偶然にも、私は夫の秘密を知ってしまった。 それは、家の隅々にまで仕掛けられた無数の針穴カメラ。 私は何事もないふりを装いながら、じっと様子をうかがった。 ある日、私は外出するふりをして、こっそり物置に身を潜めた。 すると、静寂を切り裂くように、夫と愛人の甘い囁きが聞こえてきた。 桐生聡真は荒い息をつきながら言う。「急げ……羽純の治療時間は、たったの20分しかない」 彼の下にいる女がくすりと笑う。「何を怖がるの? どうせ半分しか見えてない女なのに」 その瞬間、聡真の声が鋭く響いた。 「お前に彼女のことを語る資格はない! 羽純は、俺の唯一の妻だ。 これ以上つけ上がるなら、出て行け!」 彼は知らない——私の目は、もう完全に治っていることを。彼と同じように、すべてを見通せる瞳に戻っていることを。 物置の扉をそっと押し開ける。震える指で、私は電話をかけた。 「お兄ちゃん……M国へ行くことにする」
Lihat lebih banyakあの日以来、聡真と美咲が再度尋ねてくることを心配し、私は兄の家を出た。新しい生活は、驚くほど穏やかだった。新しい環境に、新しい仕事、そして、新しい趣味。私はいくつかの習い事を始め、毎日を忙しく、そして充実させていた。それなのに。突如として、悪夢は再びやってきた。届いたのは、一つの小包。開封すると、血まみれの赤ん坊の人形。そして、もう一つ。私の写真。顔の部分だけが、ナイフで無残に切り裂かれ、裏には赤いペンでこう書かれていた。「地獄へ落ちろ」——心臓が、冷たく縮み上がった。指先が震える。私はすぐに管理会社に連絡し、防犯カメラの映像を確認しようとした。しかし、返ってきたのは——「3日前に、監視カメラは何者かによって破壊されています」つまり、これは計画的なもの。偶然なんかじゃない。誰かが、私にこの恐怖を味わわせるために仕組んだことだ。しかし、この問題を考える時間もなく、私は新しい仕事の案件を受けた。しかも、それは——私が夢に見ていた、記念すべき100組目の新郎新婦の結婚式。このプロジェクトが成功すれば、私は自分の目標を達成するだけでなく、会社での昇進の道も開かれる。私は胸を躍らせながら、会議室へと足を踏み入れた。——そこで、私は見た。最も見たくない男の顔を。「羽純さん、こちらが桐生社長です。今回の結婚式の担当をお願いします」「羽純さん、久しぶりだな」聡真は、にこやかに微笑みながら、手を差し出した。私は全身が強張るのを感じながらも、努めて冷静を装い、その手を握り——一秒後には、離した。「桐生社長、どうぞよろしくお願いいたします」彼の結婚式の予算は莫大だったため、会社はこの案件を特に重視していた。「絶対に成功させろ」そう念を押され、他のプロジェクトもすべて停止。私は、この案件だけを担当することになった。そして、それをいいことに。聡真は、毎日会社に現れた。朝から晩まで、ずっと。私は笑顔を作りながら、必要最低限の会話を交わした。彼は私のプランニング資料を勝手に手に取り、ページをめくりながら、面白そうに言った。「羽純、そんなに必死に働かなくていいんだぞ?」そう言って、彼は私の手を取ろうとした——だが、私の冷たい視線に気づいたのか、躊躇い、手を引っ込め
