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第5話

Author: 伊藤誠のサブ垢
カチン!

ナイフが床に落ち、甲高い音を立てた。

果物の皮が散らばったが、誰も気に留めなかった。

光舟は勢いよく立ち上がり、信じられないように問いただした。

「お……お前、今なんて言った?」

看護師は驚いて、怪訝そうに彼を見た。

「あなたが秋山涼凪さんのご家族ですか?

秋山涼凪さんは数日前に流産で入院されていて、お薬を受け取り忘れていらっしゃいました。

つい先ほど、この病室から出ていくのを見かけたので伺いに来たんです。ご家族の方ですよね?」

光舟は口を開いたが、顔色がさっと変わった。

「お、俺は……彼女の夫だ」

その言葉を聞いた看護師の態度は一変した。

彼を上から下まで眺め、嘲るような眼差しを向ける。

「あなたが秋山涼凪さんの、あの無責任な夫ですか?

奥さんが流産してこんなに長く入院していたのに、一度も顔を出さないなんて、大したもんですね」

光舟の瞳が揺れ、苦しげに声を絞り出す。

「お……俺は知らなかった……流産したなんて……」

看護師は鼻で笑った。

「知らなかったって?あれだけ長く入院してたのに、夫として全く気にかけなかったとでも?

秋山さんが流産した日、あなたに何十回も電話してましたよ。耳が聞こえなかったんですか?それとも頭がおかしかったんですか?」

そう言いながら、VIP病室の豪華な内装を一瞥し、皮肉を込めて笑った。

「見たところ、あなたとこの女性もこの病院にしばらく入院していたみたいですね。自分の妻がどこで何をしてるか、一度も気にしなかったんですか?」

看護師の皮肉が続くにつれ、光舟の顔はどんどん蒼白になっていった。

脳裏に浮かんだのは、あの日、病院で見かけた涼凪の真っ白な顔。そして、あの夜、家に戻ったときの不自然な態度。

「気分が悪いから、気分転換に旅行に行くだけ」

――気分が悪かったのは……全部、自分のせいだったのか。

光舟は激しく拳を壁に叩きつけた。後悔と罪悪感で、息すらまともにできなくなる。

「ここは病院です。お静かにしてください」

看護師は眉をひそめ、容赦なく注意する。

「何よその態度!」

幸子が耐えきれず、看護師に食ってかかった。

彼女はとっくに涼凪の流産を知っていた。今この瞬間、光舟が悲痛に打ちひしがれる姿を目にして、彼女自身も動揺していた。

看護師は冷たく鼻を鳴らした。

「何が悪
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