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第6話

Author: 星野栄美(ほしの えみ)
俺は本当に見る目がなかった。

琴音はその言葉をじっくり噛みしめると、ふっと笑い声を漏らした。

冷ややかな眼差しのまま湊の前へ歩み寄る。その言葉に腹を立てるでもなく、淡々と言った。「なら、今から後悔しても遅くないわよ。離婚する?私はいつでも構わないけど」

湊は呆気に取られ、その場に固まった。

琴音は彼から視線を外し、そばにいた家政婦へ声をかける。「クローゼットにしまってあるウェディングドレスを持ってきて」

家政婦は意図が分からないまま、それでも言われたとおりにした。

しばらくして……

家政婦は、かつてF国の有名メゾンに特注した高価なウェディングドレスを抱え、慎重な足取りでリビングへ戻ってきた。

腕の中のドレスを大切そうに守っている。かつての琴音が、そうしていたように。

琴音がどれほどこのウェディングドレスを大切にしていたか。それは、この家の誰もが知っていた。もちろん、湊も。

琴音にとって、このドレスは二人が長い年月をかけて育んできた愛の証だった。けれどこれからは、二人の過去が灰となって消えていく、その瞬間を見届ける証になる。

琴音はもう何の未練もなく、家政婦からウェディングドレスを受け取ると、そのまま裏庭へ向かった。

そして、腕を振り上げ、真っ白なドレスをまだ完全には消えていない灰の中へ勢いよく放り込んだ。

燻っていた火の粉が一瞬にして燃え上がる。激しい炎が純白のドレスを包み込み、二人が共に過ごした青春までも、瞬く間に呑み込んでいった。

後を追ってきた湊は、その光景を目にした瞬間、大きく目を見開いた。我に返ると、声を荒らげる。「琴音、正気か!?」

すでにドレスが炎に包まれていなければ、今すぐ飛び込んで取り戻していただろう。

だが琴音は動じなかった。静かな瞳には、未練など微塵もなかった。

「あなた自身が『見る目がなかった』って言ったんでしょう?だったら私だって、こんな馬鹿げた思い出の品を残しておく意味なんてないわ」

そう言い残し、琴音は何事もなかったかのように立ち去った。

湊はその場に立ち尽くしていた。消え残った炎が、その瞳を赤く染めている。

その瞬間、突然、胸を締めつけられるような痛みが走った。息さえうまくできない。

若菜も後を追ってきた。湊の前まで来ると、固く握りしめられた拳を包み込むように手を重ねた。

「湊、怒らないで。まさか琴音さんが、ここまで極端でわがままなことをするなんて思わなかったわ」

若菜はゆっくりと爪先立ちになり、キスで男の苛立ちを鎮めようとするかのように、赤い唇を耳元へ寄せた。

「琴音さんは、あなたが絶対に離婚しないって自信があるのよ。だったら一度、本当に離婚してみたら?琴音さんがあなたに与えられるものなら、私にだって与えられる。琴音さんにできないことなら、私はもっと……」

最後まで言い終える前に、湊が若菜の襟元を乱暴に掴んだ。

その瞳には、すべてを焼き尽くす炎のような凄みが宿っていた。「自分の立場をわきまえろ。若菜は俺を治療できる心理カウンセラー、それだけだ。琴音の立場に取って代わろうなんて考えるな!」

吐き捨てるように警告すると、湊はそのまま背を向けた。

湊が二階の寝室へ入ると、琴音は窓辺に立って月を眺めていた。

湊はまっすぐ彼女のもとへ歩み寄り、後ろから腰を抱きしめる。「悪かった。あんな言い方をするべきじゃなかった。会社の株が突然ストップ安になって、取締役会からも散々問い詰められてる。一日中その対応に追われて、頭がおかしくなりそうだったんだ。それで苛立って、君に当たってしまった。本当に悪かった」

湊は何度も謝った。琴音を抱きしめる腕にも、強く力が込められている。

まるで、失うことを恐れているかのように。

それも、そうなのかもしれない。琴音が湊を好きになった頃、彼は父親を亡くしたばかりだった。

不慮の事故で父を失い、何をする気力もなくなるほど落ち込んでいた湊。その苦しい時期を、ずっとそばで支えたのが琴音だった。

慰め、寄り添い、傷ついた心が癒えるまで、そばにいた。

人生で最も暗い時期に、あれほど優しく自分を包み込んでくれる女性と出会ったのだ。

心を動かされなかったはずがない。

きっと、湊が琴音を愛していたのは本当なのだろう。でも、ほかの女に手を出さずにはいられないのも、事実だった。

離婚協議書には、すでに湊本人の署名をもらっていた。提出さえすれば、二人は完全に他人になる。

今は波風を立てずにやり過ごしたい。一か月後に控えた調香コンテストにも影響を出したくなかった。

だから琴音には、湊とこれ以上言い争うつもりはなかった。「いいわ。分かってるから」

「じゃあ、もう怒ってない?」

「怒ってないわ」

湊はほっと息を吐き、もう一度琴音を強く抱きしめた。「じゃあ俺たち、これからもちゃんとやっていけるよな?」

なぜだろう。今夜の琴音の行動が、どうしようもないほど湊を不安にさせていた。今すぐ彼女の口から肯定の言葉を聞かなければ、安心できないほどに。

「もちろんよ」

その答えを聞いて、湊はようやく完全に安堵した。琴音はその腕から抜け出して言った。「あなたも一日疲れたでしょう。早く休んだら?」

二人は普段から、別々の部屋で眠ることが多かった。湊は病気のせいで夜中に目を覚ますことがあり、そのとき隣に琴音が寝ていると、かえって恐怖心が強くなることがあったからだ。