あの日以来、聡真は、まるでこの世から消えたかのように、一度も私の前に姿を現さなかった。だが、それを気にすることもなかった。彼のことなど、とうに過去のもの。今の私は、ただ仕事に打ち込み、忙しさの中で充実した日々を送っていた。それなのに。離婚届だけが、未だに届かない。彼が署名しない限り、私たちの関係は法的に断ち切れないまま。それが、喉に刺さった棘のように、じわじわと私を苛立たせていた。私は弁護士へ連絡し、聡真に離婚を急ぐよう催促を頼んだ。しかし——私の元に届いたのは、離婚届ではなく、思いがけない訪問者だった。——西園寺美咲。「このクソ女!!!ぶっ殺してやる!!彼女の怒声が、玄関先に響き渡る。「全部、あなたのせいよ!!だから聡真は、お腹の子を認めようとしないのよ!!お前が全部壊したのよ!!私の夫を返せ!!私の子どもの父親を返して!!」彼女の腹は大きく膨らみ、激昂するたびに大きく波打っていた。私は深く息を吸い、できるだけ冷静に告げる。「聡真とは、もう離婚の手続きを進めてる。彼のことは私には関係ないわ」そう言って、ドアを閉めようとした。——しかし、次の瞬間。美咲は、ドア枠にしがみつき、自らの腹を無理やり押し付けた。「いいの?ここでドアを閉めたら、お腹の子もろとも死んじゃうわよ?」私は一瞬、息を呑む。ここは兄の家。彼に迷惑はかけられない。ちょうど彼は外出中で、家には私しかいなかった。美咲は、それを見越していたのだ。次の瞬間、彼女は私の髪を乱暴に掴み、玄関から引きずり出そうとした。爪が頭皮に食い込み、鋭い痛みが走る。「っ……!やめろ!!!!」突然、怒声が響き渡り、彼女の体が弾き飛ばされる。——ドサッ!廊下に響く、鈍い音。美咲は、床に崩れ落ち、愕然とした顔でこちらを見上げた。そして、その視線の先には聡真だった。彼は荒い息を吐きながら、鋭く美咲を睨みつけていた。「お前……羽純に手を出すなんて、ふざけるな!!死にたきゃ勝手にしろ!!俺の前で二度と騒ぐな!!」冷酷な言葉が、彼の口から容赦なく飛び出す。泣き叫ぶ美咲。だが、聡真はそんな彼女を見向きもせず、ただ私の顔を覗き込んだ。「羽純……大丈夫か?ごめん……俺のせいで、こんな目に遭わせて
この声、たとえ灰になっても、私は決して忘れない。「羽純……」警戒心を強め、私は彼を睨みつける。「……どうして、ここにいるの?」聡真の顔には無精ひげが伸び、髪は乱れ、着ているスーツには無数の皺が刻まれていた。疲れ果て、やつれたその姿は、かつての洗練された彼とはまるで別人のようだった。私の記憶にある聡真は、いつも完璧で端正な男だった。このように惨めな姿を見るのは、初めてだった。彼は涙を滲ませた目で、じっと私を見つめる。声は掠れ、震えていた。「羽純……俺は、離婚したくない。ごめん。俺が間違ってた。許してくれないか?」そう言いながら、彼は私の手を握ろうとする。私は素早く身を翻し、その手を避けた。聡真の顔に、深い悲しみが浮かぶ。まるで世界のすべてを失ったかのような表情で、私を見つめている。だが——私は冷たく笑った。「毎日そんな芝居をして、疲れないの?」彼は反射的に口を開き、何かを言おうとした。だが、私はもう聞く耳を持たなかった。「羽……」「裁判で決着をつけましょう」「弁護士から、あなたに連絡するはずよ」彼が何かを言う前に、私は踵を返した。もう、これ以上、彼と話すことはない。だが、その瞬間。突然、手首に鋭い痛みが走る。聡真が、血走った目で私の腕を乱暴に掴み、怒鳴った。「お前って女は、恩知らずにもほどがある!俺はただ、ほんの少し間違っただけだろ?それなのに、ここまで俺を追い詰めるのか?!お前は忘れたのか?!誰が、お前を捨てずに支えてやったのか!!誰が、お前を毎晩看病したのか!!」——過去の傷が、強引に抉られる。だが、私はもう、怯えたりしない。冷たい声で、静かに言った。「……そうね」「あなたがあんなふうに『世話』してくれなければ、私はもっと早く回復していたでしょうね」聡真の表情が、一瞬で強張った。私はさらに言葉を重ねる。「もし本当に、私が『追い詰める』つもりなら——あなたのすべての醜態を、世間に暴露するべきよ。聡真、今のうちに消えなさい。私がまだ理性を保っているうちに」私は、震える体で叫んだ。胸の奥に積もり積もった怒りと悲しみが、一気に溢れ出す。気づけば、涙が止まらなかった。聡真は、慌てふためき、必死に私の涙を拭おうとする。
