しだけ胸が苦しくなる。「残念だけどメルが思っているような素敵な話じゃないんだ。私は、日本にいる時に自分が必要とされていない人間だと思っていたの。親同士が決めた結婚で、夫になった人には私とは別に一緒になりたい人がいたの。でも、それは叶わぬ恋だったのね。夫は私に全く興味がなかった、だから少しでも自分の価値を作りたかったの。」幸助さんのことを久々に思い出し俯きがちに言った。「薬学を覚えたのは夫のためだけれど『愛する人』ではなかったかな。夫に私の価値を感じて欲しかった。『特別』になりたかった。でもそこに愛情があったわけではない。特別になることが『使命』や『義務』だと思っていたから」私の告白に、メルは何も言わずただ静かに耳を傾けてくれた。彼女の瞳は、私の言葉の全てを受け止めてくれるように優しく潤んでいた。「でもね、今は感謝しているの。日本で学んだことがこの国で役に立って、誰かを笑顔にできることが本当に嬉しい。今は使命とか義務じゃなくて自分の意思で学びたいって思っているの」「葵様は、やっぱり素敵です!」メルは、私の言葉を聞き終えると満面の笑みでそう言
その日の夕刻、サラリオは深く感動した様子で私の部屋に訪れた。「レオンと葵の話を侍女長から聞いたよ。葵の知っていることをもっと詳しく皆にも教えてくれないか?葵の持つ知識は、この国の人々の医療に役立ち暮らしを豊かにすると思うんだ。まさか、野草に役立つことがあるなんて考えたこともなかった。あの草が資源になるなんて……ぜひ、その知識をこの国のために役立ててほしい」「はい、私で良ければ。」この国に来て初めて自分が誰かの役に立ったと思った瞬間だった。続けてサラリオは、この国の医療や衛生状況の課題を口にしていた。それ以来、私の薬草の知識は王宮内で重宝されるようになる。医師たちが私に野草について尋ねに来たり、私が調合した簡単な塗り薬が兵士たちの軽傷の手当てに使われたりすることもあった。最初は小さな貢献だったが感謝に変わるたびに満たされた気持ちになった。しかし、同時に新たな波紋も広がり始めていた。宮廷の医者の中には、異邦の女性である私が自分たちの専門分野に口を出すことを快く思わない者もいた。また、私が知らぬところで「ただの野草」を「薬」にすることを『魔法を操る異国の女性』と奇妙な噂話となって隣国の一部の商人や貴族たちの耳に届いたようだ。水面下で私を狙い自国に連れて帰ろうと画策する者たちが現れていた。そんなことも知らず、私の知識が誰かの役に立ちこの国の人々の笑顔を増やすことができるという喜びに浸っていた。私は、このバギーニャ王国で少しだけ自分の役割を見つけた気分でいたが、