以前の琴音は、それを寂しく思っていた。だが今は、それでよかったと心から思っていた。

こんな最低な男と、本当の意味で夫婦にならずに済んだこと。

それだけが、この不幸な結婚生活の中で得られた最大の救いだった。

翌朝。

琴音がダイニングで朝食をとっていると、若菜が栞菜を連れてやってきた。

栞菜は琴音に挨拶すらせず、椅子に座るなり、まるで琴音などそこにいないかのように尋ねた。「ママ、パパはどうして朝ごはん食べに来ないの?」

若菜は娘の口元を軽く叩いた。「変な呼び方しないの。湊おじさんは、あなたのパパじゃないでしょう」

そして琴音へ申し訳なさそうな笑みを向ける。「琴音さん、ごめんなさい。栞菜はずっと父親のいない環境で育ってきたから、湊のことを父親みたいに思ってるみたいで。気にしないでくださいね」

琴音は口角を上げた。「気にしてませんよ。躾けられていない子どもなら、礼儀を知らなくても仕方ないですものね」

若菜の顔が瞬時に曇る。何か言い返そうとしたところで、湊がやってきた。

顔には明らかな疲労が滲んでいる。眉間には深い皺が刻まれ、何か大きな悩みを抱えているのは一目瞭然だった。

もちろん、琴音にはその理由が分かっていた。

湊は席につくなり、若菜へ視線を向けた。「温井先生、いつZを紹介してくれるんですか?」

若菜はすぐに笑顔を作った。「もう話はしてあります。ただ最近は仕事から離れて静かに過ごしていて、しばらく株の世界には関わりたくないみたいで。落ち着いたら、すぐに紹介します」

「温井先生、Zとお知り合いなんですか?」琴音は何も知らないふりをして尋ねた。

若菜の目に得意げな色が浮かぶ。「もちろん。私、一応有名な心理カウンセラーですから、人脈もそれなりにあるんです。Zは私の親友なんです。私たちの仲なら、お願いすれば何でも聞いてくれますよ」

湊の瞳に希望が灯った。「だったら、もう少し早く動いてもらえないか頼んでもらえませんか?今かなり厄介な問題を抱えていて、どうしても協力してほしいんです」

「分かりました。話してみます」

若菜は二つ返事で引き受けた。

そして今度は琴音へ視線を向けた。「琴音さんも、毎日あんな小瓶ばかりいじってないで、少しは外に出て人脈を広げたほうがいいですよ。湊が仕事で困ったとき、何の役にも立てないんじゃ困るでしょう?」

「私は温井先生には敵いませんよ。Zみたいな大物と知り合えるなんて。ほかの人は顔すら見たことがなくて、女性だということくらいしか知らないのに。温井先生は親友なんでしょう?羨ましいです」

若菜は小さく鼻で笑った。「私だって琴音さんが羨ましいですよ。毎日何もしないで裕福な奥様でいれば、衣食住に困らないでしょう?大した目標もなく気楽に生きられて。私は一人で子どもを育ててるから、何もかも自分で頑張らないといけませんけど」

「食べましょう。人には向き不向きがあります。琴音は特別優秀なわけでもないですし、俺も最初から何かを期待してるわけじゃないです」

湊が低い声で会話を遮った。

琴音は、こんな二人を眺めながら朝食を続ける気にはなれなかった。

箸を置き、そのままダイニングを出ていった。

琴音の姿が見えなくなった途端、湊は若菜を睨みつけた。「昨日言ったこと、忘れるなよ。俺の妻の座は、永遠に琴音だけのものだ」

さっきの挑発に気づいていないとでも思ったのだろうか。

若菜は怒りも焦りも見せず、ただ何でもないことのように告げた。「私が琴音さんの立場を狙ってるかどうかなんて心配する暇があるなら、私たちの関係をどう隠すか考えたほうがいいんじゃない?あなたはこれを『治療』だと思ってる。でも、琴音さんも同じように受け取るとは限らないでしょう?

昨夜、ウェディングドレスまで燃やしたんだから。琴音さんのあなたへの愛を、あまり過信しないほうがいいわよ」

そう言うと、若菜は娘へ目配せした。

栞菜はすぐに椅子から飛び降り、湊の前へ駆け寄ると、手を握った。「湊おじさん、書斎でおもちゃをなくしちゃったの。一緒に探して?」

子どもにせがまれ、断りきれなくなった湊は、栞菜と一緒に書斎へ向かった。

「どんなおもちゃだ?ママは探してくれたのか?」

書斎の中を探しながらも、湊の意識は別のところにあった。

今日も東栄グループの株はストップ安になるはずだ。一体、どこで何が狂った?

そのとき、湊の視線が書棚の隅に隠された小さな黒い物体に留まった。黒いボタンのようなもの。眉をひそめながら手を伸ばし、それを引き抜く。

次の瞬間、湊の瞳孔が大きく収縮した。

これは……小型の隠しカメラ!

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