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第268話

Author: 歩々花咲
苑はおばあちゃんの髪を洗い、乾かしてあげた。

「おばあちゃん、あの人に会あった」

苑は祖母が尋ねずに彼女が自ら話すのを待っていると知っていた。

苑の祖母は苑が話さないなら、きっと自分に知られたくないのだと分かっているからだ。

「がっかりしたかい」

祖母は本当に何でもお見通しだ。

もしあの男が苑を少しでも満足させていたら、彼女はきっと人を連れて帰ってきただろう。

苑は笑った。

「おばあちゃんは透視眼でもあるのかな。何でも分かるね」

祖母も軽く笑った。

「いいのさ。彼がどんな人間でも私たちにはもう関係ない。話してごらん、聞くだけだから」

だが苑がどうしてあの男がどれほど女好きだったかなど言えるだろうか。

祖母が最も大切にしていた娘が死ぬ間際まで愛していたのはあの男なのだ。

「彼、結婚したよ」

苑はそう一言だけ言った。

だが祖母の表情はやはり硬直した。

和人が結婚したということは、自分の娘の深い愛情を裏切ったということだからだ。

「当然だね。理解できる」

ただ一瞬で、祖母は低く呟いた。

理解できる。

だが心の中ではやはり辛い。

苑の心が痛んだ。

何かを言って祖母を慰めたいと思った。

だがどう言えばいいのか分からなかった。

最後に言った。

「おばあちゃん、あの人はもう私たちとは無関係だ」

祖母は苑の手を撫でた。

「何か嫌な思いはしなかったかい」

「ないよ。あの人は彼の財産を私にくれると言ったが、要らなかったの」

苑は事実を軽く話した。

「要らないのが正しい。長年彼の一銭も使わずに、私たちもやってきたんだから」

祖母の言葉に苑は彼女と祖母が過ごした苦しい日々を思い出した。

苑は祖母の髪を乾かし終え、彼女の首を抱きしめた。

「おばあちゃん、私にはあなたがいれば十分だよ。あなたが私の大切な宝物だ」

どんなに辛い思いをしても、どんな困難に遭っても、祖母のところへ来れば、苑には言いようのない力が湧いてくる。

祖母は苑の頭を撫でた。

「おばあちゃんもこの人生で二十年以上もお前と一緒にいられて本当に嬉しいよ」

だが彼女の付き添いは祖母が娘を失うという代償の上に成り立っているのだ。

ただ今更そんなことを言っても仕方がない。

人生とは得るものもあれば失うものもあるのだから。

「おばあちゃん、もう一つプレゼントを買
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