すべての手続きを終えた後、私は兄の家へと身を寄せた。私の目が見えるようになったことに気づいた兄は、驚きと喜びのあまり、涙を流しながら何度も天に祈った。「神様……ありがとうございます……!やっと、羽純の目が……!」だが、その感動の余韻も束の間。兄は何かを思い出したように、眉をひそめ、不機嫌そうに言った。「お前が最初から俺の言うことを聞いて、すぐに海外に来ていれば……もっと早く視力を取り戻せていたかもしれない。あのクソ野郎が、お前の人生を台無しにしたんだ」私は兄を安心させるように微笑んだ。「でも、今こうして見えているから、遅すぎることはないよ」けれど、胸の奥では、兄の言葉が突き刺さっていた。彼の言う通りだった。聡真と出会ったばかりの頃、彼の瞳は清らかで澄み渡っていた。曇りひとつない、まっすぐなまなざし。彼は私を尊重し、大切にし、いつも私を最優先に考えてくれた。たとえ真夜中に、突然「遠くの町の和菓子を食べたい」と言い出したとしても、彼は躊躇なく飛行機のチケットを予約した。私は心の底から信じていた。——彼こそが、運命の人。私は世界で一番幸せな女なんだと。だが、あの事故がすべてを変えた。急カーブが続く山道、突然のブレーキの故障。私はハンドルを制御できず、そのまま崖下へと転落した。意識が途切れる直前、私ははっきりと見た——聡真が、私を庇うように必死に腕を伸ばしていたことを。その後、彼は奇跡的に無事だった。しかし、私は視力を失い、半盲の身となった。この現実を受け入れることができなかった私は、何度も死のうとした。だが、そのたびに聡真がそばにいて、私を慰め、支え続けてくれた。「大丈夫。どんな姿になっても、俺は君と一緒にいる。羽純、君がどんなふうに変わっても、俺の愛は変わらない。俺は、君を一生愛する」——その言葉が、私の生きる支えになった。そして、同時に、私を閉じ込める牢獄にもなった。「なぁ、なんで急にM国に来る気になったんだ?」兄の何気ない問いかけに、私はふと我に返った。一瞬、考えた後——私は、にっこりと笑って答えた。「だって、あの男がクソ野郎だからよ」兄は呆れたように肩をすくめたが、それ以上は何も言わなかった。そして、力強く私の肩を叩いた。
電話の向こうが、静まり返った。まるで時間が止まったかのように、何の音も聞こえない。ちょうど一分後——聡真が、喉を引き絞るように、乾いた笑い声を漏らした。「羽純、お前……ふざけてるのか?そんな冗談、ちっとも面白くないぞ」その声は、焦りを必死に隠そうとする、張り詰めたものだった。「冗談じゃない」私が淡々と答えた瞬間——彼の堪えていた感情が、ついに爆発した。「羽純!!」怒りに満ちた声が、携帯のスピーカーを震わせる。しかし、彼はそれでも声を抑え、冷静を装おうとしていた。「お前は盲目なんだぞ。俺なしで、一体どこへ行ける?俺以外に、お前を哀れんでくれる奴なんていない!家族でさえ、お前のことを顧みないんだ!今すぐ謝れ。そうすれば許してやる。さもなければ、お前はただの厄介者だ!」いつもの手口だ。彼はいつもこうやって私を縛りつけた。「自分は迷惑な存在なのだ」と思わせることで、逃げられなくさせる。だから、私は兄のもとへ行くのを諦めた。