メルは、そんな葵の姿が見ていられなくなり痛みでぎゅっと締め付けられた。
(このままじゃ駄目だ。このままでは葵の心が壊れてしまう!!!)
そう思ったメルは衝動的にルシアンの後を追った。
「あの……!ルシアン様!」
メルの声にルシアンは足を止めて振り返った。その顔には困惑の色が浮かんでいる。
「無礼は重々承知の上ですが、ルシアン様の様子の変化に、葵様は深く心を傷めております。以前のように、葵様に接していただくことはできないでしょうか……?」
メルは自分の侍女という立場を弁えているつもりだ。だから、王子たちに対して意見することは今まで一度もなかった。しかし、今、自分でも考えられないほど必死な顔でルシアンに訴えかけていた。
ルシアンの表情が一瞬苦痛に歪んだ。彼の瞳の奥に深い悲しみが宿っているのが見て取れる。
「ごめんね、メル。でも……これは、葵のためなんだ。メルが葵の側にいてくれて良かった。」
ルシアンはそれ以上何も言わず、その言葉だけを残して困ったような顔でそのままその場を後にした。
「え……?」
メルは、ルシ
「薬草の採集に行きたいんです。新しい種類も探したいし生育環境もこの目で確かめたい」ある日、国立図書館に向かう予定だったが護衛たちに行先の変更を懇願した。彼らは私の安全を心配して最初は難色を示した。「王宮の外へ出るだけでも、細心の注意が必要なのです」と、いつものように警戒を口にしたが、私の目に宿るただならぬ決意と必死な様子に、最後は根負けしてくれた。彼らの警戒の目をどうにか掻い潜るように、私は王宮の外へと向かった。向かった先は、古くから薬草が多く自生していると伝えられる場所。それは、隣国ゼフィリア王国の国境線に近い人里離れた森の奥だった。以前なら、王子たちの許可なく、外出することも、ましてや予定を変更して違う場所に行くなど考えもしなかっただろう。だが、今の私を突き動かしていたのは、そんな常識を打ち破るほどの、自分の存在価値を見出すための、必死の行動だった。もがき、もがき、ただひたすらに、自分がまだこの世界に必要とされる人間だと信じたくて、私はそこへと向かったのだ。(もしかしたらこの新しい薬草がこの国の誰かを救うかもしれない。そしてまた、私が「必要とされる」理由になるかもしれない。そうすれば、サラリオやルシアンも、また私に目を向けてくれるかもしれない。)そんな微かで、けれど胸を締め付けるほど切実な願いが、私をその危険な場所へと突き動かしていた。誰かを救うことが私自身を救うことに繋がるような気がした。日本で夫に顧みられなかった経験が、私の心に「無価値」という深く傷となっていた。この国で一度はそれが拭い去られたと思っていたが
アンナ王女の再訪後、サラリオとルシアンの態度が急変したことに私は深く傷ついていた。あの温かかった二人の視線が、まるで私を避けるかのように冷たくなっていく。その状態が二か月も続いた。日を追うごとに、私は日本にいた頃のあの孤独な日々を思い出すことが増えていた。一度は、この国で誰かの役に立ったはずの薬草の知識。サラリオは、私が薬学を学ぶことを心から応援してくれていた。国立図書館に行くと、時にはサラリオから部屋を訪れ、その日知ったことを尋ねてきて、時間を忘れて話していた。私が真剣に話をしている時にサラリオから感じられる温かい眼差しは、私自身の存在を肯定し、認めてくれているかのようで生きがいを感じていた。しかし、今はもうサラリオが私の部屋を訪ねてくることもない。兵士たちの怪我の治療薬を作る機会もめっきり減り、私の知識は行き場を失っていた。(この国でも、また私は誰の役にも立つことがないままただ息をしているだけの存在として暮らしていくかもしれない……)そんな憔悴感に襲われた。自分の居場所がなくなることが何よりも怖かった。一度、このバギーニャ王国で受け入れられ、彼らに必要とされていると感じたからこそ、その光を失う恐怖は以前よりもはるかに強烈だった。心に開いた穴が日に日に大きくなっていくようだった。(国立図書館に行けば知識は得られる。だけど座学だけでは駄目だ。本の中に閉じこもっ
