LOGIN製薬会社に勤める25歳の時國深月は、恋人の裏切りを知ったその場で証拠を残し、自分の部屋の鍵を取り返し、関係を終わらせた。 翌日も仕事へ行き、貸した金は一括請求。 新しい暮らしを始めるため、深月は引っ越しを決める。 泣いて立ち止まるより、先にやるべきことを片づけてしまう。 そんな彼女のそばにあるのは、祖母から受け継いだ一粒のダイヤモンド。 透明で、美しくて、強い光を宿したその石には、どうやら秘密があるらしい。 そして新しい生活の先で、深月は一人の男性と出会う。 一人でも立てる。 けれど、一人で立ち続けなくてもいい。 これは、傷ついても自分の人生を手放さなかった女性が、誰かを信じ、愛されることを受け入れていく物語。
View More「黒瀬専務の隣にいる人って……環、わかる?」はる兄ぃ──黒瀬専務のことだ。はる兄ぃは、年の離れた従妹である私の世話を、昔からよく焼いてくれていた。社内では絶対!言えないけどね。その、はる兄ぃの隣で、長身の見慣れない男性がはる兄ぃに笑いかけていた。私の知らない人。「ああ、久世さんね」「久世さん?」「外部の方らしいですよ。何だっけ。何か難しい役職名の方」「bizdevっていうらしいよ」「ビズ……何?」「ビズデブ」「ビズ、デブ?」「ちょ、深月! そこで区切らない!」久世さんがこっちを見た、気がした。心臓が冷える。「まずい!環、さっさとさっきの音声を」「そうだね。じゃあ日菜ちゃん、イヤホン右と左、一個ずつ同時に聴こうか」動画の映像を通りすがりの人達に見られたら、それこそ事件。私は膝の上で、画面はハンカチで隠して再生ボタンを押した。「……うわ、これ……深月、よく撮ったね」「うわー……知ってる人のこんな声、初めて聴きました」「何、聴いてるんですかあ?」環と日菜ちゃんの背後に、大原理紗。声の主、御登場。やば。「大原さんと私の元彼の喘ぎ声を鑑賞してたんだよ?」って爽やかに言うわけにはいかない。──言ってみたいけど。
「……イヤホン、あるよ?」「持ち歩いてんの?さすが深月」「私も聴きたいです!」アダルトビデオみたいな音声を聴きながらA定食の冷やし中華を食べようとする環と日菜ちゃん。女傑って言葉があるけど、このふたりにだいぶ相応しいよね。Bluetoothをスマホと繋いでいた、そのときだった。「……ね、あれ。黒瀬専務じゃない?」声を潜める環の視線の先には、食堂の入り口に立つ黒瀬《くろせ》悠《はるか》専務。現社長の弟、という血筋は社内で知られている。ちょっと訳ありの血筋であることは公開されていない。言う必要も無い。そう、言う必要が無いから誰にも言ってないけど。黒瀬悠専務は、年離れた私の従兄だ。私の母、時國真紀は、現会長の年離れた妹。現社長と黒瀬悠専務は、私の年離れた従兄達ということになる。私にダイヤをくれた祖母、黒瀬栄子は現会長と私の母の母親にあたる。特別扱いされたくないから、黒瀬の家の人たちには、私の出自について社内では伏せてもらっている。……まあ、結局縁故採用だったのだけど。それでも、私は、私の腕だけで頑張りたい。黒瀬一族だからって言われるの、本当に嫌。名字が時國で良かった。今のところ、誰にもバレていない。目の前の、最も信頼できる、環と日菜ちゃんでさえも。
「ほんと……深月、本気出せばできる子だよね」昼休み。大原理紗もいるかもしれない会社の食堂で、司の部屋に乗り込んだ話と債権回収の話を環と日菜ちゃんにした。「深月先輩……そういうところですよ。だから後輩女子達からのバレンタインチョコが山のように」「すごかったよね。紙袋3つ分だったっけ?」「4つだよ。持ち帰るの大変だった」今年の2月、バレンタイン。どういうわけか私のデスクには、私が席を離れる度にラッピング済みのチョコレートが積まれていた。おじさん達から向けられる視線には、苦笑いと冷たいものが入り混じっていた。「しっかし。一括とは思い切ったよね」「深月先輩にはその権利ありますよ。手持ちが無いならサラ金行くなり、大原さ……っと」環が慌てて日菜ちゃんに向けて人差し指を唇に立てる。「日菜ちゃん。私達、悪いこと何ひとつしてないけど、一応気をつけて」「はあい」日菜ちゃん真っ直ぐだからな。素直で良い子なんだけど、たまに危なっかしい。「……で。深月さん」「どした環」「その、証拠の動画ってさ……」「このスマホの中にございましてよ。クラウド上にもね」「食事中だから動画はちょっと……音声だけ、さ」環の悪い顔。嫌いじゃない。むしろめっちゃ好き。
そうだいけない、忘れてた。司にLINE、送ってあげないとね。『あなたに貸していた、総額15万円についての件です。今月末までにこの口座に一括で振り込んでください。』銀行口座まで入力してあげる私、なんて親切。あれ?もう返信来た。司、ちゃんと仕事してる?『金なんて借りた証拠ねえだろ』しょうがないなあ。司が書いた借用書、昨日のうちに写真撮ってて良かった。画像、送信っと。借用書には“20万円借りました。藤崎司”と司の字で油性ボールペンで書かれていた。司は20万のうち、6万を返していた。本来14万だけど、こないだ財布から抜かれた1万をまだ取り返していないから、合わせて15万にした。相手に手間をかけさせない、私、いい女。えへ。『金なら返しただろ』『数字、読めないの?いいよ、その返事でも。内容証明送るか、司のお父さんに連絡するだけだから』返信が止まった。30分後、司から返信。『わかった』よし。大人しく返す気になったか。司と付き合っていた当時。裁判所事務官をやっている大学の友人、梓に知恵を借りたことがあった。当時大学4年だった司がバイト先で給料が振り込まれない、というトラブルがあったからだ。新卒1年目だった私は、うまく調べることができなくて、梓に感謝した。もちろん、給料が振り込まれた司も。だから司は、私が法律用語を持ち出すと大人しくなる。