だから、聡真の求めにいつも応じてしまっていた。——でも、もう違う。私は、ただ淡々と「どうでもいいよ」とだけ返した。聡真は、一瞬で言葉を失った。「お前……本当に気が狂ったのか……?」私は、静かに息を吐いた。「聡真、私は目が見えなかったけれど、心まで盲目ではないよ。それに——もう、完全に回復したわ」電話の向こう側が、再び静寂に沈む。ほんの数秒間。そして、再び乾いた笑いが響いた。「……本当に?そ、それはよかった。じゃあ、帰ってこい。ちゃんと話そう」私は小さく嗤い、彼の言葉を遮った。「帰る?またあなたに目を潰されるために?」決定的な一言だった。まるで張り詰めた糸が切れたように、電話の向こう側で、聡真が焦りながら部屋を行ったり来たりしているのがわかる。彼は、必死に態勢を立て直そうとした。「羽純、俺はお前のために、こんなにも尽くしてきたんだぞ!それなのに、お前は俺を悪者に仕立て上げるのか?……ああ、本当にがっかりだ」私は、彼の言い訳を最後まで聞くつもりはなかった。淡々と、核心を突く言葉を投げつける。「へぇ、じゃあ——監視カメラも、GPS追跡アプリも、あなたが仕掛けたものじゃないってこと?」聡真は、反射的に否
声が、ピタリと止んだ。次の瞬間、扉が勢いよく開かれた。私は息を呑み、とっさに目を閉じる。足音が静寂を切り裂き、ゆっくりと近づき、そして遠ざかる。扉が閉まる。その向こうから、低く怒気を孕んだ声が響いた。「俺が家中に監視カメラを仕掛けたのは、彼女の動きを監視するためだ!もし突然回復したら、美咲のお腹の子に影響が出る!それなのに、お前は今になって『回復の兆しがある』だと?!いいか、何をしてでもいい。藤崎羽純は、一生盲目のままでなければならない!」心が、氷のように冷たくなっていく。彼は医者の襟首を掴み、一言発するたびに、私の胸の奥に突き刺さる。私はずっと、自分の運命を呪っていた。不幸な星の下に生まれたせいで、人生をこんなふうに狂わせてしまったのだと——聡真は、どんな治療法でも探してくれた。どこかに名医がいると聞けば、すぐに飛行機を手配し、連れて行ってくれた。私は申し訳なさに胸を痛めた。彼に迷惑をかけたくなかった。だから、どんなに苦い薬でも、彼のために、すべて飲み干した。一滴も残さずに。それでも、何の変化もなかった。やがて、苦い薬の味が耐えられなくなった私は、彼の前で薬を飲むふりをして、トイレへ流すようになった。そうしたら、視界が晴れていった。病室の外の言い争いは、次第に遠のいていく。次に聞こえたのは、慌ただしい足音。「院長が桐生奥さんの診察をするそうだ!」「急げ!桐生さんも付き添ってるぞ!」……私は瞬時に目を開け、素早く着替えを済ませた。目立たぬように、ナースステーションからマスクを手に取る。そして、扉を開けた。その瞬間、視界に飛び込んできたのは聡真。背後には、美咲が付き従っている。彼の顔は焦燥に満ち、病棟の中を見渡しながら、誰かを探していた。ひとり、病衣を着た患者を捕まえては確認し、違うとわかると苛立ちを露わにして放す。そのたびに、美咲が何か囁いていた。彼の表情は次第に険しくなり、ついには、苛立ちのあまり、彼女を突き飛ばした。彼の冷たい視線が、ついに私を捉える。漆黒の瞳に宿る鋭い光。その視線が突き刺さるようで、私は息を詰まらせる。だが、彼は一瞬で目を逸らした。私は迷わず俯き、早足で車に乗り込む。「すぐに出して」運転手に急かし、車は静かに発進した。病院の建物が遠ざかってい
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