白石苑(しらいし その)が辞表を書き終えたとき、ふと顔を上げて窓の外を見やった。 ビルの巨大スクリーンには、朝倉蓮(あさくら れん)と芹沢琴音(せりざわ ことね)の婚約ニュースが、もう七日間も繰り返し流されていた。 誰もが言う――朝倉蓮は芹沢琴音を心から愛している、と。 でも誰も知らない。苑が七年間も彼のそばにいたことを。 十八歳から二十五歳。彼女の人生で最も輝いていた時間を、全て彼に捧げた。 けれど、彼は別の人と結婚することを選んだ。 だったら、自分はこの舞台から静かに退場すべきなのだろう。 彼の結婚式の日から、蓮の世界には、もう「白石苑」という名前は存在しなくなる。 視線を戻した苑は、辞表をきちんと折りたたみ、白い封筒にしまった。 そのタイミングで、オフィスのドアが外から開かれる。 入ってきたのは――彼だった。 黒のシャツの襟元はラフに開かれ、同じ色のスラックスが長い脚を包んでいる。 歩くたびに風が吹くような雰囲気で、その存在感はまるで王者のように堂々としていた。 苑の脳裏に、彼と初めて出会った日のことがよみがえる。 あの時も、彼は同じ黒いシャツを着ていた。 バーの隅で一人酒を飲んでいた彼は、見るも哀れな捨て犬のようだった。 彼の家は破産し、飲み代すら腕時計を質に入れて作った。 苑はその時計を買い戻した――そして彼の心まで奪ってしまった。 だが、泥に落ちた蛟は、いつか再び空を舞う。 彼は再起を果たし、いまや帝都で名を馳せる男になったのだ。 「メッセージ送ったのに、返事がなかったな?」 静かな声が、彼女の手にある封筒に向けられた。 苑は封筒を握りしめながら、窓の外を指さした。 「社長と芹沢さんの結婚プロモを見ています」 彼の目元がすっと陰を帯びた。 「プロモって……あれ、お前が編集したやつだろ。まだ見る意味あるのか?」 ――そう、あのプロモーション映像は、彼女が作ったものだった。 そこに映る写真、甘い瞬間、そしてすべての「愛の言葉」。 それらは全部、苑が自分の手で選び、綴ったものだった。 あの時、蓮が苑にこう言ったのを、彼女は今でも忘れていない。 「この件はお前に任せる。琴音が他の人間だと不安がるからな」 彼と琴音が再会したのは三ヶ月前――
Baca selengkapnya