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第1161話
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慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った 第1162話
実は、来依が言うまでもなく、紀香はすでに清孝の病気を信じていなかった。「知ってたよ、お姉ちゃん。すぐに帰る」来依は心配して、すでに人を手配していた。「五郎が迎えに行くから。写真を送るね」「うん、大丈夫だよお姉ちゃん。私は平気」来依はそれでも気が休まらず、念を押した。「できるだけ早く帰って。フライト情報は私に送って。空港まで迎えに行くから」妊娠中の姉に心配をかけたくなくて、紀香も素直にうなずいた。「わかったよ、お姉ちゃん。ちゃんと送る」通話を切ったあと、紀香は実咲の手を引いて歩き出した。だが、またしても清孝が立ちはだかった。「香りん、なんで俺のことを無視するの？」紀香は一切目を向けず、そのまま前を向いて歩き続けた。清孝は反対側の手を掴んだ。「香りん、俺が何をしたっていうの？ちゃんと理由を言ってくれよ。じゃあさ、今すぐお菓子買いに行ってくるから。もう怒るなよ、な？」紀香は、もう十分我慢してきた。彼が自分を愛していないことは、もうわかっていた。だからこそ、せめて綺麗に終わらせたかった。この間違った結婚を、穏やかに、静かに終わらせたかった。彼の両親も、妹の春香も、みんな彼女に優しくしてくれた。だからこそ、自分たちの問題で周囲に迷惑をかけたくなかった。なのに彼は――毎回、彼女の気持ちを無視して、勝手に押し寄せてきた。どれだけ避けても、拒んでも、彼は諦めなかった。ついには、すべてを壊す覚悟を決めさせられることになる。「清孝、本当の絶望って、わかる？二年前、私、路地裏で針谷を見たの」清孝の瞳孔が、一瞬で縮んだ。ここで演技を続けるべきだった。だが今、彼女の感情の消えたつぶらな瞳を見て、なぜか怯んでしまった。清孝――彼でさえ、ついに怖じ気づくという感情を知ってしまったのだ。彼の手の力が弱くなったのを感じて、紀香は手を振り払った。「あなたが冷たく突き放したこと、間違ってなかったよ。私たちは兄妹、そんな関係になるべきじゃなかったって、あなたは何度も私に言った。結果から見れば、その通りだった」「香りん……」何か言いたそうにして、でも何も言えなかった清孝。「俺たち、本当に、やり直す道はないのか？」紀香は冷たく笑った。「じゃあ訊くけど、私が傷ついたあの日に、戻
慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った 第1161話
「今は妊娠中なんだから、まずは体を大事にして。出産が終わってから、また考えよう？その間、香りんのことは絶対に傷つけさせないって、私が約束する。……それで、どう？」来依は強く来られるより、柔らかく言われる方が断りづらいタイプだった。……どうやら、皆もう知っているらしい。だが、春香の言葉の端々から、来依はある重要な情報を掴んだようだった。彼女は外に視線を向け、車のそばに立っている海人を一瞥した。数秒の沈黙のあと、口を開いた。「春香さん、本気で私のこと、友達だと思ってる？」「もちろん」「じゃあ一つ聞かせて。――清孝って、本当に病気なの？」「……」ほんのわずかな沈黙。だが、それで来依には十分だった。そしてその言葉を、海人も聞いていた。彼がこちらを振り向いたとき、ちょうど来依の目とぶつかった。静かで、けれどその奥には嵐があった。来依は春香に向かって言った。「春香さん、ごめん、今日はもう疲れたわ。話の続きはまた今度にして」春香が何か言おうとしたが、来依はそれを遮った。「海人、疲れた」海人は春香を車の外へ見送り、そのまま乗り込み、運転手にホテルへの移動を指示した。車が走り出すのを見送る春香は、しばらくその場で黙って立ち尽くしていた。清孝の母が家の中から出てきて訊ねた。「何て言ってたの？」春香の脳裏には、かつての記憶がよみがえっていた。――あの頃、両親は彼女を十八歳で売ろうとしていた。一番高く買ってくれる相手に。その時点で、清孝はすでに一人前だったが、まだ藤屋家の正式な当主ではなかった。両親はわかっていた――将来、家を継ぐのは清孝だと。それでも、目の前の金には逆らえなかった。清孝はそのとき、年長者への礼儀など一切無視して、両親にそれぞれ一発ずつ蹴りを入れた。「この子は俺の実の妹だ。誰と結婚するか、どう生きるかは、全部俺が決める」両親が泣き喚こうと地面に転げ回ろうと、清孝は少しの手段を使って黙らせた。……来依が今やろうとしているのは、ただ妹を守ろうとしているだけだ。それの何が悪いのか。「伯母さん、私たち、お兄ちゃんをちゃんと説得すべきだと思います」ホテルに戻った来依は、そのままベッドに倒れ込み、布団を頭までかぶった。海人は息が詰まらないかと心配して、
慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った 第1160話
ただ、まだ彼らの両親が誰なのかは突き止められていなかった。だが、こういった状況下では、紀香の姉として、彼らに直接問い質す権利はあるはずだった。清孝が彼女を監禁したことは、明らかに間違っていた。「私は息子の肩を持つつもりないわ。彼が間違っていたのは確か。香りんのことは、私が小さい頃から見守ってきた子で、実の娘のように思っている。あの子が傷つけば、私も本当に辛いの」清孝の母はため息をついた。「でも、私たちも彼を何度も説得した。彼はもう大人。家に閉じ込めておくなんてできない。藤屋家のために、彼にはやってもらわなきゃいけないことも山ほどあるから」たとえ口では公平なことを言っていても、実の息子をかばいたい気持ちは心の奥底に見え隠れしていた。来依はそこを争点にするつもりはなかった。ただ淡々と、しかしはっきりと口を開いた。「もし、あなたたちが自分の息子を抑えられないのなら――よその家の大事な子を傷つけるのを見過ごすつもりなら、私は構いません。きっちり、牢屋に送ってあげます。そのときトレンドに名前が載っても、藤屋家に顔を立てなかったって文句は言わないでください」藤屋家の三人は一斉に海人の方を見た。すると、彼は静かにみかんの皮を剥き、その白い筋まで丁寧に取り除きながら、ひと房を来依の口元に差し出した。その一瞬、まるで海人が代わりに語ったような気がして、三人の背筋にわずかな緊張が走った。――さすが夫婦、どんどん似てきたな。清孝の母は再び口を開いた。「恋愛って、数学みたいに一つの答えがあるわけじゃないのよ。私があの二人を結婚させようと思ったのは、香りんが清孝を好きだって分かっていたから。若い頃は、どうしても感情に突っ走っちゃうものよ。そして、その結果は……やっぱり自分で責任を取らなきゃいけないんじゃない？」来依はその言葉の裏にある意味を読み取った。――最初に清孝を好きになったのは紀香なんだから、すべての責任は彼女にもある。つまり、今の状況は自業自得だというわけだ。……なるほど。清孝がああいうことをしたのも、納得というわけか。こんな名家が、間違いを認めるわけがない。だったら、こちらが遠慮する必要もなかった。「もう、これ以上話しても意味ないですね」来依はそのみかんを食べなかった。藤屋家のものなんて、口
慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った 第1159話
ジョーが彼女を部屋まで送り届けてくれた。「すみません、錦川先生。今夜はちょっと盛り上がっちゃって……伊藤さんもお酒を少し飲みました」彼は強調するように言った。「本当にちょっとだけ、盛り上げるための二杯だけです。無理に飲ませたわけでもないし、吐いたりもしてません」紀香は実咲の身体を支えながら受け取り、ジョーに礼を言った。ジョーは慌てて手を振った。「いえいえ、そんな、お礼なんてとんでもないです。伊藤さんはうちのチームと一緒に出かけてくれたわけですし、安全を守るのは当然のことです。では、ゆっくりお休みください」紀香は軽くうなずき、もう一度礼を言ってから、部屋のドアを閉めた。彼女は実咲に聞いた。「自分でシャワーできる？」「できるよ」実咲は自分でバスルームへ歩いて行った。「錦川先生、私、酔ってないから。ちゃんと意識あるの」紀香は静かに言った。「女の子なんだから、外ではちゃんと自分を守らなきゃ。無理にお酒は飲まない方がいいよ」「今日は憧れの人に会えてテンション上がっちゃって……普段はあまり飲まないんだけどね」「わかってる」紀香は仕事を終えて、身支度を済ませた後、ベッドに横になりながらスマホを見ていた。その時、メッセージが一件届いていることに気づいた。「明日会おう」「……」紀香はすぐに察した。この見知らぬ番号は、きっと清孝だ。ほかの誰にも、こんな暇な真似はできない。仕事の連絡は、今ではすべて実咲の連絡先に集約されている。まさか今日会った誰かが、彼女に一目惚れして、こんな曖昧なメッセージを送ってくるとは思えなかった。彼女は彼のすべての連絡先をブロックしていたが、それでも彼はこうして接触してくる方法を見つけてくる。それでも紀香は迷わず、即座にブロックした。清孝は返信がないことにも、まったく気にしていない様子だった。傍らで記録を取っていたカンニーは、彼がふっと笑みを浮かべたのを見て、やや興奮気味に言った。「感情に縛られてるケースは今までにも見てきましたけど……藤屋さんのようなタイプは、初めてです。まさか藤屋夫人の影響で、ここまで感情のコントロールが変わるとは……本当に驚かされました」そのやりとりをそばで聞いていた一郎は、内心で冷笑を浮かべていた。清孝が心の病を抱えてい
慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った 第1158話
「正直に言うけど、怒らないでくれる？」その言葉を聞いた瞬間、来依にはすぐに察しがついた。彼女はひとつの仮定を口にした。「もし彼が精神系の病気と診断されたら、行為能力がないと見なされる可能性ってある？」海人は彼女のためにエビの殻を剥きながら、相談するような口調で言った。「……二人のことは、できれば本人たちに任せちゃダメかな？」来依は海人が剥いたエビを受け取らなかった。「清孝がやったことは、すでに犯罪よ。あんたはつまり、私の実の妹が傷つくのを見過ごして、犯罪者である清孝と二人で解決させろって言いたいの？」「そんなつもりじゃ……」「あなた、結局は清孝の肩を持ってる。まあそうよね、あの子はあんたの妹じゃないもの。気持ちが入らないのも無理ないわ」「……」海人は、今は何を言っても墓穴を掘るだけだと感じていた。正直、清孝のことには関わるつもりなんてなかった。まさか紀香が来依の実の妹だったなんて、そして自分が来依と結婚することになるなんて、思ってもみなかった。「俺たち、お互いに正直でいるって約束したよな」海人はため息をつきながら話した。「正直に言うよ。清孝が紀香を諦めることは絶対にない。俺が手を打って、二人を会わせないようにはできる。でもずっと監視しているなんて、無理なんだ。清孝は大人だ、それも大きな権限を持った大人。仮に精神病院に入れても、やつにはそこから抜け出す手段がある。やつが犯罪を犯したことについては、告訴すればいい。でも仮に刑務所に行ったとしても、一生出られないわけじゃない。いずれは出てくる。そしてまた紀香に絡んでくるだろう。毎回、罪を犯すのを待ってから刑務所に送るつもり？ そんなことできる？藤屋家だって、あいつにそんなスキャンダルを背負わせるわけにはいかない。精神病院に送るのも、刑務所に送るのも、どちらも現実的じゃない」藤屋家は百年以上続く名家で、先祖には功績を挙げた者もいる。そんな家と真っ向から対立すれば、どちらにとっても損しかない。海人の根底には、やはり損得の計算があった。今では家庭もあり、過激な手段は取りたくなかった。「清孝のしたことは間違ってる、でも彼は本気で紀香を傷つけたりはしない」来依はその言葉を冷たく遮った。「じゃあ、妹が本当に死んだり、怪我した
慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った 第1157話
アメリカって、本当に広いのに。どうしてこんなにも偶然が重なるの？来依は再び訊ねた。「何日くらいいるつもり？」彼女が受け取ったのは、紀香が海外での撮影に無事到着したというメッセージだけだった。それ以外には、紀香から何の説明もなかったし、来依もあえて深く聞こうとはしなかった。あくまで個人の仕事だし、あまり口出しする必要もないと思っていた。でも今考えれば、もう少し聞いておけばよかったかもしれない。紀香の返事は簡潔だった。「三日間。今日のはもうすぐ終わるから、あと二日」「わかった。帰ってくる時、教えて。迎えに行くから」「いいよ、そんな手間かけないで。私、ちゃんとやっていけるから。お姉ちゃんは休養と気持ちのほうを大事にして。心配しないで、ちゃんと自分のことは自分でできるよ」来依は紀香の生活力を信じていた。再会する前から彼女のことは調べていて、この子がどんな風にここまで来たのか、知っていた。でも清孝のことは違った。彼のことは知らないし、何より制御できる相手ではなかった。危険な存在、そう感じていた。「慣れない土地なんだから、安全には気をつけてね」「うん」来依が通話を切ると、ふいに温かくて乾いた手が彼女の額にそっと触れた。伸ばされた人差し指が、眉間のシワを静かになぞっていく。もう、彼女にはどうすることもできなかった。頼れるとしたら海人しかいない。彼に相談するしかないと思った。でも、海人と清孝の関係を考えると……「ねえ、こんなことってある？国なんて山ほどあって、場所も無限にあるのに、同じ国にいたとしても、そんなに簡単に出くわすことってある？」来依は核心には触れず、遠回しに切り出した。海人は彼女を食卓の椅子に座らせながら言った。「食べながら話そう」来依は食欲がなかった。「清孝って、治療に行っても、外部と連絡取れるの？」海人は料理を目の前に並べ、まずスープをよそった。「何言ってるんだ。あいつは精神疾患の治療に行ってるだけで、別に精神病患者じゃないし、危険人物でもない。完全に外界と遮断されるなんてこと、あるわけないだろ。それに藤屋家のことは、春香が管理してるとはいえ、すべてを任せっきりにするわけにもいかない。あいつが知ってることを全部、春香に渡すなんて無理な話だ」