その時だった。――ドタドタドタッ!慌てて走ってきたのだろう、息を切らしたメルが、乱れた息を整える間もなく悲痛な叫び声を上げた。「大変です!葵様が、薬草を摘むと言って、本来とは違う隣国ゼフィリア王国の方角へ行ってしまいましたっ!!」その言葉にサラリオとアゼルは同時に目を見開いた。「葵が!?」先ほどまでの兄弟の衝突など、どうでもよくなるほどの衝撃が走った。ゼフィリア王国との国境近くは危険だ。ましてや、「異邦の女」と葵を危険視しているゼフィリアの目が光っている中で……。二人の顔から一気に血の気が引いた。ゼフィリア王国のアンナ王女が帰ってから二か月が経とうとした頃、アゼルは、サラリオとルシアンの葵に対する態度が以前と違うことにようやく気がついた。そして、葵がどことなく元気をなくしていることも。葵は笑顔を見せる。だが、以前のような心の底から湧き上がるような輝くばかりの笑顔ではなかった。この国に来たばかりの頃のどこか遠慮がちな笑顔に変わっている。その変化に気づいてからというものアゼルは自分が葵を笑顔にすればいいと強く思い、以前よりも積極的に声をかけ笑わせようとした。しかし、葵が以前のような明るさを取り戻すことはなかった。
メルは、そんな葵の姿が見ていられなくなり痛みでぎゅっと締め付けられた。(このままじゃ駄目だ。このままでは葵の心が壊れてしまう!!!)そう思ったメルは衝動的にルシアンの後を追った。「あの……!ルシアン様!」メルの声にルシアンは足を止めて振り返った。その顔には困惑の色が浮かんでいる。「無礼は重々承知の上ですが、ルシアン様の様子の変化に、葵様は深く心を傷めております。以前のように、葵様に接していただくことはできないでしょうか……?」メルは自分の侍女という立場を弁えているつもりだ。だから、王子たちに対して意見することは今まで一度もなかった。しかし、今、自分でも考えられないほど必死な顔でルシアンに訴えかけていた。ルシアンの表情が一瞬苦痛に歪んだ。彼の瞳の奥に深い悲しみが宿っているのが見て取れる。「ごめんね、メル。でも……これは、葵のためなんだ。メルが葵の側にいてくれて良かった。」ルシアンはそれ以上何も言わず、その言葉だけを残して困ったような顔でそのままその場を後にした。「え……?」メルは、ルシ
メルはアンナ王女が再訪してからサラリオとルシアンが葵に対して態度が変わり、距離を置くような素振りをしていることを誰よりも早く気づいていた。そして、そのことで葵が日に日に元気をなくし、まるで光を失ったかのように見えることも気がかりで胸を痛めていた。「最近、葵様が元気なくて……。サラリオ様とルシアン様が葵様に対して、以前とは全然違ってよそよそしくなった気がするの。そのことを葵様も感じ取って、ひどく心を痛めているようなんです。私は、葵様のために何ができるんだろうって、ずっと考えているの」メルは、幼馴染で恋人のリアムにその悩みを打ち明けた。夜の庭園でリアムの腕の中に抱かれながらリアムの肩に顔を預けていた。「俺は、メルがいるだけで元気になるよ。落ち込んでいてもメルが明るく笑顔でいてくれれば、俺も気分が上がるしまた頑張ろうと思えるんだ」そう言ってリアムはメルを優しく抱きしめた。彼の温かい腕がメルの不安を包み込む。メルはリアムの腰に手を回し、その胸に顔をうずめ、彼の温もりを噛みしめていた。この深く抱き合っている時間がメルの心を温かく満たし、また明日から頑張ろうと気持ちを切り替えることができた。リアムの言葉は最高の癒しだった。そして、こうして悩んだときにリアムが側にいて支えてくれることがとても嬉しかった。(葵様が元気になるように、私は側で明るく葵様を支えよう!)翌朝、葵とメルが廊下を歩いていると前方からルシアンが見えた。以前なら、遠くで姿を見つけただけでも、大きく手を振って最高の笑顔を見せた後に弾むような
変化は突然訪れた。ゼフィリア王国のアンナ王女が滞在している間、王子たちの様子が以前とは異なっている気がした。最も顕著だったのは、サラリオとルシアンの態度だ。以前なら、庭園で会えば温かい微笑みとともに呼びかけてくれたサラリオが、最近はちらりと私を見てすぐに視線を逸らすようになった。執務室で彼に会っても、忙しそうに書類に目を落とし事務的な口調でしか話さなくなった。何か用事があっても、メルを介して伝言が届くことが多くなった。ゼフィリアのアンナ王女が来てからは、ルシアンも明らかに私との距離を取っている。王宮の廊下で彼とすれ違っても、以前のように立ち止まって話しかけてくることはなく、遠巻きに会釈をするだけになった。目が合ってもどこか複雑な表情で視線を逸らしてしまう。私と目が合うとすぐさま視線を外す素振りに心を痛めていた。(どうして……?何か私は悪いことをしたのだろうか?)私の胸には、小さな棘が刺さったように、ちくちくと痛みが走った。彼らの態度の変化は、私には理由が分からなかったから、余計に不安を掻き立てる。「きっとアンナ王女がいらっしゃるから気を遣っているだけだ」そう自分に言い聞かせていたが、アンナ王女が帰ってからも態度が変わることはなかった。そして、日が経つにつれて私の心は重く沈んでいった。二人きりの時でさえ、以前の温かい雰囲気は失われ冷た